表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
☕ ノベル探偵事務所へようこそ☕  作者: 藤沢春
✿ Prologue ✿ 出会い
3/9

3、ノベルの生活

 ノベルと千恵のふたりは、リンフィーナが「洋服を取ってくる」と言って出て行き、さてどうしたものかと思っていた。


「私、片付けちゃいますね」

「……あ、ああ、俺がやるからいいぞ」

「いえ、やりますよ。ノベルさんは少し眠ってください」


 千恵は、ノベルが自分を一晩中看病してくれたのだろうと察して、少しでも彼を休ませたいと申し出た。


「俺のことは心配すんな。昼夜逆転なんて日常茶飯事だからな」

「それって探偵さんっていう職業柄ですか?」


 千恵はカチャカチャと洗い物をしながら、振り返らずに問いかける。


「ああ、そうだ。一晩中張り込みなんてこともあるし、三日寝ないなんてザラだ」

 ノベルはソファにドサッと腰を下ろし、タバコに火をつけた。


「それじゃ身体、壊れちゃいます……本当に大丈夫なんですか?」

「まあ、慣れっこだな。もう二十年近くこんな仕事やってるからな」


 ふう、とタバコの煙を天井へ向かって吐き出すノベル。


「失礼ですけど……ノベルさん、おいくつなんですか?」

「俺はいま三十九だ。つれあいはいねえ。家族もいねえ。ここは事務所兼自宅だ」


 千恵が聞きたそうにしていることを先回りして語るノベル。けれど、核心には触れない。


「そう……ですか。あの……」

「わかってるよ、住む場所だろ? 外に出てから話そうと思ってたんだ」


 ノベルは、千恵の気持ちを見透かしたように、なるべく気を遣わせないように話す。


「そうなんですよね……私、どうしたらいいんでしょうか」

「とりあえず宿を探そうと思ったが、まずお前、その顔立ちじゃ不審がられる。この辺じゃ見ないタイプだからな」


 千恵の、やや独特な容貌についてノベルは口にした。


「顔立ち、ですか? そんなに珍しい顔、してます?」

「ああ。ちょっと変わってる。いや、変って意味じゃねえぞ」


「まあいいです……で、変わってると、どうなるんですか?」

「目立つってことだ。黒髪だし、その赤みがかった白い肌も珍しい。つまり注目を集めやすい」


 ノベルの言うことは、千恵にもなんとなく理解できた。日本でも外国人が一人で歩いているだけで目立つ。ましてや挙動不審なら、警戒されて当然だ。


「なるほど、そうですよね……全然、自分のことわかってませんでした」

「わかりゃいい。で、思ったんだが……お前さんは、ここにいてくれ。俺は適当に外で過ごす」


「え? まさか、そんな……。それにここ、お仕事の事務所なんですよね?」

「気にすんな。張り込みや出張で帰らねえことも多い。綺麗な寝床じゃねえが、ここにいれば俺も安心できる」


 一度関わった以上、見捨てるわけにはいかない——ノベルのそんな思いが、言葉に滲む。


「でも……それじゃ悪いなぁ」


 洗い終えた食器を拭きながら、千恵はノベルに向き直り、その気遣いが心苦しくて視線を落とした。


「いいから気にすんなって。そのうち俺の仕事と生活が理解できっから」


 ふと千恵は、室内を見渡す。ノベルの言う「仕事」と「生活」。

 床はさほど散らかっていないが、灰皿は山、食器は洗われているが雑然としていて、ソファはボロボロ、カーテンは茶色くくすみ、よく見ると洗濯物も山積みになっていた。おそらく仕事関係の書類も、ところどころに散乱している。


「……あの、ノベルさん。お洗濯とか、どうしてるんですか?」

「あ? ああ、たまに家政婦呼んでやってもらってる。月に一回くらい」

「えぇ? じゃあ……今着てる服は?」

「……一週間くらい着てる……」


 千恵は一瞬、クラッとした。これはダメだ、と頭を抱える。


「……わかりました。ノベルさん、私を家政婦として、ここで養ってもらえませんか?」

「はぁ? なに言ってんだ。そんなことできるわけねえだろ。仮にも男と女だ。それに雇えるほどの金もねえ」


「お金はいりません。しばらく置いていただけるだけでありがたいです。それに、命の恩人には逆らえませんので」


 千恵はまっすぐな眼差しでノベルを見つめた。その決意は、少女のものとは思えなかった。


「……んなわけにはいかねえだろ。それに仕事っつうのは、無償じゃ成り立たねえ。それが一番やっちゃいけねえことだ」


「わかってます。私、中学の頃からアルバイトしてましたし。でも今は、そんなこと言ってる場合じゃないんです。お願いです、ここにいさせてください」


 千恵は食い下がる。過去に少しだけ触れたが、核心には、やはり触れない。


「は〜……」


 やっぱり厄介ごとになっちまった。ノベルはそう思う。最初に出会ったとき、こうなると予感していた通りだ。


「……ごめんなさい。やっぱり、厄介ですよね……私なんて……」


 千恵もノベルの表情とため息から、それを察したのだろう。申し訳なさで胸が締めつけられる。


「いや、そうじゃねえ。厄介とか……思ってねえ。なんつうか……とにかくお前のことが心配なんだよ」


 千恵は俯いたままだ。


「俺にはまだ、よくわからねえ。お前がどっか違う世界から飛んできたってのは、たぶん本当なんだろうし、今どんな気持ちでいるかも少しはわかるつもりだ。だからなるべく寄り添ってやりてえけど……」


 ノベルはトーンを落として語りかけた。だが——


「……」


 千恵の頬に、ぽろぽろと涙がこぼれ始めた。


 張り詰めていたものが切れたのだろう。どうしようもないこの状況で、ノベルとの会話で少し先がみえたのか、不安と悲しさが千恵のなかで弾けた。


「お、おいおい……泣くんじゃねえよ。わりい、俺の言い方が——」


 ノベルが立ち上がり、千恵を慰めようとした、そのとき——


「お待たせしましたわ!」


 やはり初回登場と同じく、バァン!と大きな音を立てて、扉が開く。リンフィーナだった。


 だが彼女が見たのは、まさしく大人の男が、うら若き少女を泣かせているという“現場”であった。


「……は……?」


 しばし、場は凍りついた。だがその沈黙を破ったのは、リンフィーナである。


「……の〜〜ゔぇ〜〜るぅ〜〜〜!!!!」


「いや違うんだ、これは誤解なんだ! な、千恵!」

「なにが誤解ですの!? 今まさに千恵が涙を流してらっしゃるではありませんの!」


 何も聞く耳を持たないリンフィーナ。大きな風呂敷をドサッと床に落とすと、魔法のタクトをシャキッと取り出し、その切っ先に炎を灯した。


「うわぁあああ! 待て待て! 話を聞けって!」


 ノベルが宥めようとするが、すでに火のついたリンフィーナは止まらない。


「え?」


 ようやく、リンフィーナのヤバさに気づく千恵。


「覚悟なさい! ノベル!」

「あああっ、待ってリンちゃん!」

「待ちません! ……え?」


 その瞬間、リンフィーナのタクトから炎が飛び出した。


「「「うわあああああ!」」」


 なぜかリンフィーナまで一緒に叫ぶ。炎の玉は咄嗟に威力こそ抑えられたものの、部屋へと飛び込んでいく。


「「「ぎゃああああああ!」」」


 ーーーーー


「……まったく……最後まで話を聞けっての……」

「も、申し訳ございませんわ……だって、千恵が泣いていたんですもの……」

「リンちゃん……ちゃんと話を聞こうね」


 幸い小さなボヤで済んだが、三人で懸命に部屋に水をかけ、そのビショビショになった床や家具を雑巾で拭いて回っていた。


「ま、とにかく誤解が解けてよかったぜ」

「そ、そうですわね……わたくし、千恵の気持ちを考えていませんでしたわ」

「私も、ごめんなさい」

「いいんですのよ、千恵。いきなり異世界に来て、いきなりこんなボロ屋に連れてこられたんですもの。不安になるのも当然ですわ」

「ボロ屋で悪かったな」


 そんな軽口を交わしながら掃除する3人。


「新しい家を探したらどうですの?」

「いやダメだ。商売ってのは立地が命なんだ。簡単には引っ越せねえ」

「あら、ここがいい立地だと? わたくし、この探偵事務所を探すのに苦労したんですのよ」

「うぐっ……ま、まあいろいろあるんだよ、ここには」


 ノベルは言葉を濁すが、リンフィーナの言うことも一理ある。


「わたくしのお屋敷にいらっしゃるのはどうかしらね」

「わぁ……それは嬉しいし、ありがたいけど……」

「貴族様の屋敷なんて住めるわけねえだろ」

「まあそれもそうですわね。使用人たちにどんな目で見られることやら、ですわ」


「だから、知恵はここにいて、俺は外で暮らすよ」

「そんな……」


 やはり申し訳なさを感じ、千恵はまた俯いてしまう。


「いいではありませんか。千恵が家政婦になると言っているのです。なにが問題なのです?」

「こんな、他人のおっさんと若い女が一緒にいたら、なにがあるかわからねえだろうが」

「あら、あなたはそんなことをしそうには見えませんけど?」

「買いかぶりすぎだ」


 ノベルとリンフィーナは、当の千恵を置いて議論を交わす。


「……私、思ったんですけど」


 ふと千恵が口を開いた。ふたりは同時に、彼女に目を向ける。


「私、ノベルさんの秘書兼助手兼家政婦になるってどうですか?」


 ノベルとリンフィーナは、同時に口をあんぐりと開けて千恵を見つめた。


「この部屋の片付けやお掃除、お洗濯をして、書類整理、ノベルさんが留守のときは受付対応。あと、お仕事に同行してメモを取ったり……」


 千恵はスッとポケットから革製の手帳を取り出した。


「これ、持ってこれてよかった」


 手帳を見つめ、ほっとしたように笑う。


「……いやいや、さっきも言ったじゃねえか。そんな賃金なんて出せねえって」


 ようやく我に返ったノベルが、しぶい顔で言った。


「これからお仕事を増やせばいいじゃないですか。私も、暇なときはアルバイトを探します」

「名案ですわ。でも千恵、あなた学校はどうするのです?」

「そうだね……いずれは通いたい、かな。そのためにも、学費を稼がなきゃ」


 グッと両手の拳を握る千恵。吹っ切れたように、考えもまとまり始めていた。


「……わかったよ。んじゃその方向でいくか。千恵、まあよろしくな。あまり無理すんなよ」

「ありがとうございます、ノベルさん。はい、無理せず頑張ります!」

「よかったですわね。ではさっそく、わたくしのお洋服を見てくださいませ!」


 そうして、千恵のファッションショーが始まり、しばらく楽しいひとときを過ごすのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ