1話 召喚されたペンタン(を着た私)
なんなの!?この状況は!
由美は焦っていた。
気付けば、まるでバッキンガム宮殿のような(よく知らないけれど)豪華な広間に、着飾った彫りの深い顔立ちの人々。
なぜか辺りが見づらく、狭い視界の中でキョロキョロと見渡せば、壁の大きな鏡に映る謎の黒い物体……。
ん?なんでこんな鮮やかな色彩の中に、あんな黒々とした物体が……。あれ?でもなんだか見覚えがある気もするわね。
試しに自分の片手を上げてみれば、鏡の中の黒い塊も、手らしき部分が上に動いたのが見えた。
もしかしなくても、あの黒い塊って私か!これってペンタンじゃない?私、なんでペンタンの着ぐるみ着てるの!?どうりで視界が狭いはずだわ。
まるで舞踏会のような華やかな雰囲気の中、立ちつくすわがままボディの黒いペンギンの着ぐるみ……
って!いやいやいや、シュール過ぎるでしょ。みんな遠巻きに困った顔で見てるじゃん。そりゃそうだよね。私だって困っちゃうよ。
広間を包むあまりの静寂と人々の困惑の目に、由美が動くに動けず悩んでいた時だった。
「コ、コホン、召喚の儀式は無事成功じゃ!皆の者、喜ぶと良い!」
背後から、強引に場を盛り上げようとする年配らしき男性の声が聞こえた。
だが、それは無駄な努力と言えるだろう。皆、依然として引きつった顔を隠そうともせず、誰も声を発しない。
そんな中、由美は今の状況を少しでも把握しようと色々考えていた。
私って、召喚されたんだ。……え?ペンギンの着ぐるみを着たまま!?それはみんな動揺して当然だよね。こんな得体の知れないのが突然現れたんだから……。でも何の為に召喚されたんだろ?私、戦うのとか無理だし、この着ぐるみ、防御力もないからね?
動かしにくいペンギンの体を、なんとか半分だけ向きを変え、「成功じゃ」と言った人らしき方をチラッと見る。
「…………!」
うん、正面から初めてペンタンを見て、衝撃を受けちゃってますね?失礼な。結構可愛いと思うんだけどな。
長老みたいな長いあごひげのおじいちゃんが、声も出せずに目を丸くしてこちらを見ている。まるで魔法使いみたいな格好だ。その奥に、いかにも『王様と王妃様』みたいなコスプレをした四十代位のカップルがいるが、そちらもポカンとした顔をしている。
ここはファンタジーの世界かなにか?私、めっちゃ浮いてるよね。ううう……帰りたい……。
由美は思わず手をバタバタさせてしまった。しかしそれはつまり、ペンタンの手がパタパタ動いたことになるわけで……。
今まで静かに見ていた人々がビクッとしたかと思うと、口々に声をあげた。
「も、もしや、我々に挨拶をなさっているのではないか?」
「な、なんと気さくな!」
「さすが異世界から召喚された方!気品と威厳に溢れた姿……のような気がする!」
ブハッ!!
由美は着ぐるみの中で吹き出していた。
『気品と威厳』って、そんなものがあるかい!ペンタンにあるのは『愛嬌と癒し』でしょ。
しかし、挨拶をされたと勘違いをした人々が、一斉に由美に……いや、ペンタンに頭を下げ始めてしまった。王様や長老っぽい人達まで腰をかがめている。
やーめーてー。私はただのペンギンの着ぐるみを着た、どこにでもいる事務職の女なんですぅー!
由美はペンタンの中から無言の抗議を試みたが、もちろんそれは誰にも伝わらない。
なぜこの場に自分が召喚され、着ぐるみ姿で立っているのか訳がわからない由美だったが、身分の高そうな人達に頭を下げられている今の状況は、生まれつき庶民の由美にはなかなか受け入れがたいものがある。
由美が動揺しながらも、なんとか皆に頭を上げてもらおうと考えていた時ーー。
バンッ!!
扉が開かれる大きな音が響き、スラッとした体型の男性が流れるような動作で広間に入ってきた。
黒いマントのようなものを身に纏い、腰には長い剣をさげている。
あら、背が高い男の人ねー。9等身位ありそうな顔の小ささ。というか、見たことないほどのすごいイケメンじゃない。ペンタンの中からじゃなければ、もっと良く顔が見えるのに……残念!
突然の長身イケメンの登場に、一気にテンションが上がる由美。
ミーハー心で、ついその男性から目を離せずにいたのだが……。
あれ?もしかしなくても、めっちゃ怒っていらっしゃる?顔も雰囲気も、もの凄く怖いんですけど……。腰の剣でいきなり斬られたらどうしよう。ペンタン、常に笑ってるみたいな顔だから、ヘラヘラするな!とか言って、刺されちゃったりして……。ひえぇ。
由美がペンタンの中で身をすくませていると、冷気を感じるほどの冷たいオーラを振り撒きながら、良く通る声でその男性が言った。
「父上、召喚なんて馬鹿なことは今すぐ止めて下さい!」
「しかし王子……」
長老みたいな人が口を挟んだが、イケメンは更に強い口調で続きをかき消してしまう。
「私は妻などいらない!」
イケメンはキッパリと宣言すると、こちらに向かって歩き出した。
うわ、こっち来たよ!召喚を止めろとか言われても、私もう呼ばれちゃってるんだけど……。しかもあのイケメンって王子様なの?私、あの王子様の奥さんになる為にここに呼ばれたってことか。ーーあんな怖い人と結婚なんて、絶対ムリ!!
由美は近付いてくる王子に恐怖を感じたが、ふいに頭を下げたままの状態で放置されている回りの人達のことを思い出した。由美にだけでなく、王子に対して敬意を表しているのだろうが、それにしても体勢が辛そうだ。
とりあえず体勢を戻してもらおうと両手でジェスチャーをしてみることにする。なんだかペンギンの怪しい踊りになっている気もしたが、ペンタンの可動域が狭いので、それは仕方がない。でもなんとか通じたようで、皆おずおずと頭を上げてくれた。
良かったと安心したのも束の間、隣から強烈な視線を感じる。王子が初めてペンタンの存在に気付き、こちらをジッと見ているらしい。
由美も恐る恐る王子を見つめ返すと、王子も最初は驚いたような表情をしていた。しかし、みるみるうちに視線が柔らかくなったかと思うと、なんと王子が艶やかに微笑んだのである。
広間を包んでいた冷気も、いつの間にかすっかりおさまっていた。
ええっ?ペンタンを見て笑った……?というか、この人笑えるんだー。
王子は動揺する由美の前に跪くと、なにをトチ狂ったのか、うっとりとした甘い声で懇願し始めた。
「ああ、なんて愛らしい私の花嫁!どうかこの手をお取り下さい」
あ、愛らしい花嫁!?おいおい、急にどうした?さっきまでのクールな態度と違い過ぎて、ギャップについていけない……。あんなに怒ってたのに。
由美は戸惑ったが、なんとなく勢いで差し出された王子の手に自分の手を乗せてしまった。まあ実際は、由美の人間の手ではなく、ペンタンの黒い毛並みが艶々とした平べったい手なのであるが。
王子は乗せられたペンタンの手を、もう片方の自分の手で撫で始めた。
「なんという手触り!いつまでも触れていたい……」
しかも頬擦りをしたかと思えば、ペンタンの手にチュッと口付けたのである。
ひょえーーっ!何してくれてるんですか!!イケメンのご乱心か!?
予想外の展開に、由美はペンタンの中で泣きそうになっていた。