第16話(3)
渋面でそうぼやいてから、武人は気を取り直したように肩を竦めた。
「ま、おかげで今日はウチの学校から結構流れてるみたいですよ。近場ですしね」
そうだよなあ。渋谷と下北ならかなり近いからな。
「学園祭みたいじゃん」
笑う和希に、武人が苦笑いを浮かべた。
「まじでそんなノリになっちゃったらすみません」
「いや、歓迎」
笑いながら窓を開ける。開けて、思わずがたっと仰け反った。後ろで一矢が不審な声を上げる。
「どしたん」
「……人がいる」
「え?」
そりゃあ人くらいいるでしょう、と答えながら隣に並んだ一矢も、下を見下ろして微かに目を丸くした。
楽屋についている窓からすぐ下は駐車場で、そこに俺たちが乗ってきた事務所の車や、田波さんが乗ってきた器材搬入用の車だとかが停まっているんだけど。
その駐車場の出入り口に女の子の姿が見えた。四人。多分知らない人。
「……」
「……」
「……単に誰かと待ち合わせてるんだったりして」
いや、その可能性は大いにあるんだけ……。
「あー」
不意に下の一人がこっちに気がついた。声を上げる。つられたように他の三人が顔を上げた。
「けぇちゃーん」
「かーずやー」
ご丁寧に名前を呼んで手を振ってくれちゃったり。思わず一矢と顔を見合わせる。
「何してんの?」
窓から体を少し出して聞いてみると、彼女たちは何かくすくすと笑い合ってから再び顔を上げた。
「入り待ちー」
えええ?
「もう入っちゃってますけどー」
「入っちゃったんだねー」
唖然とする俺の後ろから和希が「どしたの?」と顔を覗かせた。
「かーずきー」
ちゃんとメンバーみんな把握してるんだろーか。
「誰?」
名指しで手を振られたので、和希も困ったように笑いながら手を振り返しつつ尋ねる。
「知らない」
「知らない?」
「入り待ちだって」
「……お客さんっ? 入り待ちって何のっ?」
「俺らの?」
真顔で問われたので真顔で答えると、和希はわけわかってない顔のままでこっちを見た。
「入っちゃってるけど。もう」
……いや……その通りなんだけどさ。
「ライブ、来てくれんの?」
一瞬だけ顔を覗かせて和希がすぐにまた奥へ引っ込むと、つられたように一矢も片手をひらひらさせて窓から離れた。俺も引っ込む前に尋ねてみると、「行くーっ!」と言う威勢の良い返事が返ってくる。嬉しかった。
「んじゃ、後で」
今まではワンマンやるんでもいたことのなかった、『俺たちが来るのを待っている人たち』。
それが、今まではワンマンなんか出来るわけがなかったハコで、数えられる程度でもそういう人がいて。
……すげー、嬉しい。寝る間を惜しんで地方を引きずり回された甲斐がある。
「何ですか? 入り待ち?」
Tシャツの上に羽織っていたシャツを放り出した武人が、持っていたペットボトルのキャップを捻りながら首を傾げた。
「うん」
「ひぇー。何のため?」
聞くなよ、俺に。
「城西じゃないのかな? 高校生くらいっぽかったよね」
「ああ、若そうだったね。でもだからって城西とは限らないだろうけど」
「そりゃまあそうだけどさ」
俺と和希の会話を聞いて武人が嫌な顔をした。
「やだな、知ってる人だったら」
「……知ってる人だと何で嫌?」
「知ってる人間が入り待ちってわけがわからない」
確かに。
くすくす笑いながら、とりあえず会場の方へ足を向けることにする。まだスタッフが準備してるだろうから、リハには早いけど。
「おはようございまーす」
「よろしくお願いしますー」
ここでもとりあえず挨拶を交わしていると、一矢のドラムセットを運び込んでいたらしい田波さんがバスドラを持って入ってきた。一矢がそちらへ足を向けるのを見ながら客席に足を向ける。
いつの間に来ていたのか、澤野井さんがステージ下でカメラマンの人を連れてさーちゃんと話しているのが見えた。物販でロードランナーも来るから、師匠ももうじき来るだろうし、ソリティアの三科さんも来ると聞いている。
「……広いな」
「広いよ」
キャパが200くらいのコヤに数十人集めるのだって、アマチュアバンドには大変なことだ。
逆に、本当に最初のうちはお義理で友達が来てくれるにしたって、当たり前だけどずっとなんか来ちゃくれない。ライブを重ねるごとに、つき合いで来てくれてた人は減り、バンド歴が長くなるごとにそれは顕著になる。
……数十人だって、自発的に来てくれる人間をかき集めるのは、大変なことなんだ。
だけどそれを繰り返し、一人増え、二人増え、印象に残してくれる人が少しずつでも増えていけば、数百人になってくる。それがまた増えて数千人。……数万人。
果てしないや、ほんと。数千人って言葉でくらくらくるよ。
今はまだこの500弱のキャパが精一杯。だけどいつの間にか、こんなトコでやらせてくれるようにはなったんだ。
――去年の年末のワンマンは、キャパはこの半分以下だった。
「あ、教授、来た」
和希が言って歩き出す。ステージ下に、境教授が姿を現すところだった。
俺だっていろんなライブを見ている。これ以上のキャパにだって客でなら当然行っているし、集客が数千の規模のアーティストは場合によっては知らないことだって多々ある。
だけど、誰もが認知するようなミリオンアーティストになることが、半端じゃなく容易じゃないことなんだ。
世の中にアーティストなんか、掃いて捨てるほどいる。CMで流れたって、タイアップとったって、片っ端から忘れられていく時代。
数千人……いや、数百人のキャパだって、客として行けば大したことのない規模でも、自分が集客しなければならず、リアルに想像するとこれはやっぱり怖い。
日常生活の中で、自分の為に数百人……数十人だって自発的に集まってくれるようなことは、まず、ない。
「うまくいくかなあ」
ギャラリーの真ん中辺には、前と後ろを分けるような小さな柵がある。その柵に前のめりに体をもたせかけながらステージを見つめる俺に、隣で軽く片手を柵にかけた武人が、同じようにステージに目を向けながら吐息した。
「ステージは、大丈夫でしょ」
「そうかなあ」
「大丈夫ですよ。本当に大丈夫じゃなかったことが今までない」
あっさり言い切るのが武人らしくて笑う。
そりゃね……そうだけど。
でも、今日はいつもと勝手がいろいろと違うからな。
「……へっへー。啓一郎さんと和希さんが楽しみだなあ」
くそ……。
「でも、そもそもどっちが言い出したんです? どっちも嫌がってるけど」
「元は、俺。したら和希が『はあ? 俺がそうなら当然お前もでしょ』って扱いで」
「あー、なるほどね……美保さんも久々に出るしね」
そう言うそばから美保が入って来た。教授のセッティングを手伝っていた和希と何か話し、一緒に出て行く。多分美保の搬入にさらわれたんだろう。
「さ・て・と。俺らもセッティング、しますかぁ」
「……いきますかあああ」
にやーっと武人が笑うのを横目で見て、俺も観念したように頷いた。
◆ ◇ ◆
「へぃへー、は、は、はー……」
……などと書くと壮絶に馬鹿みたいだけど、リハでの声出し。
「おっけ?」
リハのスタンバイをしたメンバーをぐるっと見回して、確認する。頷くのを見て、改めてマイクに向き直った。
「じゃあ……よろしくお願いしまーす!」
勢い良くマイクに向かってご挨拶。感度絶好調。
キックから順に、PAの人が音を作っていく。自分の番はまだなので、すとんとステージから降りて外音を聞くことにした。さーちゃんが客席のド真ん中で腕組みをしてステージを見ている。後ろの壁際では三科さん。……こーゆーのってプレッシャーだろうなぁ。
さーちゃんの隣に立って聞いている間に出来上がっていく一矢の音。バランスは悪くない。抜けも良い。難を言えばもう少しスネアのスナッピィが欲しい。
一矢に続いて武人のベース。武人っぽい、自己主張激しくないのに押さえるトコをしっかりおいしく押さえる……存在感ある音。
路上をやりまくるにあたって、一番伸びたのは武人じゃないだろうか。存在感ある音を出すようになった気がする。まだ若いから、多分どんどん伸びるだろう。
続いて和希のギター。相変わらず、ディストーションかかっててもどっか優しい。
ウチのバンドは、多分総じて俺の声をメインに持ってこようとするメンバーで音作りなんだろうと思う。
だから、かなり自己主張の激しい楽器であるエレギが邪魔になることがまずない。ギソロもある曲がないわけじゃないけど、ギタリストが曲をほぼ提供しているにしては珍しいことにほとんどの曲がなくて、ギターが前に出よう出ようとはしない。「オケなんだ」と言う和希のポリシーみたいなものを感じる。
そして久々……美保のキーボード。美保の弾く音や選ぶ音は、いつも実はどこか控えめだ。気品がある、とでも言うんだろうか。だから似た帯域にいてもギターを邪魔しない。ギターもキーボードを邪魔しない。調和、って感じ。
……こうして見てるとクロスってのは、まとまりがあるんだな、多分。凄く。
互いが互いの空気を読んでる。
互いを立てようとする音が、調和に繋がってまとまったオケってのを生み出してる。
それから最後にマニピュレーターの教授。当たり前だが、ウチの場合、美保と教授が同時にステージに立つことはない。
「じゃあ橋谷さん、声、お願いします」
「はーい」
このメンバーに会えて良かった。
それは、本当に、心から。
まだまだ……誰も名前を知らなくても。
(いつかは……)
今はまだ見ぬ高見へ。
――――――みんなで。
◆ ◇ ◆
ざわざわ、と人の声が聞こえる。
十八時四十五分。
スタートまであと、十五分。
「啓一郎、緊張してるの?」
楽屋でぼーっと椅子に座っている俺に、入ってきた美保が小さく笑った。
「……してる。すっげぇ」
「ま、珍しいライブ、見せてよね。あら……? 武人、起こした方がいーんじゃないの?」
どうしたらこの緊張感の中で眠れるんだよ? ホント、武人って凄ぇ。絶対大物、こいつ。
「たーけー……」
美保に言われて、楽屋の隅で壁に寄りかかって真剣こいて眠り込んでいる武人を起こそうと立ち上がったところで、ドアが開いた。和希と教授が仲良く戻ってくる。
「あれ? 武人、寝ちゃったの?」
「今起こすところ」
「どうしてこれから本番始まるよって時に眠れるの?」
「俺もその辺についてはぜひしみじみと語り合いたいところだよ」
言いながら武人の方へ足を向ける俺の背中から、美保の笑い声が追いかけてくる。教授がフォローするように口を開いた。
「神経がナイロンザイルで出来てるんですね、きっと」
「……」
フォローにはなってないようだ。
「武人。もう起きてよ」
「んー……あと五分」
馬鹿言え。
「お客さん結構来てた?」
まさしく寝言めいたわけのわからんことを言う武人の頭をぐりぐりやっていると、美保が和希に尋ねた。和希がそれに笑いを含んだ声を返す。武人が大層不服そうな顔で、薄目を開けた。
「うん。俺、びっくりしちゃった。さっきコンビニ行ったら、知らない女の子から手紙もらったよ」
「やるじゃーん」
「何か嬉しいけど恥ずかしいね。これで手紙開けたらクレームとかだったら俺、どうしたら良いと思う?」
「……そんな相談、あたしにしないでよ」
それから和希が、思い出したように俺の背中に向かって呼びかけた。
「啓一郎」
「うん?」
「これ。差し入れ」
「へ?」
差し入れ?
何が何だかわからないままに、和希が俺に向かって放ったものを受け止める。妙に可愛いラッピングがされた包み。ようやく起きた武人が目をこすりながら俺の手元を覗き込む。
「何?」
「知らない。俺に手紙くれたコと一緒にいたコが、『けぇちゃんに渡してください』って」
「……俺は『けぇちゃん』で定着しちゃうの?」
「お前の名前、長いんだもん」
俺のせいかよ。
唇を尖らせながらごそごそともらった包みを開けてみる。出てきたのはフェイスタオルと小さなカード。
『静岡の路上、見てました。応援してます』。
「……」
「中、何だった?」
「……」
「……啓一郎?」
「……」
「……そんな感動的なものを受け取ったのか、それほど暴力的な衝撃を受けたのか、どっちだと思う? 美保」
「……さあ。一矢はどこ行ったのよ?」
す…………………………っげぇ。
ちょっと、思わず感動で頭がトランスした。
ささやかな贈り物、短いメッセージ、だけど……だけど……。
「俺、泣きそう」
「迷惑だからやめて」
「これから頑張っていけば、増えていきますよ」
だけどこれが、最初の一つだ。
教授がくすくす笑いながら楽屋の奥へ足を向けていく。その背中を視線で追ってから、また手元のメッセージに視線を落とした。
アマチュアで……バンドやって……個人的に仲良くなったりとか、好意持ってくれたりとか、そういうのがなかったわけじゃない。
だけど、それって個人の付き合いにある程度発展したりとかして、友達と紙一重で、そういうのと変わらないから……だけど……。
……本当に知らない、個人的な付き合いなんかどこにもない……俺が、顔さえわからない誰かのメッセージ。
知らない人から受ける妬みや悪意、それを怖いと思ったこともあった。
だけど、逆にこうして俺を知らない人が、応援してくれる。
姿の見えない、影みたいにかぎまわられるような……無言電話みたいな、ああいうのは気持ちが悪かったけれど、こうして何かを俺に直接伝えようとしてくれる気持ちが、姿勢が……。
「すげぇな、なんか」
「ん? ……うん」
呟く俺に、和希が一瞬虚を突かれたような声を出してから、頷いた。
「まだまだちっちゃい輪だけど、それが少しずつでも広がってくれれば。友達も、そうじゃない人も、俺たちを見て、俺たちの音を聞いて、伝えたいことを……感じて……」
「うん」
「少しずつ、広げていくんだよ。頑張って」
「メンバー! まだこんなトコで遊んでるーっ」
不意に、開け放したままのドアからさーちゃんの怒声。思わず吹き出す。さーちゃんと一緒に戻ってきたらしい一矢が顔を覗かせた。
「『おかーさん』が怒ってるよ」
「うん」
まだ、アマチュア。
デビューしてない。
だけど、ただのアマチュアのライブじゃない。
ソリティアが宣伝を打って、ロードランナーやブレインの名前がこのライブに載っている。――これがプロへの、第一歩。
「オンタイムでスタートするよー!」
「はぁい」
「気合、入れてこーか」
出て行きかけた足を止めて、不意に和希が振り返った。全員足を止めて和希を見る。
「まだまだ駆け出し」
床に向けて広げた手の平。差し出されたそこに、手を重ねる。
「だけど」
「これからも頑張って」
「とりあえずは今日このライブ」
気合入れて。
「……っしゃあッ。行くぜぇぇぇぇぇぇッ!!!」
僅かでも、俺たちを待ってくれる、あなたの為に――。