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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
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第3話(2)

 ライターをテーブルの上に立てて指先で玩びながら、目だけあゆなに向ける。顔の前で組み合わせた両手に顔を寄せて、あゆなが少し目を細めて俺を見た。指先に挟まれた煙草から紫煙がたゆたう。

「短気だし、すぐムキになるし、直情的だし」

「それってただの悪態ですよね?」

「……わたし、口が悪い自覚はないわけじゃないのよ」

「あるんなら直してはどうでしょうか」

「無理」

 俺の提案は考慮の余地なく却下された。

「あ、そ……」

「でも、怒らないわよね……」

「はぁ?」

 煙草の背中を叩いて灰を落とす。あゆなは煙草を一口吸ったきり吸おうとはせずに、さっきの俺のように灰皿の底を煙草の先でそっとなぞった。

「怒られたいの?」

「わけないじゃないのよ。じゃないけど」

 そこで言葉を途切らせたあゆなの顔が、一瞬だけふっと泣きそうに歪んで見えてどきりとする。

「あゆな?」

「……何でもない」

 何だか、いつもと違うあゆなに見えて調子が狂う。

 顔を俯けて煙草を灰皿に押し付けたあゆなは、髪をかきあげて顔を上げたときには泣きそうに見えた表情が姿を消していた。

「やだな、わたし、酔ってるのかな」

「馬鹿言うなよ、その程度で酔ってたまるか」

「……どういう意味?」

「あゆなにとって酒は水」

 言って、思い出したようにグラスに口をつけた。あゆなの言いたいことが、悪いんだけど俺にはさっぱりわからない。

 ただ、今までは全く感じたことのなかった微妙な空気が……俺とあゆなの間に流れているような感じだけはする。

 何かが起こっても、おかしくはない、ような。一歩間違えれば、危うい駆け引きを孕みそうな……。

(馬鹿。相手はあゆなだぞ)

 そのあゆなは、俺のことを好きだと言ってくれている。

 キスも……二度。

 あゆなの向こう、奥のテーブルについているカップルの、彼女の背中が笑うように揺れる。テーブルの上に身を乗り出すように両肘をつき、斜向かいに座る彼氏に身を乗り出していた。テーブルの上に重ね合わせられる手と手。一瞬を惜しむように見つめあう視線。

 その姿に、幸せそうに微笑む由梨亜ちゃんの姿が浮かんだ。

 和希と由梨亜ちゃんは、似合っていると思う。それは、本当に、素直に……そう、思うんだ……。

「……今日さ、恵理に会ったんだ」

 何に対してか不安定に揺れる胸中を誤魔化そうとするように、俺は突然話題を変えた。

 しゃんとしろ。あゆなと俺は、友達だ。

「エリ?」

 突然出て来た知らない名前に、あゆなが目を瞬く。

 ああ、そうか。あゆなは恵理のことなんて知らないんだった。

「えーと、昔友達で。一矢とか、あと陸とかと良く遊んでた頃にいた仲間の一人なんだけど」

 専門時代に仲の良かった水沢陸太郎の名前を出すと、あゆなは「ああ。そうなんだ」と納得したように頷いた。

「『好きな人なら、恋愛じゃなくたってたくさんいる』って言われた」

「……そうね」

「家族だって、クロスのメンバーだって、他の友達だとか……あゆなも」

 あゆなが沈黙して目を伏せる。俺は少し、残酷な話をしているのかもしれない。

「好きな奴なら、いろいろいる。そういうところ、大切にすればいいって。……ホントに、諦めようって思ってるよ」

「そう」

「由梨亜ちゃんが来てさ、今日」

 少し、苦笑いのような表情になった。あゆなが目を丸くする。きりっとした美人顔のあゆなだけど、こういう表情ひとつで妙にあどけなくなった。

「どこに?」

「レコーディングしてる、スタジオに」

「和希に会いに?」

 無言で頷く。煙草を灰皿に押し付けて椅子に背中を預けた。

「すげぇ幸せそうでさぁ」

 あゆなが複雑な顔をして黙り込む。

 構わず俺は、俺にしては珍しく淡々と続けた。何となく視線は、さっきのカップルの方に向けたまま。

「笑顔の一つ一つとか、視線とか。そういうの全部、和希の為だけって感じして。考え過ぎかもしれないけど、少なくとも俺にはそう思えて」

「……」

「仕方ねぇじゃん、そんなの見ちゃうと。……あゆなの言う通り、まだ忘れてるわけじゃ全然ないかもしれない。だけど諦めてる」

 言ってから、不意にあゆなに視線を向ける。

「そう言やさ、話変わるんだけど」

「うん」

「なつみにも会ったんだよ」

「なつみさん? 元気?」

「元気じゃない。あゆな、なつみと連絡とか取ってないんだ?」

 ふるふるとあゆなは顔を横に振った。

「取ってないけど」

「あゆなさぁ、なつみのこと気にしてやって欲しいんだけど」

「え? わたしが?」

「だってクロスのライブで何度も会ってんじゃん」

「そりゃそうだけど」

「じゃあ友達じゃん」

「あのねえ……」

 両腕をテーブルに半ば投げ出すようにして、あゆなががっくりと俯く。長い髪が簾のようにさらーっと落ちた。

「わたしとなつみさんじゃ、全然タイプが違うのよ」

「別にいーじゃん違くたって。嫌いなの?」

「誰もがあんたみたいに、誰とでもアホみたいに友達ムードになれると思ったら大間違いなのよ。世間には好き嫌いの問題じゃなくて、単純に合う合わないってのがあるのよ」

 馬鹿になったりアホになったり、俺と言うのも大変忙しい。

「あほゆーな」

「あほ。わたしとなつみさんじゃ、ニ人で会ってたってお互い気を使ってしょーがないわよ。わたしからいきなり電話なんて来たら、なつみさんの方が腰が引けるんじゃないの?」

「そう?」

「そう」

 駄目か。

 あゆなって口悪くて態度悪くて意地も悪いけど、でも人のこと良く見てるし気がつく奴だから。

 あゆながそばについていてやれば、なつみのことも安心なんだけどなー。

「やっぱ、俺が気にしてやるしかないかな……」

 頬杖をついて、独り言のように呟く。視界の隅で、あゆながふっと顔を上げた。

「啓一郎が?」

「他にいねーじゃん。放っておくわけにいかねーもん」

「……それはね……そうよね……」

「だろ。何してやれるわけじゃないかもしれないけど」

 俺だって別に暇なわけじゃないし。

 たまにどうしてるか電話かけてみたり、どっか誘って話聞いてやるくらいが関の山なんだろーけどさ。

「美保だって今、結婚の準備でかなりバタバタしてるしさ」

 他に友達だっているんだろうが、なつみは全てにそつがなくて……そつがなさ過ぎて、実は心許せる友達があまり多くはないんじゃないかと思う。

 出来過ぎている彼女に対して周りが抱く幻に、なつみも自分の本音を曝け出せてないんじゃないかって気が。

 あゆなは、少し沈黙して俺を見つめていた。

 その表情がさっきの……何か、言いかけた時の泣き出しそうな表情ととても良く似ていて、何故だか居心地が悪いような気がする。

「あゆな?」

「……ううん」

「何だよ。何か今日、お前、変」

「そうね」

 小さく頷く。ふいっと俺から視線を逸らしたあゆなは、それから小さく……言った。

「啓一郎は」

「え?」

「……優しいから、難しいわ」

 難しい?

 困惑顔の俺に、あゆなは泣きそうな笑顔のまま繰り返すようにもう一度、言った。

「優しいから。……痛い」

 揺れる、キャンドルを模した青い光。

 仄かにあゆなの顔を照らす。

 濡れたようなその瞳に、戸惑ったような俺の姿が映っていた。


          ◆ ◇ ◆


 ピピピピピピピ……。

 ばしんっ。……がしゃーんっ。

「……うー」

 唸りながら、まだ寝惚けた状態のまま手探りで目覚し時計を探す。いつもあるはずの場所に慣れた感触が感じられず、俺は仕方なく目を開けた。……ない。

 もぞもぞと布団から這い出し、ロフトになっているそこから下を覗き込む。

 ご臨終のようだ。止めたつもりが、叩き落していたらしい。

 床に叩きつけられた目覚し時計は、床の上でコッパだった。あーあ。

(買わなきゃ……)

 ロフトの小さな柵にぐったりと前のめりに寄りかかって、ため息をつく。代わりに携帯を引き寄せると、時間は九時半だった。

「ふわーあ」

 大あくびをかましながら、ごろんと寝返りを打って天井を見つめる。昨夜のあゆなを思い出して、俺は少しぼんやりとした。

 少し様子がおかしかったように思えたけど、あれから少ししたらいつもの調子を取り戻していた。結局何が言いたかったのか、俺には良くわからない。

 ――優しいから。……痛い。

 何となく。

 何となくだけど……あゆなって、別、だったんだよな。俺にとっては。

 俺だって、まぁ確かに鈍いし馬鹿かもしれないけど、一応全くの無神経ではないはずなので、俺に好意を寄せてくれる女の子に……それこそ、告ってくれたコとかに対して気を使わないってことはない。言って良いこと悪いことは考えているつもりだし、そういうふうにこれまでやってきたはずだ。

 なんだけど……。

 あゆなって、そういう……かつて好きになってくれたような女の子と違って、そういう気とか使わなくて良い感じで。

 俺に好意を持ってくれてるってのは言われて頭では理解はしてるけど、多分感覚では未だに良くわかってないんだと思う。どっか現実感がずっとなくて、だからこそ不意を突かれると逆にどきっとしたりもするわけだが。

 ……あゆなとは、仲が良いから。俺のこと、良く知ってるってわかってるから。

(甘え、てるんだろうな)

 多分。

 あゆななら、大丈夫って勝手に思ってるところがあって、だからあゆなの気持ちに対して、何か答えなきゃいけないのかなとかそういうふうにさえ考えられなくて。

 ……あゆなに、甘えてるんだろうな。

(答えなきゃいけないのかな)

 あゆなに対して、何か答えを出さなきゃいけないんだろうか。それを望んでるんだろうか。

 体を起こすと、ぐしゃぐしゃと髪に手を突っ込んで、ヘッドボード代わりの台から煙草と灰皿を引き寄せた。

(でも、はっきり要求されたわけじゃないし)

 って言うのはずるい逃げだと言うことも良くわかっている。

 けど……。

 のそのそと咥えた煙草に火をつけた。眠い目に煙が沁みて涙が出る。痛い。

 ……あゆなに対して、はっきり答えを出したくなかった。出せると思えない。

 今答えを出せと言われれば、俺は頭を下げるしかなくなる。諦めると決めたと言ったって、由梨亜ちゃんに気持ちを残してる俺は、他の女の子をそのまま好きになれるほど器用じゃない。

 そりゃあ、振ったからと言って友達としてのあゆなまでも失うとはこれまでの関係からして思いにくいんだけど……。

(ずるいんだろおなあー、結局)

 嬉しかったりもするから。

 朝日の注ぐ部屋をゆるゆると舞う煙に目を向けたまま、ぼんやりとそんなふうに思った。

 今すぐ応えられるわけじゃない。

 でも嬉しい気持ちは確かにあるから、結局自分でどうしたいのか良くわからない。

 ……傷つけたいわけじゃないんだ。振り回しているつもりがあるわけでもない。

 ぶっちゃけて言ってしまえば、「もったいない」気がするのも本音ではあるんだろう。

 でも、そんなしょうもない理由で、宙に浮かせて良いわけじゃないこともわかってる。

(……考えたくない)

 結局そうして逃げたくなってしまう。

 指に煙草を挟んだまま、くたっと後ろに倒れた。壁にゴンと後頭部をぶつける。……朝から何やってんだかな。

「寒ぃなぁ」

 部屋の中なのに吐く息が微かに白いのは、煙のせいばかりじゃないだろう。

 全然関係ないことを呟いてみて、俺は灰皿に煙草を押し付けた。

「行くかあー」

 レコーディングの続き、だ。

 ぶるんと頭をひとつ振ってあゆなのことを頭から追い払うと、俺は壁から背中を起こした。


          ◆ ◇ ◆


 またも一番乗り……かと思ったら、スタジオには既に武人が来ていた。ベース録りが終わってから学校へ行くと言う武人は、制服姿だ。

「早いじゃん」

 挨拶も忘れて真っ先にそんなふうに言うと、武人はちょっと苦笑いのような表情を浮かべた。

「昨日、迷惑かけまくってるし」

「んなん、しょーがないじゃん」

 言いながら、スタジオの中に入って荷物を放り出した。

 床にべたんと座ってそのまま転がると、寝そべったままの低い位置から、パイプ椅子に脚を組んで座っている武人を見上げる。

「今日は? 平気そう?」

「多分」

 顔色はだいぶ元に戻ったみたいなんだけど。

「メンタルな仕事ですよね、何か」

「はーいー?」

 さらっさらの前髪を指先でつまんでいじりながら、武人が天井を仰ぐ。俺は床の上で両腕を広げた。思い切り幅を取って大の字になって伸びをする。

「しょーがねーんじゃないのー。って言うか、武人はそうそうメンタルの影響受けないから平気だと思う、俺」

「……俺に感情の起伏はないって言ってます?」

「そう聞こえるの?」

「聞こえます」

「じゃあそうなのかなあ」

 ひっどいなーと武人はくすくす笑った。それを見て、ちょっと安心する。笑顔が出るようなら、大丈夫だろうか。

 もしかすると俺の方が今は無駄にテンション低いかもしれない。

「武人はマインドコントロール、出来てるから。基本的には」

「そうかなあ。啓一郎さんが出来てないだけなんじゃ?」

 笑顔で爽やかにそういう毒吐くのやめて下さいます?

「あんたをそういうコに育てた覚えはない」

「そうですか? 俺、クロスのメンバー見て育ってますからね」

 誰に似たんだろう俺誰でも嫌なんだけど、などとほざいている武人のパイプ椅子に、そのままの姿勢で軽く蹴りを入れる。

「解決?」

 あれこれ突っ込むのもどうかと思って、結論だけを下からの視線のまま短く問うと、武人はまた苦笑を浮かべた。前髪に手を突っ込んでかきあげる。

「俺、別れちゃいました」

「はっ?」

 それは、爽やかに冷静な顔で言う話じゃない。

「何でまた」

 そう振られれば、やはり気になるのが人であるはずだ。そして俺は人だ。よって、気になる。

 振るからには、多少聞いても良いんだろう。問い返した俺に答えようと武人が口を開きかけたところで、レコスタの方からの扉のロックが動いた。ので、ニ人して口を噤んで視線を向ける。

「あ、おはよう。啓一郎くんも来てたんだ」

「おはようございます。今来たばっかです」

 顔を覗かせたのは広田さんで、俺は慌てて体を起こした。広田さんは別段気にするでもなく、笑顔を武人に向けた。

「学校もあるし、始めちゃおうか。啓一郎くん、どうする?」

「とりあえずこっちで他のニ人待ってから、そっちに行きます」

「そう? わかった。じゃあ武人くん、準備してスタジオ入って」

「はい」

 まだ十時にはちょっと早いけど、武人が既にいて、しかもこの後学校に行くんであれば早く始めて早く終わるに越したことはない。

「んじゃ、行って来ます、俺」

「おう。集中砲火浴びて倒れないように」

「……はは。善戦しますよ」

 昨日の広田さんの豹変を思い出して激励すると、やっぱり武人も僅かに引きつったような顔でそう返した。ベースを肩に引っ掛けて扉へ向かいかけ、こちらを振り返る。

「ああ……」

「あ?」

「一矢さんが、事情知ってます」

 さっき途切れた話の続きらしい。

「ああそう?」

「んじゃ」

 武人が昨日とは打って変わった明るい表情でレコスタに姿を消して、間もなく和希がリハスタに入ってきた。

 まだ眠気の残る頭で、ぼんやりと和希に視線を向ける。

「おは……おやすみの方が良い?」

「何が?」

「挨拶」

 おやすみと言われたら本当に眠ってしまいそうなのでやめてくれ。

(昨日あの後どうしたのかな)

 由梨亜ちゃんと。

 デートかな。デートだよな。デートですよね。

 あー、考えるな、俺。

 一人で悶々とする俺に構わず、さっきまで武人が座っていたパイプ椅子を引き寄せた和希は、ギターケースからギターを取り出した。足を使ってスタンドを引き寄せながらレコスタの方に顔を向ける。

「武人、もう入ってるんだ?」

「うん。ってか今さっき」

「あっち、顔出してきた方が良いかな」

「揃ってからで良いと思うよ」

 レコーディングは始まってるんだから支障はないし。

 そか、と和希は素直に頷いてチューナーを取り出した。顔を俯けて親指で六弦を開放弦で弾きながら、ちらりと目線を向ける。

「今日は調子良さそう?」

「多分」

 なら良かった、と小さく呟く声が聞こえた。仰向けに転がっていた俺は、ころんと体の向きを変えてうつ伏せになる。

「なつみに会ったよ」

 ふいっと言った俺の言葉に、和希は動きを止めた。切れ長の瞳に驚きを浮かべて俺を見る。

 返す言葉が浮かばないように、沈黙を保ったままの和希に続けた。

「元気だから。大丈夫だからさ」

 その顔に、苦い表情が浮かんだ。やっぱり、気にしていたらしい。ふっと顔を伏せる。伸びかかった前髪がその横顔を覆って俺から和希の表情を隠した。

「……そう」

「気にしてるかと思って」

 しばらく沈黙を守る和希に、俺も口を噤んでいた。やがて、俯いたままで和希が口を開く。

「学校でさ、時々見かける。痩せたなって思うけど、俺が言って良いことじゃないような気がして、声をかけるのも控えてるんだ」

「うん。その判断は正しいと思う、俺は」

 頷く俺に、和希は少しだけ顔を上げた。髪の間から目が微かに覗く。

「さんきゅ」

「……」

「俺さ……」

「うん」

「……振り回してたのかな、なつみのこと」

 否定は多分、出来ない。

 和希に悪気がないのは全然わかってることなんだけど、でも和希の態度見てたらなつみが期待するのも……わからなくはないから。

 なつみが離れられなかったのも仕方ないと思うほど、和希となつみは仲が良かった。

 そこまで考えて、何かがシンクロする。――俺、もしかしてあゆなに、同じことをしようとしてる?

 和希の『忘れられない人』。俺は知らないし知りようもないし知るつもりもないけど、和希の言葉から、俺が由梨亜ちゃんに対するのと同じ……『諦めていた』のは、わかる。ただ、忘れられなかっただけで。

 和希にとってなつみがどういう存在だったのかは俺には正確なところはわからないけど、和希は人を傷つけるような言動を物凄く……本当に、凄く嫌がるから、ついつい優しくしてしまってるだけで、俺にとってのあゆなとは別なのかもしれないけど。

 ……結果として。

 同じ、なのかな。

「和希、なつみのことは好きにはなれなかったんだ?」

 いつだか似たようなことを聞いた気がする。

 と言うか、何度か聞いたかもしれない。

 けれど和希の答えはいつも同じだった。「なつみと付き合うことは、ないよ」と言うその言葉だけ。……これまでは。

「昔は」

 だけど、今日の返答は少しだけ形を変えていた。視線を床に固定したまま和希が言う。

「好きかも知れないなと思ってたことはあったんだ」

「……えっ?」

 初耳。

 思い切り聞き返す俺に、和希がようやく顔を上げた。苦笑を浮かべている。

「そんなに食いつくなよ。本当に昔だよ。まだ高校入って最初の頃とか、そのくらい」

「ああ、そうなんだ」

「うん。俺、誰か好きになったこともなかったし、一緒にクラス委員やったりしてたから。まぁそれは三年間ずっとそうだったんだけど」

「うん」

「だからそんなふうに考えたこともあったよ。でも、自分がちゃんと好きな人が出来てみて、違うのがわかっちゃったからさ。……その前になつみと何かあれば、もしかすると少しは違ったのかもしれないね。だけどそうはならなかったから」

「ふうん」

「別の人を好きだと思ったままで、なつみの方に視線を向けることが俺には出来なかったし、出来そうもなかったから。なつみが駄目だったわけじゃないんだ。他の誰かが嫌だっただけなんだよ」

 今の俺は、和希の言っていることが少しわかる気がする。

「ただ傷つけるの嫌で……本当はそんなの、優しくないのもわかってる。それでもやっぱり突き放すことがどうしても出来なくて、なつみがそばにいるのを何となく……ずるずると認めちゃってたんだろうな。結果として彼女にとって最悪の形になっちゃったけど、俺がなつみを見るつもりがないってわかってる時点で、本当はこうなることくらい最初からわかってたんだよな」

 言って和希は、ギターを抱え込んだ。ヘッドに両手を乗せ掛けて、顎を軽く寄せる。

「だから今はやっぱりもう、俺はなつみに対しては何もしてやっちゃ、いけないんだなと思ってる」

「うん」

「啓一郎、さんきゅ。少し、気に掛けてやって」

「うん、まあ、一応、友達だし……。努力する」

 うつ伏せの姿勢のまま、無意味に両足をバタバタしている俺に、和希がようやく笑顔を見せた。

 それからまたギターを抱え込んで指先で開放弦のまま、ビーン……と弾く。

 これからレコーディングってのにテンション下げる話をしてしまった。そう後悔した俺は、更にテンションが下がる出来事を思い出した。

 オーディション以来続く、無言電話。

「全然話変わるんだけどさぁ、和希、最近ヘンなこととかない?」

 俺の言葉に、弦を弾く指を止めて和希が顔を上げた。それから視線をギターに戻し、ヘッドのネジに指をかける。張り替えるつもりなのか、ぐりぐりと緩める方向に回しながら問い返して来た。

「変なこと? トートツに何の話よ?」

「俺ねぇ、最近イタ電多いんだよね」

「イタ電? ヘンタイ電話とか?」






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