第二部:第三十章 森の試練
翌朝、夜露の残る草を踏みしめながら、四人は“沈黙の谷”へ向けて歩き出した。
封印神殿へ続く道は、かつて“森の心臓”と呼ばれた深い魔の森を抜けなければならない。
光の差し込まないその森には、古代の結界が未だ残っており、“意志を持つ植物”や“記憶を惑わす霧”が進入者の行く手を阻むという。
ラウラは杖を握り、険しい表情で言った。
「この森では、心の揺らぎが“形”になる可能性がある。特に、感情の強い者は注意して」
その瞬間、麻希の胸に、うっすらとした不安がよぎった。
(心の揺らぎ……。もし、私の中にある“迷い”が現れたら……)
不安を感じ取ったのか、直哉がそっと歩み寄ってきた。
「大丈夫。俺がそばにいるから」
それだけの言葉なのに、なぜこんなに安心できるんだろう。
麻希は、少しだけ笑って、小さく頷いた。
◆
森は、静寂すらも呑み込むような異様な空間だった。
一歩ごとに、視界が歪み、草木が呻くように軋む。
突然、霧が立ち込めた。
「みんな、近くに……っ」とナディアが言いかけたとき――視界が、白に染まる。
麻希は一人、深い霧の中にいた。
「直哉……? ラウラさん? ナディア……?」
返事はない。霧の奥に、何かの影が立っていた。
「……あなたの声は、偽物。誰の心にも届いていない」
――自分の声だった。
それは“迷い”が映した幻影。
もう一人の麻希が、笑いながら迫ってくる。
「あなたの力は借り物。調律? 共鳴? ……結局は、誰かに依存してるだけ」
「違う……!」
麻希は目を閉じ、胸にある“ぬくもり”を思い出した。
――直哉の声。彼の言葉。彼の笑顔。
「私は……自分で選んだの! “誰かと共にいる”っていう道を!」
その瞬間、霧がはじけ飛んだ。
「――麻希っ!」
駆け寄ってきた直哉が、真っ直ぐに彼女を抱きしめる。
温もりが、恐怖を上書きしていく。
「よかった……無事で……っ」
「……ごめん、またあなたに助けられてばかり」
「違うよ。今、お前がひとりで抜けたんだろ? 俺はただ、お前の“決意”を迎えに来ただけだ」
その言葉が、心の底にまで響く。
ふたりの額が、そっと重なる。
「ねえ……直哉」
「ん……」
「ここまで来たから、今ならちゃんと言える」
麻希の瞳は、もう揺れていなかった。
深く、静かに、確かな想いをたたえている。
「わたし……あなたのこと、ずっと前から、好きだった」
直哉の目が、驚きと、喜びで見開かれる。
「……マジで、今ここで?」
「ここじゃなきゃ、言えなかったの」
頬を染めながらも、麻希は逃げずに笑っていた。
その強さが、直哉の心を撃ち抜く。
「……俺も」
「え?」
「ずっと、ずっとお前に惹かれてた。でも、守らなきゃって思うたびに、言葉が遠くなって……」
「……言葉にしてくれて、ありがとう」
手と手が、ふたたび強く結ばれる。
それは誓い。これから始まる“世界の運命”を乗り越えるための、ただひとつの答え。
その後、ふたりが戻ると、ナディアとラウラもすでに霧を抜けていた。
「ふたりとも……いい顔してるわね」
ラウラが意味深に微笑む。ナディアは赤くなりながら、わざと目を逸らした。
「べ、別に! わたしは何も見てないから!」
「な、なんにもしてないよっ!? ね、直哉!?」
「な、なんか、逆に怪しくなってない……?」
慌てるふたりの姿に、森の中に、ほのかな笑い声がこだました。
――心の迷いを越えたふたりの絆は、もはや誰にも壊せないものとなっていた。
そして封印の神殿が、静かにその扉を開こうとしている。




