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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
38/69

第10話(1)

 数回のコール音が耳元で響く。

 じっとそれを聞きながら、俺の内心はちょっとばかしどきどきだった。

 全然知らない人ん家にかかっちゃったらどうしよう? やだなあ。

「はい」

 そんな、少々意識がすっ飛んだ状態でコール音を聞いていたので、それが女性の声に変わった時にはそれはそれでびびったりした。

「橋谷、と言いますが。川本さんのお宅ですか」

「……橋谷センパイ?」

 僅かな間を置いて出された頓狂な声は、どうやら俺の知っている川本恵理のものと重なりそうだ。ようやく安心した俺は、無意識に緊張していた背筋の力を抜いてほっと肩を落とした。

「うん。橋谷です」

「どうしたの? ってか橋谷センパイってあたしん家の電話番号とか知ってたんだ?」

 尋ねられて、俺は「うーん……」と小さく唸った。しゃがみ込んだその背後の壁に背中を預け、そのままずるずると座り込む。

 しんと静かなホテルの廊下は、妙に空気が乾いて冷たいような気がした。静か過ぎてともすれば反響しそうな俺の声を、床に敷き詰められている色あせた灰色の絨毯が辛うじて吸収してくれている。

「一矢に聞いた」

 俺の返答に沈黙が返る。その無言の意味がわからなくて一緒になって黙り込んでいると、やがて恵理が耳元で小さく掠れた声を出した。

「一矢センパイ……まだ、あたしの電話番号なんか持っててくれたんだぁ」

 まるで声に色がついたみたいに幸せそうな声で言われ、らしくない素直な笑顔を浮かべる恵理が見えたような気がした。

「うん」

「へへっ。諦めたつもりだけど、やっぱ嬉しいや」

 ふうん。可愛げあるじゃん。

「引っ越したりしてなくて良かった」

「ああ、うん。実家だし」

 ……。

「実家?」

 って、そうか。一矢と付き合ってた頃の恵理って、高校生だったんだ。俺じゃあるまいし、普通は実家に住んでるよな。

「お前って、実家に住んでて風俗なんかやってたの?」

 思わず大マジに尋ねてしまうと、恵理が軽く吹き出した。

「家、出てたんだよ。帰って来たの。最近。いろいろと理由があって」

「ふうん?」

「ま、それはともかく。どしたの? 何か用があるから電話して来たんでしょ?」

 じゃなきゃ橋谷センパイがあたしに電話なんかするわけないもんねー、と軽い口調で言われて苦笑いをした。そりゃそうなんだけどさ。

「あのさ、相談があって」

「相談? あたしに?」

「うん」

 どう言おうか少し迷いながら、廊下の反対側の窓に目を向ける。正確には窓の外に浮かぶ闇と、街の明かりに。

 静かな闇に浮かぶ光は、広島の街だ。ラジオの収録を終えた後のビジネスホテルで、俺は恵理に電話をかけていた。

 なつみの様子を和希に聞いてみても、曖昧な笑顔で「へーき」としか答えない。だから俺は、和希となつみが何を話したのかとかどうなってんのかとか良くわからないんだけど、念の為恵理に電話してみるか確認したら「お願いしたい」ってことなんで、多分手一杯なんだろう。

 和希を困らせてなきゃいーけど。……ま、多分困らせてるんだろうな。

 同じその時に一応「由梨亜ちゃんに心配かけてそうだったら、ちゃんとフォローしてやれよ」とも釘を刺しておいた。だけど、それに対して和希がどう出るかもわからない。

 ま、少しは注意の喚起になるだろう。ならなかったとしても、もう知らん。それ以上何をしてやりようもない。あんまり余計なことをするのもどうかとは思うし。

「橋谷センパイがあたしに相談なんて人生最初で最後だよね。多分」

「はは……かもしれない」

「何? あたしでわかること?」

「最後に俺と会った時のこと覚えてる?」

「池袋?」

「そう」

「うん。そりゃあまあ……」

 訝しげに恵理が頷く。眉でも顰めていそうな声音。

「あん時一緒にいた女の子、いるじゃん」

「ああ、綺麗な人。物販のね。……なつみさんって言ったっけ」

 ちゃんと紹介した覚えはないから、俺がそう呼んでいたのを思い出したんだろう。

 一体何と説明したものか迷いながら、ともかく恵理の言葉を肯定する。

「うん。そう」

「あの人がどーかしたの?」

「恵理、もう一度なつみと話してみない?」

 トートツっちゃあトートツな俺の言葉に、恵理が耳元で「はいっ?」とぎょっとしたような声を出した。……ですよね。ぎょっとしますよね、普通。

「何?」

「いや、めちゃくちゃ言ってるってか、わけわかんないのはわかってんだけどさ。恵理なら、なつみを助けてやれそうな気がして」

「何かあったの?」

 真面目に尋ねられて、少し口ごもる。

 夜空の向こうに、チカチカと光が点滅しながら横切っていくのが見えた。飛行機。

「何かあったって言うか……凄ぇ参ってるみたいで」

「ふうん? 手首でも切った?」

 あっさりとゆーな、そんな縁起でもないこと。

「違うよ。眠れてないみたいで。つらそうだから」

 それだけ言って黙ると、恵理も何も答えなかった。どこまで俺が言って良いのか判断がつかない。

 意味もなく自分の頬をつまんで軽く引っ張りながら言葉を探していると、やがて長くも短くもない沈黙をぽつりと恵理が破った。

「何で、あたし?」

「あの時、恵理の言葉がなつみに届いたような気がしたから。俺はどうしてあげたら良いのかわかんなかったけど……恵理、凄い真面目になつみと話してくれたじゃん」

 沈黙している恵理に、言葉の選択に迷いながら続ける。

「あいつさ、見てわかると思うけど、美人で頭良くて何につけても優秀で。友達の数なら多分多いけど、あんまり自分を曝け出せねえんじゃないかなって」

「ふうん?」

「何つーのかな。弱いところを見せらんないって言うか、周りも勝手に理想持っちゃってるから悩んでるとか口に出せないんだと思うんだよ。んで、自分で自分の中だけで追い詰めてるみたいな感じで」

「でも、それってあたしが何か出来んの?」

「逆に、恵理ならなつみの友達になってやれんのかなって気もして。弱み曝すところから始めてるし、変な先入観だって持ってないだろ?」

「そりゃそうだけどさ。でも、あの人とあたしじゃ、歩いてきた人生違い過ぎなんじゃん? それは見てわかるもん。お貴族様と下々の者くらい違うんじゃん?」

 どういう例えだよ。

「そんなあたしの言葉なんか響くのかな。スポット浴びて生きてきたみたいな人にさ、あたしみたいにぐずぐずに生きて来たどうしようもない奴のさ」

 明るく言ったその言葉に、驚いた。一瞬意味を図りかねてそっと目を見開く。明るい声音と裏腹の、それに伴う暗い響きが妙に気になった。

 まさか、そんなふうに自分を感じてるなんて……思いも寄らなかったから。

「知ってると思うけど、あたし、ホントぐずぐずに生きてんだよ?」

「知らないけど」

「そう? そうだよね。橋谷センパイも、スポット浴びてる人だもんね。わかんないかもしんない」

 いや別に浴びてないけど。

 だけど恵理から見ればそんなふうに見えるのかと思うと、何だか妙な気分がする。

「ねえ」

 恵理は恵理で、いろいろ悩んだり迷ったりしてることが今もあるんだろうか。や、あって当たり前なんだろうけど、なつみの方にばかり意識がいっていて、正直そんなふうにまで気が回らなかった。

「橋谷センパイ。あたしが何で一矢センパイが好きなのか教えてあげよーか」

「え? う、うん?」

 突然話が飛んだ。わけもわからず頷いた俺の耳に届いた恵理の声が、どこか寂しげで儚い。

「一矢センパイもあたしと一緒で底辺な生活を知ってるから」

「……」

「聞いたわけじゃないけど、あの人、多分本気で死にたくなる生活知ってるから。そこから、自分で這い上がったから」

 だから好きなんだ、と恵理は半分独り言のように呟いた。

「橋谷センパイとは多分、人種が違うんだよねー。橋谷センパイなんかは、周りにいっつも人いっぱいいたんだろーなって見ててわかる。でもあたしは、中学ん時とかタチ悪いぱーな奴とばっかつるんでたし。悪いことやって一緒に遊ぶ奴はいたけど、本当の意味での友達いなかったと思うし。……一矢センパイも、そういう意味では種類違うのかもしんないけど、あたしと一緒で自分を呪いたくなるような生活知ってる人だと思うんだ」

 『自分を呪いたくなるような生活』。

 俺だってそういうことがなかったわけじゃないし、自己嫌悪だとかコンプレックスだとかは山のようにあるわけだけど、恵理が言っているのはそういうことじゃないんだろうと言う気がして、俺は何も答えなかった。黙って聞く。

「でも、今違うでしょ。だからさ。だから……あの人見てると、あたしみたいなんでも変われんのかなって気がしてくる。どん底も頑張ればアンダー・ザ・スポットかなって」

「俺は……」

「え?」

「俺は、恵理は、底辺じゃないと思う」

 そりゃあ俺は、今の恵理のことを知っているわけじゃないけど。

「真面目に上向いて生きてなきゃ、こんなに変われない。前のお前はぐずぐずだったかもしれないけど」

 ひどいなあ、と恵理が笑った。ので、俺も小さく笑って続ける。

「前のままの恵理だったら、お前に手を借りようなんて思わない。なつみは俺にとって大事な友達だから。本音言ってお前って読めない奴だったし、深入りしたくないって思ってたもん。俺」

「……」

「でも今のお前、そうじゃないじゃん。人の気持ち、ちゃんとわかってやれる。変わったからこそ、変われるって教えてやれるんじゃないかって気がする」

 昔の、俺と知り合った頃の恵理の目つきは、世の中をひねてみていて、何かにずっと苛立ちながら投げ出しているみたいな、どこか濁った目つきをしてた。

 今は、前を真っ直ぐ見てんだなって気がする。だから、真っ直ぐ見れなくなってるなつみに手を貸してやって欲しい。悩んだことがあるんだったら尚更、悩んだことのない奴より遥かに乗り越える痛みを知っていると思う。

 俺の言葉に恵理はまたしばらく沈黙していた。

 嫌がるものを無理にとは言わないけど……これで和希も参っちゃうと俺も困っちゃうわけで。

 なつみにとっては、本人も言ってたように「新しい恋愛で傷を癒す」のは多分無理な気がしてて、必要なのは『友達』かもしれないとか勝手に思っている。

 さっきも恵理に言った通り、なつみは『勝手に理想像を押し付ける人間』に囲まれ過ぎていて、本当に弱音を吐けないんじゃないかって気がする。

 俺の知る限りでは美保だけがそう出来る友達のように思えていて、だけどその美保は今、結婚の準備で忙しい。なつみ自身、これから結婚しようと言う人相手に失恋の話ばかりも気がひけている、みたいだし。

 にわかに湧いて出た恵理がに親友になってくれとは言わない。押し付けて友達になれるもんじゃないから。

 だけど、友達って付き合いの長さで計れるもんじゃない。昨日今日知り合った人間が、生涯の友達になることだってあるはずだ。

 恋愛だけじゃなくて、広い意味で……どんな出会いがどんな明日に繋がるかわからない。

 過剰に恵理に期待するんじゃなくて。

 可能性の一つとして。

「いーけどさ」

 黙って俺の言葉を聞いていた恵理は、はあっと息を吐き出して困惑を引きずったままみたいな声で続けた。

「何が出来るわけじゃないかもしんないよ? あんまし期待しないでよね」

「うん」

「別に一緒に遊ぶくらいだったら、あたしは全然いーけどさ。いつ?」

「恵理はいつ空いてんの」

「あたしは今は何してるでもないから、いつでもいーよ。橋谷センパイの空いてる時で」

 しまった。

(俺かぁぁぁ)

 そうだよなー。俺が行かないわけにいかないもんなあ。いきなり恵理から電話かかってきたって、なつみだって「は?」って感じだよなー。

「わかんねー」

「はいー?」

 なつみと俺の都合合わせてから決めるしかないけど、俺、いつ空いてんのかなあ。

 しかも……。

「また、決めて電話するよ」

「あ、うん。じゃあ携帯にかけて」

 恵理の言う番号を携帯に記憶させて、通話を切る。切ってから、ため息が出た。

(時間ねーんだってば)

 ただでさえ。

 少し、和希の気持ちがわかる。今なら、想像じゃなくて身にしみて。

 ――少ない時間の中で会いたいのは……

(つったってなあー)

 閉じた携帯を床の上に立てて指先でゆらゆらと揺らしながら、ため息を繰り返した。

 俺の持てる自由な時間は出来るだけ……可能な限り、あゆなにあげたいと思ってはいる。

 俺自身も不思議なもんで、『友達だ』と思っていた時はさして何も思わなかった癖して、『自分の彼女』なんだと思えば会いたい気持ちもやっぱりある。

 だけど友達だって俺には大事だし、何か出来ることがあればしてやりたいとも思うし、べきだとも思う。

(しょーがないよなあー)

 あゆななら、わかってくれると思うし……あ、そうだ。

(どっかに完全にオフの日があったはず)

 来週末だったと思うけど。その日はバイトも入れてなかった、と思うんだよな。

 したら、それまでに時間のあるどっかは恵理連れてなつみと会うことになったとしても、「この日は一日マックス空いてます」って言えばあゆなも許してくれるかもしれ……。

(でも、ちょっと先だよな)

 しかもよく考えたら週末とかってあゆな、仕事じゃん? 普通に。接客業なんだから。

「あぁぁぁー……」

 あっちとこっちとそっちのスケジュールを合わせることを考えて気が滅入りながら、一層激しく携帯をゆさゆさと揺さぶる。取り上げてもう片方の指先でくるくるとストラップを巻きつけながら、ゴンと後頭部を背後の壁にぶつけた。

(早く……)

 東京で、もう少し地に足のついた活動が出来るようになれれば。

 そしたらきっと、空いてる時間をみんな、あゆなにあげることが出来るようになるのに。

 夜だけとかでも。

 少しだけとかでも。

 もっとそばにいられるようになると思うのに。

 現状、今みたいに空いても地方にいたり、バイトに割かなきゃなんなかったりしているその時間の無駄だけでもなくすことが出来れば。

 また深くため息をついて立ち上がる。

 ifばかり考えていたって仕方ない。今出来ることを考えて、望むifを引き寄せられるように努力するしかやりよーがない。

 部屋に戻りかけた足をふと止めて、窓の外の街を見つめた。

 前に宣言した通り、明日はここを出る前に前回と同じ場所でまた路上をやる。

 トラウマの残る街にしたくない。マイナスが出たなら、プラスを増やしたい。

 だから。

(見てろよー……)

 ――リベンジ広島。


          ◆ ◇ ◆


「あ、あいてる。らっきー」

 前回来たのと同じ場所を目指して武人を連れて様子を見に来ると、人の行き交う商店街の中の俺たちの『ライブ会場』に先客はいなかった。そこに向かって足を向けながら携帯を操作してさーちゃんを呼び出す。

「あいてるよー。入ってきて」

「りょうかーい」

 明日は福岡でのライブイベントのリハを控えているので、今日の午後にはここを発つ。

 その前に、前回ここでお客さんにした約束を果たすべく、前と同じ場所での路上――ストリートライブを決行する為に、俺たちはホテルを早めに出ていた。さーちゃんたちは器材を積んだ車ごと大通りでスタンバってて、俺と武人は偵察隊と言う名の使い走り。

 約束ったって誰も覚えちゃくれてないだろうけどさ。いいの、こういうのは自分自身の問題だから。

「今日って何曜日だっけ?」

 結構人通り多いなぁ。風がちょっとだけ冷たいけど、天気も良いし。

「日曜日」

「武人、明日明後日って大丈夫なの?」







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