14、いたわり
水曜日
「ま、まいりましたなのです」
「千恵……あなた、とてもお強いのね」
「あはは、ごめんね、まだ本気出してないよ」
「へえ、大したもんだな」
何度やっても勝てないリゼロッテは、ついにはお手上げとばかりに降参を申し出た。
「千恵、あなたが出場したら、無双してしまうんじゃないかしら?」
「私なんか全然だよ! おばあちゃんには一度も勝てなかったんだから!」
「う……うぅ……」
リゼロッテのダメージはますます深くなる。
「千恵、それはリロの傷口を抉るだけですので、ほどほどになさい」
「あ! ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃ……」
リゼロッテのプライドを傷つけてしまったのではと心配する千恵だったが――
「……いいえ……千恵様! ぜひ、わたくしの師匠と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか! なのです!」
「えええ!? そんな私ほんとに、おばあちゃんに勝ったことないんだけどなぁ……」
「あなたのお祖母様は……いったいどれだけ強かったのかしら……ま、いいわリロ、これから千恵に手ほどきしていただきなさい」
「はいっ! よろしくお願いしますなのです、千恵様!」
「ええと……はい……私でよければ……うん、でもやるからには頑張るよ! よろしくお願いしますね、リゼロッテさん!」
ふんすっ、と両手に拳を握りしめる千恵。
こうして、リゼロッテと千恵のチェス大特訓が幕を開けたのだった。
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夕方になり、チェスの特訓は一旦解散となった。結局リゼロッテは千恵に一勝もできなかったが、なぜか満足げな表情を浮かべていた。
「また次の日にお願いします」とのことだったので、リゼロッテはチェスセットを、千恵は将棋セットを、それぞれ用意することに。
千恵はマーケット街に買い物に行ったついでに、りんご箱をもらい、それを分解して、夕飯のあとに将棋セットを自作することにした。
「なんで俺がこんなことしなきゃなんねえんだ」
ノベルがぶつぶつと文句を言いながらも、千恵の手伝いをしていた。
「思ったよりすごく大変で……すいません」
将棋盤は板にマス目を描くだけなので簡単だが、駒となると話は別だ。ひとつひとつが小さく、しかも文字を書く必要があるため、非常に細かい作業となった。
「まったく……指先仕事なんぞやったことねえっちゅうのに……」
と文句を言いつつも、千恵のためなら手伝ってしまうノベルである。
ともあれ、二人で作業すれば意外と早く終わるもので、あっという間に将棋セットは完成した。
「ふぅ……なんとかできましたね。ありがとうございました」
「やれやれ……しかし、これが『将棋』ってやつか。どれ、『一局』やってみるか」
「ノベルさん、チェスはできますか?」
「ああ、昔ちょっと齧ったことがあるぜ。あとさっきのおめえらの対局見てて、少し勘を取り戻したところだ」
「おお、それなら結構、相手になりますね」
「バカにすんじゃねえぞ? 俺だって意外とこういうの得意なんだ」
「……そうですか……では、私も手は抜きませんよ……?」
「……ああ、望むところだ……返り討ちにしてやるよ……かかってきやがれ!」
「あーあ、ツマンネ」
「ノベルさん……ただ突っ込むだけじゃダメですよ……」
「だっておめえよ、なんだか端っこに『王様』を寄せやがってよ、そんでなんか知らねえけどその王を囲いやがってよ」
口をとんがらせ、人差し指で盤面を刺し、目を見開いて、まるで負け犬のようにクドクドと情けない言い訳を吐くノベル。
「そういう戦法なんですもん……こういうのを『定跡』っていうんですよ」
「戦法だかなんだか知らねえ。俺はもうやらねえ」
完全にすねてしまったノベルは、タバコに火をつけ、窓に向かってブワッと煙を吐く。
「ふふ、意外と子供っぽいところもあるんですね」
「言ってろ」
やりすぎたかな、と少し反省した千恵は、ノベルのためにウイスキーをなみなみとグラスに注ぎ、そっと差し出してあげるのだった。
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少し時間をさかのぼり、リンフィーナとリゼロッテの帰宅途中。
「いかがでしたか、リロ。勉強になりまして?」
「はい! とっても! 千恵様、すごくお強くて、そして様々な戦法を繰り出されて、わたくし圧倒されてしまいましたのです」
二人はブルーウッド地区から王都への石畳の道を並んで歩いていた。
「それはなによりですわ……それにしても、千恵ったら、あんな特技があるとは思いもしませんでしたわ」
「あの……リンフィーナ様……千恵様って、どちらのお国の方なのでしょうか? なのです」
「リロ、いい加減その話し方、おやめになってはどうなのです?」
「あ、えっと……もうクセになってしまったのです。気にしないでいただけると助かりますなのです……」
リゼロッテの喋り方をやんわりと指摘するリンフィーナ。
「まあ、いいわ。千恵ね……そうね……本人に直接伺いなさい。わたくしの口からは申し上げられませんわ」
自分の口から他人の内情を口外しないリンフィーナだった。
「そうなのですか……できればその……お近づきになりたいなぁ、なんて。なのです」
「あら、あなたも千恵のことが気になりまして?」
「はいなのです。チェスももちろんですけど、あのお方には……なにか、とても大きな魅力を感じますのです」
「そうですの。わたくしも同じように感じておりますのよ。まあでも、焦る必要はありませんわ。ゆっくり千恵に接していって差し上げて」
知る、ということではなく、あくまで寄り添って欲しい、そう願うリンフィーナ。
「はい! ぜひそうしたいと思いますのです! 仲良くなれたらいいなぁ……」
元気よく答え、そしてどこか遠くの星を見つめるようなまなざしをするリゼロッテであった。
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「リンフィーナお嬢様、おかえりなさいませ」
「ただいま戻りましたわ、マルス。なにかございました?」
マルスが警備の持ち場を一時外し、リンフィーナの元へ駆け寄ってきた。
「いえ、今夜はお食事をお摂りになるのですね」
「ええ、たまには一緒に食べて差し上げないと、お父様が拗ねてしまいますわ」
「はっ、ご殊勝なことでございます。ところで、今日の放課後はどちらへ?」
「リロと一緒に千恵のところでチェスの特訓ですわ。あの子ったら、とてもお強いんですのよ」
「あぅっ! 千恵様……!」
マルスはその名前を聞いた瞬間、白目を剥き、雷にでも打たれたような衝撃を顔に浮かべる。
「……あなた、もしかして千恵のことを?」
「いえ! 滅相もございません! わたくしごときがそんな……あのような可憐なお方を……なんとオリエンタルで素敵な……艶めかしい黒いお髪の持ち主の……美しい白いお肌の……愛らしい小動物のようなお顔立ちの……」
「もうわかりましたわ、マルス」
非常に気持ち悪い早口を披露するマルス。
「ああ、申し訳ございません。失礼いたします」
そう言ってマルスは持ち場へ戻っていった。
「今日はなんだか、とても疲れる日でしたわ」
そう独りごちるリンフィーナだったが、その表情にはどこか満ち足りた色が宿っていた。
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「(千恵様……千恵様……)」
マルスは持ち場に戻っていたが、どこか心ここにあらずで、一人の少女の名をつぶやいていた。
「(ああ……千恵様……あのつぶらな瞳……きゅっと上がった口角……)」
心のなかの独り言ですら気持ち悪いマルス。
「(ん……? そういえばお嬢様、チェスをなさってきたとおっしゃっていたな……)」
何かをひらめいたようなマルス。
「(よし……)」
何かを決意し、気を引き締め直して再び持ち場に立つマルスであった。




