第二部:第三十四章 神殿の前哨戦
夜明け、氷と岩を貫く陽の光が、鋭く地平を照らし始めた。
凍てついた大気の向こうに、ついに――封印の神殿の影が現れた。
岩壁に穿たれた巨大な扉。
その周囲には、朽ちた碑文と、かつてここに何者かが挑み、そして敗れ去ったことを示す骨の山。
けれど、それを見つめる麻希の表情に、迷いはなかった。
「やっと、ここまで来たんだね……」
その横顔に、直哉は強く息を吸い込んで応えた。
「うん。絶対に、ここで終わらせよう。お前と、ここまで歩いてきた意味……全部込めて」
ふたりが互いの手を握ったとき――
「来るぞ!」
ラウラが鋭く叫んだ。
神殿の前方、岩陰から黒鎧の帝国精鋭部隊が姿を現した。
彼らの中央には、ひときわ異質な気配を放つ男が立つ。
――グレオス。
かつて帝国の将として直哉たちを追い詰めた男。
今は、黒いささやきをその身に纏い、沈黙の魔力を操る存在へと変貌していた。
「ここを通すわけにはいかん。この力は帝国を守るため……世界を制するためにある!」
叫びながらも、その目にはわずかな迷いがあることを、麻希は見逃さなかった。
(……やっぱり、まだ揺れてる……)
「直哉、先に中へ! ラウラとナディアと一緒に封印の儀式を始めて!」
「お前はどうすんだよ!」
「わたしは、ここで……彼を止める」
「……無茶だろ、それは!」
「でも、あの人は完全に闇に堕ちたわけじゃない。まだ“声”が届く可能性がある。だから、わたしが――」
「……だったら、俺も残る」
直哉はきっぱりと答えた。
麻希の瞳が揺れる。
「でも……封印を始めるには、あなたの“力”も必要で――」
「それでも、俺はお前を一人にはしない」
その一言に、麻希の胸がきゅっと締めつけられた。
彼の言葉は、いつだって一番ほしい瞬間に届く。
「……ありがとう。あなたがいてくれて、よかった」
「そう言わせるために、ここまで来たんだからな」
グレオスがゆっくりと歩み出る。
彼の背後では、黒い兵士たちが魔力を帯びた武器を構える。
「……来るわ」
「上等だ。俺たちふたりで、止めよう」
麻希が“調律の声”を放つ。
直哉がその指示に従い、剣を光で包んだ。
「左! 回り込んで、あの盾を崩して!」
「了解ッ!」
ふたりの連携は、もはや言葉すら必要としない。
鼓動のリズムで通じ合うように、戦場を駆ける。
そして――ついに、直哉がグレオスの目前に立った。
「お前の正義が、間違ってたとは思わない」
「……ならば、なぜ立ちはだかる?」
「麻希が言ってた。“あなたの中には、まだ声が届く場所がある”って」
グレオスが目を見開いた。その刹那――
麻希が彼の背後に立ち、そっと言葉を投げた。
「……わたしの声を、聴いてください」
その“声”は、震えるほど静かで、美しかった。
戦場の喧騒の中で、そこだけがまるで“時”から切り離されたかのような、柔らかな空間となる。
「あなたの力は、誰かを傷つけるためじゃなく、誰かを守りたいと思ったその気持ちが、始まりだったんでしょう?」
グレオスが、僅かに肩を震わせた。
「……なぜ、そんなに……」
「わたしにはわかるの。だって、わたしも同じだったから。怖くて、弱くて……でも、あの人が手を取ってくれたから、ここまで来られたの」
麻希は、直哉の手をぎゅっと握る。
「あなたにも、届いてほしい。誰かと“繋がる”という、この力が――」
沈黙の中で、グレオスが剣を落とした。
「……私を、倒せ。それで……証明してみせろ。その想いが“本物”だと」
彼の声には、もはや狂気はなかった。
そこにあったのは、わずかな“祈り”のような願い。
直哉と麻希が視線を交わす。
「ここで、終わらせよう」
「うん。あなたと一緒に――」
ふたりは駆けた。
光と闇が交差するその場で、ふたりの心が、再びひとつになった瞬間だった。
――神殿の扉が、静かに開かれる。




