11、終幕
「この度は対応が遅くなり、申し訳ございませんでした」
シドが千恵に顔を合わせるなり、深々と頭を下げてきた。
「い、いえいえ! 私が勝手に行動してしまって! かえってすみませんでした!」
千恵は両手のひらをブンブンと振り、反対にシドに謝罪した。もしものことなど考えずに動いたことを、深く陳謝する。
「ま、無事で何よりだったな。あれだろ、シドは張り込んでたんだろ?」
「ええ、必ず夜に現れると思っていましたから」
刑事の勘というものなのだろうか。毎晩張り込みを続けたというのに、それをなんでもないことのように話すシド。
「これから取り調べか?」
「はい。ご覧になりますか?」
「ああ、そうする」
ノベルとシドがそうやり取りしたあと、別室にてジョン・スターキーの取り調べが始まろうとしていた。その部屋の隣には、取調室を一望できる観覧室が備えられており、関係者はそこから様子をうかがえるようになっていた。
ジョンの供述はこうだった。
母親が再婚してから生活は一変し、ある時期を境に家を出た。そして四十歳になる頃、自分の店を持ちたいと思い、事業を始めるにあたって行政から資金を借りる際、義父であるポール・マトロックに連帯保証人を依頼した。受けてくれると思いきや、断られてしまったのだ。
理由はやはり、商売などやめておけというものだった。
だがジョンは諦めきれず、どうにかならないかと悩んでいたところ、母親が一部を出資してくれた。しかし、母は金を出したのに義父は応じなかった――その態度に、いつしか逆恨みを抱くようになっていった。そして、あの晩。たまたま公園を散歩していたときに、犬を連れていた義父を見つけ、言い合いになり……凶行に及んだのだという。
「ま……こういうもんなんだろうな……人間関係ってのは」
「そうですわね。いくら義理とはいえ、愛情はあるもの。その愛情をどれほど注いでも、何かひとつかけ違えば、関係などあっけなく崩れてしまいますわ」
「……そうなんだ……」
千恵は二人の社会的な懐の深さと比べて、少し落ち込んでいた。
だが、次のジョンの言葉に、千恵はなにかを感じ取る。
「あのオヤジに、俺はずっと金を渡してたんだ。生活費だと思って、身体の悪いかあちゃんと一緒じゃ大変だろうと思って。ずっと仕送りしてたんだ。それなのに……」
ジョンはそう言って俯き、取調室の机をドンと叩いた。
「ほう……」
ノベルはそう呟き、タバコに火を点ける。
と、その時、立ち上がった者がいた。
千恵だった。
グッと両手を握りしめ、唇を噛みしめて、部屋を出ていく。
「おい千恵、どこに行くんだ」
「千恵? どこに行くのです?」
二人はすぐさま千恵のあとを追い、隣の部屋の前にたどり着いた。
千恵はガチャリと、取調室の扉を開けた。
「千恵さん、なりません。ここは取り調……」
シドは千恵の顔を見て、言葉を失った。犯人のジョンもまた、彼女の姿に驚いた様子を見せた。
「おい、千恵」
ノベルが千恵の肩をつかみ、犯人と顔を合わせてはならないとばかりに引き寄せようとする。
――ところが。
千恵の身体は石のように動かない。両足をしっかり地につけ、肩幅に広げて立ち、両手をぐっと握りしめ、まっすぐにジョンを見つめていた。
「ジョンさん」
千恵は語り出した。
「……私、ようやくわかりました。ポールさんのお家にあった、あのたくさんのお金」
「な、なんだよ、そんなもんがあったのかよ」
ジョンは狼狽する。その理由は金の事実というよりも、千恵の表情だったのかもしれない。
「あのたくさんのお金……あれはきっと、ジョンさんからの仕送りを、ポールさんが貯めていたものだったんですね」
千恵は静かに言った。さらに声を落とし、続けて語る。
「あのお金、きっちりしていて端数もなく、整えて保管されていたそうです。きっと大事に大事に貯めて、大切に大切にしまっておいたんだと思います」
ジョンは口を半開きにし、冷や汗を流している。
「きっと全く手をつけていなかったんだと思います。いえ、絶対に使ってはいけないお金だったはずです。開業資金を出さなかった理由はわかりませんが、きっと――」
千恵は言葉を振り絞る。年上の男に意見することに、内心では躊躇もあったのだろう。
「もしジョンさんのお店がうまくいかなかった時のために、とっておいたのではないでしょうか?」
ジョンはハッと目を見開く。彼自身も何度も言われていた。義父は、商売はうまくいかないと繰り返していたのだった。
「ポールさん……お義父さんの生活を見てもわかります。几帳面で、きっとジョンさんのことも、ずっと気にかけていたんだと思います。そのために、お金を大事に取っておいたんだと思います」
千恵はそう締め括った。
ジョンはワナワナと震えていた。
「……俺にもわかるぜ。きっと開業資金を出さなかったのは、おめえの力量や本気度を試すためだ。商売は大変だからな。簡単に金を出したんじゃうまくいかねえ。ハングリーが大事だってことを、オヤジさんのほうがよくわかってたんだろうな」
「うぅ……ううう……」
ジョンはついに涙を流し始めた。思い当たることばかりなのだろう。自分の犯したことの重大さも、ここにきてようやく自覚できたのかもしれない。
「あぁああ……!! ああぁぁああ……!!」
ジョンはもはや椅子に座っていられず、床に膝をついて地面を叩きつける。
後悔とは、まさしく“先には立たず”。
ただただ、己の浅はかさと、罪の深さを痛感するしかなかった。
ノベル、千恵、リンフィーナは、その嗚咽を背に、静かに部屋を後にした。
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「千恵、わたくし、ひどく感心しましたわ。本当に千恵に惚れ惚れしましたわ」
リンフィーナは千恵の腕に自分の手を絡め、身体を寄せる。
「いやいや! 本当に感じたことを言っただけだよ! それに、また勝手に行動しちゃって……」
「ああ、また勝手な行動したな。だめだぞ」
ノベルはぽんと千恵の頭に手を乗せ、少し懲らしめるようにくしゃくしゃと撫でた。
三人は取調室を出て、別室でシドを待つ。
やがて、取り調べを一時中断したシドが三人のもとへと現れた。
「今回は皆さんのお手柄でした。誠に、ご協力に感謝いたします」
そう言って、シドは改まった様子で頭を下げる。ノベルはタバコに火を点け、千恵とリンフィーナは会釈を返した。
「千恵さん、グロリアーナ様」
「はい」
「ええ」
シドは二人に向き直る。
「今回のお二人のご協力と、ご見解の提供、誠に感謝するとともに、感服いたしました。さすが警部の助手ともなると違いますね」
「えへへ」
「あら、この程度、当然のことですわ」
「おい、こいつら調子にのっちまうからやめてくれ」
「いえ、警部、大したものでございます。ただ――」
シドが最後に何かを言いたげな様子だったため、千恵とリンフィーナは姿勢を正す。
「僭越ながら申し上げます。今回は大事には至りませんでしたが、毎回こううまくいくとは限りません。警部の力あってこその安全だと、よくご認識いただけることを願います」
千恵とリンフィーナは、笑顔で「はい」と手を額に当てて敬礼した。
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三人が警察署を出て、「さあ、帰って食事でも」と思ったその時――
「ああ! お待ち申し上げておりました!」
マルスがずっと署の前で待っていたのだろう。三人を見るなり、駆け寄ってきた。
「あらマルス、待っていたのね。遅くなりましたわ……」
リンフィーナが出迎えようとしたその時。
マルスはリンフィーナを通り抜け、後ろにいた者に近づいて片膝をついた。
「千恵様! お身体は! ご無事でしょうか! どこか! 痛いところなどは! ございませんでしょうか!」
「へ? え、えっと……どちらさま……?」
「リンのおつきの者でマルスっていうんだ。おめえを、すんでのところでシドと一緒に助けに入ったんだよ」
「千恵様! わたくしめが抱えてしまい! 申し訳ありませんでした! お怪我はなさっていませんか!」
「あ、あの……大丈夫です……よ? ありがとうございました……?」
千恵はそのマルスの言動に圧倒され、やや物おじしていた。
「ああ……よかった……千恵様……なんと美しい黒髪……なんと美しい白い肌……なんと……」
雲行きが怪しくなってきた。マルスがうっとりと千恵の顔を見つめている。
「マルス〜……あんた……わたくしの付き人ということをお忘れでなくって……?」
「ハッ!! 申し訳ございません!! わたくしとしたことが、なんというはしたない真似を……」
そう言って、マルスはスッとリンフィーナの後ろに戻った。
「ま、まあ、事務所帰って飯にでもするか」
なんともドタバタした締めくくりだったが、三人+一人は、ささやかなディナーに舌鼓を打つのだった。




