第二部:第三十二章 迷いと決意
荒野での一騎打ちから一夜。
一行は、神殿入口目前の岩陰に小さな野営地を築いていた。
月が冴え渡る夜空の下、焚き火の静かな炎がゆらゆらと揺れている。
だが、その静寂とは裏腹に、麻希の胸の中には答えの出ない迷いが渦巻いていた。
――この旅の果てに、“ささやき”を封じることができたら。
――それは同時に、今の彼女自身に宿る力――“調律の声”をも、失うかもしれない。
ラウラは夕刻、真剣な面持ちで言っていた。
「封印は、単なる封じではない。“声”そのものを眠らせる行為よ。もしかしたら、あなたたち自身の共鳴力も……消えるかもしれない」
もし、その力が失われたら。
それは直哉との“特別な繋がり”も、同時に失ってしまうかもしれないということ。
(それでも、わたしたちは……世界のために、それを選ばなきゃいけないの?)
答えが出せず、麻希は夜風に吹かれるようにして、少し離れた岩場に座り込んでいた。
そのとき――
「ここにいると思った」
振り返ると、直哉が肩にマントをかけたまま立っていた。
その目は、どこか遠くを見るように、優しかった。
「……ごめん、少しだけひとりになりたくて」
「いいよ。俺も、同じこと考えてた」
彼は、麻希の隣に腰を下ろす。
焚き火の明かりが届かない場所で、ふたりだけの影が並んだ。
「力を失っても、ちゃんと隣にいられるかなって」
麻希が言った。
その声は震えていないけれど、どこか頼りなく、今にも消えそうだった。
「……それって、俺との繋がりが消えるかもしれないって意味?」
直哉の問いかけに、麻希は黙って俯いた。
だが、次に聞こえたのは、まるで笑うような彼の声。
「バカだな」
「……え?」
「俺は、力があるからお前と繋がってるんじゃない。お前が麻希だから、隣にいたいって思ってるんだよ」
麻希がはっとして、彼の顔を見上げた。
その瞳は、一点の曇りもなかった。
「例え“調律の声”が消えても、共鳴が消えても、お前が笑っててくれたら……俺は、それで充分だよ」
その瞬間、麻希の中の迷いが、ふわりとほどけていくのを感じた。
この人は、いつだって“本当のわたし”だけを見てくれている。
麻希は、そっと彼の胸に身を預けた。
「ねえ……わたしも、決めたよ」
「うん」
「どんな未来が来ても、あなたとなら……全部受け止めたい」
直哉の腕が、彼女を静かに抱き寄せた。
「俺たち、世界を救ったあと、どこに行こうか」
「えっ……」
「封印が終わったら、“その先”が見たいんだ。お前とふたりで、何の使命も背負わずに……ただ笑って過ごす時間」
麻希の目に、涙が浮かんだ。けれどそれは、不安でも悲しさでもない。
たしかな“幸せの約束”に、胸があたたかくなったからだ。
「……それ、すっごくいい。だから、絶対……生きて帰ろうね」
「もちろん。お前と一緒に、未来を選ぶために」
ふたりの手が静かに重なった。
夜空の星が、ふたりの頭上で優しく瞬いている。
それはまるで、恋の決意に祝福を贈るかのように。
――その決意が、ふたりを神殿の奥へ導く光となっていく。




