第二部:第二十九章 封印の神殿へ
朝焼けがルセリアの街並みに射し込む頃、直哉、麻希、ナディア、そしてラウラの四人は静かに出立の準備を整えていた。
行き先は、ラウラが文献の中で見つけた古代の封印神殿――“黒いささやき”の起源へと繋がる可能性のある場所。
ルセリアに残る防衛は、すでに信頼できる指揮官へと引き継がれた。
この旅は、誰も代わることのできない“選ばれし者たち”だけが進める道。
そして、ふたり――直哉と麻希も、そこに迷いなく足を踏み入れていた。
「出発前に、言っておきたいことがあるの」
麻希が、ルセリアの門の前で静かに直哉を呼び止めた。
朝霧の中で、彼女の瞳はまっすぐに揺れていた。
「わたし……今回の旅が、すごく怖い。でも、それと同じくらい、あなたと一緒に進めるのが嬉しいの」
直哉が目を丸くする。
「麻希……」
「あなたがそばにいてくれたから、わたしはここまで来られた。それに……」
麻希は、ほんの少し視線を逸らしながら、でも最後まで口にした。
「わたし、あなたと……未来を見てみたいって、初めて思ったの」
空気が、柔らかく震える。
直哉は黙ったまま、麻希の前に歩み寄ると、ぎゅっと彼女の手を握った。
「俺もだよ」
「……え?」
「俺だって、お前と同じ気持ちでここに立ってる。どこへ行くにも、お前とじゃなきゃ意味がない」
直哉は、恥ずかしそうに、けれどまっすぐに麻希の目を見ていた。
「……だから、帰ってきたらさ。ちゃんと伝える。気持ちを、言葉で」
「……うん。待ってる」
ふたりは静かに微笑み合った。
その目の奥に映るのは、不安ではなく、“信じる強さ”だった。
◆
道中、森を抜け、岩山のふもとに差しかかる。
陽は高く昇っていたが、封印神殿があるという地帯には独特の“ひやり”とした気配があった。
「この先、誰も近づかない“沈黙の谷”です。魔力の乱れも激しく、普通の人間では足を踏み入れられないと言われてます」
ナディアが真剣な表情で言う。ラウラも慎重に地図を確認しながら頷いた。
「この先は、四人で慎重に進みましょう。誰か一人でも気を抜いたら……命はないわ」
その言葉の重みを、麻希は静かに飲み込んだ。
けれど、手の中の温もりがある限り、怖さを超えられる。
ふたりの手は、どこまでも自然に繋がれていた。
◆
その夜、谷の手前でキャンプを張った。
ナディアとラウラが交代で見張りをすることになり、直哉と麻希はふたりきりで焚き火の前に座っていた。
火が揺れる音だけが響く。
「……明日、いよいよ神殿だな」
「うん……緊張してる?」
「してる。でも、それ以上に……お前と一緒にいる時間が、尊くて、今はこっちの方が怖い」
麻希が首を傾げる。
「なんで……?」
「いつか終わってしまいそうで、怖くなるんだ。ずっと続けばいいのにって、願ってしまうから」
麻希は、そっと彼に寄り添った。
「終わらないよ。わたしたちが、終わらせないって決めれば」
「……ああ。だから俺、今日のこの夜も、ちゃんと記憶に刻む」
直哉は、焚き火の揺らめきの中で、麻希の頬に手を伸ばした。
その手があまりにも優しくて、麻希の胸が甘くきゅっと締め付けられる。
「……ねえ、キスしていい?」
その問いに、麻希はほんの一瞬、驚いて――そして、そっと微笑んだ。
「ううん……ダメ。今は、ダメ」
「えっ……ご、ごめん……」
「……代わりに」
麻希は彼の肩にそっと寄りかかる。
「このまま、眠るまで……ずっとそばにいて」
「……ああ。離れないよ」
ふたりの鼓動が、静かに重なっていく。
火の粉がふわりと舞い、星空が優しくふたりを包み込む。
――それは、言葉より深く、心が寄り添った夜だった。
明日、世界の命運を担う旅が、本当の意味で始まる。
けれどこの夜は、恋と信頼だけが、そっと世界を包んでいた。




