第14話(2)
「いや、花梨のさ、ドリンク。本当は蜂蜜漬けとかあるといーんですけどね。お湯で割ったりとかして」
「……」
「売ってる薬局もあるって聞いたんだけど、残念ながら見つけらんなくて。代わりにそれ見つけたから。ましになるんじゃない?」
「……」
「ほら、花梨とかラ・フランスとか……蜂蜜もそうだけど、喉に良いからね。クロスのリハ終わったら楽屋にいた方が良いんじゃないですか?」
お礼代わりににこっと微笑んで無言で頷きながらマスクを外し、せっかく藤野さんが買ってきてくれた謎の飲み物を飲んでみることにする。
「楽屋の方に加湿器、あるんでしょ?」
それはさっきさーちゃんが荷物の中から引っ張り出していた。超小型の、ペットボトルで加湿出来る大変便利なものだ。
「だったらそれ飲んで、あったかくして楽屋でじっとしてなよ」
ああ……いよいよ病人みたいだ。今からバスケだって出来そうなくらい体は元気なのに。
思いながらも藤野さんのくれた『花梨ドリンク』を飲み干し、またステージに目を戻す。『花梨ドリンク』は結構うまかった。
藤野さんは、さーちゃんの言っていた通り、俺たちの音源を二十枚ずつ持って来ていた。あと、フライヤー類。
俺たちがここについた頃には他のバンドはリハ終わりだし、開場は十六時半だから、そろそろ受付の方のセッティングが開始されている。七バンドも出りゃあ、フライヤーの折込もやりがいがあってなかなか終わらないだろう。
「啓一郎ー」
ぼーっと膝を抱えて、空になったビンを弄んでいると、藤野さんがそれを受け取ってくれた。そのまま立ち上がって、物販のセッティングをしにギャラリーを出て行く。ステージから和希に呼ばれて、俺は片手を挙げて答えた。
「外音、どんなんか聴いといてー」
へいへーい。
ひらひらと片手を振って、壁に背中を預ける。全く、自分のトコのバンドのリハを、完全に参加しないで見る機会なんかそうもない。
今日のセットリストの中で曲の中の気になる点だけを確認するらしく、リハは一曲一曲が部分だけの短いもので終わっていく。十分程度じゃ、真面目にやってたんじゃ二曲が限界だ。
『knock』は、そこそこのキャパを持つハコなだけあって、音は良かった。音場も良いんだろうし、エンジニアの腕も悪くなさそう。
田波さんはセッティングとか楽器の調整とかいろいろ手伝ってくれてるみたいだけど、マニピュレーターは今回はまだ入らないから、和希がいつも通りに自分の立ち居地のそばにMTRをDIで繋いでセッティングしている。今更だが、俺たちの『貧乏ツアー』で大活躍のこのMTRは、例のシマムラスタジオで雑な扱いを受けていたあれである。それをDIで繋いで、キーボードと同じようにPA返しで外音・中音に返しているわけだ。
んでも、マニピュレーターがちゃんと入るにあたって、その辺もっといろいろ精査することにはなるのかもしんないよなー。
「外、どう?」
確認を終えて演奏を止めた和希が、マイク越しにこっちに聞く。指でOKサインを作って、ついでにセンターヴォーカルのマイクも和希に確認を頼むと、簡単この上ないクロスのリハが終了した。
今回のライブイベント『Bloom Up!!』は、『knock』では毎年この時期にやっているイベントらしい。
出演バンド数はその時によってまちまちみたいだけど、一応大なり小なりレーベルがバックについてるバンド対象のようだ。
そのせいか、一応継続しているのもあってか、バンドじゃなくてイベントについてる固定客ってのもそこそこいるらしく、まあこっちとしては俺らに興味がなくても見てくれる人がいるってことだから、有意義なイベントと言えるだろう。
『MUSIC CITY』はもうチケットの応募期間は終わっちゃったみたいだけど、俺らのワンマンはその後。どれもこれも、そっちに引っ張って来られりゃあらっきー。でもちと遠い。
エフェクターケースを開けっ放しで、ギターをぶら下げたままの和希がすとんとステージを下りてくる。撤収くらいは手伝うべく立ち上がった俺は、「お疲れ」と言う代わりにひらひらと和希に手を振った。
「さーちゃんってどこ行っちゃったの?」
リハが始まった時にはその辺にいたけど、気がついたらいなかった。
……などと言う文章を、言葉を使わずして伝える手段が俺にはわからないよ和希……。
仕方ないので、短く肩を竦めてステージに上がる。PAの方を確認してDIからMTRを引っこ抜くと、それを持ってステージを下り、和希のそばまで運んだら、今度は一矢がバラバラと解体しているシンバル類を持ってステージを下りる。
今回、路上をやる都合上、一矢のドラムセットはもちろん車に積んである。が、リハの時間が押し押しだし、スネア、キックペダル、シンバル類だけ自前で後は『knock』の奴を借りることにした。田波さんもいるし、おかげで撤収が早い。
リハが終わってしまえば、ここから本番までは本当にすることがない。出演者の楽屋に当てられている二階のVIPルームに器材を運び込むと、中は既に他のバンドの物置状態だった。どこに置けと……。
出演者のケアを担当しているらしい女の子が、しつこいくらいに出番の三十分前までにはここに戻ってくるよう俺たちに言い聞かせて出て行くと、器材を片づけてまとめた和希と武人は暇つぶしに行くと出て行った。俺は全力を尽くして回復に努めるために楽屋のソファに横になり、さーちゃんにさっき買ってきた雑誌を一矢とめくりながら時間を潰し。
「あれ。お客さん」
気づいたらうつらうつらしていたらしい。一矢の声に意識を引き戻され、目を開ける。
楽屋と言っても、本来VIPルームであるこの部屋は、二階で少し高くはあるがステージのちょうど真っ正面にある。そこにステージが見えるよう巨大な窓があり、分厚いカーテンがあるわけだ。カーテンを開ければ、会場の様子が一望出来る。
床に直接あぐらをかいて雑誌のページを繰っていたはずの一矢は、いつの間にかその窓際に立ってカーテンを全開にしていた。組んだ片手についた肘で顎を支えながら、興味深そうに下を見下ろしている。
のそりと起きあがってその隣に立ってみると、まだがらがらの会場に、この部屋の真下にあるはずの入り口からお客さんが入ってくる姿が見えた。
もう、そんな時間なのか……。
お客さん、どのくらいいるのかな。あんまりすかすかだと寂しいなー。でも俺らとほとんど縁のない地方だから、イベントの集客力に期待するしかない。
思いながら下を眺めていると、わいわいと賑やかな声が近づいてきて楽屋のドアが開いた。振り返ると、数人の男が中に入ってくるところだった。
俺らと年の近そうな……。
入ってきた彼らは、中にいる俺たちに気づいて足を止めた。挨拶しようにも声はひどいし、どうしようかと思ってると、代わりと言うわけじゃないだろうが、一矢が口を開いた。
「おはよーざいまーす」
それに便乗して頭を下げる。こういうイベントは、いろんなバンドと仲良くなれる良い機会だからぜひ交流は深めておきたい。
……んだが。
「……」
彼らはふいっと顔をそらした。うち、一人から「ちッ……」と舌打ちするのが聞こえた。
……何ぃ?
「さっさと行こうぜ」
「マスクで喉を保護して挨拶もなしたぁ、メジャー事務所のアーティストは違うねー」
はあああ?
んだよ? こいつら。
むっとしてマスクを外す。床に放り出して、一矢が制止の為に伸ばした腕を払いのける。
「……挨拶もねーのはおめーらだろーが」
そりゃあ俺は声出せないから会釈だけだったが、一矢はちゃんと挨拶しただろ? 無視したのはおめーらじゃねーの?
「おっと。可愛い顔して意外と威勢が良いんじゃん?」
「女の子かと思ったけどなぁ?」
「随分凄ぇ声じゃねぇの? まさかヴォーカルじゃねぇよなぁ?」
「……っるせぇんだよっっ」
ああ、くそう。喉が痛ぇ。
「啓一……」
「何かこっちに含むところでもあんのかよ、お前ら」
そんな感じの物言いだった。俺たちが誰だか知ってて、どこの事務所かわかってて、何かあるからだから絡んだみたいな。
どんな理由があるんだかは知らんが、そんなの俺の関知することじゃない。
「何だよ、やんのか」
男の一人が斜に構えてこっちを睨む。言い放つのに被さるように、開け放したままのドアから別のバンドらしき男が一人入ってきた。俺たちを見比べる。
「おつかれーっす……」
気まずい空気を察したように妙に尻すぼみに言われて、向こうの男が舌打ちした。「行こうぜ」と他の連中を促して楽屋を出ていく。
俺が放り出したマスクを拾い上げていると、入ってきた男が出て行く彼らを無言で見送った。それから、多分俺より穏やかに見えた一矢に向かって尋ねる。
「何かあったんすか」
「あー、やー……ちょっと……」
言葉を濁す一矢に、男がふうん? と不思議な顔をして奥に入ってくる。黙ってマスクをつけ直していると、一矢がおもむろに後頭部をばしんと殴った。
「いて」
「出禁くらうつもりかよ」
「だって何だよ? あいつら?」
「あんた、喉痛いんでしょー? 黙って黙っときなさいよ」
変な日本語。
鼻の頭に皺を寄せて一矢を睨む。一矢も細ーい目をして俺を見た。
「単細胞」
「うるせぇ」
「放っておきゃいーんだよ、あんなの。大人になんなさいって」
「だってあいつら、俺たちが誰だかわかってて絡んで来たぜ? 何かあんだろ……」
「……もしかして、Grand Crossの人たち?」
部屋の隅でごそごそと荷物を漁っていたさっきの男が、ふいっと立ち上がってこっちを見た。煙草の買い置きを取りに来たらしく、手には真新しい煙草のパッケージを持っている。
「え? あ、うん……」
「あ、俺はねえ、今日の初っ端でBAD CATの村上ですけど」
「へ? ……あ、神田です。こっちの単細胞が、橋谷」
一矢の失礼な紹介に黙ってその向こう臑を蹴飛ばしていると、村上は笑いながら煙草のセロファンを剥き始めた。
「だったら、ちょっと仕方ないかも」
話が戻ったらしい。
「仕方ない? って何が?」
「や、俺も小耳に挟んだだけで本当にそのせいかどうかはわかんないけどね」
Grand Crossって『バンドナイト』のコメンテイターやってんでしょ、と煙草を抜き出しながら村上が尋ねる。そーいう角度からから話を振られると思っていなくて、一矢と顔を見合わせてしまった。
「うん、まあ」
俺の代わりに一矢が頷く。村上は真面目な表情でちらりとドアの方を見ると、またこちらに顔を戻した。
「良くそんなマイナーなイベント知ってんね」
「ああ……俺も別に仙台じゃないもん。千葉。『バンドナイト』は随分前に雑誌の方だけちらりと載せてもらったこと、あるし」
ああ、そうなんだ。
「んでさ、あいつら……さっきのバンド」
「うん」
村上が煙草をくわえるのにつられたように、一矢もポケットから煙草を取り出した。軽く振って、すこんと上に飛び出てきた一本を指先でつまむ。
「ウィングってバンドの連中なんだけどさ」
「ふうん?」
「別に俺も面識があるわけじゃなくて、リハ見てたらウチのレーベルの人間が言ってたってだけなんだけど。『バンドナイト』のコメンテイターって、最初あいつらに決まりかけてたみたい」
思わず顔を上げる。……え?
「ウィングのレーベルってそこそこでかいところで、仙台に本社があるはあるけど、東京にも支社持ってて、ウィングはそれが正式に決まったら東京の管轄に移動してそっちで活動を展開してくつもりがあったみたい」
確かに、大手レコード会社とかのバックボーンを持ってるレーベルじゃないんだとしたら、別の地方に支社があるのはちょっと凄い。
「それはさ、何かほぼ決まった話だったりしたの?」
火をつけた煙草をくわえながら首を傾げる一矢に、村上は軽く肩を竦めた。
「それはどうかなあ。単に話が来てただけかもしれないし、本当にほぼ固まりかけてたのかもしれないし。ただ、あれのラジオにはわりと何回かゲスト出演してたみたいで。だけどいきなりライブノーツが意見翻してGrand Crossに走ったって」
「……」
「詳しい話は俺も知らないけど、だったらウィングの気持ちもわからなくはないかなーって思ってさ」
そこで言葉を切った村上は、反応を伺うようにちらっと無言の俺たちを目で窺った。
「って言っても別にそれはそっちのせいじゃないし、そっちが気にする必要もないとも思うんだけど」
「ああ、うん……ありがとう」
「ライブ、見させてもらうよ。喉……」
村上は灰皿に煙草を突っ込んで、俺の方を見ながら自分の喉を親指で指して笑った。
「それまでに治しといてよ」
思わず俺も笑った。
「さんきゅ」
怒鳴ったせいで一層痛い。
村上が片手で煙草を弾ませながら出て行くと、複雑な気持ちで一矢を見上げる。一矢も同様、複雑な表情で見下ろした。
「何かさ……」
「何かねぇ……」
そのまま、ため息。
身に覚えのない、妬み。
話を聞けば、そりゃあさっきの奴ら……ウィングっつったか? そいつらの気持ちもわからなくはない。
支社があるっつったら結構でかいレーベルだ。渋谷のラジオに仙台から何度も出てるなら、レーベルサイドも力を入れてるアーティストなんだろう。
コメンテイターが決まればそれを軸に東京での活動を展開できる、その矢先に俺らにその仕事をかっさらわれたんだったら、そりゃあ不愉快になりもするだろうが。
……こっちにしてみりゃ「んなこと言ったって」って話だし。
「生存競争してる気分」
ぼそっと一矢が呟いた。まったく同感だ。
いや、実際そういうところはあるんだろう。誰かにその仕事が決まれば、誰かにその仕事は来ないだろうし、蹴れば誰かに回り、それが思いがけないビッグチャンスかもしれない。
だけどそれだけじゃなくて、一緒にやってくような場面もあって、同じ高見を目指す同志、でありたいし。
「複雑」
ぽつんと呟いた一矢の視線の先、ギャラリーには人の姿が少しずつ増えていくのが、見えた。
◆ ◇ ◆
「……いっつもは、もっと澄んだ声してるんですけど」
二十時を十五分くらい回って始まった俺たちの出番は六番目。
この後がトリで、それ見たさか客が途中からいきなりかなり増えた。自分らの実力じゃなくても、見てくれる人が多ければそりゃあありがたい。
心配された俺の声は、結局完全には回復はしなかった。一応じっと黙り続けた甲斐あってか多少はましになったものの、音域の狭さは普段の比にならない。
三曲無理矢理歌い終え、おどけて肩を竦める俺に、客から笑いが漏れる。客数はおおよそで三百人くらいいるんだろうか。キャパからすると何とか形になる人数。
だけど、この中にウチの客がどのくらいいて、どこのバンドの客がどのくらいなのか、俺には良くわからない。
「まあ、たまにはハスキーボイスを楽しんでいただくとゆーことで……次の曲いきましょか」
「あんまり余計なことに喉使ってると肝心なところで出なくなるから、そうしてくれる?」
「ですよね……」
あー、声が出ねぇ。
和希に答えて次の曲の紹介に入ることにする。
「えーと、次の曲は五月にソリティアから発売される、俺たちの初のっ! メジャーシングルのタイトル曲で、来月公開の『Moon Stone』って映画の挿入歌にもなってます。今日聴いてちょっとでも良いと思ってくれたら、映画見に行って曲に感動してシングルを買って下さいっ。……『Crystal Moon』」
タイトルコールで照明が暗転、白照明と流れ出すピアノの打ち込み……。
……?
(あれ?)
沈黙を保ったままのオケに、頭の中をハテナマークが飛び回る。
打ち込みが流れない……っ?
咄嗟に焦って和希を見ると、MTRの結線を確認しているのが見えた。客席の向こう、PAが両手をバツ印にしてPA席から飛び降りる。
「……何やらトラブル発生ですね」
いきなり歌っちゃうか? とも思ったけど、PAも飛んで来ちゃってるし、隠すよりは突っ込んどく方が無難だろう。開き直って腹を決めた俺は、MCで繋いでおくことに決めた。こういうの、隠してどうにもなんなくなるよりは開き直って報告しちゃうと気が楽になったりもする。
「あ、あ、照明さん」
照明が気を利かせて暗転したステージに明かりを戻そうとする。ので、俺はひらひらと手を振りながらそれを止めた。
「出来ればこのままで。明るくしてからまたやり直しって、何か壮絶なまでにださださって気がしますんで。何となくこのムードのままっつーことで」
俺の言葉にまたちらほら笑いが起きる。ちらりと和希を見ると、軽く片手で拝むような仕草をするのが見えた。まだ復帰はしないらしい。
どうすっかな……。
「じゃあ、とりあえず俺のおしゃべりにつき合っていただくとして。まあぶっちゃけネタなど何もないわけですが」
こういう突如湧いた空間に、MCで繋ぐのはちょっと精神力が要る。客の反応と言うのはなかなか怖い。普段自分がライブやって慣れている規模から人数が増えれば増えるほど、読めない人が増す。
だから少しでも好意的な笑いや視線は、凄く支えになる。
「んーっと。困りましたね。んではまず、ありきたりにライブ告知でもさせて下さい。って言ってもそんなにありません。五月の三日から五日に、東京の新木場で『MUSIC CITY』ってイベントがあるんですけど、それの二日目、四日のROCK PARTYに出ることになってます。ま、名前の通りその日はロックバンドとか、あとはポップス系とかも出るみたいで、チケット自体はもう申込期間終わっちゃったんですけど、もし行く人いたら……行く人っています?」
あら、静か。
微妙な間が空き、苦笑しつつ言葉を続けようとマイクに向かいかけた視界の中で、おずおずと手が上がるのが見えた。……おおおおお?
「えっ? 行くんですかっっ? 何日目っっっ?」
確かにあれ、一度入場しちゃえば内部のどの会場もどのライブも見放題だったけど、三日間全部じゃなかったはず。
一日目の前夜祭からクラブナイト、ロックパーティ、ヴィジュアルとかアイドル系の三日目とで全部チケットが違ったはずなんだ。
ステージから見えた手を挙げた人はステージ手前の男の子で、尋ねてみると、「二日目」と何か恥ずかしそうに答えてくれた。
「あの、クロス、見に行くんで」
「まじっすかっ?」
「あ、今日もそれで埼玉から来てるんで」
「……ありがとうございますぅ」
俺、泣いちゃいそう。
「じゃあ是非『MUSIC CITY』で見かけたら声かけて下さい」
こんなありがたい神様みたいな人だから、顔を覚えとこう。
「んで、それはもう応募終わってるんですが、その後、五月二十四日に渋谷でワンマンがあって、それはまだまだまだまだチケットあるんで。全然」
今までやってたよりキャパがちょっとだけ大きくなってて、今日くらいの規模の会場だから結構しんどい。そこそこの人数が入ってくれてても、すかすかに見えるはず。頑張って客を集めなきゃならんのだし。
「……ってね、いくら宣伝してもこっからじゃちょいと遠いんですけどね。まあ興味があればってことで」
言いながら、PAが卓前に戻っていることに気がついた。いつの間にか和希はMTRと格闘するのをやめて、こっちの話を聞いている。
「トラブル解決ですか?」
マイク越しに尋ねると、和希もコーラスマイク越しに答えた。
「未解決です」
未解決かい。
「じゃあちょっと作戦タイム下さい」
客に断って、おいそれと動けない一矢周りに集まる。
「……どしたん」
スティックで顎をぐりぐりしながら尋ねた一矢に、和希がため息で答えた。
「原因不明。けど多分、MTRがイった」
げぇ。
じわっと背中に汗が滲んだ。
「PAいわくDIも回線も問題がないから手の施しようがない。どうする?」
って言ったって……。
「……なしでやるしかないんじゃないですか」