第二部:第二十二章 グレオスの動向
ルセリアの夜明けは、どこか張りつめた空気を帯びていた。
塔の上から街を見下ろすラウラは、低く呟いた。
「……帝国が動いている。いよいよ、ね」
その報せは、ラウラの古い知己から届いたものだった。
帝国ガルザーンの将校――グレオスが、ルセリアへの進軍を本格的に計画しているという。
ラウラの研究塔に集められた直哉、麻希、ナディア。
空気は、自然と重くなる。
「彼は……“ささやき”を完全に掌握するために、動いているのか?」と直哉が問いかけると、ラウラは首を横に振った。
「少し違う。彼は帝国を守るためなら、あらゆる手段を取る男。民を救うために“黒いささやき”に手を伸ばした……そういう報告もあるの」
「つまり……“悪”とは限らないってこと?」麻希が慎重に問うと、ラウラは苦笑するように頷いた。
「正義の形は、ひとつじゃないということよ。そして彼の正義は、私たちと真っ向からぶつかる可能性が高い」
そのときだった。
ふと麻希が、胸の奥に微かなざわめきを感じた。
(……“ささやき”?)
いつもと違う。もっと、低く、重く、そして苦しそうな声。
「麻希、どうした?」と直哉が顔を覗き込むと、彼女は小さくかぶりを振った。
「……ううん、大丈夫。ただ、少し……切なくなっただけ」
「切ない?」
「うん。なんだか、誰かが――すごく辛い場所にいる気がして」
ナディアがはっとしたように目を見開いた。
「それ……もしかして、グレオスの“声”かもしれない。彼が“黒いささやき”に触れているのなら、麻希さんの感覚が反応してもおかしくないわ」
麻希は口元に手を当て、小さく震えた。
敵として認識していた相手が、実は“誰よりも苦しんでいる”のだとしたら。
そのとき、直哉がそっと麻希の肩に手を置いた。
「無理しなくていい。けど、もしお前が誰かの痛みを感じてるなら――俺も、それを一緒に背負いたい」
麻希は、思わず見つめてしまった。
真剣な表情。どこまでも誠実で、まっすぐで。
この人は、どんなときでも“共に”あろうとしてくれる。
「……やっぱり、直哉ってずるい」
「え、何が?」
「そうやって、ちゃんと私の全部を受け止めようとするから……また好きになっちゃう」
その瞬間、直哉の顔がぱっと赤くなる。
「な、なに、それ、ずるいのはそっちだろ……!」
「ふふ……じゃあ、これでおあいこ」
そう言って、麻希は彼の手をそっと握った。
互いの鼓動が、しっかりと掌に伝わる。
ナディアはそのやり取りを静かに見守っていた。
ふたりの間に流れる空気――それは、明らかに“共鳴”という言葉を超えた深い結びつきだった。
(……このふたりが並び立つとき、“黒いささやき”すら届かない場所へ行けるかもしれない)
◆
その夜、麻希は眠れなかった。
窓の外に広がる月の光を浴びながら、塔の屋上へと足を運ぶ。
そこには、すでに直哉の姿があった。
「……やっぱり来ると思った」
「え?」
「今夜の月、綺麗だから。麻希はこういう時、空を見に来る気がして」
どこか照れくさそうに笑う直哉に、麻希もふっと笑った。
「じゃあ……あなたがここにいるのも、わたしのこと待ってたから?」
「うん。……もう、待つのにも慣れてきたかも」
「じゃあ、これからは――待たせないようにするね」
隣に並び、そっと寄り添う。肩がふれて、頬が近づいて、でもそれ以上は踏み込まない。
ただ、確かに伝わる。
この想いは、もう言葉がなくても届くと。
「おやすみ、直哉」
「……ああ。夢でも、隣にいてくれよ」
麻希はそっと目を閉じ、微笑んだ。
それは、心からの安堵と、ときめきが重なった夜の約束。
――グレオスという存在が動き出す中で、ふたりの絆もまた、新たな力へと変わろうとしていた。




