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ささやきの運命  作者: 乾為天女


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第二部:第二十七章 グレオスの決断

 戦の幕が一時的に降りたルセリアの夜。

 瓦礫の残る街に、ようやく静寂が戻りつつあった。だが、その静けさは決して安堵ではなく――次に訪れる嵐を、誰もが直感していた。

 帝国軍は、唐突に撤退した。

 理由は不明。ただひとつ確かなのは、グレオス本人が、前線に現れなかったということ。

 その沈黙に、ラウラは口を固く結んだまま言った。

 「……“黒いささやき”が、グレオスの心を揺さぶっている可能性があるわ」

 ナディアが震える声で言葉を重ねる。

 「彼は……“誰かを守るために、力に呑まれようとしている”。そんな気配がします」

 麻希まきは黙って、拳を握りしめていた。

 “誰かを守るために堕ちる”――それは、どこか、かつての自分に重なる想いだった。

 ――もし直哉なおやが同じように“力”に呑まれようとしたら。

 (……わたし、絶対に止めたいって思う)

 そして、彼女ははっきりと気づいた。

 想うということは、守るだけじゃなく、共に立ちたいと願うこと。

 その夜。

 直哉と麻希は、再び塔の屋上にいた。

 遠くの山の稜線に、かすかに赤い炎が揺れている。撤退していく帝国軍の痕跡だ。

 「……なんで、引いたんだろう」

 直哉が呟く。横にいた麻希は、そっと言った。

 「グレオスは、迷ってるんじゃないかな」

 「迷う……?」

 「きっと、あの人にも“守りたい誰か”がいたんだと思う。だから、“黒いささやき”にすがろうとした。でも、それを全部正しいって信じきれないまま……今も苦しんでる」

 風が吹く。

 ふたりの髪が舞い、視線が交差した。

 「麻希……お前って、優しすぎる」

 「そうかな……? でも、わたしは、あなただって優しすぎるって思う」

 直哉が少しだけ照れたように顔を逸らした。

 「だってさ、お前がつらそうだったら、俺は何も考えずに突っ走っちゃうと思う」

 「……うん、知ってる。だから、ちゃんと止める役目は、わたしがするよ」

 「は?」

 「あなたが無茶しそうになったら、“調律の声”で止めてあげる」

 ふふ、と笑う麻希に、直哉は苦笑した。

 「……ほんと、隙がないよな。俺がどんな顔しても、ちゃんと見てくれてる」

 「だって、あなたの全部が――私の“声”に届いてるから」

 言葉のあとの沈黙は、なぜか心地よかった。

 ふたりは、無言のまま肩を寄せ合い、風の音に身を委ねた。

 麻希が静かにささやく。

 「このまま、ずっと隣にいられたらいいのに」

 「……なに、急に」

 「ごめん……でも、そう思っちゃったの。今が、とても……好きだから」

 直哉の心臓が、どくんと鳴った。

 その言葉だけで、戦場の痛みも、悩みも、全部が霞んでいく気がした。

 「……俺も。お前が隣にいてくれて、よかったって思ってる」

 そっと手が重なる。

 ふたりの手のひらは、戦いの傷跡でざらざらしていたけれど、その温もりは何より優しかった。

 「じゃあ、明日からもまた、一緒に前を見よう」

 「……ああ、もちろん」

 ――同じ想いを胸に。

 ――同じ光を目指して。

 一方その頃、帝国の軍幕内。

 ひとり、瘴気の中で膝をつくグレオスがいた。

 その瞳に、ほんのわずかに“光”が宿っていた。

 誰かの声が、遠く届いたような気がしたのだ。

 「……お前たちの想い……届いた、というのか……?」

 黒いささやきが囁く中、彼の心は揺れていた。

 世界を救う力は、いま確かに“恋”という名の感情の中で、芽吹き始めている。


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