第12話(4)
◆ ◇ ◆
(疲れたなぁぁ)
最後の『LINK R』のコメントも無事収録することが出来て、なぜかコメント録りの後「俺とちょっとハモってみようよ」などと無茶苦茶言い出した桜木くんにノせられてワンコーラスだけ冗談で歌わされたりもしつつ、イベントは無事終了した。
(あー。ホント疲れたよぉー)
何か、精神的に。
今は会場の方は、客出しをしながら撤収に入っているはずだ。
俺はステージ裏の通路に置かれているソファに座ってぼんやりしていた。
出演バンドは今、控え室で帰り支度をしているだろう。俺の控え室も『LINK R』と『アンブレラ』でごちゃごちゃしてるだろうし、シャワーも混んでそうだし、少し時差を作る為にここでぼんやりしてるとゆーわけだ。ってゆーか、録音スタッフに謝罪とかされてて、解放されたのも今し方。
今日の収録が放送されるのは再来週の金曜日。
ちゃんと録れたのかなってのも心配だけど、俺のしゃべりがどうだったのかなとかどんなふうになるのかなとか、いろいろ気になるから放送が楽しみのような怖いような。
でも……とにかく……。
(無事に終わって良かったなあ)
ほんとに。
この後、行ける人は打ち上げに行くって聞いている。
「あ、啓一郎くん。お疲れさまでした」
イベント終わりのそのままでぼーっと座っていると、帰り支度をほぼ整えたらしい茜ちゃんが通りがかった。俺を見て足を止める。
「ああ……お疲れさまでした」
しーかし、確かに可愛いなー。でもやっぱり結構タッパあるな。俺と同じくらいだろーか。
「帰る準備、しないの?」
「まだいーやと思って。今まだ『LINK R』と『アンブレラ』がごちゃごちゃしてそうだし」
「そっか。他の人たちと一緒なんだ」
俺の近くまで来て足を止めた茜ちゃんは、両腕を背中で組んで首を傾げた。緩いウェーブのかかった長い髪をサイドに一本でまとめてざっくりと編み込んでいる。
きっちり化粧した綺麗な顔に、「多分今日来た出演者の誰よりこのコ呼ぶのに金かかってんだろーな」って気がしてしまった。明らかに誰よりランク上だ。有名ファッション誌のモデルさんだしな。
「ねえ。最後、どうして急に流れが変わったの?」
ぼーっとそんなつまんないことを考えている俺に、茜ちゃんが整った眉を顰めて小声で尋ねた。そう言やばたばたしてて彼女にはちゃんと説明してないんだっけ。
ずぼーっと身を沈めていたソファから体を起こす。
「や、ブースの音が録音に行かなくなっちゃってさ」
「えっ?」
「でもステージの音は録音に行ってたから。『LINK R』って今日のメインバンドみたいな感じだったでしょ。録れないわけにはいかないし、そんで俺がそっち行くことにしたの」
俺の答えに茜ちゃんは目を丸くしたまま尚も尋ねた。
「録音に行かなくなっちゃったって、途中から? どうして」
「俺も詳しいことはわかんない」
終わってから聞いたのは、ブース席がステージじゃなくて会場の方に仮設で作られている関係上、マイク回線を繋いでるマルチボックスから更にPAだの録音だのに分岐するスプリッターを、SHIBUYA MAXの設備じゃなくて持ち込んで使っていたらしい。ってか、いっつもそうしてるらしい。
そのスプリッターの録音回線への分岐のどっかが馬鹿になった、と。どこかまでは俺は知らない。聞いてもどうせわかんないし。
ま、要は録音チームの機材不備ってことになっちゃうんだろーけど。
「普段、そうそう壊れるもんでもない機材が不具合出ちゃったみたいだよ」
簡潔にそれだけ告げると、茜ちゃんはミニスカートから伸びた長い脚を交差させるようにして立ちながら指先で垂れた髪をつまんだ。
「怖いね、ライブって」
「まーね」
でもスピーカがトんだりコンソールが火を噴いたりしたわけじゃないから、このくらいで済むならまだ良かった。
俺自身の対応が利くトラブルだったから、まだましだよなあ。
かつて、俺がライブやってる時に足元のモニタースピーカがトんだ時はつらかった。
「啓一郎くん、変更された楽曲情報、ちゃんと覚えてたね」
「え? ああ」
「するするしゃべってた。ブースいる時より、生き生きしてたみたい」
「俺、ステージの方が好きだもん」
くすくす笑う茜ちゃんにつられて、俺も思わず笑う。
んでも、事前にライナーノーツを読み漁ってて本当に良かったな。
だって俺、当日いきなり変更されても、何の予備知識もなかったら多分覚えられなかった。覚えられなかったってことは、あんだけするするとしゃべれなかった。結果的にはらっきーだ。何がらっきーって、多分俺。
あの状態だったら回避策は多分あれしかなかっただろう。
いや、頭が欠けるなり時間を引き延ばすなりすれば、スプリッター差し替えるとかケーブルとっかえるとかあんのかもしんないけど、ステージはもう終わろうとしてたし、どこがヤバいのかをチェックしてる余裕はなかったような気がする。俺はそっちのプロじゃないからわかんないけど。
だったら俺が言い出さなくたって鎌田さんあたりに言われてもおかしくないし、そんでステージで適当にしゃべって巧いこと繋げてって言われても、困るのは俺だ。
俺が無理だって言えば、多少見栄えが落ちるのは覚悟でステージに資料持ってって良いって言うだろうけど、覚えてなきゃ目線は前に向かないから絵面は最低だし、それで評価下がんのも多分、俺。
事前の勉強がいかに大切かがわかった。俺、今度からもちゃんと覚えていくことにしよう。俺の為に。
「本当にお疲れさま」
「茜ちゃんこそお疲れさま。……あ、打ち上げって行くの?」
桜木くんに「行こう行こう」と言われてるので、俺は行くつもり。でもせっかくなら可愛い女の子がいた方が良いに決まっている。……まあ、桜木くんに狙われて危ないかもしんないけど。
俺の問いに、茜ちゃんは顔を横に振った。
「明日、朝イチで撮影が入ってるの。肌が荒れても困るから。帰る」
なるほど。モデルさんは大変だ。
「そっか。残念」
むさくるしい男ばっかりの打ち上げになるのは非常に残念だ。
「ん。またの機会にぜひ」
「こちらこそ。……さてと。俺もそろそろ帰り支度するかな」
立ち上がって数歩歩き出しかけながら、挨拶しようと振り返る。振り返ってから、彼女とは今後も仕事で顔を合わせることに気がついた。
ちゃんと挨拶、しといた方がいーな。
可愛い、可愛くない以前に、仕事相手。
「俺、来月もまたブース担当やらせてもらえるみたいだから」
「あ、ほんとに」
「うん。だから……」
顔だけ振り返っていた俺は、体ごとくるんと茜ちゃんに向き直った。
「来月もまた、宜しくお願いしまっす」
勢い良く頭を下げる。
年上の人も年下の人も、仕事関係者。挨拶だけはきちんとしとかないと。
そうじゃなくたって俺なんか社会人経験なくて常識外れなんだから。
仕事は、対人。人間関係。
大事にしなきゃだよな。
「えっ? あ、こちらこそ……」
いきなり頭を下げた俺に慌てたような声を出した茜ちゃんは、俺が顔を上げると小さく吹き出した。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
◆ ◇ ◆
チャイムが聞こえる。
くたーっと床に伸びきっていた俺は、そうは思うものの身動きせずに床に伸びていた。
やがて鍵を開ける音がしてドアが開き、とたとたと軽い足音が近づいてきた。床に伸びたままの俺のつむじがくるんと指先でつつかれる。
「死体」
「う……」
あゆなの声に、うつ伏せてた俺はそのままごろんと仰向けになった。
「二日酔い」
「馬鹿。さいてぇ」
日曜日。
ひさびさのバイトも仕事もないその日はあゆなと一日遊ぼうって約束してて、あゆなは仕事を休んでまで楽しみにしてくれてた。
本当は昨日の夜、『バンドナイト』終わりで会えたら会おうかなんて話もあったんだけど、打ち上げは結局朝までコースだ。
しょーがないんであゆなには、朝、俺ん家勝手に入って来てくらさいと連絡して、俺自身が帰りついたのが朝の七時。
すっかり『LINK R』と仲良くなってしまった。いや、『LINK R』に限らず、他のバンドも連絡先交換したりとかしてそれなりに親しくはなったと思うけど。
「珍しいのね、啓一郎がそんなに酔っぱらうなんて」
「そう?」
「うん。見た目のわりに、意外と強いじゃない。あんまり自失してるとこ、見たことないもんね」
あー……別に酔わないわけじゃないんだけど、まあ酒でハメ外すような経験は確かにあんまりない。
ってゆーか。
「見た目のわりにって何」
床に転がったまま、俺の頭の辺りにしゃがみ込んで顔を覗き込んでるあゆなの髪を引っ張る。
「だって飲めなさそうな顔してんだもの」
それからあゆなはぺたんと床に座り込んだ。
「もう。それで遊びになんて行けるの?」
「行ける行ける……。何だ、あゆな、スカートじゃないんだ」
「だってバイク乗るんでしょ。スカートじゃ乗れないじゃない」
それはそうだけどさ。
「……あ。『FLOW』」
「え?」
ころんと寝返りを打った視線の先に転がるあゆなのバッグからファッション誌が覗き、それがタイムリーに『FLOW』だったりしたもんだから思わず呟く。女性誌なんかに反応を見せた俺に、あゆながきょとんとバッグを引き寄せた。
「何よ? 欲しい服でもあるの?」
「あるかよっ! じゃなくて昨日、これのモデルの人来てたよ」
つーかこれからも来るってゆーか。
「え? 何しに?」
「何しにって……仕事」
言いながら、勝手に手を伸ばして雑誌を引っ張り出す。床にうつ伏せに戻って肘をついたまま俺はページを繰った。
「へー。どのコ?」
「西織茜ちゃんてわかる?」
「わかんない。わたし、モデルさんの名前って覚えてないもの。……仕事?」
「そう。俺がラジオ側の司会だとしたら、彼女がライブ側の司会ってゆーか。……あ、このコだ」
話しながらページをめくっていた俺は、見開きカラーに七人の女の子が全身写っているページで手を止めた。
(あ、違うや)
七人じゃない、全部茜ちゃんだ。
『茜ちゃん 一週間のお気に入りコーディネイト』……凄ぇ。こんだけでかく扱われるってことは茜ちゃんて結構人気だったりするのか?
俺自身も雑誌とか載せてもらったりするけど大きな扱いしてくれたことなんか全然ないから、妙にリアルに尊敬する。どうせいつも白黒ミニカットだよ……。
いや、大きく扱ってくれたこともゼロじゃないさ? ゼロじゃないよ?
だけど……大きな声じゃ言えないけど、扱ってくれたとこはあんまり嬉しいと別に言えないローカル雑誌。
「ああ。このコか」
「うん」
足をぱたぱたしながらページを繰ると、あゆながぼそっと呟いた。
「ちょっと由梨亜ちゃん系よね。ふわふわしてるって言うか、女の子女の子してて」
「そうそう。凄ぇ可愛かったよ」
「好みのストライクゾーン直球ど真ん中コースだもんね」
「うんうん」
顔を上げないまま頷いていると、あゆなが黙った。顔を上げると唇を尖らせている。
「……へっへー。ヤキモチでも妬いてんのかなぁー?」
「何でわたしが妬く理由があんのよ」
「知らん」
何なのよそれ……と呆れたように髪を耳にかけるあゆなは、それからぷいっとそっぽを向いた。
「でも好みでしょ」
言う視線の先が、床に広げられたままの雑誌に向けられる。笑いながら体を起こした俺は、あゆなを抱き寄せた。
「そりゃね。可愛いと思う嗜好はそう簡単に変わるわけじゃない。だけど」
こつんと額をあゆなのおでこにぶつける。
少しずつあゆなに傾いていく俺の気持ち。
あゆなが支えてくれてると、待っててくれてると思うことが、残って痛んでた由梨亜ちゃんへの未練を上書きしていく。
あゆなが最初に口にした通り、確かにゆっくりとだけど俺はあゆなを想い始めてると思う。
「……」
「……」
「……仕事は仕事。休みの日にこうして会うのは、あゆなだけ」
抱き寄せたそのまま、触れるか触れないかの軽いキス。あゆなが上目遣いに拗ねた色を含ませて俺を見た。
友達やってた頃には到底見せることのなかった甘えた表情。多分今も、俺にしか見せないんだろう。
つきあうことになってからあゆなは、今まで見せたことのなかったいろんな表情を見せるようになった気がする。そしてそのどれもがきっと俺の前でだけ見せる表情なんだろうと思えば少し、面映ゆい。
「最近、前よりあゆなが可愛い気がしてきてるから大丈夫」
「どっか失礼な言い方よね、それって」
「……どこ、行きたい?」
キスした姿勢そのまま、あゆなを両腕で囲んだままで笑いながら尋ねると、あゆながにこっと笑った。
「わたしね……」
言いかけた言葉を遮るように、家の電話が鳴り響いた。
「……」
「……」
思わずニ人して電話を無言で見つめる。あの、しつこい無言電話からこっち家電話の音には過剰反応する習性がしみついてしまった。
「そう言えば啓一郎、番号変えたの?」
「変えてない」
俺の返答を聞いて一瞬言葉に詰まったあゆなが「変えてないのぉ?」と呆れたような声を出した。
「うん」
めんどくさかった、と言うのはあるんだけど。
ちょうどあの頃から無言電話は減ったし、変える手続きとかどうするもんなのかなあとか考えてて……ここにしかかかってこない電話があることに……気がついたりして。
そんなふうに少し迷っていると、なかなか重い腰が上がらずに結局変える作業をしていない。
だけど無言電話が来ようが来まいが、俺の電話番号がばらまかれてるってことに変わりがあるわけじゃないんだから、変えた方がいいのは確かだよなあ。
「ねえ」
「うん?」
「電話、出ないの?」
「あ」
電話のベルを聞きながらぼーっとそんなことを考えていた俺は、あゆなに言われて我に返った。
そりゃそーだ、出なきゃ切れちゃう。
慌てて受話器に手を伸ばすが、たどり着く寸前で呼び出し音が途切れた。
「あ」
「あ」
切れちゃった。
「……もう。ぼけっとしてるから」
「まあ、いーや」
伸ばしかけた腕を床に下ろしながらそっと息をつく。
家に直接かかってくる電話の心当たりは、あんまりあゆなと一緒の時に出るもんじゃない、ような気もするし。
「さて。出かける用意でもしよーかな」
時計を見ると、九時半。
帰ってきてすぐ床に行き倒れていた俺はシャワー浴びたりとかそういうの、してない。
そりゃあ昨日イベント終わりで一度リセットはしてるけど、その後あんだけ長い時間飲まされてりゃシャワーの効果なんかなくなろーと言うものだ。
「なつみさんは、元気?」
シャワーを浴びようかなと思っていると、突然腕の中であゆなが顔を上げた。
「……うん。多分、だいぶ元気」
「そう。良かった」
「なつみにさ、友達を紹介してやって。こないだ」
「紹介? 男の子?」
「違うよ。女の子。……前に、言ったろ? あいつ和希中心で生きて来ちゃってるから、気を許せる女の子の友達、少ない気がするって」
「だって美保さんは? 仲、良かったんじゃないの?」
「仲いーけど、あいつ結婚……そう言や四月末に結婚式あるんだよな」
「あ、とうとう」
「うん。それはともかく、したらそれが思ったより相性良さそうで。なつみ自身、和希とごたごたあって開き直ったって言う感じあるし。何とか立ち直るんじゃない?」
「そっか」
そこまで聞いてから、あゆなは目を細めて何かどっか嬉しそうに頷いた。
「? 何」
「なつみさんが元気に立ち直ってくれれば、もう啓一郎がそんなに気にかけてあげなくても大丈夫になるじゃない」
あゆながそんなことを言うとは思ってなくて、少しびっくりした。俺を見上げるあゆなを見返す俺の表情は多分、申し訳なさが滲んだものになってるだろう。
「ひょっとして気にしてた?」
聞いてみるとあゆなは薄くルージュの乗った唇を微かに尖らせた。
「そりゃあ……カウンセラーみたいに使われて嬉しいかって言えば複雑よ。でもわたしより付き合い長い友達なんだし……わたしだってなつみさんがどんだけ和希のこと好きだったかわかってるつもりだから、変な心配をしたわけじゃあないけど」
「うん。必要ない」
あっさり言うと、あゆなが笑った。それから顔を伏せる。
「不安にさせてる?」
「ううん。啓一郎は別に、悪くない。でも……」
きゅっとしがみつくみたいに、あゆなの両腕が背中に回された。
「……そうね。不安にはなるかもしれない」
「どうして」
「知らないでしょ、啓一郎。わたしが、専門の一年の時からずっと好きだったって」
「……」
「今付き合ってるって言うのが、嘘みたいなのよ。そのうち『やっぱ無理』って言い出すんじゃないかって気がしちゃうわ。わたしじゃ駄目なんじゃないかって怖くなるわ。だってわたしじゃなくたって、ファンの女の子ならたくさんいるんだもの」
いや、それは考えすぎだろう。
ファンはファン。支えてもらってるのは確かだけど、俺の実像を知っているわけじゃない。
応援してくれているのはミュージシャンとしての俺の姿であって人間としての俺じゃないし、そこにある俺の姿は幻影と紙一重だ。
俺に……『生身の俺』に必要なのは、その両方を知って受け止めてくれる人――今は、あゆな以外には考えられない。
「俺さ……俺ね」
不安にさせていることが、不甲斐ない。
「俺、最近、時々怖くなることがある」
「え?」
「いつかあゆなが俺に愛想つかすよーな気がして」
あゆなが顔を上げた。切れ長の綺麗な瞳が驚いたように見開かれている。
「不安にさせてんのは俺なんだろうけど、でも不安にならないで」
「……」
「不安とか、寂しいとか、そういうのが積もって、あゆなが疲れちゃうんじゃないかと思うと……俺が、怖くなるんだ」
「……」
「失いたくないって思ってるよ。だからあゆなを悲しませるようなこと、するはずないじゃん。泣くのも、不安そうにしてるのも、もう見たくないんだ……」
付き合うことになった時、軽率な俺の行動があゆなを傷つけたのも、不安にさせたのも、遠い話じゃない。
「あゆなが、俺には必要だから」
「……」