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Back room第一話 黄色の迷宮

もし、貴方が誤って世界から外れ落ちてしまえば、湿気を帯びた異臭を放つカーペット、狂気じみたモノイエローの壁紙、そしてHum音のけたたましく鳴り響く、果てしなくどこまでも続く空虚な空間 "バックルーム" に迷い込んでしまうことになる。付近でなにかの気配を感じたならば、それは確実に貴方の声を聞いているだろう。不条理と不合理に呑まれた貴方に、あらん限りの救いを。



◇◇◇



せっかくなので、最初にこれを読む読者に、バックルームについて、簡単な説明をしよう。


Back roomとは、現実世界であるFront roomの空間とは、全く異なる世界である。それに、人間との関わりは深く、何千年も前から、何故か人類はBack roomに迷い込む者が多い。この世のバグなのか、それとも何かの存在によって、操作されているのか…


しかし、Back roomは必ずしも人間にとって生存不可能な環境ではない。レベルの数々は、人間の構造物を真似て、壁の模様、椅子や机、ライト、コンピュータなど、多くの人間と関わっていく中、バックルームも人間のいる世界に興味を持ち始めたのだ。


それから長い年月をかけて、バックルームは様々なレベルを作り上げ、ある程度人間に適応できるレベルや、非常に危険なレベルを作りだし、人間を観察するようになった。


だから、バックルームは何処か見覚えがあるような、無いような──懐かしく、それでいて違和感のある、ハリボテのような空間、『リミナルスペース』が誕生したのである。


リミナルスペースは不安を煽り出しながら、同時に安心感を感じる不思議な空間だ。例えば、誰もいないスクランブル交差点、誰もいない地下鉄のホーム、広大なプール、どれも人間が住む世界を真似たものなのだ。


このような世界にまた一人、ある人間が落ちてきた──。この物語の主人公である「アキト」。果たして、アキトはこの理不尽な世界から無事、脱出することは出来るのか…

異変の始まり

それは、ごくありふれた日常だった。大学の課題に追われ、深夜までパソコンに向かっていた俺、アキトは、集中力を保つために淹れたインスタントコーヒーを片手に、キーボードを叩き続けていた。午前三時を過ぎた頃、ふと全身に奇妙な倦怠感が襲ってきた。肩や首が凝り固まっているような、しかしそれだけではない、得体の知れない重だるさだ。


「疲れてるのかな…」


そう呟き、俺は軽く身体を伸ばした。すると、視界がぐにゃりと歪んだ。まるで、空間そのものが波打つような、奇妙な感覚だ。次の瞬間、足元の床が、まるで古いアニメーションの背景のようにカクカクと不自然に動き始めた。


「なんだ、これ…?」


困惑と、ほんのわずかな恐怖が胸に広がる。瞬きを一つすると、目の前のパソコンも、机も、俺の部屋の壁も、全てが曖かになり、光の粒子となって霧散していく。そして、俺の身体は、どこか見えない力によって、下方へと引っ張り込まれるような感覚に陥った。


それは、まるで現実が砂のように崩れ落ちていくかのような光景だった。耳鳴りがひどく、平衡感覚が失われる。やがて、強烈な目眩と共に、俺の意識は暗闇へと沈んでいった──。


Level 0: The Lobby


挿絵(By みてみん)


次に目覚めた時、俺は硬い、しかし妙に弾力のある絨毯の上に倒れていた。頭上からは、古びた蛍光灯が不規則な間隔で設置され、ブーンという耳障りな低い唸り声を上げている。どこまでも続く、単調で広大な部屋。壁は黄色く、湿ったカビ臭さが鼻を突く。窓はどこにも見当たらない。


「ここは…どこだ…?」


身体を起こし、周囲を見渡す。そこは、まるで廃墟と化したオフィスのような、しかし決定的に何かが違う空間だった。どの方向を見ても、同じような黄色の壁と、蛍光灯、そして絨毯が続いている。扉はいくつか見えるが、どれも同じようなデザインで、どこにも繋がっているようには見えない。


「夢?」


頬をつねってみるが、確かな痛みを感じる。夢ではない。現実離れした光景に、俺は徐々に焦りを感じ始めた。スマートフォンを取り出そうとするが、ポケットの中は空っぽだ。身につけていたはずの財布も、鍵もない。


不安と恐怖が、じわじわと俺の心を侵食していく。この広大な空間に、俺一人しかいない。声を出してみるが、広すぎて反響すらしない。まるで、この世界に俺の存在が全く届かないかのような、絶望的な孤独感に襲われる。


「誰かー!…いないのか…?」


俺は震える声で叫んだ。しかし、返事はない。聞こえるのは、蛍光灯の唸り声と、自分自身の呼吸音だけだった。


ここは、Level 0: The Lobbyロビー。後になって知ることになる、バックルームの入り口にして、最も多くの放浪者が最初にたどり着く場所だ。だが、その時の俺に、そんな知識は微塵もなかった。ただ、得体の知れない空間に放り込まれたという、純粋な恐怖だけがそこにあった。




未知の脅威とアーモンドウォーター

どれくらいの時間が経っただろう。数分か、数時間か、あるいはもっと長い時間だったのかもしれない。この場所には時間の概念すら曖昧だ。俺は出口を探し、さまよい続けていた。疲労と焦燥感で、足は鉛のように重い。喉はカラカラに乾き、目眩がする。


「水…水が欲しい…」


そんな時、壁際に、見慣れないボトルが転がっているのを見つけた。透明な液体が入った、シンプルな容器。拾い上げてみると、微かにアーモンドとバニラのような甘い香りがした。


「なんだこれ…飲めるのか…?」


半信半疑だったが、喉の渇きは限界だった。俺は迷わずその液体を口にした。優しい甘みが口の中に広がり、渇ききった喉を潤していく。飲んだ瞬間、身体に微かな活力が戻ってくるのを感じた。これは、紛れもなくアーモンドウォーターだった。バックルームにおいて、放浪者の生存に不可欠な「オブジェクト」の一つだ。しかし、この時の俺は、ただの「幸運な発見」としか思っていなかった。


安堵したのも束の間、空間に異変が起きた。これまで蛍光灯の唸り声だけだった部屋に、不気味な気配が満ち始める。そして、暗がりの奥から、二つの光る眼と、鋭い歯が見えた。


「…!?」


それは、スマイラーだ。バックルームの中でも危険なエンティティの一つで、暗闇に潜み、放浪者を襲う。俺は思わず後ずさった。スマイラーは、俺がパニックになったことを察したのか、ギギギという不気味な音を立てながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。


「どうすれば…」


俺は必死に頭を回転させた。その時、どこからか聞こえてきた微かな声が、俺の脳裏をよぎった。「光を…投げろ…」。それは、誰かの警告だったのか、それとも幻聴だったのか。


俺は咄嗟に、飲んでいたアーモンドウォーターのボトルをスマイラーのいる方向へ投げつけた。ボトルは蛍光灯の光を反射しながら、スマイラーの目の前で砕け散る。パリン、という音と共に、水が飛び散った。その瞬間、スマイラーの動きが一瞬だけ止まった。


「今のうちに…!」


俺は背を向け、全速力で走り出した。どこへ向かうべきか分からないが、ここに留まるよりはマシだ。幸い、スマイラーは俺を追ってこない。光を当てて気をそらすという対処法が、偶然にも功を奏したらしい。俺はひたすら走り続けた。




Level.2: Habitable Zone


挿絵(By みてみん)


走り続けているうちに、黄色い壁の質感が変わってきた。湿っぽいカビ臭さは消え、代わりにコンクリートと鉄骨の匂いがする。蛍光灯の光も、より規則的に並び、ブーンという唸り声も多少は和らいだ。壁には配管が剥き出しになっていたり、錆びたパイプが走っていたりする。


俺は、どうやら別の場所へとたどり着いたらしい。ここは、Level 1: Habitable Zone(生存可能領域)。Level 0よりは危険度が低いとされ、M.E.G.(Major Explorer Group ”専攻探検家集団”)などの主要なグループが拠点を築いている、バックルームの中でも比較的「安全」な場所だ。しかし、この時の俺には、そんな情報はなかった。


ただ、目の前に広がる、どこまでも続く廊下と、無数に存在するドア。まるで地下駐車場のような、しかし、ありえないほど広大な空間がそこにはあった。スマイラーのいる悪夢のようなLevel 0よりはマシだと感じたが、それでもこの終わりの見えない迷宮に、俺の精神は少しずつ蝕まれていくのを感じた。


「出口は…どこなんだよ…」


俺は疲労困憊で、壁にもたれかかった。途方もない絶望感が、再び俺の心を覆い始める。元の世界、フロントルームへの帰還。それが、果たして本当に可能なことなのだろうか。


Level 1の無限に続く廊下の中で、俺は孤独な放浪者となった。ここから、俺のバックルームでの本当のサバイバルが始まるのだ。

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― 新着の感想 ―
五感に訴えかけてきているようで異世界へ引き込まれました。 少し説明過多だったかも
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