第10話(2)
「姉貴に風邪で休むって電話しといてって頼んであります」
早く家にも学校にも言いたまいよ……。
「いつまで頑張んの?」
「シングル出るまではばっくれてようかと思ってましたけど、さすがにおかしな空気になってるんですよね。特に、学校が。サンプルもらったら腹括ろうかと迷ってるところです」
「お待たせぇ」
やがて俺の連絡を受けたバンがゆっくり通りを入ってきて、俺と武人の立つすぐそばに停止した。トランクがかちょんと間抜けな音を出して開く。和希と一矢も後部座席から降りてきて、さーちゃんが車のエンジンを切った。
「啓一郎、そっち持って」
「へいへい」
最も重たいアンプ類を運び出すのを手伝ってから、今度は一矢のセッティングを手伝う。
一通り器材を下ろして、さーちゃんが車を停めに行くと言う名目で逃亡すると、和希や武人が繋いだアンプから音を出すのを聞きながらドラムセットを運び出した。手近なところに転がしたままの器材をドラムのポジションまで運んで行き、ケースから次々と中身を取り出していく。
一矢がかたかたと椅子を鳴らして高さを調整しながら、フロアタムに手をかけるのを見て片手でスネアスタンドを持ったまま待っていると、不意に背後の人通りの中から「Grand Cross?」と言う呟きが聞こえた。
この場所に嫌な思い出がついてまわり、広島と言う街に警戒を埋め込まれてしまっている俺は、ついつい頭の中で警鐘が鳴り響いている気分で振り返った。足を止めてこっちを見ている女の人と目が合う。別に俺の警戒心を呼び起こさせるような出で立ちはしておらず、どこにでもいそうな普通のOL風の女性だ。
(――?)
拍子抜けして、俺もきょとんと彼女を見る。目が合うと彼女は、ぼーっとこっちを見ていた自分にちょっと照れたような表情を浮かべて、小さく笑いながらこっちに近づいてきた。
「ごめんなさい、あの、前にもここでやってましたよね」
「はい」
「啓ちゃんやー」
ぽかんと頷いていると、一矢に呼ばれた。
「スネアスタンドないと、俺スネアセット出来ない」
「あ、ごめん」
一矢にスネアスタンドを渡してから女の人に向き直る。
「すみません。ええと、やってました」
「ですよね。前、友達と見てて。あの、今日も今から?」
「はい」
頷くと、彼女は嬉しそうな顔で携帯を取り出した。
「友達、呼びます。多分飛んでくると思う」
「まじで?」
「まじでまじで」
言いながら彼女は携帯を開けた。片手で操作して親指を動かしつつ、ちらりと目を上げる。
「Grand Crossさんて、今、ウェブサイト動いてないじゃないですか」
「それを知ってるってことは、調べてくれたってこと?」
「はは。まあ……」
目をまんまるにして尋ねる俺に気恥ずかしそうに笑いながらも、親指は止まることがない。プロだ。
俺には到底出来そうにない鮮やかな手並みを感心して眺めていると、彼女は忙しく動かす指はそのままに言葉を続けた。
「実は前回のライブの後調べて。でも何度見てもずっと休止中だから……いつ再開するのかなって。行こうと思っても、いつライブやるかわかんないんですよ。特にストリートなんかだと」
そりゃあそうだよなあ。
一応ロードランナーのサイトである程度は告知してくれてるって言っても、クロスで検索かけて最初に引っかかってくるのは、現在移行作業中で休止してる俺らのサイトになるらしいし。ロードランナーのサイトはわけわかんないし。路上なんか勢いでやってるトコあるし。
「えと、一応ウェブは、三月五日のミニアルバム発売に合わせてオープンすることになってて」
申し訳ない気分になりながら説明する俺の前で、彼女は携帯をパチンと閉じた。メールが終了したらしい。
「今、事務所が決まったばっかで、新しくウェブ作ってるところだったから、古い方の更新ってしてなくて。で、えーと」
だからそのー……どうしよう?
あまりウェブとかにタッチしてない俺は、現状を良く把握をしていない。
こないださーちゃんが出来たとか出来てないとか何とか言ってた気もするけど、公にどんな状態なのかうっすらとしかわからない俺は、和希を振り返った。
……えっ?
足でエフェクターを踏み変えている和希の向こうに、足を止めてこちらを見ている人影が見える。まだ何もしてないのに。
「和希」
「うんー?」
「ちょっと来て」
俺の声に顔を上げた和希が、ギターをぶらさげたまま片手で弦をミュートさせながら歩いて来た。俺の前に立っている彼女に首を傾げながら、笑顔で会釈する。
「何」
「ウェブってどうなってんだっけ。三月五日だよね」
「ああ」
俺の言葉で状況を把握したらしく、和希は俺にではなく彼女に向かって口を開いた。
「これまでのサイトって更新を俺がかけてたんですよ。でも今あちこち活動中で手が回らないから、ちょっと休止してるんです。三月五日にロードランナーってレーベルからミニアルバムが出るんですけど、それと同時に公式サイトが立ち上がって、ソリティアのミュージックウェブから行けるようにもなるはずなんで、良かったら遊びに来て下さい」
おお、すげぇ。流れるような営業トーク。
「今のところの活動は、そのロードランナーってレーベルのサイトでなんとなーくわかると思うんですけど」
「なんとなーく、ですか」
「なんとなーくなんですよ。可哀想なことに」
苦笑いしながら言った和希に、彼女もつられたようにくすくす笑った。
「ひょっとして調べてくれたんですか?」
「あ、ええ。ちょっと気になって。こっちって良く来るんですか?」
「いや……まだニ回目なんですよ。これからも時々来たいとは思ってますけど」
嬉しそうに顔を紅潮させながら話す彼女に笑顔を向けて、それから和希がきょろっと集まってくれた人たちを見回す。お客さんが待っているらしいことを気にしているんだろう。
「まあそんな感じで……良かったらライブの後、また気楽に声かけて下さい。やろうか」
「うん。あ、武人、さんきゅ」
俺がお客さんに引っかかっているもんだから、いつも俺がセットしているマイクとかMTRなんかのスタンバイを武人が済ませてくれていた。礼を言ってマイクに向かう。んで、俺もきょろっと見回して、思わず言ってしまった。
「えー……。まだ始まってないんですけど、どうしたんですか? あいて」
言った途端、自分のポジションに戻りかけていた和希に頭をはたかれた。
「お前ねえ、せっかくやる前から待ってくれてるお客さんに何言うかな」
「いやだって」
別にそりゃ凄い人数が待ってるわけじゃないけど。
でも既に十人くらいが待ちの姿勢で、しゃがみこんで完全に待機してる女子高生とかいる。俺らまだ、ここでやんのニ回目なのに。
そりゃあ驚きもするでしょう。
「早くー」
あ、すみません。
「えーと、何だかわかんないけど待ってくれてるみたいなんで、やりましょーか。こゆストリートとかって、ハードな曲だと足止めてくんないんでね、ミディアムバラードいきたいと思います。聴いて下さいっ……」
ハードな曲だと足を止めてくんないってのは、俺の経験上からすれば本当のことだ。
良くライブ見に来てくれるようなコとかには凄ぇ人気があるような曲、ライブハウスでやるとウケがいーようなやつでも、ロックっぽい盛り上がろうぜ系の曲って路上でやると全然足を止めてくれない。
バラードやミディアムバラードの方が人の耳に留まりやすいのか、人だかりが出来るような曲はなぜかそういう傾向にある。
ので、路上でやる時はこっちも勢いそういう傾向になる。重要。そういう選曲。
天気の良い日曜の昼間近、商店街の人通りはどんどん増えて、歌いながら足を止めてくれる人を見てたりすると結構いろんな年齢層がいるような気がした。
中学生くらいの女の子のグループから、パチンコ帰りみたいな父親くらいの年齢の人。果ては、起きてんだか寝てんだか微妙な雰囲気のおばーさん。
和希から広田さんの話聞いて、いろんなこと考えなきゃいけないのかなって思ったりもしたけど、こうやって足止めてくれる人を見てたりすると、逆に小賢しいこと考えなくてもいいのかなって思ったりもする。
ちゃんと頑張って良いものを作ってたら、それで良いのかな。認めてくれる人はいるのかもしれない。
――手応えが掴めれば
手応えか。
でも、手応えって、どこで判断すれば良いんだろう。
足を止めてくれる人が増えれば『手応え』のような気もするし、この中でニ回目がある人がどのくらいいるのか読めなければ駄目なんだろうか。
一曲、ニ曲、三曲と曲数を重ねていく。
MCを間に挟みながら四曲目に入ろうとして、さーちゃんの姿が見えた。そろそろヤバイのかもしれない。何がヤバイって、おまわりさん。
大して広いわけでもない商店街の道、四曲目ともなってくると通行人の妨げにもなってくる。
「じゃ、次で最後です。五月二十五日にソリティアから発売されるんで、良かったら買ってあげて下さい。最後まで見てくれた人、ありがとうございましたー」
拍手の中、『Crystal Moon』を歌い終えて頭を下げる。
広島でまだたったニ回目の路上、だけど思いがけず結構な人が聴いてくれて、すっかりトラウマが払拭されかけて顔を上げた瞬間に条件反射的にぎょっとした。……人だかりの奥、見覚えある黒づくめ。
(うわ、出た)
同じ人とかは正直判断がつかないけど、似たジャンルなのは多分間違いない。
「ありがとうございましたー」
「ラジオも聴いてね」
口々に言いながら内心、無事終われたことに感謝をする。
散っていく人々の中、さっき声をかけてくれた彼女や最初から待ってくれてた女子高生なんかに礼を言ったりしながら、どうしても彼女たちが気になった。ちらちらと彼女らの方を窺っていると、他の人のように散っていく様子がない。……いやだなあ。何だろう。
「啓ちゃん」
「んだよ」
「やめてね」
まだ何もしとらんっ。
やっと俺の周囲に人がいなくなったので、一矢の撤収を手伝おうと近づいた途端、ちろっと垂れ目を細めてそんなふうに言われた。一矢もLUNATIC SHELTERのファンと思しきニ人の存在に気づいていたらしい。
「あのねー、俺をそやって暴れん坊のよーに言うのはどーよ?」
「だってこのメンバーん中じゃあ間違いなく一番暴れん坊だもん」
「う」
和希は、途中から聴いてくれてたらしい高校生くらいの男の子のグループと何やら立ち話に熱中している。
時折ギターに指を伸ばしているところを見ると、多分バンドやってたりするんだろーか。
「じゃあ次はスケジュール、チェックして見に来ますねー」
「まじで? 絶対ね。俺心から待っちゃうよ?」
「あはは。それじゃあ」
「はーい。ホントありがとー」
最初に声を掛けてくれた女性とその友達が帰る前に俺に手を振ってくれたので、それに応えてからシンバルスタンドを畳む。何気なく和希の方に目を向けると、視界の隅でちらりと黒い陰が揺れた。
(――あ?)
「こんにちわー」
はっとした時には既に黒づくめがニ人、俺の背後に立ったところだった。
どうやら彼女たちは俺の手が空くのを待っていたらしい。ありがたくない。
「は、はい?」
思い切り精神的に構えながら振り返る。
俺の警戒を察したようにきょとんと目を見開いて俺を見たニ人は、一瞬顔を見合わせてからまた俺に顔を向けた。ばりばりに化粧してるけど、その顔付きは意外に幼い。いって高校生、もしかすると中学生とかかもしれない。
「んな、怖がらないで下さいよぉ」
怖がってるわけじゃないけど、ビビってる。……同じか。
ひらひらしたワンピースにごついブーツをお揃いで履いたニ人は、手に小さなトランクっぽいバッグを持っていて、そのトランクにはべたべたとステッカーが貼られている。――LUNATIC SHELTER。
(ほら見ろほら見ろ)
「あのね、あたしたち、誤解して欲しくないんですけど」
「はい」
誤解?
何を言われようとしているのかが皆目見当つかず、沈黙したまま目を瞬く。
バラし途中のドラムセットを離れて、一矢がこっちに歩いてきた。どうやら俺が心配らしい。……そんなに手がつけられないほどじゃないと思うんだけど。
「どしたん?」
「前に『LIMEOUT』でライブやったでしょ?」
首を傾げて俺の隣に立つ一矢をちらっと見てから、また俺に視線を戻して話を続ける。
「うん、まあ……」
「あれ、ひどかったなって思って」
「は?」
『ひどい』の対象が俺らの演奏とかだったらやっぱりキレちゃうと思う、俺。
だけどどうやら、そういう意味ではなかったらしい。
「めちゃめちゃにしたコたち、いたでしょ? あれ、ルナのさ……あ、あのね、あたしらもそーなんだけど、あのコらもLUNATIC SHELTERってこの辺出身のバンドがあってそのファンなんだけど」
それは知ってるんだけど。
思わず、今度はこっちが一矢と顔を見合わせてしまう。
「ルナがね、メジャーデビューするって東京行っちゃって、したら何か同じ時期にルナ潰しに出るバンドがいるとかって噂が流れて」
いや、別にそんなことする為に人生賭けてるつもりはないんですが。
思いながらも一応、黙って話を聞く。何だか攻撃的じゃない……むしろ、好意的……?
「あたしらも最初は何だよソレって思ったけど、でも別に普通にいーじゃんて思って。ルナっぽい音楽、好きだし」
それは待てっっっ!
(ルナっぽいって……)
「俺らは別に、俺らなんですけど」
ついつい憮然と口を挟むと、話していた方のコがぺろりと舌を出した。軽く肩を竦めて話を続ける。
「コアってか、視野狭いやつらは他にも好きなバンド出たりするファンを『モグリ』みたいな見方するけどさあ、別に一つのバンドのファンしかやっちゃいけないとかって決まってるもんでもないし。ルナも好きだけど、このバンドもいーなって思ったから」
……えっ?
それって……俺らのこと、認めてくれてるってこと?
驚きすぎて言葉の出ない俺と一矢に、ニ人は視線を交わし合ってから顔を上げた。これまでと違う方のコが今度は口を開く。
「だから、あんなことあったら広島、嫌いになっちゃうんじゃないかと思って。あーいうコばっかがルナのファンじゃないし、誤解して欲しくないなって思ったんです」
「全然、普通に音楽のファンやってるだけで。そりゃ、すっごいルナは好きだし断然応援してるけど。でも何か、ヤバイ集団みたいに思われても困るって言うか、そういうのばっかじゃないし」
「あ、うん」
何だ。
心の中で、そっと安堵する。
自分の中で生まれていた、LUNATIC SHELTERのファンに対する偏見みたいなものが薄れていく。
(別に、変なのばっかりじゃないんじゃん)
言われてみれば当たり前なんだけど。
言ってることは全然まともで、偏見とゆーか先入観抱いちゃってる俺の方がびっくりするくらいだった。悪かったな、とちょっと反省する。
「あの、ありがとう」
一部だけ見て失礼な偏見を抱きかけていた自分を反省して頭を下げると、彼女たちは少し恥ずかしそうに顔を見合わせて笑った。
「ありがとうってゆーか。別に、いいなって思っただけだから」
「LUNATIC SHELTERってさ、こっち帰って来たりしてんの?」
もめなさそーな気配に安心したみたいに、一矢が長い髪の尻尾を指先でくるくる回しながら懐っこい表情で首を傾げる。彼女たちは軽く口ごもってから小さく頷いた。
「あたしらが言ったって言わないで欲しいんだけどー……」
や、そもそも俺らは君たちが誰だかわからんので安心していただきたい。
「今日、呉の方のライブハウスでツーマンやることになってる」
「今日っ?」
呉ならここから遠くはない。多分。
昨日ミニFMのラジオ収録やった辺りのはず。
「まだ入れんのかな」