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ささやきの運命  作者: 乾為天女


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第二部:第七章 中立都市ルセリア

 山の稜線を越えた先――石畳の道が緩やかに続く向こうに、堂々たる城壁と煌びやかな尖塔が見えてきた。

 中立都市ルセリア。各国の勢力から一定の距離を保ち、さまざまな種族と文化が入り混じる交易と魔術の中心都市。

「……すごい……」

 麻希まきは自然と足を止め、目を丸くした。魔法の力で宙を漂う船、獣人族の子どもたちが路地裏を駆け抜ける姿、通りには精霊語が飛び交い、鮮やかな織物がひるがえる市場……。まるで絵本の世界に入り込んだかのような光景が、そこに広がっていた。

「俺たち、本当に異世界にいるんだな……」

 隣で直哉なおやも感嘆の声を漏らす。その横顔を見ていた麻希は、不意に胸がちくりと疼いた。

 ――どこか、自分とは違う世界の人みたい。

 そんな感覚。けれど、すぐに彼が振り返って笑いかけてくる。

「ほら、ぼーっとしてると置いてくぞ?」

「えっ……あ、ご、ごめん」

 思わず早足になると、直哉がくすりと笑った。

「緊張してる?」

「……ちょっとだけ」

 麻希は正直に答える。あまりにも大きくて、華やかで、そして自分には場違いなほどの世界。こんな場所に、自分がいていいのか。ふと、そんな不安が胸をかすめた。

 すると、不意に直哉が彼女の手をそっと取った。

「大丈夫。俺がついてる」

「……っ」

 その瞬間、まるで鼓膜のすぐそばで何かが弾けるような音がして、麻希の心臓が暴れ出す。手の温もりが、まるで光みたいに広がっていく。

(なにこれ……こんなに、手って熱かったっけ……?)

「無理しなくていい。……怖かったら、俺の後ろに隠れてろよ」

「……そんな子ども扱い、やめてよ」

 言葉ではそう返したものの、麻希はその手をそっと握り返していた。

 (でも――本当は、すごくうれしい)

 見知らぬ土地で、頼れる人がそばにいる。それだけで、不思議なくらい勇気が湧いてくる。

 ラウラに案内されて辿り着いたのは、ルセリアの高台にある研究塔だった。外壁は蔦に覆われ、入り口には古代語で“記憶の書庫”と彫られている。

 ラウラが扉に手をかざすと、淡い光が広がって錠が外れた。

「ようこそ。ここが私の研究所――“ささやき”の残響を記録した唯一の場所よ」

 二人が中へ足を踏み入れると、壁一面にびっしりと魔道書や資料が並んでいた。天井には星図が描かれ、中央には浮遊する水晶球がゆっくりと回っている。

「す、すご……」

 直哉が思わず声を漏らすと、ラウラは得意げに微笑んだ。

「さあ、まずはこれを見て」

 ラウラが机の上に広げたのは、一枚の古い巻物だった。そこには、かつてこの世界を救ったとされる二人の名――“悠聖”と“紗江”の記録が刻まれていた。

「この二人が、“ささやき”を封じたとされる英雄よ。でも、その一部が世界に残ってしまった。そして今、それがあなたたちに受け継がれている……」

 麻希は記録をじっと見つめていたが、不意に肩を震わせた。

「……じゃあ、私たちも、何かをしなきゃいけないの……?」

「そうかもしれない。でも、全部を背負う必要はないわ。まずは、自分の意思で動くことが大切」

 ラウラの言葉に、麻希は小さく頷いた。

 ただ、その不安が完全に拭えたわけではない。自分は、この世界で本当に何かを成せるのか。直哉のように前を向けるのか。

 そんな彼女の思考を破るように、直哉が小声で言った。

「なあ、ちょっと外に出てみないか?」

「……え?」

「この街の空気、すごく気持ちいい。……お前が元気なさそうだったからさ」

 麻希は驚きながらも、その優しさが胸にしみるのを感じた。

「……うん。ありがとう」

 ルセリアの高台から見る夕暮れは、息を呑むほど美しかった。朱に染まる空、街灯に火が灯り始める石畳の通り、遠くには光る運河。

 二人は並んで腰をかけ、風に吹かれていた。

「……麻希」

 直哉の声に、彼女はそっと顔を向ける。

「俺、最初は自分一人でなんとかしようって思ってた。何かが起きた時、自分の力で乗り越えるって。でもさ、違うんだって気づいた」

「……うん」

「お前がいてくれるだけで、不思議と心が強くなれる。……たぶん、俺だけじゃ足りない。お前と一緒にいないと、俺はきっと、前に進めない」

 そのまっすぐな告白に、麻希は息をのんだ。

 胸が痛いほどに高鳴る。けれど、それは苦しさではなく、なにか温かく優しいものだった。

「……わたしも」

 かすれるような声で、麻希は言葉を返す。

「……あなたがいると、前を向ける気がする」

 二人の目が合い、沈黙が流れる。夕日がその横顔を照らし、影が重なる。

 風が止まり、時間がゆっくりと流れる。

 まるで、何かに導かれるように、二人の距離がすこしだけ近づいた。

 ――その瞬間。

「……ごほん、青春ですね」

 不意に背後からラウラの咳払いが聞こえ、二人は慌てて顔を背けた。

「なっ……!」

「い、今のは……!」

 笑いをこらえるラウラを背に、麻希は恥ずかしさで顔が真っ赤になりながらも、手のひらの温もりをじっと感じていた。

(この手を、離したくない――)

 “ささやき”が響く世界で、確かに芽生え始めた想いがあった。

 それはまだ、言葉にはできない。だけど、確かに、心の奥で育っている。

――この日、ルセリアの空の下で、二人の関係はほんの少しだけ変わった。


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