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ささやきの運命  作者: 乾為天女


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第二部:第十章 呼応する闇

 ルセリアの朝はざわめきに包まれていた。いつもは穏やかな市場の通りに、今日ばかりは武装した警備兵たちが慌ただしく走り回っている。空には不穏な雲が漂い、風が冷たく街を撫でる。

 ――魔物の襲撃が、周辺で頻発しているという報せが届いたのだ。

 ラウラの研究塔にも、情報を伝える使いが駆け込んできた。

「ささやきの波動が……周囲の魔物に影響を与えている可能性があります。昨日と比べて、出現率が三倍に跳ね上がっています!」

 報告を聞きながら、ラウラは重く頷いた。

「やはりね……“呼応”が始まったわ。ささやきの力が、世界のバランスに干渉し始めている証拠よ」

 「ってことは……俺たちが、原因ってことですか?」

 直哉なおやの問いに、ラウラは首を横に振る。

「違うわ。“ささやき”はあなたたちを通して再びこの世界に姿を現した。でも本当の問題は、それを“利用しよう”とする存在がいること」

 帝国ガルザーンの影。その手が、ささやきに呼応して魔物を引き寄せているのだとすれば――。

「迎撃隊が街の南門に集まっています。直哉さん、麻希まきさん、可能であれば……」

 言葉が途切れる前に、直哉が頷いた。

「行きます。ここまで来たら、もう逃げるわけにはいかない」

 「……私も。今、何かできるなら」

 麻希もまた、その瞳に迷いはなかった。

 ラウラは魔法の杖を手に取り、力強く頷いた。

「いいわ、行きましょう。ささやきに抗うのは、あなたたちの中にある“意志”よ」

 南門前――。

 夕闇が落ち始める頃、黒雲を背負った魔物たちが姿を現した。牙をむき、鎧のような皮膚を持つ異形の群れ。すでに数体が門の外壁に取りつき、破壊を始めている。

 「くっ……やるしかないな!」

 直哉は剣を握りしめ、一歩前に出た。慣れない武器だったが、彼の動きには迷いがない。

 「麻希、頼んだ!」

 「わかってる!」

 その声に応じて、麻希の目が鋭く光る。彼女の内に響く“ささやき”が、今は不思議と耳障りではなかった。

 ――いいえ、むしろ、その声を“導く力”として使える気がする。

 「前列、左に回って! 一斉に右側を空けて!」

 麻希の指示が兵士たちに伝わり、混乱していた部隊が次第に動きを取り戻していく。

 直哉はその隙を縫って魔物の懐へ飛び込む。鋭い牙が直哉の肩をかすめるが、彼は怯まなかった。

 「……負けるかよっ!」

 一撃、そしてもう一撃。身体はまだ鍛えきれていないはずなのに、彼の動きには確かな“気迫”が宿っていた。

 「直哉、下がって!」

 麻希が叫ぶと同時に、風のような魔力が彼の周囲を包む。彼女の手のひらから放たれた光が盾となり、直哉の背を守った。

 「……っ、サンキュ。おかげで無事だ」

 「ううん……こっちこそ、無理しないで」

 わずかに視線が交差する。激戦の最中なのに、ふたりの間だけ、ほんの一瞬、時が止まったように思えた。

 (この人は、私の声に応えてくれる)

 (俺は、この声を信じていい)

 その感覚が、ふたりの“連携”を強くする。まるで心が通い合うたびに、戦況が整っていくようだった。

 そして――。

 「ここで終わらせる!」

 直哉が最後の魔物に渾身の一撃を与えると、麻希がその背後で小さく呟いた。

 「……ありがとう、直哉」

 それは聞こえなかったはずの言葉。けれど、なぜか直哉の背中はわずかに震えた。

 激戦のあと、兵士たちの歓声が上がる。街は守られたのだ。

 夜。

 ラウラの研究塔に戻ったふたりは、屋上のテラスで風に当たっていた。

 「……疲れたな」

 直哉がため息まじりに言うと、麻希がそっと彼の隣に腰を下ろす。

 「でも、すごかったよ。直哉の動き、少しだけ……かっこよかった」

 「少しだけ、か」

 「……ちょっと照れるでしょ。だから“少しだけ”ってつけただけ」

 麻希はいたずらっぽく笑いながら、ゆっくりと顔を向ける。

 直哉の髪が風に揺れ、月明かりがその輪郭を淡く照らす。見慣れてきたはずの横顔なのに、今夜はなぜか、見つめるだけで胸が騒ぐ。

 「……怖かったけど、嬉しかった」

 「嬉しかった?」

 「うん。……誰かのために、力を使えたこと。それを直哉と一緒にできたことが」

 素直な言葉に、直哉は静かに目を閉じる。そして次の瞬間――。

 「……俺も、嬉しかったよ」

 そう言って、麻希の方にそっと手を伸ばした。

 「……え?」

 その手が、彼女の頬にふれる。驚きと、そしてくすぐったいような安心が、麻希の心を満たす。

 「麻希。……これからどんな戦いが来ても、お前と一緒なら、乗り越えられると思った」

 「……直哉……」

 静かに、ふたりの距離が縮まる。唇がふれそうでふれない、あまりにも微妙な距離で――。

 「……ありがとう」

 そう囁いた麻希の声は、夜風に乗って流れていく。

 その夜、“ささやき”はなぜかまったく聞こえなかった。代わりに、ふたりの心の中に生まれた小さな灯だけが、静かに燃えていた。

――世界は再びざわつき始めている。それでも、ふたりの絆は、確かに強く結ばれていた。


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