第10話(3)
ぽつんと言った俺の言葉に、三人の視線が集中した。一矢を見上げる。
途端、何食わぬ顔でとんでもない言い掛かりをつけられた。
「啓ちゃん、ライブハウスに火ぃつけたりしないでね」
待ていっ。お前はどーゆー目で俺を見とるんだっ?
「そーゆー凄まじい誤解を招く発言はやめていただけます?」
彼女たちの俺を見る目つきが、危険物もしくは犯罪者を見るそれに変わる。……待ってくれ。お願いだから。
「ちがあああううっ! そうじゃなくて! ……あのね、ウチのギタリストが前に言ってたわけ」
言いながら、ちらりと和希に視線を向ける。
解放されたらしい和希は、武人と一緒にドラムのバラしにかかっていた。つられたように彼女たちの視線も和希に向けられる。
「『競合して一緒に成長していく相手』だって」
「……」
「それ聞いてなるほどなーって思ってさ。俺らも彼らのことって聞いてんの。君らとは逆の言い方で」
両手をポケットに突っ込みながら、目を丸くして俺を見ている彼女たちに苦笑を返す。
俺も、LUNATIC SHELTERのファンと絡みがあるまで考えもしなかったから、彼女たちもこっちにどんなふうに話が来てるかなんか考えてもなかっただろう。
「俺はムキになるタチだけど、ウチのギタリストは冷静な奴なもんで、そんなふーに言われた。言われてから考えた。世の中こんだけバンドがいて、俺らと彼らだけ特定にそんなん言われんの、煽る為としか考えらんねーもん」
相手の事務所の意図までは知らんけど。
でも、何考えてんのか良くわからない広田さんは、確かに俺らのケツひっぱたく為なんだろーなとしか思えないし。
「実際世間がどう見るかは知らねーけどさ。でもそうやって向こうもこっちも煽られてんだとしたら、ライバル意識は持ってもいんじゃん? 勉強になるかもしんないじゃん。こっちがそうやって頑張って、向こうもそれ見て頑張ったら、結構面白いかもよ」
でしょ?と一矢を見上げると、一矢も苦笑を浮かべて俺を見下ろした。
「そう楽天的に行けばいーけど」
「自分らが成長して相手も成長して、それでこっちが潰れるんなら実力がないんだよ。いろんな意味での。実際そうなったらそれで済まないんだろーけど、だからって実際どうしようがあるわけでもない。ムキになって、でも冷静に、頑張るしかねーじゃん。だったらやっぱ、ステージ見ときたいじゃん」
髪をくしゃっとかきあげながら、彼女たちに顔を戻してにこっと笑顔を向ける。敵意があるわけじゃないことだけはわかって欲しい。
「ホームグラウンドだったら、一番実力が発揮出来る一番良いステージを見せてくれるっしょ? それを見たい、俺。明日の自分らの為に」
傾向が似てるならその分、評価は多分シビアになるけど、好きになるかもしれない。
自分たちの中に欠けているものがあるとすれば、それを見つけ出せるのかもしれない。
「うーん……」
俺の視線に折れたように、彼女たちはまた目線を交わし合った。それから、バッグの中からフライヤーを取り出す。ため息と共にそれを差し出すと、上目遣いに俺を見上げた。
「ライブの、場所」
「まだ、入れるかはわかんないけど」
受け取って視線を紙面に走らせた俺は、再び顔を上げて彼女たちに礼を言った。
「ありがとう」
今夜、初めて目の当たりに出来るかもしれないLUNATIC SHELTERの姿に、少しだけ俺の胸に緊張が走った。
「おぉー。盛況」
呉にあるライブハウス『トイズ』は、入り口からすぐ吹き抜けの小さな階段があって、下りればすぐドリンクカウンターと物販席と言う造りになっていた。ライブフロアは、防音扉の更に向こうだ。
LUNATIC SHELTERとラッシュって言う聞いたことのないバンドのツーマンライブの会場に入り込んで、フロア手前のドリンクカウンターのあるロビーで思わず言う俺に、武人がぼそりと「ウチと大違い」と呟いた。余計なことは言わんでよろしい。
さっきの女の子たちに会場を教えてもらった俺たちは、即会場に連絡を取って空きを確認し、嫌がるさーちゃんを引きずって早速こうして押し掛けている。
「別に、結構普通だよね」
カウンターでもらったソフトドリンクのグラスを片手に、テーブルに寄りかかった和希が小声でそう客層の感想を洩らす。この後運転して九州へ移動開始しなきゃなんない俺たちは、酒を飲んでるわけにはいかない。残念。
ちなみに引き摺ってきたはずのさーちゃんは、ここまで来て「関係者に会うと気まずいから嫌だ」とまた逃亡している。……誰かウチのマネージャーの逃亡癖を何とかして下さい。
「うん。普通普通」
和希の言葉を受けて、見回した一矢が頷いた。
多分LUNATIC SHELTERの物販席のすぐ前くらいで、何人かの女の子が歌を口ずさみながら一生懸命踊っている。練習でもしてんだろーか。
俺たちが前に見たのは黒ずくめの服装好みの人たちだったから、そういう感じか思い込んでたけど、ぐるっと見回すとそうでもない。
多分今ここにたまってるのは次のステージ待ちなんだろうと思うけど、見る限り、別に普通。『そういうの』もいるけど、男の客とかも結構いたりするし。
(ふうん……)
武人の言葉じゃないけど、間違いなく広島では彼らの方が盛況だ。
今は先のラッシュってバンドがやってる最中で、とりあえず飲むもん飲んでから中に行ってみようってことになっている。他人のライブ見に来るだけなんて、思えば久しくない。
「このコヤ、いーね。結構」
「うん。あとは音だけどね」
さっきちらっと覗いた限り、キャパもそこそこありそう。
ウーロン茶の氷をぼりぼりとかじりながら、壁に所狭しと貼ってあるポスターに目を向ける。メジャーが決まっているせいか、LUNATIC SHELTERのポスターは扱いがでかくて、至るところにべたべたと貼ってあった。揃いも揃って女の子受け良さそうなルックスの整ったメンバーだ。
「こないだの人とか来てて喧嘩ふっかけられても買わないで下さいよ、啓一郎さん」
「買わねーよ」
多分。
顰め面で武人に答えると、その頭をぽんぽんと撫でて和希が自分のカップを空にした。……あのなあ、撫でるなよっ。
「んじゃ入ってみよーか。せっかくだから見ておきたいし」
「うん」
空になったカップをゴミ箱に放り込んで、フロアの方へ足を向ける。
(おー……上手いじゃん)
ドアを開けると、途端に人々の熱気と共に圧力みたいに音が叩きつけられてきた。ドラムとベースの低音が絡み合った音圧。
中で音楽に合わせて思い思いに体を動かしているその間をすり抜けて、中程まで移動をする。客数はそんなにぎっしりって感じではなかったけど、って言うか正直「このキャパ、必要?」って感じだったけど、内心思わずそんな感想が漏れた。かなり、上手い。曲がちょっと粗いかな……でもベースの存在感が凄いいいな。
ただ……。
ちらりと天井の方に目を走らせる。ステージサイドのスピーカ。それからステージ上のアンプやモニター。
(ハイがきつー)
耳、壊れちゃいそう。
微かに顔をしかめると、それに気づいたらしい和希が隣で苦笑を浮かべて俺を見下ろした。
「演奏はいいのに残念」
耳元に寄せて言う声に、小さく笑いながら頷く。
(惜しいなー)
上手いんだけど、外音が良くない。PAの腕もあるかもしれないけど、多分中音……アーティストたちが出してるステージ内の音のバランスが悪い。
でか過ぎるんだろうな。爆音にしたいのはわかるんだけど、ともするとヴォーカルが埋もれがちで、それをカバーしようとしているから割れている。
(なるほどなー)
気をつけよう。このくらいの規模……スタンディングでキャパ300とかだと、まだ中音は外音にもろ影響するんだな。
(違うコヤで聴いてみたいなー)
でも中音の作り方の問題だとすると、他のコヤでもこうなっちゃうのかなぁ。でも、かなり良い感じなんだけどな。録音音源だと、また違うテイストになるのかもしれない。
外音には多少の難を残しつつも、ラッシュは凄い独特の世界観を持つバンドだった。ちょっと今のメジャーにはない雰囲気。勉強になる。
「ドラムの音、かっこいい」
「結構遊ぶの好きなドラマーだね。でも外してない。上手い」
ぼそぼそと時折そんなことを口にしながらも結構ステージに引き込まれて、演奏を終えたラッシュが引っ込むと、ステージに目隠しを兼ねたスクリーンが降りて来た。BGMの中、ステージでは転換が、フロアでは客の入れ替わりが始まって、周囲の人間が動くのに便乗してもう少し前の壁際へ移動する。新しく入ってきた客がぞくぞくと前の方へとたまっていき、ステージ前面の方には予想通り黒ずくめの集団が集っていった。
いつの間にここについてたのか知らないけれど、さっきこっちのストリートにいたコらもいる。でもいろいろ人間関係があるのか、ちらりと俺たちを見てあとは完ムシ。……ま、立場があるんだろう。
壁に寄りかかって、手近な灰皿を確認すると煙草をくわえて火をつける。
客はさっきの比にならないくらい続々と入って来て、それを見るともなしに見ていると、黒ずくめの一人と目があった。知らない人だ。
でも向こうはこっちを知っているらしい。ぎょっとしたような顔をして、彼女が周囲の人間に何か囁いた瞬間ばっと視線がこっちに集中した。武人が吹き出す。
「圧巻」
「てか、俺、今、軽く珍獣な気分」
そんなに見たら照れるでしょー?
鼻の頭にしわを寄せながら、火をつけたばかりの煙草を灰皿に放り込む。和希が微笑を浮かべながら、ちらりと俺に視線を流した。
「バケツのコ、いる? 缶の人とか」
「さあーてね。俺には彼女らの個性の区別がついとらんもん」
「これさ、BG、LUNATIC SHELTERだよね?」
「うん。多分」
頷きながら、ざわめきとステージから洩れてくる音の合間にBGMを追う。
……うん。悪くはない、んだよな。好み的に。
音作りが丁寧だし、音数がそんなに多い感じでもないのにすかすかになってなくて。
(傾向が似ているのは、そうかもしれないなあ)
要するに好みが似てるんだろう。つまり対象となるファンの傾向が近いのも、また確かだ。
凄い上手いとか良いってほどじゃないけ……。
不意に思考が、観客の歓声にかき消される。客電が消え、スクリーンが素早く上がっていった。
周囲は、ラッシュとは比較にならない人混みだ。
全然ワンマン出来るんだよな、多分。ラッシュとどんな絡みがあってツーマンだったのかは知らんけど。
そんなことを考えてきょろっと見回した俺の耳に、インストが飛び込んできた。瞬間、思いがけない感想が胸の内に一瞬で湧き上がる。驚いた俺がステージに顔を慌てて戻すと、センターにヴォーカルの姿はなく、次第にステージライトが灯っていくところだった。
(えええええ? うっそお?)
フロアいっぱいに響く音楽に頭がくらくらする。ついついその視線を和希に向けた。和希もシャープな瞳を丸くして俺に視線を向ける。それからまたステージに視線を戻し、その先にはいつの間にかヴォーカルが姿を現していた。
(嘘でしょー?)
凄ぇ、下手。
いや、アマチュアバンドって話だったら、全然アリだと思う。これより下手なバンドは腐るほどいる。
だけど、これより遥かに上手いアマバンも、俺は山のように知っている。
これがLUNATIC SHELTER?
これを、メジャーデビューさせるのか? このままで?
ライバルとか言われて、上手かったラッシュより凄い集客で、BGMのCDも悪くなくて、結構期待していた俺が愕然としている目の前で、ヴォーカルがマイクを掴んだ。
真っ直ぐ前を向く眼差し。それがふいっと俺の方を向く。多分、目が合った。
それはただの偶然だろう。見えてるわけがない。こんな壁際、人だかりの後ろ……会ったことのない俺の姿なんか。
けれど、彼は確かに真っ直ぐに俺を見て、小さく笑った。
端正な顔の上、薄い笑みを刻んだ口元が、次の瞬間歌を紡ぎ出す。予想外の感想に困惑していた俺は、その瞬間頭を殴られたような気がした。
その声を聴いた瞬間、彼らがメジャーのステージに立とうとしている理由が、わかった。
(――うわ)
俺の隣で、和希の空気が変わったのを感じる。
(こいつだ)
メジャーの音は。
デビューまでこのバンドを持って来たのは。
(凄ぇ……)
存在感の薄いドラム、キックと咬んでないベース、うるさいだけのギター……全部、ヴォーカルが持ってってる。
ヴォーカルだけが、既に完成した、出来上がった、メジャーの音をしていた。CDに負けてないクオリティの歌……リズム隊じゃなくて声が楽曲をリードしている。
バンド形態だったら、絶対俺たちは負けてない。絶対バンドのクオリティは俺たちの方が高い。演奏力も、楽曲も、まとまりも……グルーヴ感も。
だけど。
(悔しい)
全身に鳥肌が立っている。
胸に湧き上がる焦燥感。
それと一緒に、嫉妬……違う。嫉妬じゃなくて、そうじゃなくて。
(悔しい……)
……それは多分、俺が生まれて初めて感じる『ヴォーカリストとしての敗北感』だったのかも、しれない。
◆ ◇ ◆
広島でのミニFMと路上、それから九州――福岡でのライブイベントのリハと本番、帰り道にまた静岡で路上。
それらをこなした俺らが東京への帰還を果たしたのは、出てからちょうど一週間後のことだった。
福岡のライブイベントは、いろんなバンドが出るおかげで久々に見る……いや、それ以上に盛況で、俺たちを見に来てくれたわけじゃないにしても凄く楽しくて。いろんなバンドとも知り合うことが出来たし。
どのくらいいたのかな。2000人くらいだろうか。あれ全部自分トコだったら楽しいだろうなー。
で、そこそこ早い時間……二十時前くらいに東京に到着した俺たちは、サンプル盤その他もろもろ仕上がったと言う話で事務所に寄ってくことになった。
事務所に入ると、何だか妙に久々に会うような気がする事務員の山根さんが、顔を上げて笑顔を向けてくれた。
「お疲れさまですー」
「こんにちわー。遅いですね。まだいるんですか」
受付の窓越しに目を瞬くと、山根さんが軽く肩を竦めながら笑った。
「他のみんなよりは早く帰りますよ」
ふーん。何時までの勤務なのか知らないけど。
それとも普通のOLさんとかもそんなもん? 普通の企業に就職ってやつをしたことがないからわからない。
何となく受付の前んトコに突っ立って、車を停めに行ったさーちゃんを待つ。戻ってきたさーちゃんが、手の中で鍵をちゃらちゃらと鳴らしながら事務所に入って来た。
「やだな、こんなとこで待ってたの? 入ってて良かったのに。広田さんだって中にいるでしょ? いないの?」
知らない。
言いながらさーちゃんは、すたすたと俺たちの横を抜けて事務室のドアに向かった。ついつい見送っていると、一度中に入ってからさーちゃんが顔を覗かせる。
「おいでよ」
「あ、はい」
『自分の所属事務所』って言ったって、ここに常勤じゃ当然ないし、デスクがあるわけでももちろんないし、そもそも契約期間だってあるわけだし、気分は他人の仕事場だからなかなか図々しく事務室に入っていけない。
「お邪魔します」
多分和希も似たような気分だろう。
そろーっと言って、開け放されたままのドアから中に入る。
それに続いて全員が中にぞろぞろと入ると、最後の武人がドアを閉めた。中にいるのはどうやら山根さんだけだったらしい。微かに彼女のデスクの方からCRYの音源が流れているのが聴こえた。
「あ、これかなあ。かおりーん。ちょっとちょっと」
……かおりん。
「はいはい。あ、そんなとこいないで、奥入っちゃって下さい」
「はーい」
広田さんのデスクのところで何やらごそごそやっているさーちゃんに呼ばれて、山根さんが立ち上がる。通りすがりながらそう声をかけられて、つい顔を見合わせた。何か奥行っても邪魔そう。
「広田さんに何か聞いてる? クロスのサンプル」
「グッズはこの辺だと思いますよ。CDは確か……あ、これこれ」
「メンバー、あげて平気? これしかないの?」
山根さんって入社してどのくらいなんだろうな。ずっとこの事務室にいるのは彼女しか見たことがない。おかげでこの事務所の主みたいに見える。何か。
ニ人してデスクの脇にしゃがみこんでるのを何となしに眺めていると、不意に武人が後ろを振り返ってぼそっと言った。
「あ。Blowin'」
え?
つられて振り返ると、誰かが受付の前を通り過ぎて階段の方へ向かう後ろ姿だけが、ちらりと見えた。すぐにその足も視界から姿を消していく。
「Blowin'?」
「って言うか如月さん」
「あ、お疲れー」
武人が俺に答えかけたところで、事務室のドアが開いた。年齢不詳の謎の人、広田さんが入ってくる。
「お疲れさまです」