9、大事なお金
ブルーウッド地区二番地、ジョン・スターキーが営む店を出たあと、サウスタウン公園でひと休みしながら、ノベルと千恵は事情聴取の内容を整理していた。
「まあ、奴だろうな」
ノベルがすでに当たりをつけているようだった。ベンチに腰を下ろすなり、タバコに火をつける。
「そうなんですか。なんとなく、私もそう思いますけど……」
千恵にも、何か思うところがあったのだろう。
「あとは動機と凶器、証拠集めだ」
「証人はいないのかな?」
「まあ、アリバイもないだろうな。奴はどうやら独身だ」
「凶器の予想もついてるんですか?」
「おめえも分かんだろ。店で使ってる棒だろうよ」
そう言いながら、二人は状況証拠をざっくりとまとめていく。千恵は相変わらず、丁寧にメモを取り続けていた。
「でも……もしあの人が犯人だとして、まだ犯行から三日ですよ? あんなふうに、普通に仕事なんてできるもんなんですか?」
「俺の経験上、犯人は犯行から三日は平気で働ける。その後から情緒が乱れるんだ。あんま例外はねえ」
「なるほど……そういうものなんですね」
千恵は、現在起きていることの詳細に加え、自分の感じたことや、学んだことも、メモの端に書き加えていく。
「なにかジョンさんは、お義父さんを殺す理由があったんでしょうか?」
「それはまだ聞いてみねえと分かんねえな。ただなんとなくだが、ポール・マトロックの家になんかある気がする」
ノベルはタバコの火種を指で弾いて、シケモクをタバコ缶へとしまった。
「お義父さんの家……」
千恵はメモのページを戻し、シドから報告を受けたポール・マトロックの遺留品の欄を見返す。
「手紙類……本……生活用品……洋服……お金……やっぱり、お金が不自然ですよね」
「ああ。ジジイが持つにはデカすぎる額だ。俺が逆さになっても貯まりゃしねえ」
「ノベルさん、貯める気ないですよね?」
「うるせえな」
二人は残された金額について、さらに深掘りをしていく。
「ご年配の方がお金を貯める理由って、なんだと思いますか?」
「老後の資金しかねえな。だが、あれの不自然なとこは、手をつけた痕跡がねえことだ。それに、これから使う気もなさそうな保管の仕方してやがる」
「じゃあ、何のお金だったか。なぜそんなふうに大事にしまわれていたか、ってことですね」
「ああ」
「私、思うんですけど……それほど大事にされてるお金って、何か特別な想いがこもってると思うんです」
千恵は少し眉をひそめ、公園の遠くを見つめるような眼差しをした。
「聞かせてくれ」
ノベルは何か千恵から察したのか、心を落ち着かせるべく、二本目のタバコに火をつけ、ベンチの背にもたれて天を仰ぎ、煙を吐いた。
「私、中学の頃からアルバイトしてました。おばあちゃんの年金もあったんですけど、やっぱり生活には不安があるし、高校に進むにはお金が必要で……。だから、自分で稼がなきゃって思ったんです」
「そこまでは、なんとなくこないだ聞いたな」
「はい。それで、当然節約もするじゃないですか。自炊すれば、二人分の食事なんてたいした金額じゃないし、本が大好きだったんですが、図書館に行けば無料で読めます」
ノベルは天を仰ぎながら、無言で頷く。
「お金の大切さは、他の同級生やバイト先の大学生たちよりも知ってたと思います。ただ節約すればするほど、お金を使えなくなっていっちゃったんですけどね」
ノベルはふう、と咥えタバコをくゆらせながら、静かに耳を傾ける。
「当然、余ったお金はすぐに銀行に入れて、大事に大事に貯めてました。それは私の大切な貯金で、おばあちゃんも協力してくれて。節約を手伝ってくれたり、年金から少しずつお金をくれたりしたんです」
ノベルは黙ったまま、遠くを眺めながら話を聞いていた。
「そんなお金、絶対に無駄に使えません。学費にも使わなかった。他のやりくりで何とかしてました。逆に言えば、その貯めたお金は……一生使えなかったかもしれません」
千恵の語り口調が少し変わった。ノベルはちらりと横目で千恵を見て、タバコの火種を弾く。
「几帳面なお義父さんは、きっとずっと、何かのために、何かのお金を貯めていたと思います。いえ、絶対にそうです」
そう言って、千恵は膝の上で両拳を握り、少し俯いた。
「……なるほどな」
ノベルはそれだけを口にし、その表情と言葉だけで、千恵の想いすべてを肯定した。
沈黙が一瞬流れたあと、千恵が立ち上がった。
「聞いてくれてありがとうございます! ノベルさん、お昼食べに帰りましょ?」
お昼の時間はとうに過ぎていた。二人は腹を空かせたのか、足早に事務所へと戻っていった。
ーーーーー
「あれ? あそこにいるのリンちゃんだ。おーい、リンちゃーん!」
千恵は小走りにノベルを置いて、リンフィーナに駆け寄った。
「ようやく帰ってきましたのね」
事務所の前でリンフィーナが待っていた。
「なんだよ。今日は休みか?」
「いえ、午後の授業がなくなりましたの。どちらに行ってたんですの?」
「聞き込みだよ。被害者の義理のせがれんとこだ」
「中で説明するね」
三人は事務所に入り、千恵はコーヒーの準備に取りかかる。
今日あったこと、そして公園で話していた内容をリンフィーナに伝える。
「そういうことですのね。では、わたくしの感じたことを話してもよろしくて?」
「ああ、おめえもなんかあるのか」
「ええ、ございますわ」
リンフィーナはカップを左手のソーサーに置き、テーブルの上に静かに両手で置いた。
「わたくしが思ったことは……犬ですわ」
「「犬??」」
ノベルと千恵は同時に、リンフィーナへと視線を向けた。
「ええ、犬は嗅覚が鋭いというのはご承知のとおり。そして、飼い主に忠実であることも知られていますわね」
二人は頷いた。
「まず、あの時あの子が飼い主の倒れている場所へ案内したことは、間違いありません。明らかに誘導するような動きでしたもの」
千恵はうんうんと頷く。ノベルは吸い殻を指で伸ばし、そのシケモクに再び火をつけた。
「ではなぜ、わたくしたちだったのか。先ほど千恵から聞いたケーキ店の話で、確信しましたわ」
千恵はごくりと唾を飲み込む。
「わたくしたちが食べていたチーズの匂い……それが理由でしょうね」
「あ、なるほど」
千恵もすぐに納得したようだった。
「後頭部の打撃痕からも、同じチーズの匂いがしたのでしょう。ナチョチーズを食べていた者はあの場所に他にもいたけれど、あの子はわたくしたちにだけ反応した」
「私がもふもふ相手してたからだ」
「なるほどな……」
千恵もノベルも感心し、深く頷いた。
「あの店、すげえチーズの匂いしてたもんな」
「うん、美味しそうだった。チーズケーキばかり並んでたから」
「あら、千恵はチーズケーキがお好きなんですの?」
「うん、甘いものならなんでも大好き」
「でしたら、今度お持ちしますわ」
「あ……ありがとう……ぜひ安いやつでお願いします」
「あんまたけえやつだと味が分かんねえよな」
カカカと笑うノベル。珍しく笑顔を見せる彼に、千恵もリンフィーナも少しだけ心が和んだ。
「まとまったな。状況証拠はほぼ揃った。あとはシドに任せるか」
「こんな予想だけで大丈夫なんですか?」
「ああ。あとはあいつらがなんとかする。警察ってのは、そういう小さな情報の積み重ねで動くもんだ」
「じゃあ、お昼食べたら行こう」
「あら、ランチをつくるんですの?」
「うん、リンちゃんもお昼まだ?だったらリンちゃんの分も作るよ?」
「嬉しいですわ、また千恵の料理をいただけるのね」
リンフィーナは千恵のつくる、“和食風”の料理に興味津々で、毎度舌鼓を打っている。
千恵は昨日の残り物に加えて、タマゴ焼きを作り、三人分の昼食を用意するのだった。