ウサギを狩る者
「もう大丈夫か?」
しばらく泣いた後、心配そうに蓮が問いかけてくる、すぐさま〈もう大丈夫〉と返事がしたかったが
言葉を発するとまた感情が溢れてくる事を恐れ、私は無言のまま頷いた。
目一杯泣いたせいで少し心も落ち着いてきた、頭が冷静になってくると今の状況がとんでもない事になっている時が付く
自分で決めた罰ゲームが嫌で大泣きするとか、子供でもしないだろう。バツが悪いなんてモノじゃない
どの面下げて蓮と話せばいいのか、いっそこのまま強制終了して家に帰ってしまおうか?とも思ったが、さすがにそれは人間として最悪である
どうしていいのかわからず顔を上げられないでいると、蓮がそっと私の耳元で囁いた。
「凛、お前の負けず嫌いも筋金入りだな、負けたよ……」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。
「そんな事で勝っても嬉しくない‼」
もはや脊髄反射ともいえる超スピードで言い返した私
しかし今の今まで大泣きしてベソをかいていた人間が、いきなりこの反論は明らかにおかしい
逆切れにも程があるし理論破綻も甚だしい、我ながら呆れる程の迷走っぷり
メンヘラ女と思われても致したがないと思える程の乱心ぶりだ。
「じゃあ、どうして欲しいんだよ?」
蓮の質問は当然である、しかしここで腹をくくらなければ私は人間として失格だと思い、私は意を決し言葉を発した。
「……ったわよ、……めん……さい……」
絞り出すように口から出た言葉は収音マイクでも拾えるか怪しい程の小声であった
よく小さな声の事を〈蚊の鳴くような声〉と表するが、この時の私に比べれば
蚊の声でさえもオペラ歌手並の大声量だろう、この期に及んでもまだ素直に謝罪できない自分の往生際の悪さに、我ながらあきれるばかりである。
「は?声が小さすぎて何言っているのか全然わかんねえ」
蓮の反応は至極当然だろう、しかし私はここでもまた豪快にやらかすのである。
「だから、私が悪かったって言っているのよ、ちゃんと聞きなさいよ‼」
馬鹿だ、大馬鹿だ、客観的に見て〈コイツ、何言っているのだ?〉と思えた
この発言はもはや狂人の域である。
「お、おう……それは謝っているのか、怒っているのか、どっちだ?」
あまりの支離滅裂さに戸惑う蓮、この時点で呆れて帰ってしまわない彼のメンタルに敬意を表したいほどだ。
「だから……私が悪かったわ、いきなり泣き出して、逆切れして、ごめんなさい……」
ようやく本来言わなければいけない謝罪の言葉を口にする事が出来た
この一言を言うためにどれほど紆余曲折あったのだろう、我ながら本当に面倒臭い女だ
私が男ならば絶対にこんな厄介な女は選ばない。
「ぷっ、何だよ、それ」
「な、何がおかしいのよ⁉」
これ程の決意を持って口にした謝罪に対し、突然笑い始める蓮、私は困惑と気恥ずかしさで思わず問いかけたのだ。
「だってよ、ゲームで負けた罰ゲームで一言謝るぐらいの事なのに、どれだけ頭下げるのが嫌なのだよ
今の謝罪をした時の凛の表情、もの凄い顔をしていたぞ⁉まるで世界の終わりみたいな……
どれだけ悲壮な決意で謝っているんだよ、凜の負けず嫌いは世界レベルだな、ハハハハハ」
返す言葉が無かった、病的な程の負けず嫌いと天より高いプライド
この二つの主成分で私という人間の80%は構成されている様だ
よく世間で言われている〈勉強のできる馬鹿〉というのはこういう人間の事を言うのだろう。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない、わかっているわよ、自分の事ぐらい……」
「まあ、それが凜の良さだしな」
まるで取って付けたような無理矢理なフォロー、この唯我独尊を地でいくような連にさえ気を使わせる私って……
「そんなに気を使わなくてもいいわよ、自分で言うのもなんだけれど
こんな女相手によく呆れずに帰らなかったわね?私が男だったらとっくに帰っているわ」
「本当に〈自分で言うのも〉だな、別に気を使っている訳ではないぜ
こっちから誘ったのだしな、そして何より凜のそういうところも……いや、何でもない」
蓮が何を言いたかったのかわからないが、私は自己嫌悪で激しく落ち込んだ。
「じゃあ、気を取り直してあっちの【エアホッケー】でもするか?何だったら負けてやってもいいぜ」
「わざと負けるとか絶対に止めなさいよ、そんな真似をしたら本気で怒るわよ‼」
「でも、俺が勝ったら凜は怒るじゃねーか」
「そ、そうだけど……だったら、私にわからない様に、本気風で負けなさいよ、もちろんそれを絶対に私に気づかれたらダメよ、それなら百歩譲って許してあげるわ」
「どんな無理難題だよ、【接待エアホッケー】って聞いた事ないぞ?」
考えてきればその通りである、私の言い分には正当性のカケラも無い。
「じゃあ、勝負事は止めてあっちのクレーンゲームでもやるか?」
私達は入り口付近に数台設置されているクレーンゲームの前に移動する
クレーンゲームの周りには演出上のNPCが大勢いたが、私達が近づくと自然な形で何処かへ去って行った
こういったさりげない演出も凝っている様だ。
言うまでも無いが私はクレーンゲームというモノをやった事がない
クレーンゲームの筐体に近づき、透明なガラスケースの中を覗き込むと、獲得目的である様々な景品が目に入って来る
その種類は様々で子供が喜びそうな昔の駄菓子から高級そうなパソコン周辺機器まで、千差万別といった感じである
しかしその時、私はある疑問が浮かびそれとなく連に聞いてみた。
「これって、獲得しても意味無いわよね?ここ仮想空間だし、雰囲気だけ楽しむって事?」
「いや、獲得した景品は後にドローンが自宅に届けてくれるぜ
ただ物によっては一週間ぐらいかかるらしくって、届いた時には〈こんなの取ったっけ?〉って冷めている事もままあるらしいが」
「どうしてそんな事が起こるの?現在の流通なら遅くとも一日あれば届くはずじゃない」
「このクレーンゲームをプレイする人間自体がほとんどいないんだ
だから商品を獲得してもそのほとんどは在庫が無くて、それこそオーダー発注みたいになるらしい
だからロットの関係で物によっては五週間ぐらいかかるというのが理由だ」
「そこまでしてやるの?」
「それだけこのクレーンゲームというのは根強い人気があるのだよ。獲得した景品も、当人達からしてみればデートの記念とかになるのだろうし」
「ふ~ん、そういうモノかしら?」
「まあ百聞は一見に如かずと言うだろう、四の五の言わずにやってみ」
あまり乗り気ではなかったが、蓮に促されて渋々やる事にした、色々な景品を物色しどれに狙いを定めるか、思考を巡らせていた。
「よし、これにするわ‼」
私がターゲットにしたのはウサギのぬいぐるみ、ちょこんと座り込むその姿が妙に愛らしく感じたからである
見た目的にはテディベアのウサギ版といったところだろうか。
「意外だな、てっきりPC周辺機器のデバイスでも選ぶのかと思ったが?」
「うん、それも考えたのだけれど、そういうのってお金を出せばネット通販で買えるじゃない、折角だしね」
「だが、そのウサギのぬいぐるみだと間違いなく届くのに一週間はかかるぞ、いいのか?」
「いいよ、別に、じゃあ始めるわよ、見ていなさい、一発で仕留めてやるんだから‼」
この豪快なフラグと共にゲーム機にお金を入れ、ケース内のウサギに意識を集中する
もはや気分は凄腕ハンターである、私はタカの様な鋭い目つきで狙いを定めると
慎重にクレーンを動かしミリ単位で可動域と角度を計算しながら獲物を仕留めにかかった。
この私にかかればこの様な単純かつ底の浅いゲームなどチョロいモノよ、その目でじっくりと見てなさいよ、結城蓮‼
こうして私はサバンナの大草原に挑むハンターのごとく、ターゲットのウサギを求めて決戦の狩猟場へと足を踏み入れたのである。