婚約
「ふぅー……」
間違いなく勝てると、頭では分かっていた。
それでも緊張を覚えるのは、これがモニターの画面越しにキャラクターを俯瞰して操作しているのではなく、俺自身が相手と向き合い、戦ったから。
結果は――完勝。
俺は、誰の目にも明らかな形で、アマゾネス隊隊長ライラへ勝利したのだ。
「ライラ隊長が……負けた!」
「なんていう子供だ!」
「何かの間違いじゃないか?」
「子供相手だから、手加減したとか……」
「誇りあるアマゾネスが、堂々と勝負を受けて立ったんだぞ?」
謁見の間で勝負を見届けていたアマゾネスや男性騎士たちが、口々にそのような言葉を漏らす。
それらは、やがて個々の内容を聞き取れないくらいの大きさとなり、ざわざわというオノマトペで表すのがふさわしい有り様となっていく。
そんな周囲の様子を尻目に、俺がじっと視線を注ぐのは、ローファン王――ではない。
玉座の隣へ設置された椅子に座り、ずっと黙って事の次第を見届けていたディースであった。
彼女は、小さなお口を驚きに開き、それを両手で隠している。
ライラに対する彼女の信頼は――厚い。
原作ゲーム本編において、ディースは奪われたローファン城を取り戻すため、生き残りのアマゾネスたちと立ち上がるわけだが……。
その生き残りたちをまとめていたのが、六年後は副隊長となっているライラで、そこで見せるやり取りは仲の良い姉妹じみたものなのであった。
で、あるから、本編より六年前である今も、ライラの人格と強さを信頼しているのは間違いないだろう。
そのライラが――負けた。
ディースが受けた衝撃たるや、想像を絶するものであるに違いない。
だが、いつまでも驚きにフリーズしているわけではないのが、人間の脳。
やがて、我を取り戻した彼女の視線が……俺へと向けられた。
その、やや紫がかった青い瞳が、俺を捉える。
一体、彼女がどんな心境であるのかは、分からない。
ただ、俺の方はといえば……正直に言って、浮かれていた。
もちろん、ヒャッホー! やったぜ! などと叫んで騒ぐわけじゃないが、胸の奥でじわじわと、熱い感情が染み出してきていたのである。
なんでかって?
そんなの、語るまでもない。
「あ……あ……」
ようやく口を開いた王様が、そのような声を漏らす。
それで、ざわりとした喧騒は収まり、全員の視線が彼に集まったのだが……。
その狼狽ぶりは、見ていて気の毒になるほどであった。
せっかくのナイスミドルだというのに、表情筋からは力という力が抜け、全身を小刻みに震えさせているのだ。
彼とて、この場で起こった事は理解している。
だが、頭では分かっていても、心が拒んでいるのは明らかだった。
そんなローファン王の背を押したのが、俺に敗れた当人――ライラだ。
「国王陛下……。
恐れながら、あたしの完敗であるかと」
木槍の石突き部分を床につけた彼女が、穏やかな表情で告げる。
「侮らず、全力の技で挑んだこと、アマゾネスの矜持に誓って申し上げます。
その上で、こちらのオズル……いえ、オズル殿には手も足も出ませんでした。
間違いなく、彼こそがこのローファン王国で最強の使い手。
僭越ながら、ディース様を――」
「――ええい! 言うな!」
ライラの言葉を、ローファン王が遮る。
王笏を高々と掲げたその姿は、さながら舞台役者のようだ。
そうまでして言葉を止めた王は、静止状態からがっくりと肩を落としてみせた。
「……言うな。分かっておる。
この目で、しかと見届けた」
それから、ローファン王は俺の方を見据え……。
ゆっくりと、噛み締めるようにしながら口を開く。
「オズルよ。
見苦しいところを見せた。
だが、どうか許してほしい。
私は、驚いたのだ。
無論、お主が勝った結果にも、驚いている。
だが、何より驚いているのは、私が自分の娘を――」
「――陛下、恐れながら、お詫びを申し上げまする!」
彼が言い終わるよりも先に、俺は膝をつきながら叫ぶ。
そして、父としての真意を察し、こう言ったのだ。
「ディース様を、賞品か景品のように見立て、要求するなどという、恥知らずな真似を致しました!
そのような男が、婿としてふさわしいはずもありません!
どうか、先の要求は撤回させて下さい!」
――ざわ。
――ざわ、ざわ。
俺の言葉に、またもざわめきが起きる。
無論、無論……だ。
俺としては、なし崩しでディースの婚約者となった方が嬉しいし、都合がいい。
だが、そのためにローファン王の心を踏みにじるのは、違うと思えた。
彼は、沸騰した頭で娘をトロフィー扱いしたことに対し、心から後悔できる真っ当な父親なのだ。
……原作ゲーム本編で、ディースに死を悲しまれる慕われていた父親なのだ。
だから、あえて要求を撤回し頭を垂れたのだが……。
「……おお!」
彼の反応は、俺が思っていたものと大きく異なるものであった。
床を見ている俺にもそうと分かるくらい大仰な身振り手振りで、こう言ったのである。
「なんという、気持ちの良い男よ!
だが、私もローファン王国の王!
その名において宣言したことを、やすやすと撤回するわけにはいかぬ!
それに、お主は今のやり取りで、単なる力自慢の若武者ではないことを皆に示した。
お主こそ、仁・智・勇が備わった誠の勇者よ!」
……あれ?
なんか、思ってたのと流れが違うな。
そんな俺の思惑をよそに、感極まった様子の彼は、皆に向け力強く宣言したのである。
「ローファン王ジョナサンの名において、ここに宣言する!
そこなオズルを、我が娘ディースの婿として迎え入れると!
皆の者! 拍手でもってこれを讃えよ!」
その言葉に、答える声はない。
――パチ。
――パチ、パチ、パチ。
ただ、いくつかの拍手が応え……。
やがて、それは万雷の拍手となって玉座の間を埋め尽くした。
ええっと、これは……。
こうなることを望んでいたし、こうなるべく行動した俺である。
しかし、アドリブを挟んだ結果、思っていた以上の形でそれがかない、やや困惑してしまう。
そんな俺に対し、ローファン王はこう言ったのだ。
「ささ、オズルよ。
ディースの隣に立ち、皆へ二人揃った姿を見せるがいい」
「――はっ!」
かくなる上は、是非もなし。
俺は床に木槍を置いたまま、ゆっくりと立ち上がった。
そして、やはりゆっくりと歩み……。
椅子から立ち上がっていたディースの隣で、皆の方を向いたのだ。
頬が、焼けた餅のように熱くなっているのを感じる。
こんなのは、前世でも体験しなかった感覚であり、感情であった。
そんな俺の瞳に映るのは、祝福の拍手を続けているアマゾネスたちであり、男性騎士たち。
左にいるディースの姿は、当然ながら視界に入っていない。
ほんのちょっと首を捻れば見れるというのに、今はとてもそうしようと思えなかった。
ただ……。
左の小指に、冷やりとした感触。
それは、やがて溶け合うように俺の体温と絡み合い、一体となる。
それだけで俺が、天にも昇るような気持ちとなったことは、語るまでもない。
そして、精神が天上へと昇るまでの間に、俺はこの一か月間、いかなる修行を積んだのかを思い出していたのだ。




