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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
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第13話(3)

「ななな何してんの……」

「啓一郎くんがいるなあと思ってました」

 思ってたなら声かけろよ。

 きちんと揃えた両膝に両肘を乗せ、組んだ両手に顎を乗っけてしらーっと俺の方を見ながら広瀬が答える。その隣にはシャギーの入ったミディアムヘアのあどけない女の子がびっくりしたような顔で座っていた。見たことあるけど誰だっけ。

「何だよ、声かけてよ」

「だって全然気づかないんだもん。いつ気づくのかなーと思って」

 階段を下りてくる時に喫茶に目がいっちゃってたもんだから、位置によっては階段に隠れるそのソファが目に入っていなかったらしい。

「悪かったな。……何してんの」

「おなかすいたから休憩に出たら、飛鳥ちゃんとばったり会ったもんだからぁー……」

 飛鳥ちゃん?

(あ、そっか)

 このコ、Opheriaのコだ。Blowin'の如月さんの彼女さん。雑誌とかだと化粧してるし、撮り方とかあるからわかんなかった。

 メディアで見てるとそこそこ可愛くて、ちょっと元気な色気があるよーな感じに見えるけど……こうしてみると恐ろしく普通だなあ。オーラがないと言うか……はは。メディアって凄ぇ。

「あ、もしかして初めましてですか」

「多分」

 答える俺にあわせるように、飛鳥ちゃんがこくこくと黙って顔を上下させる。大きすぎない目が優しげだ。

「んじゃぁ紹介しましょーかー……。こっち、Opheriaの飛鳥ちゃん。んであっち、Grand Crossの啓一郎くん」

「どうも。橋谷です。初めまして」

「あ、は、初めましてっ。上原です」

 ふーん。このコが如月さんの彼女なのかー。

 慌てたみたいに背筋をぴしっと伸ばして言う様子が、ちょっと可愛い。

「Opheriaもブレイン、ですよね?」

「あ、そう。でもあたしたち、あんまり事務所って行くことなくて」

「俺もそう。……や、同じ事務所のはずなのに、会ったことないような気がしたから」

 へへ、と目を細めながら首を傾げて笑った飛鳥ちゃんは、広瀬に視線を戻しながら立ち上がった。

「あの、紫乃ちゃん。それじゃああたし、そろそろ……」

 行くね、と見下ろす飛鳥ちゃんを見る広瀬の目線がどろっとやる気ない。

「ああ、うん……」

「あの、いろいろ大変だと思うけど、頑張ってね」

「うん。ありがとう」

「また電話、するから」

 見送る広瀬にばいばいと手を振り、俺の横を通り過ぎる時に恥ずかしいような照れた笑みを覗かせて会釈をした飛鳥ちゃんは、小柄な体を弾ませて階段を上って行った。その後ろ姿をつい見送る。……ふうーん。何かちょっと可愛いかも。いい人そう。一矢が言ってた意味が今頃少しわかった。

「あれが噂の飛鳥ちゃんか」

「何? 噂って」

「如月さん、じゃないの?」

 歩いて、空いた広瀬の隣に座る。

「ああ……誰に聞いたですか」

「和希」

 短い返答に広瀬は目を丸くした。

「和希さん? それはまた意外な方向から」

「MEDIA DRIVEの人に聞いたって言ってたよ」

「……ああ」

 顎を乗せていた手を解いてすとんと背もたれに寄りかかりながら、広瀬が頷く。

「だから今広瀬と一緒にいるの見て、ちょっとびっくりした。ライバルじゃないの?」

「……ライバルになんないです。あたしは既に敗者ですから」

 だったら尚更じゃないのか?

 そりゃあ俺だって和希と一緒にいるし、他人のことは言えないが。

 和希の彼女に横恋慕してたとは言ってないので胸の内だけでそんなふうに思っていると、広瀬は元気ないように目を伏せた。

「それに、如月さんが飛鳥ちゃんを選んだからって、あたしが飛鳥ちゃんを嫌いになるわけじゃないもん。飛鳥ちゃんがあたしのことむかついて嫌うとかならともかく、飛鳥ちゃんも……恋愛と友達関係、ごちゃ混ぜにしたくないって感じしてて……」

「へえ」

「あたしが如月さんと仲良くしてもらってた時も、飛鳥ちゃんは知ってただろうけど、あたしにそんな素振り……ってゆーか、感じ悪いふうなことなかったし。逆になって、飛鳥ちゃんがちゃんと付き合い始めて、ヒロセが飛鳥ちゃんしかとしたりしたら、あたし、凄い心狭くないですか」

「そりゃそーかもしんないけどさ」

「別件だもん。飛鳥ちゃんと如月さんのことは二人の間のことだし、あたしと飛鳥ちゃんのことはそれとは無関係であるべきだし。……気持ちはまだ少し痛いけど、そうでありたいと思ってます、あたしは。多分飛鳥ちゃんも」

 ぼーっと喫茶の方に視線を向けながら言い切る広瀬の言葉に納得した。

「ふうん? 女の子って『彼氏が浮気したら相手の女の子恨む』って人、多いんじゃないの?」

「そんなん、浮気する男が悪いです」

 簡潔に言い切られて思わず笑った。

「あ、そ。……如月さんは浮気してない?」

 いつだか会議室で見かけた二人の様子を思い出して言ってみる。けれど、広瀬は何も気づかないように元気なく顔を横に振った。

「知らない。でもしないと思う、あの人。……飛鳥ちゃんのこと、凄い大事に思ってると思うから」

 広瀬の口からそんなふうに言わせてしまったのは残酷だったかもしれない。

「ふうん……」

 そう言うってことは、あれはやっぱりそういうことじゃあないんだろうけど……何があったんだろうな。

 組んだ足に頬杖をついてちらりと広瀬を見ると、視線を落としたままの広瀬は小さくため息をついていた。

「どした?」

「え?」

「元気ない感じ?」

 俺の問いにすぐには答えず、広瀬はもう一度ため息を落とした。

「ウチの母親って」

「は?」

 いきなり母親ですか?

 目を瞬きながら続きを待つ。広瀬は目を伏せたまま続けた。

「ご病気なんですよ」

「……そうなの?」

 声に出さずに広瀬が目を上げて頷く。

「ずっと病気してて。あたしは東京だし、親は長野で」

「うん」

「一時期……こないだとかやばいかもって話で、ちょっとヒロセ、さすがに参りました」

「こないだ?」

 頷いて広瀬が告げたのは、ちょうどあの、如月さんと広瀬を会議室で見かけたくらいの頃だった。シングルのサンプルもらった頃。

「もしかすると最悪のことになるかもって連絡を向こうにいる妹から受けて、どうしようどうしようって思いながら……」

「……」

「……あたし、その日、テレビ収録あったんです」

 押し殺すような声に、そっと目を見開く。広瀬は俺の方を見ないで、真っ直ぐ前を見つめながら続けた。

「ラジオ収録あって、他のメンバーは先にテレビ局に入っててあたしだけ後から遅れて行く予定で。……『MUSIC SCENE』で今度出すアルバムの紹介させてくれるって……」

『MUSIC SCENE』はかなりでかい音楽番組だ。金曜のゴールデンタイム、音楽番組では最も視聴率を稼いでいる。俺も子供の頃から知ってる番組で、いつかは出てみたいと思うような。

「迷って、あたし、収録行ったですよ」

 はは……と広瀬は元気なく笑った。

「たった一人の親なのに」

 そう言や……俺は広瀬から直接聞いたわけじゃないけど、前に一矢が『あんまり家庭に恵まれなかったらしい』ようなこと言ってたか? 片親なのか。

「今は、お母さんは?」

 尋ねると、広瀬はにこっと笑って頷いた。

「結局、持ち直してくれました。まだ微妙だけど、回復の方向に向かってるって聞いてます」

 微かに覗かせた白い歯に、安心した。

 一矢もそうだけど、広瀬とか……何かが欠けるような家庭像を自分の周囲に見つけてしまう度に、複雑な気持ちになる。

 ありがたいことに俺は『絵に描いたような幸福な家庭』と時々評されるような……そういう、ありふれた家族の中で生まれ育って来てしまったので、何かが欠けた状態が未だにわからない。

 想像することは出来るけど、自分の体験じゃないからその気持ちや苦労をわかると言ってしまえば傲慢に過ぎないだろう。

 いつかは誰かや何かが欠ける日が来るのかもしれない。だけどそれは、誰もが通過する範囲のことに過ぎないだろうし、覚悟が決まる前に唐突に理不尽に起こるとはやっぱり俺には考えられない。

 誰しもが思う『自分だけは』『自分の家族だけは』と言う幻想に、俺もまた囚われている鈍感な幸福の中の一人なんだろうけれど。

「あたしって怖い奴だなあって思ったんですよ」

「怖い奴?」

「そう。たった一人の母親が危篤かもって。あたし、自分が音楽好きで、仕事にしたくて、仕事になって、それをまた母親や妹に還元したいって思ってて……なのに、母親の一大事にあたし、仕事してるんです」

「……」

「矛盾」

 浮かべた自嘲的な笑みに、言葉が出ない。

「だから、『怖い奴』。きゅーきょくのエゴイスト、って奴ですか?」

「会いに行ったの?」

 広瀬は小さく頷いた。

「仕事が終わってから。メンバーのカンちゃんが同郷だし。車飛ばして送ってくれて。二日間、お休みもらって」

「なら、薄情でもエゴイストでもないんじゃん」

「生きてるから、言えることだと思わない?」

「……うん……まあ」

「これで駄目だったら、あたしはやっぱりエゴイストで。大丈夫だったのはあたしの意志に関係ないただの結果論だから、やっぱりあたしはエゴイストなんです」

「……」

「……なんてこと考えたり、次何かあったらって思うとまた怖いし、回復に向かってるって言ってもまだ安心出来ないから不安で、ヒロセ、ちょっとローテンション」

「あーに、くだまいてんだよ」

 不意に思いがけない方向から声が降ってきた。頭上。

「一矢」

 見上げれば螺旋階段の一番上で、手すりに頬杖をついた一矢がこっちを見下ろしている。

「啓一郎が戻ってこねーと思ったらお前さんかい」

「あれ。何こんなとこに集まってるの?」

「君らのエサを買って来たよー」

 一矢が階段を下りてくると、今度は反対側から声がした。和希と藤野さんがコンビニの袋をぶら下げて立っている。

「や、ただの偶然。さんきゅー」

「紫乃ちゃん、おはよ」

 和希がさらっと前髪を揺らしてきらきらと挨拶をすると、広瀬はびしっと背筋を伸ばして「おはよーございますううう」とあったま弱そうな声を出した。……どうよ? この俺らに対するのとの態度の違い。

「適当に買って来たから早いもの勝ちだよ」

「へいへい。すぐ行く」

 和希たちが通り過ぎて階段を上がって行くのを見送りながら、広瀬がふうっと先ほどとは少々種類の違うため息を落とす。

「かっこいいなあ、和希さん」

「……ミーハー」

 階段を下りて目の前に立った一矢を無言で思い切り蹴飛ばすと、広瀬はまた階段のそのまた遠くを見遣った。

「あー立ち居振る舞いが紳士的だなあ和希さんてっ! 誰かさんと違ってっっ!」

「誰のことだよ?」

「誰でしょねえええ」

 子供の喧嘩だ。

「和希の立ち居振る舞いが紳士的も何も、弁当持って通り過ぎただけじゃねーか」

「それさえもかっこいい人がやればかっこいいんですうーっ」

「あー、やだやだ。幻想。気の多い女」

「気が多いも何も和希さんのファンやってるだけっしょっ? 気の多さについてはあんたにだけは言われたくないもんねええっ!」

「何だよ?」

「遊び人」

「お前さんに関係ないっしょー?」

「関係あるんだったらとっくの昔にしばいてますううっ。大体くだまいてるって何ですかっ? 酔っぱらいみたいじゃないよっ」

「似たよーなもんでしょー」

「似てないっ!」

 へろっと舌を出した一矢の足を、座ったままの広瀬がまた蹴りつけた。俺、ここにいていーんだろーか。間違えて殴られたらどうしよう。

「そう言や広瀬は戻らなくていーの」

「え? うん。まだ平気。啓一郎くんたちこそ、戻らないと、良いお弁当がなくなっちゃうよ」

「ああ……うん」

 それは言えている。

「にしても君たち、いつの間にそんなに仲良くなったの?」

 立ち上がりながら呆れた顔で言う俺に、二人が二人ともぎょっとしたように俺を見た。

「はっ?」

「啓ちゃん。こういうのは『悪くなってる』って言うんだよ」

「そうかなあ。息があってんなと思って」

「どこがっ?」

「どこがっ?」

 ぴったりじゃん。

「んじゃ俺戻るわ。広瀬も頑張って」

「ああ、うん。ありがとう」

「ちゃんとメシ食えよー」

「……唐突に何ですか」

 広瀬と別れ、一矢と階段を上がる。

 俺たちが使っているスタジオは更にもう一階上なので、今度は普通に無愛想な階段を上がりながら、やや遅れて歩いてくる一矢をちらりと振り返った。

「何かいー感じじゃん」

「……どの辺が」

 ぽそっと一矢が応じる。

「言いたいこと言い合える感じで」

 女の子と見れば見境なく優しくするくせに、広瀬には憎まれ口ばっかりって中学生じゃないんだから。

 広瀬も大概言いたい放題だったけど。

「いつの間にそんな仲良くなったんだかって感じ」

「お前さんの目にはあれが『仲良く』映ったの?」

「映った」

 俺の返答に、一矢は前髪に片手を突っ込んでため息をついた。

「乱視」

「俺の視力は2.0! 両目っ!」

「え? そうなの? 今時ハタチ越えてその視力って凄いね。野生なの?」

 2.0は日本人なら普通範囲っ!

「……って視力がいくつと乱視って関係ないんじゃない?」

「乱視もないもん。俺、本も読まないし、テレビも見ないし、パソコンもやらないし」

「感動的なくらい文化を取り入れてないのな」

「ミュージシャンっ。音楽は文化っ!」

 違うっ。今話してんのはそんなことじゃないっ!

「俺は言いたいこと言えるのっていーと思うけどなあ」

「……前に言ったっしょ。俺は彼女の望むものは与えてやれないの。永遠に」

「ああ。広瀬、片親なんだな」

「聞いた?」

「うん」

 のろのろと階段を上がりきり、とんッと最上段に片足をかけて振り返る。

「でもさあ、俺も前に言った。ニ人で考えることだと思うって。……あれ、別に如月さんと何がどうってわけでもなさそーじゃん」

「あれ? ……ああ。会議室」

「うん」

 一矢が俺を見上げてくすりと笑う。

「気にしてたの?」






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