4話 ペンタンとの出会い(回想)
それは日本でのありふれた一日……のはずだった。
「由美さん、今日の日替わりランチのハンバーグ、美味しかったですねー。でも見ました?来週の水曜日の日替わり、カニクリームコロッケみたいですよ。厨房のカレンダーが見えちゃいました。由美さん、好きでしたよね?」
「え、ほんと!?好き好き!!志織ちゃん、来週の水曜日にまた一緒に食べに行かない?」
「いいですよー。私もカニクリームコロッケ好きですし」
そんな会話をしながら、由美は会社の後輩の志織と、オフィスに戻る道を並んで歩いていた。
冷蔵会社の総務部で働く笠原由美は、現在27歳。同じ総務部の後輩、谷口志織と定食屋で楽しいランチタイムを過ごしてきたところだ。
13時前のオフィス街は賑やかで、由美や志織のような事務服姿の女性も多く見られた。
「戻ったら、『ペンタン』届いてますかね?」
隣を歩く志織が、弾んだ声で由美に尋ねてくる。志織の背が由美より高い為、由美は斜め上を見上げながら答えた。
「届いてるといいんだけど……。あー、楽しみなんだけどドキドキするー!!」
本当は今日の午前中にオフィスに届く予定のペンタンだったが、配達が遅れると連絡があったのだ。
「由美さんがデザインした着ぐるみですからね。写真では良さそうでしたから、きっと大丈夫ですよ!」
『ペンタン』とは黒いペンギンの着ぐるみである。
由美の働く丹波冷蔵株式会社が、創立100周年を迎えるにあたり、社長が記念事業を社内で募集したのが数ヶ月前……。当然総務部からも何か案を出さなければいけなくなった。
当時総務部が一番忙しい時期だったこともあり、イラストが上手い由美が代表して、その場しのぎでゆるキャラを作成し、提出したのである。まさか社長がそのゆるキャラを気に入り、着ぐるみまで作ることになるとは……。
一応、ペンタンの『タン』は丹波冷蔵の『タン』からとっているし、裾も波形にしてみたりと、なんとなくの体裁は調えて提出した案だったが、着ぐるみまで実現してしまうとは思わなかった。
結果が社内メールで回ってきた時は、思わず驚きすぎて変な声が出てしまったほどだ。
着ぐるみ化も必然的に企画した由美主導で行われ、何度もメーカーとの打ち合わせを経て、今日ようやく実物が届くのである。
社長も出来栄えを気にしているようなので、届き次第チェックをしなければと朝から意気込んでいた。
会社に着き、歯磨きなどの身支度をしてから部署に入っていくと、すでに着席していた課長から声をかけられた。
課長は男性だが、人当たりのいいフレンドリーな上司だ。
「笠原さん、お待ちかねのペンタンが届いたよ。倉庫に運んでもらったから」
納品書らしきものをペラペラと振っている。
「ありがとうございます!すぐ確認に行きます!!」
「僕も行くよ。社長に報告しないと。谷口さんも一緒にいいかな?」
「はーい。やった!スマホ持っていきましょうね。写真も撮りましょう。映えも確認しないと」
さすが志織。出来る後輩である。
三人で倉庫に向かうと、入ってすぐの棚の横に大きなダンボール箱が見えた。
「これですね。開けてみます」
由美が胸ポケットに差してきたカッターでダンボールを開封すると、まずペンタンの頭が見えた。
「へーっ、いい素材じゃないか。毛並みに艶があって、高級そうに見えるよ。安っぽい着ぐるみじゃ、社長に何言われるかわからないからなぁ」
課長が感心しながらペンタンの頭を取り出してくれた。男手があって良かったと由美は思う。なにしろ、着ぐるみのパーツは想像より重かったりするものなのだ。
パーツを全て取り出し、一つずつ確認していく。
ペンタン、思ったより可愛いかも!
由美は思わず自画自賛してしまった。
バランス的にはわざと頭が大きく、目はクリクリ。お腹はぷっくりで、何よりあざと可愛い表情が目を惹く。
「あ~、やっぱり誰かに着てもらいたいですね。動いているところが見たくなります」
由美が課長に向かって悔しげに話しかけると、ニヤリと口角を上げた課長から、思いがけない言葉が返ってきた。
「だったら笠原さんが着てみたらいいじゃない。笠原さんなら着られるでしょ」
そう言って志織の方を見やり、二人でウンウンと頷いている。
志織は由美と比べて背が10センチ以上高い。ペンタンは小柄な人間しか着られない大きさなので、この三人の中では身長153センチの由美が確かに適任だった。
「由美さん、せっかく由美さんがデザインしたペンタンなんですから、最初に着る権利がありますって」
いやいや、私はむしろ誰かが着ている姿を外から見たいんだけどな……。
しかし、今は他に着られる人がいない。
由美は大人しくペンタンの中に入ることにした。
早速、事務服の上からペンタンを着てみる由美。
スカートにも関わらず派手に動く由美を気遣ったのか、課長が離れた所で待ってくれている為、志織が甲斐甲斐しく着付けを手伝ってくれている。
「これで最後に頭を被せたら終わりですね。課長、ちょっと手伝って下さい!」
「ハイハイ」と言いながら課長が近付き、ペンタンの頭を由美に被せてくれた。
「どう?笠原さん。苦しくない?」
「大丈夫です。私、どんな感じですか?」
手をパタパタと動かしながら見ると、二人が楽しげに笑っている。
「あははは!由美さん、最高ですよ。可愛いです」
由美が調子に乗って、ペンタンでポーズを取り始めると、課長が感心し出した。
「上手いものだな。そのまま笠原さんが中に入ればいいんじゃない?」
「発案から、中の人までやるってすごいですね!あ、写真撮らないと。動画も!!」
志織がスマホを由美に向け、動画を撮り始めた時だった。
「笠原さん、危ない!!」
課長の焦ったような大きな声と、物が割れる音が耳に入った。
振り返ると、まるでスローモーションのようにゆっくりと自分に迫りくる大きな棚が目に映ったが、由美はその場から動けずにいた。