第二部:第十二章 王国への誘い
ナディアがルセリアに到着して三日。彼女はラウラの研究所に滞在しながら、直哉と麻希の“ささやき”の状態を観察し、記録を取っていた。
その合間に、彼女が語ったのは――王国オルディスでの異変だった。
「神殿に仕える祭司たちの一部が、“ささやき”を“神の加護”と解釈していて……力を手にしようとしているんです」
ラウラが驚きの表情を浮かべる。
「王国も、手を伸ばし始めたというわけね。表向きは“神聖”を掲げながら、やっていることは帝国と変わらない」
ナディアは苦々しい顔で首を振った。
「……本来、“ささやき”は人の心に寄り添い、調和を促すものだったはず。けれど、力に目がくらんだ者たちはそれを“兵器”にしようとしている。だから――あなたたちに王都へ来ていただきたいのです」
「私たちが行って……何になるの?」
麻希が躊躇いがちにそう尋ねると、ナディアはまっすぐに答えた。
「“本物の共鳴”を、彼らに見せてほしい」
“共鳴”。それは、ナディアが何度も口にしていた言葉。
「ささやきは、二人の心が響き合ったときに力を発する。あなたたちには、それができる。……そう感じたんです」
言い終えたナディアは、わずかに視線を伏せた。まるで、そこに嫉妬と憧れが入り混じっているかのようだった。
◆
その夜。ラウラの塔の最上階――空に一番近い場所で、直哉と麻希は夜風に吹かれていた。
「……王国、行くんだよね」
麻希の声は少しだけ寂しそうだった。
「うん。行こうと思ってる。……でも、無理に付き合わせるつもりはない」
直哉は真剣な目でそう言った。優しさと、迷いと、何より――彼女を尊重したいという想いが込められていた。
麻希は一瞬だけ目を閉じたあと、ゆっくりと顔を上げた。
「……バカだね。そんなふうに言われたら、逆に行きたくなるじゃん」
そう言って笑う麻希の横顔が、やけにまぶしく見えた。けれど、その瞳の奥には揺れる不安もあって――直哉は思わず、言葉より先に動いていた。
「麻希」
名前を呼びながら、そっと彼女の手を取る。
「え……」
温かくて、どこか震えていたその手を、両手で包むように握る。
「俺、お前のこと……守りたいんだ。戦うとか、助けるとか、そういうんじゃなくて――お前が、不安を抱えたままでいてほしくない」
麻希の目が、ふわりと揺れた。
「……なんでそんなこと、真っ直ぐ言えるの」
「それが、俺だから……かな」
恥ずかしそうに笑う直哉に、麻希は吹き出すように笑いながらも、ぽつりと呟いた。
「……ずるい」
「え?」
「だって、そんなこと言われたら……また好きになっちゃうでしょ」
その一言に、直哉の顔が固まる。
沈黙。
月の光だけが、ふたりを照らしていた。
麻希は自分の言葉に気づいて、口元を手で覆う。
「あっ、ち、ちがっ、いまのは……! ほら、その、比喩的な、あの……!」
「……うれしい」
「えっ……?」
直哉は、照れくさそうに、けれど嬉しさがあふれて仕方ないという顔で笑った。
「すっげえ、うれしい」
麻希の顔が真っ赤になる。どうしても視線が合わせられなくて、彼女は俯いた。
だけど、握られた手は、そのまま。
夜風が静かに吹き抜ける中で、ふたりの距離はそれ以上でも、それ以下でもなく、ちょうどいい“ぬくもり”で重なっていた。
◆
そして旅立ちの前夜。
ふたりは、ルセリアの城壁の上から広がる星空を見つめていた。
言葉は少なかった。けれど、時折そっと視線が交わるたびに、心は通じている気がした。
「……直哉」
「ん?」
「わたし、王国に行くの、ちょっと楽しみになってきた」
「なんで?」
「だって……あなたがいるから」
その言葉は、まるで風に溶けるように、やさしく耳に届いた。
直哉は静かに笑い、麻希の手を再び握った。
「じゃあ、行こう。ふたりで。どんなところでも、一緒なら――大丈夫だ」
胸が跳ねる。手が熱を帯びる。だけど、その感情は怖くない。むしろ、心が躍って仕方がない。
こうしてふたりは、また新たな地へ――“真実”へと近づいていく。
そして、その旅路の中で育っていくものが、“ただの共鳴”ではないことを、もう麻希は薄々気づいていた。




