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第二話 迷宮の光と影

もし、貴方が誤って世界から外れ落ちてしまえば、湿気を帯びた異臭を放つカーペット、狂気じみたモノイエローの壁紙、そしてハム音のけたたましく鳴り響く、果てしなくどこまでも続く空虚な空間 "バックルーム" に迷い込んでしまうことになる。付近でなにかの気配を感じたならば、それは確実に貴方の声を聞いているだろう。不条理と不合理に呑まれた貴方に、あらん限りの救いを。


M.E.G.との出会い


挿絵(By みてみん)

※M.E.G.のマーク


Level 1: Habitable Zoneに転移してからも、俺は出口を求めて歩き続けていた。どこまでも続くコンクリートの壁と、均一に並んだ蛍光灯の光。まるで終わりのない悪夢のようだった。喉が渇き、身体が軋む。

Level 0で手に入れたアーモンドウォーターも底を尽きかけていた。このまま一人で彷徨い続ければ、精神が限界を迎えるのは時間の問題だろう。


そんな時、遠くから微かな話し声が聞こえてきた。俺は思わず立ち止まり、耳を澄ます。それは、この数日間、俺が聞くことのなかった「人間の声」だった。希望の光が、俺の心に差し込んだ。


声のする方へと慎重に近づくと、廊下の奥に数人の人影が見えた。彼らは重武装しており、何やら話し合っているようだ。ヘルメットやマスク、暗視ゴーグルを装備しているため、表情は伺えない。俺は警戒しながらも、意を決して声をかけた。


「あの…すみません!」


俺の声に、彼らは一斉にこちらを振り返った。そのうちの一人、比較的背の高い男が、ゆっくりとヘルメットを脱いだ。アジア系の顔立ちで、歳は俺より少し上くらいだろうか。彼の瞳は、この過酷な環境を生き抜いてきた者だけが持つ、鋭い光を宿していた。


「おい、こんなところで一人か?危険だぞ」


男の声は冷静だった。彼はMEG、すなわちMajor Explorer Group(専攻探検家集団)の隊員だと名乗った。その名はタクヤ。彼は、俺がこのバックルームに迷い込んだばかりの、何も知らない「放浪者」だと悟ると、警戒心を解き、俺にアーモンドウォーターと食料を差し出してくれた。それは、俺にとって何よりも貴重な恵みだった。


「お前も、ノークリップでここに来たのか?俺たちは、このレベルにある拠点の物資調達をしている。もしよければ、俺たちと一緒に来るか?一人で彷徨うよりは、よっぽどマシだぞ」


タクヤの誘いに、俺は迷うことなく頷いた。この無限の迷宮で、ようやく俺は一筋の光を見つけたのだ。



Level 1での生活と訓練

MEGの拠点に迎え入れられた俺は、Level 1での生活の基礎を教えてもらった。ここはMEGの主要な拠点の一つであり、多くの放浪者が共同生活を送っていた。彼らは食料やアーモンドウォーターなどの物資を共有し、情報交換を行い、時に危険なレベルへの探索任務に出ていた。


「ここの世界って一体…」


「ここは”Back room”だ。現実世界のことを”Front room”という。要はな…簡単に言うと、現実世界とは異なる次元の空間なんだ。」


「え?じゃあ、もう戻れないってこと?」


俺は訳が分からなく、涙目になった。


「安心しろ。ここから出る方法は…難しいんだが、俺達と共に行動していれば、死ぬことはない。」


タクヤは俺に、バックルームの基本的な知識を教えてくれた。Level 0のスマイラーの対処法から、Level 1の比較的安全な環境、そして様々なエンティティやオブジェクトのことまで。俺がLevel 0でスマイラーを撃退した方法を聞くと、タクヤは驚いたような顔をした。


「アーモンドウォーターを投げつけただけでスマイラーの注意を逸らしたのか…運がいいな。通常は強力なLEDライトなどの光源を投げつけるのが定石なんだが。まあ、結果オーライだな」


俺は、自分の行動が偶然にも正しかったことに安堵した。


MEGの隊員たちは、日々厳しい訓練を積んでいた。エンティティとの模擬戦闘、レベル内でのサバイバル技術、そしてチームワークの構築。俺もその訓練に参加させてもらった。バックルームで生き残るために必要な武器や装備品なども支給してもらったり、タクヤが個人的に、いくつかの基礎的な戦闘技術と、危機回避の方法を教えてくれた。


「スキンスティーラーは、殺した人間の皮を剥いで被る習性がある。だから何も知らない放浪者は、まんまと騙され、拠点に潜り込まれて攻撃されることがある。かなり見分けがつかなくてな…厄介なんだ。」


「どうやって見分けるんですか?」


「まず、そいつの目を見ろ。瞳孔が死んているような見た目なら、スキンスティーラーの可能性が高い。それに、所詮はエンティティだ。言葉もまともに喋れない連中が殆どだから、スキンスティーラーだと分かった瞬間、殺意を悟られないように、一瞬でそいつの首を切るのがベストだな。」


俺はそれから毎日、様々なエンティティに対する訓練を重ね、ある程度バックルームの環境に適応することができるようになった。それだけじゃない。ここのMEG拠点は毎日が平穏なわけではなく、エンティティが拠点に襲ってくることがしばしばあった。だから常に見張りや厳重な警備体制が敷かれており、エンティティが来るたびに俺は遠距離射撃班に配分され、応戦していた。


彼らは、俺がLevel 0を生き抜いたこと、そして未知の環境に対する適応能力があることを見抜いていたようだ。


「アキト、お前はこの世界に適応する素質がある。ただの運だけじゃない」


タクヤの言葉は、俺にとって大きな励みになった。



未知のレベルへの派遣

Level 1での生活が数週間続いたある日、MEGの隊長から俺に新たな指示が下された。


「アキト、お前にLevel 2への偵察任務に参加してもらう。タクヤの小隊に加われ」


Level 2。そこはPipe Dreamsパイプドリームと呼ばれる、無数のパイプと機械室からなる、薄暗く危険なレベルだ。生存難易度はクラス2。スマイラーやハウンド、さらにはスキンスティーラーといった凶悪なエンティティが生息しているという。俺は内心で緊張したが、タクヤの小隊と一緒ならと、覚悟を決めた。


「準備はいいか、アキト。気を抜くなよ。Level 2はLevel 1とは比べ物にならないほど危険だ。特に、スキンスティーラーには注意しろ。奴らの習性は前にも言った通りだ。」


出発前、タクヤは俺の肩を叩き、真剣な目で警告した。


「いいか。もし、お前が助けられないような状況にい陥っていても、場合と状況によって、見捨てる判断をせざるを得ない。これは鉄則なんだ。1人を助けるために10人を犠牲にするのはもったいないだろ?だから、常に身の安全を最優先にしろ。仲間のことは二の次だ。」


彼の言葉は、俺の心に重く響いた。



Level 2:Pipe Dreamsパイプドリーム


挿絵(By みてみん)


Level 1からLevel 2への転移は、どこか奇妙な光る壁にノークリップする方法で行われた。


「ノークリップ、出来るか?」


俺はまだバックルームに落るとき以来、ノークリップをしていなかった。ノークリップとは、一種のゲームバグのようなものだ。要するに、壁抜けバグを引き起こして、レベル間の移動をすることである。あの時は強制的にノークリップされたが、今度は自ら壁に突撃するのか。少々勇気がいるな。


俺が現実世界にいる時に見たあの映画…何だっけ?駅にある9の4分の3?みたいだが、そんなことはどうでもよく、今のノークリップに集中しろ──。魔法みたいだ…


俺は勇気を出して助走をつけた。周りの隊員たちは、躊躇いもなく壁に向かって走っている。それに続いて俺もノークリップを試みた。壁にぶつかる瞬間、不思議な感覚になり、空気が一変した。冷たく湿った空気、錆びた鉄の匂い、そしてどこからか響く機械音。視界に広がるのは、無数のパイプと薄暗い通路。一方通行で天井は低く、閉塞感が俺たちを圧迫する。


「ここが…Level 2か…」


MEGの隊長が今回の任務について説明した。


「今回の任務は、レベル2にいるMEG隊員の救助だ。先々週、ある任務に派遣した小隊が壊滅してな。殆どの隊員が亡くなったんだが、生存者が一名、生き残っているようだ。2日前、我々の通信機に救難信号が出され、信号の出所はレベル2と特定した。」


しばらく歩いたあと、隊長が言った。


「ここから先は、MEGの管理区間外であるため、注意が必要だ。細心の注意を払え」


タクヤの小隊は、周囲を警戒しながら慎重に進む。懐中電灯の光が、錆びたパイプや、床に散乱した工具を照らす。


「タクヤ小隊、前方に通路の奥で物音を確認!」


小隊の一人が声を上げた。タクヤが合図を送ると、隊員たちは一斉にライフルを構えた。俺も盾と拳銃を握りしめ、警戒する。


薄暗い通路の奥から、ずるずると引きずるような音が聞こえてくる。そして、ゆっくりと姿を現したのは、人間のような形をしながらも、皮膚が爛れ、剥がれ落ちているかのような姿のエンティティだった。それは、スキンスティーラーだ。


「スキンスティーラーだ!気をつけろ、奴らは素早い!」


タクヤの声が響く。スキンスティーラーは、独特の奇声を上げながら、猛烈な速さでこちらに突進してきた。MEGの隊員たちは一斉に銃撃を開始するが、その身体能力は尋常ではない。弾丸を避け、素早く距離を詰めてくる。


俺はタクヤの指示に従い、拳銃で応戦する。スキンスティーラーの動きは予測不能で、その爪は鋭利だ。隊員の一人が腕を切りつけられ、悲鳴を上げた。タクヤが援護射撃に入り、俺も隙を見て、負傷した隊員の応急処置を行う。


死闘が繰り広げられる中、さらに反対方向から、別のエンティティの唸り声が聞こえてきた。それは、犬のような姿をしたハウンドだ。素早い動きで獲物を追い詰める、群れで行動するエンティティだ。


「ハウンドも来たぞ!隊列を崩すな!」


タクヤの指示が飛ぶ。スキンスティーラーとハウンド、二種類のエンティティに挟まれ、俺たちは窮地に立たされた。銃弾が飛び交い、ナイフが空を切り、エンティティの唸り声と隊員たちの叫び声が混じり合う。


俺はハウンドの突進をギリギリでかわし、次に来る追撃を盾で噛ませ、その隙にサバイバルナイフを首元に突き立て、抉るように引き抜いた瞬間、血しぶきが舞い上がり、ハウンドは大きな悲鳴と共にゆっくりと倒れた。過度に緊張していた全身の力が抜け、俺は一瞬の達成感に入り浸っていたが、それも束の間、俺の視界の端に、タクヤが複数のスキンスティーラーと激しく交戦している姿が見えた。


このLevel 2のパイプの迷宮で、俺は初めてバックルームの真の脅威を肌で感じていた。


MEGとの離散とマイナスレベルへの道

MEGの隊員たちは善戦していたが、エンティティの数が多すぎる。次から次へと、ハウンドやデスモス、スマイラーなど、大量のエンティティがやってくる。隊員の一人が、ハウンドに囲まれ、無惨にも手足を引きちぎられているのが見えた。あの隊員は、もう助かることはないだろう…タクヤが助けに向かおうとするが、別のスキンスティーラーが彼の行く手を阻む。エンティティの多くが、戦闘能力の高いタクヤにヘイトを買っているようだ。たくさんのエンティティがタクヤの周りを取り囲む。


「クソッ!アキト!この先にあるハッチを目指せ!そこからLevel -1に行けるはずだ!」


タクヤの叫び声が聞こえた。俺は運よく、エンティティの範囲網から逃れており、俺は言われた通り、パイプの隙間から見えた床のハッチを目指して走り出した。後ろからは、ハウンドの唸り声と、隊員たちの銃声が追ってくる。彼らにこれ以上負担をかけるわけにはいかない。俺が生き延びることが、彼らの犠牲を無駄にしない唯一の方法だ。


ハッチの前にたどり着き、渾身の力で蓋を開ける。中は暗く、湿った空気が吹き上げてくる。俺は振り返り、タクヤたちに別れの言葉を叫んだ。


「タクヤさん!みんな!無事でいてください!」


タクヤは振り返らず、スキンスティーラーに銃を乱射しながら叫んだ。


「早く行け!無駄死にするんじゃねぇぞ!」


タクヤがが話し終わるや否や、ハウンドが狂気じみた目でこちらに突進してくる。俺は急いでハッチの中へと身を投げた。ここがLevel. voidではないことを祈りながら下へ、下へと、どこまでも落ちていく感覚。背後からMEGの隊員たちの銃声が遠ざかり、やがて何も聞こえなくなった───。




Level -1:The Glitched Hallグリッチホール


挿絵(By みてみん)


落下は、あっけなく終わった。身体を強く打ち付けたが、幸い、致命傷ではなかった。ゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡す。


「Voidじゃない…良かった…」


そこは、Level 2とは全く異なる空間だった。壁は白色で、無数の黒いドアがある。まるで深夜のオフィスにある廊下のような場所だ。周りは少し暗く、懐中電灯の光をかざすと、ひんやりとした湿気が肌を撫でた。通路は狭く、何故か所々にバグのようなグリッチがあり、カクカクと色ズレして、空間が不具合を起こしているような場所がある。ここは、Level -1:The Glitched Hallグリッチホール


Level 0やLevel 1よりもさらに深い階層、バックルームの「マイナスレベル」の一つだ。生存難易度はクラス2。


そういえば、タクヤがLevel -1だと言っていたな。Level 2よりも危険度が高い。周囲には、エンティティの気配すら感じられないが、その静寂が逆に、俺の心を不安で満たした。実際に、マイナスレベルは身体の危険性を及ぼすことはないものの、精神的な異常を引き起こす場合が多い。


俺は一人、途方もない時間立ち尽くした。MEGの仲間たちと離れ離れになり、再び孤独なサバイバルを強いられることになったのだ。この深淵の地下で、俺は一体どうすれば良いのか。そして、この場所から、一体どこへ向かえば良いのか。


歩き始めて数時間、段々と懐中電灯の光が、時折、フリーズしたように点滅する。空間がわずかに歪み、一瞬だけ、壁の向こうに別の通路が見えたかと思えば、すぐに消える。これは、このレベルに存在する「グリッチ」現象がより顕著に出始めている。


物理法則が不安定になり、空間が不規則に歪む現象で、非常に危険だという。下手に触れれば、身体の一部が消滅したり、別のレベルに強制転移させられることもあるらしい。俺はグリッチを避けるように、慎重に足を進めた。

                

そして、その時だった──。


「…こっちに…来い…」


微かな、しかしはっきりと耳元で聞こえるささやき声。誰もいないはずの暗闇から、無数の声が同時に語りかけてくるような、不気味な声だった。それは、まるで俺の意識の奥底から直接響いてくるかのようだ。


「誰…?」


俺は懐中電灯を慌てて声のする方へと向けたが、そこには何もいない。しかし、声は止まらない。


「…オマえハ…独り…ジャナ…」

「…ココ…イテ?…」

「…縺薙%縺ッ螳牙?縺ァ縺…」


慰めているようにも、誘い込んでいるようにも聞こえる、複数のささやき声。それが一体何なのか、俺には理解できなかった。だが、この声を聞いていると、徐々に意識が朦朧としてくる。まるで、この声に思考を乗っ取られそうになるような、恐ろしい感覚だった。


俺は頭を振り、必死で意識を保とうとした。このささやき声も、Level -1に存在するエンティティなのだろうか。それとも、このレベル自体が持つ、何らかの精神攻撃なのか。気が狂いそうだ。


俺はバックパックにあるアーモンドウォーターを取り出し、ガブガブと飲み干した。アーモンドウォーターには、正気度(SAN値)を下げ、あらゆる精神的な攻撃に対して、精神を安定させる効果がある。


閉鎖された暗闇、不安定な空間のグリッチ、そして心を蝕む不気味なささやき声。Level -1は、俺の想像をはるかに超える、絶望的な場所だった。ここから抜け出す術は、あるのだろうか…。

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