第二部:第十八章 揺らぐ巫女の立場
密偵の襲撃から二日が経った。
傷を負った麻希の回復は順調だったが、それ以上に気がかりだったのは、王城内の空気が微妙に変化してきたことだった。
――特に、ナディアの周囲。
巫女見習いでありながら、直哉と麻希という“異界の者”を特別に王城へ引き入れたことが、一部の祭司や貴族たちの反感を買い始めていた。
ある日の午後、王城内の中庭で。
ナディアは、厳格な雰囲気を纏った老祭司に呼び止められた。
「ナディア殿。貴女が連れてきたふたり……“共鳴者”などという不確かな存在に、王国の信用を賭けるのはあまりに危うい」
「……私は、彼らがこの世界に必要な存在だと信じています」
毅然とした声で返したが、老祭司の目は冷たく細められる。
「信仰に、感情を混ぜてはいけませんぞ」
ナディアはその言葉に強く拳を握った。
――信仰とは、ただ神に仕えることだけではないはず。誰かを守りたいと願う心もまた、祈りと呼べるのではないか。
だが、それを口にすれば“巫女の資格”を問われる。
王国に生きる巫女は、清廉でなければならない。私情を持ち込めば、“神託を曇らせる”と非難される。
それでも――ナディアは思い出す。
直哉が、必死に麻希を守ろうと叫んだあの夜のことを。
麻希が、たとえ傷ついてでも彼の背に立とうとしたことを。
あのふたりは、確かに“真の絆”で結ばれていた。
(……私は、あの輝きを見てしまった)
もう、後戻りはできない。
◆
夜。王宮の裏庭。
ナディアはふとした想いで、静かな夜気に誘われるようにそこを訪れた。
すると、月明かりの下――そこに、誰かが立っていた。
「……麻希?」
「ナディア……」
振り返った麻希の顔には、微かな疲労と、それ以上に繊細な迷いが浮かんでいた。
「もしかして……眠れなかった?」
「うん……少し、考え事してて」
ふたりは並んで歩き出した。無言のまま、数歩。やがて、麻希がぽつりとこぼす。
「……ナディアって、すごいなって思う」
「え?」
「王国の巫女で、こんなに多くの人に見られてるのに、自分をしっかり保ってて。……私には、きっと無理」
ナディアは一瞬、言葉を失った。
そして、ふっと苦笑する。
「……私も、怖いよ」
「え?」
「王宮にいると、“誰のために祈るべきか”を見失いそうになる。形だけの儀式と、保身の言葉と、偽りの敬意ばかり。でも……」
ナディアはそっと、麻希の手を取った。
「あなたと直哉さんを見てると、なんだか強くなれる気がするの」
その手のひらは、ほんのりと温かくて、震えていた。
「本当はね、少しだけ……羨ましいのかもしれない」
麻希の目が、ふわりと揺れる。
「直哉さんに、あんなふうに守られて。あんなふうに……想い合ってるのを、間近で見てたら……」
言いかけた言葉を、ナディアは飲み込んだ。
それをすべて言ってしまえば、今の自分が壊れてしまう気がした。
だが麻希は、ナディアの手をそっと握り返した。
「……わたしも、同じだよ」
「え?」
「ナディアみたいに、強くて、誰かのために動ける人を見ると、自分が情けなくなる。でも……あなたがいてくれて、救われた」
ナディアの瞳が潤む。
それは嫉妬ではない。
比較ではない。
“共鳴”とは、きっとこういうことなのだと、ふたりは思った。
◆
その後、直哉と合流した麻希は、少し顔を赤くしながら彼の隣に立った。
「……どうした?」
「……ナディアと少し話してた」
「うん、仲良くしてるのはいいけど……なんか、俺に言えないこと話してない?」
「……ない、けど……うーん……」
言葉に詰まった麻希を見て、直哉が笑う。
「まあいいや。ちゃんと無事なら、それでいい」
「……ほんと、あなたって……」
麻希は思わず、ふわっと笑ってしまった。
さっきまで心が沈んでいたはずなのに、今はただ、彼の横にいることが嬉しかった。
「ねえ、直哉」
「ん?」
「わたし、あなたに会えて、本当によかった」
夜風が優しく吹く。
その言葉に込めた想いは、きっと全部伝わっていた。
だからこそ、直哉はそれ以上、何も言わなかった。
ただ隣に立ち、そっと彼女の肩に手を添えた。
――絆は、少しずつ確かに、深くなっていく。
揺らぐ巫女の想いの中で、それでも交差したふたりの気持ちは、確かに“強さ”へと変わり始めていた。




