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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
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第1話(3)

 元々、専門学校を卒業して就職しなかったことに、親は不満なんだろうな。どっちかっつーと寛大で放任主義の両親だけど、長男が就活さえせずにふらふらしているのは、やっぱりあまり望ましくないらしい。積極的に俺の行動に口出しはして来ないけど、密かに「何とかなんねーもんか」と思ってるのも確かなんだろう。すみませんね。

「別にさ、ウチの親なら何も言わないんじゃないの」

 オーダーした料理が運ばれてくる。容子がパスタをフォークに巻きつけながら、まるで諭すような口調で言った。やっぱし、どっちが上なんだかわからない。

「そうかなあ」

「いいじゃん、音楽やってくって言えば。決めちゃったんでしょだって」

「そりゃそうだけど」

 ハンバーグを一口放り込んで、もぐもぐと口を動かしながら答える。

 つまり、俺は事務所が決まったって話を親にしていなかったりする。

 もちろんCDが出るんだよなんてことも言ってないし、要するに全てを勝手にやっている。

 そんな水商売でやってく気なのかと問われるのが面倒で、ごちゃごちゃ言われたらキレちゃいそうだし、大体成人してんだから親の承諾がなくたって別に問題なかったりもするわけで。

 で、つい後回しにしてどうしようかなどと思ったまま、ずるずると契約まで済ませてしまった。

 家庭の事情が複雑で既に両親と縁が切れている一矢はともかく、和希のところはやっぱり結構もめている。ちなみに武人もまだ家族には話していない。シングルが出てから話す腹積もりだと開き直っている。キング・オブ・豪胆だ、最年少。

「だーいじょーぶだって。尚香ちゃんが結婚する時だって何も言わなかったじゃん、ウチの親」

「まあねえ」

 尚香と言うのは六年近く前に結婚した姉だが、尚香の旦那も音楽をやっている人間だ。

 と言うより、尚香の旦那の影響もあって本格的に音楽活動を始めたというのが本当のところなんだけれど。……誰とは言わないけど。

 再婚である母の前の旦那との娘である尚香は、父方に引き取られていた為にそもそも俺と戸籍上は最初から繋がっていないから、基本的に俺とは他人だし。

「事情が違うじゃん」

「事情?」

「反対しようにも出来なかっただろ、尚香の場合は。既に由依がいたんだからさ」

「それはそーだけどさ」

 由依は尚香の娘――心情的には、俺にとって姪にあたる。つまり、妊娠が発覚した後に結婚ということになったわけで……反対のしようが今更なかったと言うのはひとつの理由でもあるんじゃなかろーか。わからんが。

「いずれにしても、このまんま黙ってるわけにはいかないじゃん。どうせ言わなきゃいけないんだから、さっさと言っちゃいなよ。じゃなきゃ、わたしが代わりに言っちゃうよ」

「馬鹿、よせよ。あー、面倒臭ぇよー」

「ガキっ」

 ま、言って聞く息子じゃないことは両親だって承知してんだろうし、単に俺が面倒臭がってるだけの話なんだけどさ。ウチの場合は。和希や武人と違って。

「他のメンバーはどうしてんの?」

 完全に怠慢な俺に呆れた視線を向けた容子は、ふうっとため息をつきながらパスタを口に運んだ。

「どうって?」

「家族にちゃんと話してんでしょ」

「いろいろ」

「いろいろ?」

「話してもめてるとこもあれば、話す状況にない奴もいるし、話す気のない奴もいる」

「……話す気がないのはまずいんじゃないの、さすがに」

「でも、姉貴が味方についてるみたいだし」

 未成年の武人は、身内の承諾がないと働けない。

 だけど秀才の息子がバンドでプロになるなんて親が許すとも思えず、代わりに武人の成人済みの姉貴が身元保証人になっているらしい。後々、親を説得する際には援護射撃をしてくれそうな心強い姉ちゃんだ。

「一矢さんも和希さんも元気?」

 一矢は高校時代親しい同級生だったし、和希も学年は違ったが親しかったので、俺の実家にも何度か遊びに来たことがある。

 年齢が離れていて実家に連れて行くシュチュエーションになったことがない武人以外の二人は、容子も良く知っている間柄だ。

「今度ライブ遊びに来れば。ベースの武人に会ったことないんだし」

「うん、そのうち」

 自分のハンバーグを綺麗に片付け、まだのんびりと食べている容子を頬杖ついてぼんやり眺めながら、俺は話を容子に振った。

「お前こそ、俺のことばっか言ってるけど。高三だろ? 受験じゃないの?」

「わたしは啓ちゃんと違って日頃の成績良いもの。推薦で何とかなるから大丈夫なの」

「あ、そ……」

 そりゃ失礼しましたね。

 容子が食事を終えるのを待って、ファミレスを出る。コンビニで飲み物なんかを買ってマンションへ戻ると、暗闇で留守電がまた点灯しているのが見えた。この短時間にまたですか? 何なの?

 思わず舌打ちをした俺に首を傾げながら、コートを脱いだ容子がバスルームへ向かう。

「お風呂にお湯入れるよ」

「俺、普段シャワーしか使わないから、バスタブ洗って入れた方がいーよ」

「はーい」

 電気をつけて、自分のジャケットと容子のコートをハンガーに引っ掛ける。容子がバスルームに鼻歌を歌いながら消えて行くのを見送ってから留守電を再生すると、流れたのはやはり無言だった。

「ああ、もう面倒臭ぇ」

 憎々しく呟いて録音を消去すると、CDをセットする。

 テレビがない代わりと言うわけじゃないけど、CDはだけはやたらと豊富だ。

 スピーカから流れる音楽のボリュームを適度に調整し、ジャケットのポケットから中身を取り出してローテーブルの上に投げ出す。チャイムが鳴ったのはその時だった。

 オーディオプレーヤーの上のデジタル時計に目をやると、二十二時を回っている。

 ビールだの何だのを持ってふらっと訪れるような友人など数えていたらきりがないけど、そのパターンを最も利用する友人として真っ先に念頭に浮かぶのは。

「やっぱりお前か」

 インターフォンには出ずに真っ直ぐドアを開けると、そこに立っていたのは、つい先ほどまで一緒に仕事をしていた長身の垂れ目男だった。

「ひどい言い草」

「電話くらいしてからにしろよな、一矢も」

「一矢『も』?」

「一矢『も』」

 ワタシの他に誰のこと?と呟いた一矢は、玄関を覗き込んできょとんとした顔をした。玄関には俺の靴と並んで女物のショートブーツが置かれている。極めつけはバスルームから聞こえる、バスタブを洗う水音と容子の鼻歌だ。

「いやん。啓ちゃんたら、女連れ込んでるわね?」

「……その言い方はやめてくれ。肉親だ」

「肉親?」

 一矢が問い返したところで水音が途切れた。鼻歌はそのままに、バスルームから出てくる音がする。

「洗ったよ、もうお湯ためて良いよね……あれっ?」

 バスルームから顔だけ覗かせた容子と、玄関から体を半分だけ突っ込んでいる一矢の目が合った。

「容子ちゃん」

 一矢が素っ頓狂な声を上げる。うるさい。近所に迷惑なので、とりあえず中に引きずり込んでドアを閉めた。

「一矢さん」

「いいから上がれば。とりあえず」

「あ、うん。……お邪魔して良い?」

 セリフの後半は、背後の容子に向けられたものだ。俺にもこのくらいの気遣いをして欲しい。そう内心ため息をつきながら部屋へ戻る。その後を、長身を少し丸めるようにしてのそのそと一矢がついて来た。

「あ、はい……」

 戸惑ったように視線を泳がせ、容子が会釈する。

「ひさしぶりだよねえ。元気?」

 旧知の人間とは言え人見知りを発揮して少々大人しくなった容子に、一矢はあっけらかんと笑ってみせた。ローテーブルのそばのクッションを引き寄せて座り込んだ俺に倣うように、座り込んでガサガサと手土産のビニル袋の中身をテーブルに並べ出す。

「あ、はい。あの、お久しぶりです」

「んで、容子ちゃんはオフロに入るところ?」

「あ、ええと……」

「お構いなく入ってくれて良いのよー」

 ビニル袋を漁りながら軽い調子で続ける一矢に、容子は曖昧な返事を返した。

「お前みたいなケダモノがいる家じゃ、おちおち風呂にも入れないそーだ、ウチの容子は」

「……あのねえ。兄であるアンタがしっかり監視してれば良いでしょケダモノは。まさか一緒になって妹覗こうとは思っとらんだろうが」

「そりゃそーだ。安心しろ容子。お兄ちゃんが守ってやるから」

「……」

 ガサガサと一矢が持ち込んだ菓子の袋を開けながら言うと、容子は俺を白い眼差しで見た。

「ってかまだ湯張ってないんじゃない」

「あ、そう? じゃあお湯たまるまで、容子さんもこちらで宴会に参加したまい」

「はあ」

 複雑な表情で頷いた容子は、バスタブに湯を張るために一端バスルームに姿を消した。ややして戻って来ると、クッションを引き寄せて床に座る。

「容子ちゃんってもうビール飲めるんだっけ?」

「この人まだ高校生」

 ピシッと一矢の額にデコピンを食らわすと、俺は冷蔵庫からさっきコンビニで買ってきたウーロン茶のボトルを取り出した。容子に渡す。

「あんたはコレ」

「お兄さんたら堅いわ。俺と容子ちゃん、ン年ぶりの再会なのに」

「関係ねえ」

 そういう俺は高校時代に飲み会をやらなかったとは言わんが、妹に対しては保護者意識なんか働かせてみる。一応。

 俺の分と一矢の分のビールをテーブルに置くと、一矢は残りのビールを勝手に冷蔵庫にしまった。戻るのを待って、軽く缶を持ち上げる。

「ありがたく。お疲れ」

「容子ちゃんって、五年ぶりくらい?」

「多分」

 ペットボトルの口を捻りながら、容子が答えて頷いた。五年か。俺が今二十一だから……ああ、そうか。一矢が高校を中退する前のことになるもんな。高校を卒業してからは、俺は実家に友達を連れて行くようなことはまずないし。一矢は高二の夏を待たずに中退したわけだし。

「お前、メシ食ったの?」

「帰りに武人と食った。啓一郎たち、まだだったりするの?」

「や、食ったけど。んで何しに来たの?」

「何ってことはないんだけど、別に。暇だったから」

 ふうん、とテーブルの下のバイク雑誌を引っ張り出しながら頷く。

 多分、一人暮らしをする渋谷の二十階建ての超高級マンションに戻るのが嫌なんだろう。

 ちょい前まではな……クロスのメンバーやらその周辺の仲間でたまったりしてたけどな。

 でも……。

(そうもいかないもんな。今は)

 事務所がついてバタバタしていたのもあるし、恋愛沙汰で少しごたごたしたってのもあるんだろう。まあ、ごたごたしてたのは……俺、だけど。

 ……まだ会いたい。会いたくない。会えない。

「あ、そ」

「んで、容子ちゃんは今日はどうしたの?」

 黙ってウーロン茶を飲んでいる容子に、一矢が再び水を向けた。

「わたしは、啓ちゃんに話があって」

「そうなんだ。それは俺がいるとしにくいとかそういう話だったりする? だったら俺、帰るけど」

 きょとんっと小首を傾げる一矢に、俺は雑誌に視線を落としたままひらひらと片手を振った。

「別にいても問題ない話。しかももう済んだし」

「ああ、そうなんだ」

「そう」

「だって啓ちゃんたら、CD出すって話、まだ親にしてないんですよ」

 一矢がいることにようやく慣れて来たらしい容子が、訴えるように一矢に言った。一矢の視線を受けて肩を竦める。

「……とまあ、説教しに来たわけ」

「なるほど」

「だってっ。イイ年してそうやっていい加減なんだからっ」

「お前は俺のかーちゃんか」

「妹ですっ! もうっ。一矢さんは、どうしました?」

「え? 俺が? 何?」

「だから親とかに。ちゃんと話したでしょ?」

「ああ……」

 容子は一矢の家庭環境を知らない。俺がべらべら話すことでもない。一矢はさほど困った様子もなく、苦笑してさらりと言った。

「ウチは究極の放任主義だから」

 容子一人が、要領を得ない顔をして首を傾げた。

 ――無口で真面目な父親と元気で鷹揚な母親に、気の強い姉、おっとりした内気な妹。

 間違いなく、幸福な家族に恵まれた俺は幸せなんだろう。

 普段は機会のない自覚をするのがこういう時だということに微かに自己嫌悪を覚えながら、俺はテーブルに散乱したさきいかに手を伸ばした。

「そろそろお湯たまったんじゃん。水道代払うの俺なんだからな。溢れさせるなよ」

「そう? じゃあわたし、お風呂に入ってくる」

 まだ中身の残ったペットボトルに蓋をして、容子は自分のバッグを持つと立ち上がった。

「啓一郎の方が弟みてぇ……」

 容子を見送って煙草を咥えていると、一矢が笑いをかみ殺すようにしてそう評した。うるせえ。

 煙草に火をつけながら、テーブルの下で一矢の足を蹴飛ばしてやる。

「何だって?」

「何でも……。いや、大人っぽく美人に育ったって話よ、うん」

「やらんぞ」

「……啓一郎の妹に手を出す勇気は俺にもないさ」

 ぼそりと吐いて、一矢はあぐらをかいた自分の膝に頬杖をつきながら「でも、そうか」と小さく一人ごちた。

「妹としてなら、欲しい気がするな」

「そうか?」

「うん。お兄ちゃん思いでさ、良い妹じゃん、何か」

「……妹としてなら、貸しても良いけどな」

 複雑な思いを感じ取って俺も複雑な心境で頷いたところで、流していたCDが止まる。沈黙を嫌って、一矢がCDラックを漁った。勝手知ったる他人の家、と言う態度だ。一枚CDを抜き出してセットすると、またのそのそと元の場所に座り直す。

「容子ちゃんって時々来るの?」

「たまーにね。ふらっと」

「ふうん。女の子連れ込んでて困ったこととかないの?」

 どうしてすぐそういう発想になっちゃうんだろーか、この男は。

 そりゃあまあね、確かにそういう場面があれば困りもするんだろうけど。あまり肉親に見せたい場面でもないし。

 けど、幸か不幸か、そういった事態に遭遇したことはない。大体、もうニ年半ほど特定の彼女というものがいないし、誰かと違って不特定を連れ込む性格でもない。

 あゆななんかは何度か来たりもしてるけど、関係上は友達以外の何者でもないので、当たり前だが何もない。

「ない」

 簡潔に応じると、一矢は煙草をもみ消しながらほぇーと感嘆した。感嘆されたくもない。

「啓一郎って、南斗みなとと別れてから誰とも付き合ってない?」

「ないよ」

 高校時代の彼女の名前を出されて複雑な気がする。もちろん、同級生だった一矢は、俺が当時付き合っていた成瀬南斗なるせみなとという同級生の女の子のことも良く知っている。

「卒業して……夏頃まで付き合ってたんだっけ」

「そうだよ。南斗が就職で愛知行っちゃったから、自然消滅しちゃったんだって言っただろ」

 やや不機嫌に答える。今でも、一年に一、二回は電話で話したりもするが、既にそれだけの関係だ。

 以来好きになった女の子はいるとは言え、しっかり失恋したのもそう遠い昔の話ではないわけで。

 つーか、ごくごくごくごく最近の話なわけで。

 ……はっきり言ってまだ傷心状態なのだから放っておいて欲しい。

「そう言えばさ、全然関係ないんだけど、聞いた?」

 俺の胸中を察したわけでもないだろうけど、不意に一矢が話題を転換した。

 意味もなく灰皿の灰を、まだ火のついている煙草の先でひとところに集めながら、視線を上げる。

「それだけでわかったら俺って凄いと思わない?」

「ぶらぼーですな。あのさ、LUNATIC SHELTERってバンドがさ」

「るなてぃっくしぇるたー?」

「そうそう。さーちゃんとかから聞いてない?」

「知らない」

「何かさ、俺らにぶつけてきてるって話」

「ぶつけてきてる?」

 話が見えない。

 煙草の火を消してビールの缶に手を伸ばしつつ、眉根を顰めた。一矢が新しく柿の種の袋を開けながら、こくこくと頷く。

「KIDSとかいう事務所。知ってる?」

「KIDS? LONDONSの?」

「そう」

 LONDONSというのは、中学生くらいの女の子四人のダンスグループだ。

 一昨年の夏頃デビューをして一気にスターダムに伸し上がった。主に小中学生の女の子を中心に人気があるらしい。

「そのKIDSがさ、俺らのデビューにLUNATIC SHELTERっていう色男四人組のバンドをぶつけてきてるんだってさ」

「何でまた」

「さあ」

 沈黙が訪れると、流れる音楽の隙間を縫って容子がシャワーを浴びる水音が聞こえた。

「本当かどうかは知らんから、真面目に受け止めないで頂きたいんですが。あんね、KIDSにとってブレインって、結構目の上のタンコブらしいわけですよ」

「は?」

「どんなしがらみやら知りませんが、KIDSに昔いた何とかってバンド……知ってる?」

「ああ、何とかね」

 それでいいんだったら、全てのバンドが該当すると思うんだが。

 適当な相槌を打ちながら、内心突っ込む。でも面倒臭いので、口に出しては突っ込んでやらない。

 投げやりな俺の返事に苦笑して、一矢が言葉を続けた。

「その何とかが、元々桜沢さんをヴォーカルに据えようとしてたらしいんですよ」

「桜沢……CRYの?」

「そう」

 かれこれ十年近く売れ続けている大物バンドのヴォーカリストだ。俺も好きでCDはみんな持ってるし、コンサートも何度か行っている。

 そんな憧れのアーティストと同じ事務所になるなんて幸運に恵まれたくせに、残念ながらお目にかかる機会はまだない。

「まだ、桜沢さんがブレインに入る前の話。で、すったもんだしたんだかしなかったか知らんが、桜沢さんはブレインに所属することになって、CRYが出来て」

「うん」

「しかもビッグアーティストに育っちゃったわけで。まあ、そんな経緯もありつつ、KIDSはブレインと言う事務所自体が気に入らんのだそうで」

「知らねえよ、そんなん」

 何か嫌な話って感じがして、俺はくしゃっと顔を顰めた。顔中の部品を全部センターに集めたような俺の顔を見て、一矢が苦笑いを浮かべる。

「そりゃ俺だって知らんよって言いたいけどさ。ともかくも、そんなんだから、ブレインのアーティストってのは出来るだけ潰しにかかりたいらしいって噂」

「どこで聞くんだよ、そんな噂」

「内緒。んでね、まだ続きがあるんだわさ」

 昔語りのような口調で言って、一矢は新しいビールのプルリングを引いた。それにつられて、俺も自分のビール缶を空にする。

「その新しいLUNATIC SHELTERってバンドは、KIDSにとってイチオシのパワープッシュらしい」

「ほうほう」

「そんで、たまたま似た時期にクロスって言う、やっぱりイロオトコ四人編成のバンドがデビューを目論んでる」

「ほうほう。イロオトコ四人編成ね」

「潰しちゃれ、と」

「……」

 一矢の口真似をして軽く言った俺は、続いた一矢のその言葉に口を噤んだ。黙って目線を上げると、一矢の視線をぶつかる。

「潰す?」

「何をする気かは知らないよ? さすがにデビューを阻止してくるってことはないだろうし、暗殺者を向けるわけでもないでしょうが。出来る限り、ブレインの新人を早いうちに叩き潰しておきたいってのはあるみたい」

「……って言ったってなあ」

 立ち上がって、冷蔵庫を覗き込む。先ほど一矢が仕入れたビール缶を一本抜き出すと、足でドアを閉めながら一矢を振り返った。

「どうしようもないよな?」

「どうしようもないですね」

 それ以上紡げる言葉もなく、俺も一矢も互いの顔を見たまま黙り込んだ。

 甘い世界だとは、そりゃあ最初から思ってはいなかったけど……。

「LUNATIC SHELTERが俺らに食われないよう、全力で売り込んでくると思うよって話」

「……いんじゃない?」

 それが、つまりどういうことなのかは、正直言ってまだ実感を持っては良くわからなかった。

 ただ、思う。

 音楽がやりたい、好きだから歌いたい――それだけでは済まない世界に、足を踏み入れようとしているんだ。











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