第10話(4)
「何? サンプル?」
「ええ。あげちゃっていーですよね」
「もちろん」
言いながら大股でこっちに近づいてきた広田さんは、ダンボールを開け散らかし、紙袋を覗き込んでいるさーちゃんと山根さんのそばまで来て笑いながら手を伸ばした。紙袋からCDのパッケージを数枚抜き出して、「ほい」とこっちに渡す。
「あ、ありがとうございます」
一番手近にいた和希が受け取って、こっちに回してくれる。一枚ずつサンプルを受け取って、俺たちはそれぞれ感動の余り凝固した。
(俺たちの、CDだ……)
自分たちで作ったんでもなくて、お金出し合って作ったんでもなくて……でかい企業が認めてくれて、中途半端だけど宣伝してくれて。偉いおじさんとかスタジオ来て……。
――やるからには……
プロに、なろうとしてるんだ? 本当に。
「どうしたの?」
凄ぇぇぇ……。
きっちりとセロファンに包まれたそれは、下の方に『Sample』って赤いシールが貼ってある以外は良く見る、どこにでも売ってる普通のCDで。
ただ、アーティストの名前がGrand Crossってトコが……。
(すっっっげえええええー……)
心の中で、つい繰り返してしまう。
ロードランナーでも出してるけど、出てるけど、多分製作費が全然違う。ジャケ写の写真から色合いから光沢から全てが別もんに見えて、さすがソリティア―メジャーって気がした。先入観はあるだろうけど。
「あの、広田さん」
全員が感動の沈黙の中、和希が遠慮がちな声を出した。
「もう一枚とか、もらえますか?」
「ああ。いーよ、全然。君らのタイトルなんだから。ニ、三枚ずつくらい持ってったら?」
言いながら広田さんが更に八枚、紙袋から抜き出してくれた。
ので、受け取る。
(あゆな……)
に、あげようかな。喜んでくれるだろうか。
「家族とか友達とか、渡したい人いれば言って。ロードランナーや潜沢さんには送っておくけど、他にも送っておいて欲しいところあったら香織ちゃんに言って。送ってもらうから。ファーストだから、あげたい人いるでしょ」
言って俺らを見回す広田さんに、何だか照れを含んだ沈黙が降りる。
家族か……家族ねぇ……。
やだなあ、渡して「おかーさん、啓ちゃんの歌より『ROUND』のCDが良い」とか言われたら。
本当に言いそうな気がして軽く頭痛を堪えつつ、ジャケ写にしみじみと視線を落とす。
和希、は……。
(由梨亜ちゃん、だろうな)
もう一枚欲しいって。
……あゆなにあげたら、喜んでくれるかな。
俺たちの、初めての……ちゃんとした、CD。
(今日、会えるかな)
今はまだ仕事中だろうな。
俺が自由になるのが何時になるかわからなかったから、帰ったら電話するよって話で会う約束とかしてるわけじゃないんだけど。
でも俺は別にこの後バイトに入ってるわけじゃないし、明日も朝は早くないし。
(事務所出たら、メールしとこう)
もう帰ってるから終わったら連絡くれって。
「あとねこっちがピンバッヂ。可愛いでしょ。んでステッカー。……あ、これこれ、リストバンド。メンバーだけね、これは。非売品。こっちのこのステッカーも非売品」
「おおおおおおお」
「あ、やったぁ」
「凄ぇ、全部違う」
「好きなの一個ずつ持ってっていいよ。あげる。バッヂとかステッカーとか……あ、こっちストラップ。販売品。持って行きたいの、持ってって」
かっこいい。
やっぱりプロがデザインしてプロが作ったもんは違うなあ。
「単車に貼っちゃお」
「ストラップつけちゃお」
「……あんまりべたべた貼るとダサくなるから、やめろよ?」
「俺、友達の鞄に貼ってやろ」
「武人、教室に貼ってくれば?」
「……そんなところ構わず貼りまくってたらなくなっちゃうでしょ、キミら」
ダンボールに顔を突っ込む勢いで騒ぎ散らす俺たちに、さーちゃんががっくりと宥めるように苦笑いを浮かべた。広田さんなんかは腹抱えて笑い転げている。
「素直な反応だなー。君らはいっつも反応が素直でいーよねー」
馬鹿にされてるんだろうか。
「わたしももらってっていーですか?」
「ごっそり持ってって売っ払うとかじゃなければいーよ」
「……自分用です」
リストバンドの争奪戦を繰り広げ、一通りもらうものをもらって満足した俺たちは、すっかりご機嫌のハイテンションで事務室を後にした。出て行く俺たちの背中を広田さんの声が追いかける。
「頑張って売ってね」
手売りなの? 俺ら。
「お疲れ様でしたー」
「ありがとうございましたあっ」
「お疲れ様。サンプル出来たから忙しくなるよ。健康管理だけしっかりしてね」
「……『忙しくなるよ』?」
「……今より?」
まさに『追い討ち』と言う感じでぼそっと呟いた和希に、一矢がげっそりした声で同調する。一緒に事務室の外に出てきたさーちゃんが、笑いを浮かべて頭をかいた。
「ま、しょーがないね。本格的なプロモーションはこっからになるんだから。じゃあ今日はこれでお疲れさま。明日十三時半に潜沢さんだから、忘れないようにね。迎えに行くから。武人くん、寝坊しないで学校行くんだよ」
「ふわーい」
「送ってこーか?」
「俺いーや。寄り道してくから。さーちゃん、どうせまだここで仕事してくんでしょ?」
「俺も、いーや」
ちらっと時計を見てから、和希の言葉に便乗する。まだ時間はあるんだし、確か上の会議室って、ミニコンポ置いてあるんだよな。そこかリハスタか……空いてたら、これ、聴きたい。
「さーちゃん、リハスタか会議室って空いてる?」
片手にCD持ったまま尋ねる俺に、さーちゃんがきょとんと首を傾げた。受付の窓を開けて使用表に手を伸ばしながら、俺を振り返る。
「さあ? 何? 今から仕事すんの? 頑張るねー」
「ぢゃなくてー。空いてたらそこでコレ聴いて帰るっ! 今聴きたいっ! 大音量で聴きたいっ!」
どんなんなっただろう? 買ってくれた人は、どんなふうに聴くんだろう。
凄ぇ聴きたい。『俺たちの音』として、初めて世間にちゃんとしたでかい流通を使って売られる音。――俺たちの、CD。
「あ、それ俺も行く」
「あいてるみたいだよ、上。会議室の方」
一矢がひらっと片手を挙げて俺に便乗するt、さーちゃんが振り返った。和希と武人が出入り口に向けて歩き出す。
「んじゃ俺ら行くね」
「お疲れっすー」
「あ、うん。お疲れー」
ニ人とさーちゃんと別れて、一矢と並んで階段に足を向ける。ニ人してしみじみと、手の中のディスクに目を落とした。
「凄いね……」
「……うん。出来ちゃったんだなぁ」
「これ、クィーンズとかに並ぶんだよ」
別に平積みしちゃあくれないだろうけどさ。
まだ、一枚。
でもこれが、枚数が増えたりしたらちゃんと『Grand Cross』ってネームプレートがついたりすんのかもしれない、なんて。
まだまだ全然だけど、そんなふうに考えることそのものが完全な妄想ではない……少なくとも頑張れる道筋はあるんだ。自分で作って手売りで喜んでるんじゃなくて、俺たちが足を運べないようなところにもちゃんと……。
だってこうして……ソリティアって言う、誰もが知ってるレコード会社から音源が出るんだから。
「映画の宣伝もさ、俺らももっとしようよ、ライブとかで」
「そうねー。あっち見てくれる人増えれば、自動的に耳にする人が増えてくれるってことだもんね」
「うん。あ、でも映画の宣伝用フライヤーってもらえるんでしょ? いつだっけ? もう全然出来てると思うんだけど」
「あれ? でもそれってもうライブで……会議室、どっちかな? ニ階?」
「じゃないの?」
視線はCDに釘付けのまま、階段を上がりきる。ようやく顔を上げて、目線を前に向けた。
レコスタのコントロールルームから明かりが漏れてくる。誰かいるらしい。リハスタの方にも人影が見える。誰かまでは良くわからない。
そこを通り過ぎて何気なく会議室の方を見ると、こっちも電気が点いていることに気がついた。
(あれ? ドアが……)
開いてる、と思った瞬間、思わずずざっと後ずさる。
はめ込まれたドアの窓から見える中の様子に「まずいもの見ちゃったんじゃ?」と言う気になった。
……広瀬と、如月さん。
広瀬は多分、泣いてるみたいに見えた。いや、泣いてるわけじゃないのかもしれないけど、元気ない感じ。
で。
軽く如月さんの胸に額がつきそうに俯いて、両手で顔を覆っている。
宥めるように、あるいは慰めるように、如月さんの片手が広瀬の肩に乗せられていた。こっちに背中を向けているので、その表情まではわからない。
僅かに開いたドアの隙間からは何の音も声も聞こえては来なかった。
「……」
不意に、隣で一矢が黙って踵を返す。無言のまま背中を向けて元来た方へ戻り始めたので、俺も慌てて後を追った。
「おい」
もの凄く小声で呟いて一矢に追いつくと、何の成果もないまま階段を下りる羽目になりながら、意味もなくそっと振り返ってみる。どうせ見えるわけじゃないんだけど……。
(どうしたのかな)
何かあったんだろうか。
ってゆーか、如月さんって付き合ってんだよな? 何だっけ、Opheria?
浮気とかって雰囲気でもなさそうだけどさ、そりゃ。大体事務所だし会議室だし。人に見られて困るようなことするとは思えないし。
どっちでも俺には関係ないけど。
「いや、やっぱほら、『おつでーす』なんつって声かけられる雰囲気じゃないでしょー」
そりゃそーなんだが。
軽い口調を崩すことなく言う、けどどっかぎこちない、どっか作ったような一矢の笑顔に何だか複雑な気がした。
『気になる人がいる』と言っていた一矢の浮かない顔を思い出す。
「……広瀬だったのか」
ぼそりと言った俺を、少し先の階段を下りている一矢が、複雑な表情を浮かべて振り仰いだ。苦笑いを浮かべる。冴えない、元気ない感じの表情。
ロビーには既に人の気配がなく、ただ階段を上って下りるだけの羽目になった俺たちに、山根さんがガラス越しに頭を下げてくれた。それに頭を下げ返して外に出ると、まだ冬の名残を残した冷たい空気が肌に触れる。
「ま、そゆことざんす」
「……」
「こっち向いてくれるよう頑張るとかつっても、相手が如月さんじゃあなあって気ぃしたりして。随分ランクダウン……」
思わずその頭を平手でばしんとひっぱたく。
「そーゆー言い方は良くない」
「んでもさあ、お前、あの人に勝てると思う?」
……うん?
「……」
「……」
「……」
「……」
「……和希なら勝てるかもしんない」
そんな更に別の対象を挙げられても、と一矢が苦笑する。ごもっとも。
ま、俺があの人の何を知ってるかつーたら、何も知らんのだが。
ルックスはそこそこ女受けしそうだし、人気バンドのギタリストだしってくらいで。
「でも大体彼女いるんでしょ」
広瀬だって振られたって言ってんだし。
俺の言葉に一矢は「はは……」と頼りない笑みを浮かべた。
「まあね」
だったら別に、気にすることないと思うけど。そりゃあさっきの雰囲気は何かただごとじゃなかったけどさ。
「だけど、あの人好きになった紫乃が、俺みたいなの好きになると思えない。あいつが今でも如月さんのこと凄い好きなんだろうなってのは知ってるし、比較されたら勝ち目ねーもん」
広瀬が比較するかどうかは別にして、彼女が好きな男を目の当たりにしているだけに自分と比べる気持ちはわかるんだけど。
流れで何となく並んで新宿駅に向かって歩きながら、そう思う。
思春期にコンプレックスの塊だった俺だって、他人と――幼なじみの克也と自分を比較してへこんだことは多々あるわけだし。
そうじゃなくたって直近の話で言えば、俺だって由梨亜ちゃんの好きな奴……和希を間近にしていて、自分と比較したりしたことはあるし。
今でもそうやって、元気なくした時とかはつい他人と自分を比べてへこんだりすることもあるけど。
でも中学の時、落ち込んだり考え込んだりするのを繰り返して気がついたんだよな。他人と比較してへこんだって、そいつになれることは生涯ない。自分は自分でしかない。嫌でも何でも一生つきあわなきゃなんないんだ。
だったら自分を好きになってやった方が楽になるんじゃないか? 好きになれそうもなかったら、好きになれそうな自分を作れるよう頑張るしかないじゃないか。
そうしたらせめて、『努力出来る自分』を……『前を向いて頑張れる自分』を好きにはなってやれるかもしれない。
自分さえ好きになれないような自分を、誰が好きになってくれる? 自分にとって最大の味方は自分だ。
……そう、思うことにしている。
「比べるなとは言わないさ。でも比べるなら、マイナスにただ無駄に比べるなよ。尊敬出来る点があるなら見習うのもいーけど、俺は相手とは違う自分を伸ばす方がいーと思うけどな」
だって誰かをコピってたら、一生オリジナルにはなれない。オリジナルを追い越すことは多分出来ない。
「それでこっち向いてくんなくたってしょーがねーじゃん。相手にだって好みがあるんだから。それは別に優劣の問題じゃなく、カレーよりピザが好きって話だろ。へこむには決まってるけど、自分を否定するような理由にはなんねーよ」
何だかムキになったように口にする俺に、一矢が小さく苦笑する。んで、なぜか俺の頭をぽんぽんとなぜた。
「前向きねー。啓ちゃんは」
どいつもこいつも気軽に人の頭をなでるなっ! 手置きか何かと間違えてないかっ?
「……馬鹿にすんなよ?」
「してましぇん」
一矢を横目で睨んでやってから、そびえ立つ高層ビルの隙間の空を見上げる。
ビルのてっぺんに赤いライトがちかちかと光っているのが見えて、代わりに暗い夜空には何の姿も見つけ出すことが出来なかった。
(どーしたんだろなー)
ラーメン屋で如月さんが好きだったと話してくれた、広瀬の泣きそうな表情を思い出す。
さっきの様子は如月さんが広瀬を慰めているように見えたし、俺じゃないけど広瀬も忘れるのはしんどいんじゃないだろうか。
(いや……俺以上、かな)
メディアに露出してる相手ってのは、どうしたってそばにいなくても現状が目につくだろう。
テレビをつければ音楽番組で出てきて、新譜のCMで流れて、本屋に行けば雑誌の表紙に載っていて、街を歩けば看板が目に入るんじゃあ、頻繁に思い出すなと言う方が無茶だ。
ちらりと隣を黙って歩く一矢の、高い位置にある横顔に目をやる。
俺は今は、あゆながいる。
『恋愛』要素の部分をあゆなに向けることが出来て、それは多分俺にとって思ったより楽にしてくれている。
一矢が広瀬にとってそんなふーになれれば、いーんだけどな。そりゃ、多少女癖は悪いけど。
「お前、どーする? この後」
一矢は結構へこみやすい。そうじゃなくても、兆しの見えにくい恋愛しててあんな場面目撃した後じゃへこむだろう。
そう思って尋ねると、ぼーっと前を見て歩いていた一矢がこっちに顔を向けた。
「えー? どうも?」