2、消えたペンダント
千恵と同じ年頃の少女が、大汗をかきながら息を切らし、こちらをうかがっている。
冬の名残をわずかに残した、春の気配が感じられる季節とはいえ、その汗の量は尋常ではなかった。どうやら、ただごとではないらしい。
「あ、ああ、確かにここは探偵事務所だ。だが、まだ営業時間外だぞ」
ノベルはちらりと千恵をうかがいながら、少女に声をかけた。
千恵は、ここが探偵事務所なのだと初めて知ったようで、やや驚いた顔でノベルを見た。
「わたくしの名はリンフィーナ・グロリアーナ。高貴にして名門、グロリアーナ家の次女でございますわ!」
ノベルの言葉をまるで聞いていないその少女は、自らをリンフィーナと名乗った。
釣り上がった眉はプライドと生意気さ、そして少しばかりの焦りを映している。
「おう、グロリアーナさんね。了解。悪いけど今はちょっと取り込み中でな。要件があるなら午後にでも――」
「わたくしのペンダントを探していただきたいのですわ!」
まったく会話が成り立たない。ノベルと千恵は顔を見合わせ、あきれたような表情を浮かべる。
それでも千恵はふっと笑って、「聞いてあげてください」とでも言うように、ノベルにやさしく目配せをした。
ノベルは観念したように襟元を正し、姿勢を整えて向き直る。
「わかったよ、リンフィーナさん。俺はノベル・スプリングだ。じゃあ、まずは詳しく聞かせてもらおうか」
ノベルは、紛失時の状況を聞くためにリンフィーナをソファに案内した。
台所へと向かおうとするノベルを、千恵が先回りして微笑みながら制し、ノベルは「すまんな」とひとことだけ言ってソファに戻った。
「それで、探してほしいペンダントってのは、どんな物だい?」
「わたくしの通う『エクレール女学院』の校章でございますの。あれがなければ学院に入れませんのよ」
学院の校章入りペンダントは、生徒証のような扱いで、持っていないと登校できないらしい。
「なるほどな。……でも、また作り直せばいいんじゃないか?それに遺失物なら、まずは交番に行くべきだ」
「だ、だめですわ!なくしたと知れたら、怒られてしまいますもの!」
「了解。エクレールの校章入りのペンダントっと……それで、最後にペンダントを見たのはいつ頃だった?」
「おとといの下校時に気づきましたの。それから、ずっと探し続けていますわ……」
千恵がカチャリと音を立てて、紅茶の入ったカップとソーサーをリンフィーナの前に置いた。
ノベルにはブラックコーヒーを。
「あら、気が利きますのね。ありがとうですわ……っっ!?!」
リンフィーナは突然、顔を赤くして千恵を見つめた。
千恵はその視線に気づき、首をかしげて不思議そうにリンフィーナを見返す。
「あ、あの……私の顔に、なにかついてますか?」
不安そうに尋ねる千恵。
しかしリンフィーナは、大きな目をさらに見開いて千恵の顔に釘付けになっていた。
しばらくしてようやく、リンフィーナはハッと我に返った。
「な……なんでもございませんわ……!」
スッと顔をそむけ、その明らかに挙動不審な様子に、ノベルと千恵は顔を見合わせて、揃って小さく首をかしげた。
「ま、まあ……続きを聞こうか。で、盗まれたっていう線は?」
「あんなもの、嫌がらせで盗む方なんておりませんわ」
「じゃあ落としたんだな。カバンの中か……学院の中で落としたとしたら、俺は入れねえな……」
二人であれこれと可能性を検討しながら、カバンの中を探ったりもしたが、やはり見当たらない。
「あの……もしかしたら……」
千恵が口を開いた。なにか思い当たることがあったらしい。
「リンフィーナさん、そのフワフワのマフラーをちょっと見てもらえますか?」
「はい?マフラーですか?最近はもう暖かいので昨日は使っていませんのよ――ありましたのです!」
「やっぱり」
千恵は見事に当てた。
「な、なぜわかったんですの?」
「そのふわふわのマフラーじゃ、もう暑そうでしたから。登校中に汗をかいたんじゃないですか?」
「そ、そうですわね。暑くてイライラして、くしゃっと取ってしまいましたわ……その時ですのね……!」
「意外と単純な場所だったな」
ノベルも感心し、うふふと微笑む千恵を横目で見つめた。
「ありがとうですわ。あなたのお名前をお聞きしても?」
「あ、えっと……千恵です。千恵・藤沢です」
「チエ……千恵さんは、おいくつですの?」
「私は十六歳です」
「あら、わたくしと同じ年齢なのですね。ところで……その制服?この辺りでは見ない形ですわね。素敵ですわ」
「え?あ、ありがとうございます。えっと……」
少し困惑する千恵。制服を褒められたことより、自身の出自を見抜かれたような気がして戸惑っている。
ノベルの方を見て、助けを求めるような目を向けた。
「千恵、同い年だし、ちょっと話してもいいんじゃねえか?」
「そうですね……はい。あの、リンフィーナさん、少しお話ししてもいいですか?」
「あら、なんですの?わたくしでよければお聞きしますわよ」
しばしの沈黙のあと、千恵とノベルは顔を見合わせ、静かにうなずいた。
そして、語り始めた。
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「……そうでしたの……それは、なんとも不憫ですわね……」
リンフィーナは一切疑うことなく、むしろ心から共感し、千恵の境遇に同情すらしていた。
「もしわたくしがそんな立場でしたら……きっと、こんなに落ち着いてはいられませんわ。千恵さん、あなたは……とてもお強いのですわね」
「い、いえ、私もまだ受け入れられてませんよ?これからどうしようって……戸惑ってます」
「……わかりましたわ」
リンフィーナは小さくうなずき、拳をぎゅっと握りしめると、勢いよく立ち上がった。
ノベルと千恵は、その凛とした決意の表情を見上げる。
「わたくしも協力しますわ!千恵さん、この『リンフィーナ・グロリアーナ』に、なんでもお申し付けなさいませ!」
「え……あ、ありがとう……ございます……」
千恵の瞳がうるみ、光をたたえる。
今は何よりも、そのまっすぐな言葉が嬉しかったのだろう。
「千恵さん、まずはお洋服を着替えなさいませ。わたくしのお洋服をいくつかお持ちしますわ!」
「わあ、本当ですか?嬉しい……あ、あと、“千恵”で結構ですよ」
「承知しましたわ。それでは千恵!わたくしのことも“リンフィーナ”とお呼びなさい!」
「わかりました。では、リンちゃん、これからよろしくね」
「なっ……!『リンちゃん』……!!うぐぅっ!」
なぜか鳩尾を押さえて、悶え苦しむような動きを見せるリンフィーナ。
「同い年だし、背格好もほぼ一緒だし、ちょうどよかったな、千恵」
「はい、とても嬉しいです。お二人に拾っていただいて……本当によかった」
「それでは、さっそくお洋服を持ってまいりますのよ!少し待っていなさいませ!」
疾風のごとく、リンは事務所から飛び出していった。
その残像が見えるほどの勢いで。
「ふう……なんだか台風みてえなやつだったな」
「うふふ、そうですね。でも……解決できてよかったです」
こうして、ノベル、千恵、リンフィーナ――三人のドタバタな日常が、いま幕を開けたのだった。