第11話(4)
「今度飲みに行こうよ、いつなら良い?って聞いたらさ」
「……うん」
カンッ。
「『和希があいてない時』って言うんだ、あいつ」
「……」
「……体はもう壊してないのかもしんないし、元気になったのかもしんないけどさ」
カンッ、カコンッ。
外した。受け皿に乗り損ねたボールが飛び跳ねて落ち、繋がった紐でぶらんと宙吊りになる。
「その分、お前にいってる負担がでかいような気がして」
手首を回した反動でボールを跳ね上げる。てっぺんの三角の棒にハマり損なって、またボールがぶらぶら揺れながら宙吊りになった。
「そんなことないよ。俺も、出来るだけニ人にはならないようにしようと思ってるし、友達と何人かでメシ行ったりとかするくらいだし」
本当か?
「由梨亜ちゃんとは、会ってる?」
「うん。……ま、そんなにゆっくり会えてるかっつったら、そりゃ会えてないけど。でもそんなん、啓一郎だってそうだろ」
おう。
「まあな」
「何威張る理由があるんだよ。……まあ、こういう状態だと、どうしても彼女に会う時間を作ろう作ろうって友達を疎かにしかねないし、なつみのおかげで何だかんだ友達と会う時間作ることになってるし、それはそれでいーんじゃない」
「おお。前向きな発言。あんびりーばぼー」
「……馬鹿にしてんの?」
本音じゃないことはわかってるけど、そう言うならそう言うことにしておこう。
そう思って敢えてけたけた笑う俺に、和希が白~い目を向ける。まだ片手で弄んでいたけん玉の持ち手を床の上に立てて、手でボールを直接ツノに差し込みながら、ちらりと和希を見る。
「ま、何かあったら言って下され」
「何かあったら助けてね」
……ところがそれは、意外と早くやってきた。
◆ ◇ ◆
その翌日は早朝……七時半に新宿中央公園から撮影の続きがスタートした。
とは言っても、メンバー撮りがあったのはワンショット――みんなで横一列に並んで振り返るだけと言うシンプル極まりないもので、あとは外でのロケは俺だけ。
武人は学校へと姿を消し、珍しく和希も大学へと消えている。と言うのも、今日が大学の卒業式だからだ。
どうせ後半は大学に行ったり行かなかったりでめちゃくちゃだったけど、そもそも既に四年だったし、単位は足りてたみたいだし。
でも卒業式くらいはゆっくり行かせてあげようってことで、和希は朝っぱらから新宿中央公園でPV撮影を強行されてから、大学への慌ただしい移動を余儀なくされている。……何か日本語がおかしい、俺。
ま、午後は和希は仕事もなく、ゆっくり学校の友達と飲みに行ったり出来るだろう。
んでその後俺は、一矢が『見物』と言う形でつき合ってくれる中、一人ぼっちのロケを敢行され、更にその後FM渋谷で『バンドナイト』の打ち合わせがあった。全部が終わって解放されたのが二十時頃だ。結構働いてると思う、俺。
「うあーっ! 終わったあーっ」
ようやく今日のスケジュールをこなして、ラジオ局を出た瞬間に伸びながらあくびをする俺にさーちゃんが苦笑する。
「ごくろーさん」
ちなみに『バンドナイト』に移動する際に一矢は帰っている。ま、休める時に休む方が得策でしょう。
「この後どうする? 啓一郎くんは」
「俺?」
「うん。真っ直ぐ帰るなら車乗っけてくし。まあ、いきなり『今から六甲山に行く』とか言い出さなきゃ、どっか行くんでも送ってあげるよ。常識範囲内の場所なら」
……何で六甲山?
「さーちゃん、事務所戻る?」
「戻るよ。何で? そっち方面?」
「そっち方面って言うか、ブレイン」
俺の答えにさーちゃんが首を傾げた。
「そりゃあ俺も楽でいーけど。全然。でもどうしたの? 何かあったっけ?」
促されて、車を停めてある立体駐車場に向かって歩き出す。
この辺りは、新宿と同じで昼も夜も人がひっきりなしだ。特に渋谷は新宿より若い街だから、仕事帰りの社会人に混じって、『いかにも遊びに行きます』って風体の若い女の子やナンパ狙いみたいな軽い雰囲気の若い男とかが入り乱れている。
「こないださ、俺、『バンドナイト』の資料、みんな渡しちゃったっしょ?」
「ああ、うん」
「せっかく今日早いから、勉強しとこうと思ってさ。だから借りて帰ろうと思って」
「ああ。そうだよ、何であれ、俺に渡しちゃったの? つい受け取っちゃったから事務所に持って帰っちゃったじゃん」
駐車場について車のロックを外しながら、さーちゃんが笑う。カシャンとロックが動く音が聞こえて、助手席のドアに手をかけた。そのままするんと中に乗り込む。
今日は地方行く時にクロスが借りているバンじゃない。さーちゃんのレジェンド。
「さーちゃんて彼女いないの?」
エンジンを入れて、ハンドブレーキを下ろしながらミラーの位置を見ているさーちゃんに何気なく尋ねると、さーちゃんがハンドルに突っ込んだ。
「……こんな仕事をしてるとね、彼女が出来たって続かないんですよ。どうせ」
「何で?」
「会ってる時間なんかろくすっぽとれないし、そもそもそういう出会いがそうそうないでしょ」
ふうん? そう? 出会いなら凄く豊富な気もするけど。
「じゃあこれはさーちゃんの趣味?」
フロントグラスに吸盤でくっついてぶら下がっている謎のキャラクターのマスコット。
指でちょこんと弾いてやると、車を発進させながら「前の彼女の趣味っ!」とさーちゃんが怒鳴った。
「へぇー。ほぉぉ。ふぅーん?」
「それが何か?」
「べぇつにぃー」
さーちゃんの弱み、発見。
ぐるーっと螺旋状になっている立体駐車場を下りながら、にやにやする俺を、さーちゃんが横目でちらっと睨んだ。
「俺に恋愛話があるのが変ですか」
「変」
「……キミらだって人のこと言えないでしょどうせ。女の子の一人ニ人、たぶらかしてるでしょうが」
「たぶらかしてるって……」
人聞きの悪い。
「ファーストのレコーディングの時、スタジオに誰か来てたって聞いたよ? 女の子」
「ああ。そのコをたぶらかしてるのは和希」
さーちゃんのセリフに便乗してそんなふうに答えると、駐車場の出口まで降りてきて駐車料金を払いながら、さーちゃんが苦笑いを浮かべた。
「和希くんだったら真面目に付き合ってるんだろうなーって気がするよなぁ」
「……どういう意味? その差別は何? さーちゃんの認識ってそんな感じ?」
「そんな感じ」
ひどいな。
道玄坂のひどい混雑を嫌ってか、さーちゃんの運転するレジェンドくんが裏道に入る。急に街灯の数が減って、辺りは結構暗い道に変わった。
「ま、恋愛するのもいーけど、ガタガタしないようにね」
「何? ガタガタって」
「演奏とか仕事とかに直撃の影響受けても困るでしょ……。あ、煙草とか吸っていいよ、全然」
「うん。ありがと」
何か勧めてくれたので、つい煙草をくわえながら窓を少しだけ開けた。駅の方のざわめきや車の音が、急に車内に流れ込んでくる。
お洒落をした女の子たちが数人、車とすれ違うのをぼんやりと見ながら、何となく指先でさっきのマスコットをつつきまわしてみる。
「さーちゃん、何で別れたの?」
「俺に聞かないで相手に聞いてくれる?」
「わかった。電話番号教えて」
あっさり言ってやると、さーちゃんが「俺が悪かったよ……」と呟いた。よし。俺の勝利だ。
「別に……忙しかったからじゃない?」
「ふうん? 森近サンについてる頃?」
「そう」
「今みたいに忙しかった?」
くわえただけだった煙草に火をつける。さーちゃんの目が、前方に現れた大通りの赤信号でつかえる車の群れ……その、更にどこか遠くを見ている。
「今より忙しかったよ」
ずるっと助手席のシートに深く沈みながら、ふわふわと風に流されて吸い出されていく煙を何となく目で追った。さーちゃんがカーステレオを再生する。流れてきたのは、俺も結構好きな傾向の、ちょっとマニアックな洋楽だ。
「それだけじゃないだろうけど。こういう仕事……しかも女の子のマネージメントなんかやってたしね。嫌だったみたい。いろいろと」
「あぁ。でもそれってしょうがないんじゃないの? 仕事だし」
指先に挟んで立てた煙草の先がチリチリと燃えるのを見つめながら、さーちゃんが前にマネージメントをやってたって言うアイドルの女の子の顔を思い浮かべる。
可愛いコだったような気がする。どっちかつーたら、ちょっとロリ系入ってるような、あどけないカンジの女の子。良く知らないけど。
「でも、そう簡単に割り切ってはくれないでしょ? 啓一郎くんの彼女は割り切ってくれる?」
む、難しい問いだ……。
信号待ちの列に合流して停まった車内で、今度はあゆなの顔を思い浮かべた。次いで、こないだ見た由梨亜ちゃんの泣き顔が蘇る。
「……まだ、良くわかんない」
「ファンのコとかにヤキモチ妬いたりとかさ。されても、俺の立場からしても凄く困るんだけど」
増えてくんなきゃ困るからねー、と目を細めるさーちゃんの横顔が、変わった青信号の緑色の光に照らされた。
「別に何かあったらそういう相談とかも全然乗るけどさ。俺で良ければね」
大して恋愛経験ないから相談になりゃしないけどさー、と言いながら、動き出した車の流れに合わせてゆっくりとアクセルを踏み込む。
「アーティストのメンタルケアも重要なオシゴトでございますから」
冗談めかして言うさーちゃんに俺も笑いながら、ほとんど吸わずに終わった煙草を灰皿に押し付けた。少し空気が入れ替わるのを待って、窓を閉める。
「彼女と仕事、天秤にかけたりした?」
「えー? 俺ぇ?」
「だって彼女離れちゃったのって、何か仕事が原因の一端ぽいじゃん。知ってたんでしょ」
ようやくスムーズに動き出した車の流れに、窓の外の景色が移ろい過ぎていく。まるで気紛れな時の流れや人の心を見ているみたいに、くるくると変わる景色。通り過ぎていく風景。
「知ってたけど、別もんだよ。比較する対象にはないけど、それでもどっちかとらなきゃならなくなるんだったら……」
「だったら?」
「……違うか」
言いかけて、どっか自嘲的に笑うさーちゃんの横顔を、対向車のヘッドライトが照らして通り過ぎた。
「かけたのかもしれないけどさ。知らないうちに。俺は仕事をとっちゃったんだろうな」
「そうなんだ」
「だからこーして一人寂しく、事務所で夜中にカップラーメン食ってる羽目になる……とほほ」
「一緒に夜中に事務所でカップラーメン食ってあげようか」
「一層侘しくなるから、それだけはやめて」
って言うか実際食ったりしてるし、とさーちゃんは笑った。それはまったくその通り。実に今更。
(芽衣子にも言われたっけなー)
そう言やぁ。
『仕事に振り回されて壊さないようにね』みたいなこと。
「でも実際問題、無理だよ。彼女が嫌がるから今の仕事やめるなんて、そんな馬鹿なこと出来ないっしょ。俺は今の仕事好きだもん」
「そして夜中に事務所でカップラー……」
「うるさいな」
「……PVって、いつ頃見られるのかな、完成品」
笑いながら顔を顰めて見せたさーちゃんに、俺も笑いながら話題を変えた。変えながらも、心のどこかで考える。いや……多分、いつも、気にしてる。
少しずつ少しずつ、あゆなに心が傾いていって、ようやく安心出来る場所を見つけた気がして、だけどそれがずっとそこにあるわけじゃないような気がしてて。
友達やってた時には考えたこともなかったその想像は、結構怖いもののように思える。
いつか、あゆながいなくなるような気がして。
「シングル発売する前には、ケーブルとかで使い始めるだろうからね。五月半ばには何とかカタチになると思うよ。……かっこいいの、出来るよ、絶対」
いつか……。
「どんどん売れてく、良いきっかけになるようにしなきゃね」
……いつか、夢を追い続ける代償を。
「うん。頑張るよ」
どこかで支払わなければいけない気がして……。
ブレインで、さーちゃんから『バンドナイト』の各種資料をごっそりもらってしまった俺は、大変に重い思いをしながらそれを家に持って帰って、風呂だのメシだのを一通り済ませてから『お勉強』に取り掛かることにした。
ま、俺だって音楽好きだし、バンドとか好きだし、こういう勉強なら全然大歓迎。
もらったCDをプレーヤーに突っ込みながら、雑誌を手に取る。テレビはないけどPCでDVDは見れるから、後で見よう。
……。
(買うべきかな)
テレビ。
何か今後の為にもテレビがないと言うのは、良くないような気がする。
うーん、やっぱり時代に逆行してるのか? 俺は。
(ま、いいや)
困ったらその時に考えよう。どうせ今はそんな金はありはしない。
CDを再生してビール片手に床に転がりながら、雑誌を開いた。巻頭ページに視線を落としながら、前に広瀬に『ペルソナ』に気をつけてねなどと言われたことを思い出した。
あの時、広瀬に「クロスのファンのコが事務所の周辺をうろついてる」的なことも一緒に言われたけど、実際に俺は見たことがなかったし、大体事務所に行くのも少ないし、あんまり気にしてはいなかったんだけど。
今日、初めてそういう人たちを目撃した。正確にはもろ事務所付近じゃなくて、資料を受け取った俺が新宿駅に向かって歩き始めた辺り。
(本当にいるんだなー、ああいう人って)
今日は俺的には相当早起きして尚且つ仕事をしてきたから、疲れもあってめちゃめちゃ眠い。
なので、勢い欠伸を連発しながら眠い目をこすって歩いていたら、後ろから女の子四人に声をかけられた。
多分、全然知らない人たちだ。
声をかけられたって言っても、そんなに別に何を話すわけでもなくて、ただ「応援してるんで、頑張って下さいね」とか「こないだのミニアルバム買いました」とか「今度のシングルも楽しみにしてますー」とか、そういう普通のことを言ってくれただけで、「ありがとう。じゃあどうも」みたいにあっさり別れてるんだけど。
ああいうコとかの中に、その『ペルソナ』とかって人とかいるのかな。
別にファンやってくれるならやってくれるで、こっちは全然歓迎なんだけど。でも、そういう「メジャー控えてるんだったら誰でもいい」みたいな空気だと、やだよなぁ、やっぱ。
じゃあ別に俺らじゃなくていーじゃんって言うか。
そういうので、本当に応援してくれてる人とかが不愉快な思いするようなことになったりとかすると、困るんだけどな……。
それに、そう……あゆなが嫌な思いすることになったりとか。
しないだろうけど。考えすぎだろうけど。
つらつらとそんなことを思いながら、ページを繰る。
『バンドナイト』と言うだけあって、CDも雑誌も出ているミュージシャンは、総じてライブハウスを思い出させるような『バンド』ばかりだ。
中には下手なのとか何がしたいのかわからないようなのもあるけど、上手い人たちとかもいて……あ、でも……下手でも何でも、俺、コメントしなきゃなんないんだよな。しかも当たり前だけど、好意的に。
言えるかなぁ。このバンドだったら、キョウちゃんだったらどんなコメントしてるんだろう。
雑誌を一冊読破し、CDもニ枚聞き、さて次はもう一冊の雑誌を見ようかDVDの方に手を出してみようか、少し迷う。
迷いながら、とりあえずパソコンの電源を入れてみようと立ち上がった俺のポケットで、入れっ放しの携帯がぶるぶると振動した。
「和希?」
取り出してみて、小さく呟く。
別にかかってきて変なことはないんだけど、卒業式の後で仲間と飲みに行ったりとかしてるんじゃなかろーか。そんな最中に俺に電話たぁ勤勉……。
「ういーっす」
とりあえず電話に出てみる。
電源を入れたパソコンが、ジジジジ……と何か妙な音を立てるのを聞きつつ返事を待つと、電話の向こうの声が、掠れていた。
「……啓一郎」
その声音に、何か少し嫌な予感がした。
嫌な予感って言うか……尋常とは言えない雰囲気って言うか。
どきりとして、思わず眉を寄せる。
「どした?」
「今、家?」
「……うん」
何か、何だろう、どうしたんだ?
頼りない、消えそうに儚い声に驚いて、全意識が電話の向こうの和希に向く。いつもの和希らしくない、弱気な声。
「今、外にいる」
「は?」
外? 俺ん家の?
「……行くわ」
短く言って、通話を切った携帯をポケットに突っ込みながら鍵を掴んだ。
外に向かって飛び出しながら、また眉を顰める。
(なつみと何かあったのかな)
エレベーターで地上まで下りてマンションの外に駆け出ると、出入り口のちょうど正面に位置する向かいの細い路地に和希がいるのが見えた。停めた単車に寄りかかり、俺に笑顔を向ける。……無理矢理作った、笑み。
「どうしたんだよ」
何か今にも泣きそうに見えて、笑顔が全力で無理して浮かべてるのがわかって、駆け寄った俺の肩に和希がうなだれるように額を近づけた。
「俺、もう、駄目だ……」
「え?」
「俺にはなつみは手に負えないよ……」
「和希?」
掠れた、自分を責め続けてるみたいな笑顔を浮かべたままで、俺の肩に額がくっつくくらい俯いた和希が続けた。
「俺がいると、なつみも俺も、最低になる。……もう駄目だ。俺」
「……」
「これ以上、最低になりたくない……」