11.星の向こうから(1)
泣いて泣いて、いつの間に眠ったのだろう。気づくと私は、夢を見ていた。
夢を見ている最中に、「あ、これは夢だ」と気づくのはとても珍しい。でも、わかった。あまりにも、不思議な世界だったから。
私はアキからもらったあのペンダントを、じっと見つめていた。きらきらと、緑の石の中で光の粒が瞬く。誘いかけるようなそのきらめきを、きれいだな、と思った瞬間、私は溶けていた。
すうっと、緑石の中に吸い込まれたのだ。この時点で、ああ夢なのだと思った。夢だから、怖くはなかった。ゆらゆらと濃淡を変える緑の海の中を、深い方へどんどん沈んでいった。
でもこの海は、冷たくもないし、息が苦しくもならない。不思議に思って、私は首を傾げた。水の中なのに、溺れないのだろうか――。
「水じゃないよ。前に、新緑だって言っただろ」
呆れたような声がして、私は振り向いた。
そこには、アキがいた。アキは片手を上げて、何かを掴むような動作をした。そしてすいと音もなく私に近づくと、ほら、と手を開いてみせた。
アキの掌の上に、つやつやした若い葉っぱが1枚乗っていた。
私はその葉っぱとアキを交互に見比べて、これは夢だ、ともう1度思った。
なぜならアキの姿が、いつもと違うからだ。
「――アキ、なんでそんなに、小さいの?」
目の前にいるのは、子どもの頃のアキだった。
何歳くらいだろう。今よりずっと線の柔らかい、目のくりっとした可愛い顔が、とても懐かしかった。格好も子どもの時のもので、私は思わずにやっとした。半ズボンに、キャラクターもののシャツを着たアキなんて、今じゃ絶対に見られないだろう。
アキは子どもの姿に似合わない、大人びたため息をついた。
「……自分のこと、よく見てみて」
「え?」
言われて私は、慌てて自分の姿を見下ろした。そして本当に、驚いた。
いつの間にか手も足も、小さくなっている。おまけに着ている服は、クマのアップリケがついた、ピンク色のワンピースだった。小さい頃の、お気に入りの服だ。これしか着たくないと言って、お母さんを困らせた――。
「嘘、私もちっちゃくなってる」
途方に暮れて、私は両手で頬を押さえた。そういえば、声も高く幼くなっていて、今の私のものとは違う。戸惑う私に、アキは苦笑した。
「めーこが子どもだから、俺は合わせただけだよ。……本当、変わらないな」
しみじみ言われて、私はちょっとムッとした。
こんな子どもの頃から変わらないと言われても、嬉しくない。全然成長していないって、言われているのと同じだ。まるでアキばっかり、大人になったような言い草だ。
「今は、アキも同じ子どもでしょ。威張らないでよ」
「威張ってなんかないよ。――さあ、もう緑の道を抜ける」
アキは上を振り仰いだ。私もはっとして、周りを見回した。
気づけば緑の世界はぐっと深く、濃くなっていた。
もう間もなく、いっそう深い黒へと行きつくのだろう。けれど、暗くはなかった。あの光の粒がまばゆいばかりに増えて頭上を覆い、はるか遠くまで輝いていた。
なんて星の明るい夜だろう、と思った。
「すごい――」
口を閉じるのも忘れて、私は美しい星空に見入った。
ぐるりと見渡す限り、さえぎるもののない星空だ。プラネタリウムよりもすごい。あまり見つめていると、宇宙へ投げ出されてしまいそうだ。
圧倒されてふらつく私の手を、アキが掴んだ。温かいその手を、私もにぎり返した。
吸い込まれそうな空から目を離して、隣を見た。アキが穏やかに笑っている。
私もなんだかほっとして、笑い返した。美しすぎる星空が、少し怖くなっていたけれど、アキといるから大丈夫なんだろうと思えた。
ふいに、アキと手をつないで星を見上げることが、初めてではないと思い出した。
いつかもこうして、2人で星空を見ていた気がする。1度だけじゃない、こんなことがたくさんあった。アキがいつも、私に見せてくれたのだ。皆には内緒だと言って、特別に。
「……アキ」
「なに?」
「星、すごくきれいだね」
アキはふっと微笑んだ。
「うん。きれいだね」
「――これ、アキがやったの?」
「うん」
アキは何でもないというふうに、あっさり頷いた。
私も知っている。今更、驚くようなことでもない。アキはそういう、「不思議」をもっているのだ。
どうしてそうなのか、私はその理由も知っている。
「アキはさ、」
私は星空を指差した。
美しく瞬く星。その彼方。
「あそこから、来たんだよね」
「――そうだよ」
アキは当然のように、静かに頷いた。
思い出した。
遠い昔、小さい頃、アキが打ち明けてくれた内緒話。
「僕はね、実は――向こうから来たんだ」
そう言ってあの日、アキは夜空を指差した。
アキの指差した先が、私にはよくわからなかった。きょとんと首を傾げて、聞き返した。
「向こうって、お星さま?」
「うん、ずっと遠くから。あのね、お船に乗ってふわふわ浮いて、この家に来たんだ」
「――すごい!」
絵本みたいだと思って、私はわくわくした。星くずが宝石のように輝く海を、アキと私が大きな帆船に乗って冒険するところを想像して、胸が躍った。なんて素敵で、楽しそうなんだろう!
「ねえねえ、私も一緒に来たの?アキと一緒に、お船に乗ったの?」
勢い込んで、私は聞いた。双子なんだから、当然そうだろうと思った。
けれど、アキは目を伏せて首を振った。
「ううん、僕だけだよ。僕だけ、1人で……避難してきたんだ」
だから僕はね、仲間はずれなんだ。そう言って、アキはぐっと口元を引き結んだ。
楽しい冒険をしたという表情ではなかった。むしろ悲しそうな――それをじっと堪えるような表情だった。見ている方の胸が、きゅっと締め付けられてしまいそうな。
アキはさみしいのだろうかと、私はその時思った。だからつないだ手を、ぐっと強く引っ張った。
「じゃあ、今度は2人ね。アキ1人でお船に乗るのはずるい。あたしたち、双子でしょ」
私もいるよと、言いたかったのだ。1人ぼっちでさみしい時は、にっこり笑って手をつないで、一緒に遊ぼうと言ってもらえるのが、1番嬉しい。それを私は、アキから教わっていた。
アキは少しびっくりしたように目を見開いてから、弱々しく笑った。
「めーこ、話聞いてた?だから、僕たち本当は、双子じゃないんだよ」
私は聞こえないふりをした。
「でも今は、双子でしょ?――ハイ、もう決まり。決まったから、変更はナシ。文句言ったら、遊んであげないからね」
一方的に決めつけた私に、アキはあっけにとられたようにぽかんとした。そうして、ぷっと吹き出した。
「……そういうの、『横暴』っていうんだよ」
「いちいち難しいこと言わないでよ。ムカつくなあ」
私は唇を尖らせた。でも、アキに明るい笑顔が戻って、本当にほっとした。
そして、アキが悲しくなることなら、この話はやっぱり内緒にして、忘れてしまおうと思ったのだ。