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12.星の向こうから(2)

 全部、思い出した。

 アキは静かな表情で、私を見ている。遠い日の記憶にあるような、悲しさやさみしさは、その顔には浮かんでいなかった。

 これが、アキの思い出してほしいことだったのだろうか。


「……私、思い出したよ」

 小さく呟くと、アキは頷いた。

「うん。……ありがとう」

 ふいに、胸の中を冷たい風が通り抜けたように、さみしさがこみ上げた。

 今、隣にいるアキが、ひどく遠い。手をつないでいるのに、宇宙の彼方に離れていってしまったかのようだ。星明りに照らされたアキの表情が、ひどく静かだから、そう思ってしまうのだろうか。

 よみがえった思い出と、さきほどの喧嘩のことで、心が押しつぶされそうだった。

 ……私は、さっき、何てことを言ってしまったのだろう。


「アキ、ごめん」

 泣きたくはなかったけど、にじんでくる涙を抑えることができなかった。

「ひどいこと言ってごめん。嘘だよ。アキが嫌なんじゃないよ」

 小さい頃みたいに、落ちる涙を掌で下手くそにぬぐった。

 たぶん私は今ぐしゃぐしゃで、みっともない顔になっているんだろう。でも、構わなかった。どうせ、今は子どもなんだ。我慢するのも、取り繕うのもやめた。

 取り繕おうとする前に、アキにちゃんと言わなきゃいけないことがある。

「比べられるのだって、本当は、アキのせいじゃないのに。八つ当たりしてごめん。本当は全部、私の問題なのに。私がもっと、ちゃんとしていればいいだけなのに」

 比べられるのが嫌だと言いながら、常に引き比べて嫉妬していたのは、私自身だ。何の努力もせずに、ただ拗ねていた。自分の怠惰を、アキのせいにしていた。

 大馬鹿な自分が情けなくて、悔しくて、涙が止まらなかった。


 アキは、少し困ったような顔をして笑った。

「……無理、しなくていいよ」

 とても優しい声だった。

「俺と兄妹じゃなきゃよかったって、あの言葉、嘘じゃないんだろ?」

 アキの声には、責めるような響きはなかった。だから私は、いっそう何も言えなかった。

 そうだ。あれは確かに、嘘じゃなかった。

 幼い頃、双子なんだと力強く宣言したことも忘れて、私はアキと兄妹でいることが嫌になっていた。いつからか、アキさえいなければと、そう心の底で考えるようになっていたんだ。

 醜いその心を、アキはずっと、見抜いていたんだろう。

「それに俺も、そう思うって、言っただろ。――あれも、嘘じゃないよ」

 なぐさめるような口調なのに、なぜだか私は、突き放されたように感じた。柔らかいけれど決して破れない壁を、今、私たちの間に作られたような気がした。


 私は、いつかと同じように、つないだ手をぐっと強く引いた。

 兄弟じゃないし、お互い良かったね。――そう言って、アキが星空の向こうへ遠ざかっていってしまいそうに思ったのだ。だから、振り払われる前に、その手をぎゅっとにぎった。

「嫌だ」

 べそべそ泣きながら、私は首を振った。

「私、もっとちゃんとする。強くなる。比べられても、気にしないって、揺らがないようになる。八つ当たりもやめる。だから」

 どこにも行かないで。

 続けようとした言葉は、嗚咽に邪魔されて、かき消えた。

 私はそれ以上、しゃべることができなかった。本当に子どもに戻ったみたいに、つないだ手にすがって、声を上げて泣いた。



 アキの手の感触が消えた。と思ったら、ふわりと両肩が温かいもので包まれた。

「――なんだ。思い出したんじゃなかったの?」

 びっくりして目を開けると、すぐ目の前にアキの肩があった。水色のラインが入った、小さい頃のシャツ。よく知っている、アキのにおいがした。

 アキの手がぽんぽんと、優しく私の背中を叩いた。まるきり、小さい子をなだめて寝かしつける手つきだ。同い年のはずなのに、完全に子ども扱いされている。

 すぐ耳元で、アキはふっと笑ったようだった。

「ずっと一緒にいるって言ったよ。そのことも、思い出してほしかったのに」

 よしよし、と頭をなでられて、私はアキの肩に濡れた目元を押しつけた。

「でも、アキは嫌なんでしょう。……私と一緒にいるのが」

「そういう意味じゃないよ」

 アキは少し身を離して、首を傾けて私の顔を見た。

 片方の口の端だけつり上げて、アキは笑っていた。どこか自嘲的なその笑みは、アキには珍しいと感じた。

「兄妹じゃなきゃいいって、俺のは、……めーことは意味が違う。思い出してほしかったのも、それをちゃんと、めーこに知っておいてほしかったからで……俺の勝手な都合なんだよ。ごめん」

「なんで謝るの」

 私はぐすぐす鼻をすすった。アキの言っている意味がよくわからなかった。私とは意味が違うって、どういうことなんだろう。

 アキは親指で、私の目じりの涙をぬぐってくれた。

「俺と比べられていろいろ言われるのが嫌だって、それがめーこの問題なら、兄妹が嫌だっていうのは俺の問題だよ。めーこのせいじゃない。……悲しくさせて、ごめんね」


「じゃあ、アキはどこにも行かないね。私たち、ちゃんとこれからも兄妹だね」

 これからも一緒にいるよねと、私はちゃんと確認したくて聞いた。


 アキはあっけにとられたように、ぽかんと口を開けた。めったに見ることのない、とても間抜けな表情だ。

「――本当に、変わらないなぁ、めーこは」

 呆然とそう言って、アキは大きなため息をついた。

「もう18歳なのに。全然話を聞かないところ、小さい頃のままだ」

 ゆっくり首を振って、アキは仕方ないなあというふうに、柔らかく笑った。諦めたというより、やれやれ、と許すような笑顔だった。

 私はほっとした。何を呆れられて、許されたのかわからないけれど、少なくともアキは私を嫌いになったわけじゃない。それだけはわかった。

「今はもう、それでいいよ。お互いこれからがんばるってことで。――次はこういう、子どもの姿はナシでね」

 そう肩をすくめて、アキは空を振り仰いだ。降ってきそうな星空の、どこを見たんだろう。まるで壁の時計でも見たというような気軽さで、さらりと言った。

「さあ、もう休まないと。明日、学校に遅刻するよ」

 いきなり現実的な言葉が出てきて、私は面食らった。

「えー、嫌だ。明日絶対、ひどい顔になってる」

 私は慌てて、手でごしごし顔をこすった。この夜だけで、もう1年分くらい泣いた気がする。明日どんなことになってしまうのか、考えるだけで恐ろしかった。

「それは、しょうがないよ」

 アキは苦笑して、私の手を引いた。

 ふわりと、また抱きしめられる。馴染んだアキのにおいと、安心する温かさに、私は目を閉じた。


 耳元で、アキがささやく。子どもじゃない、18歳の、アキの声だった。

「――おやすみ」



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