第9話(4)
「三月だっけ? インディーズのミニアルバム」
「ああ、うん」
「あれ、先行配信やってたりするでしょ? 結構大きいサイトなんかで」
「うん」
大手レコード会社のソリティアが運営している配信サイトや試聴サイトは、やっぱりサイトもでかい。
「あーゆーのとかラジオなんかでぽつぽつ増えてきてるコとかもいたりするみたいで。……で、あたしが言いたかったのはこれなんだけど。こっからは、別に和希さんとかに言ってくれても構わないんだけど」
そういやさっき「言いたいこともあるし」とか言ってたっけ。
「うん」
「変な電話とかさ、ない?」
その言葉にどきりとする。それなら心当たりがありすぎる。
オーディションが終わってからこっち、ずっと続いている無言電話。
あんまり頭来たんで、もう諦めて留守電機能を使うのをやめることにした。今は、俺が留守の時にかけても鳴りっ放しだ。
俺の顔色を読んで、広瀬が同情するように言った。
「啓一郎くんはヴォーカルだし、露出も一番多いからターゲットになりやすい。……電話番号が出回ってる」
……。
「は?」
出回ってる?
言われている意味がわからなくて目を瞬く俺に、広瀬は呆れたような同情するような、何とも言えない視線を俺に向けた。
「だからね。……啓一郎くんの自宅の電話番号、ファンの間で出回ってるらしいよ」
「何でっ?」
ってゆーかどこからっ?
「じゃああの無言電話って……」
小さく呟く俺に、広瀬が首を傾げる。
それを受けて、俺はこのところ――それこそ例のオーディション辺りから無言電話が続いていることを話した。
「でも、何で無言なんだろう」
「そりゃああれでしょ。本人たちも一応不正に入手した番号だってわかってるんじゃないの? 声出したら、もし万が一ライブで啓一郎くんと話せたりした時にバレちゃうかもしれないし」
「じゃあ何でかけるんだよ」
「好きなアーティストの電話番号入手したら、試しにかけてみたくもなるんでしょーよ。本当に繋がってるのかなとか声聞けるかもとか啓一郎くんの部屋に繋がってるのが嬉しいとか、かける理由は人それぞれだろうけど」
じゃああの電話は、誰か特定の一人とは限らないんだ……?
(あ? ちょっと待てよ)
「違う」
「え?」
「完全に無言じゃなかった」
そうだ。最近は無言電話一辺倒だったけど、「死ね」みたいなメッセージが入ってたこともあったっけ。最初の頃。
それ、ファンじゃないよな? ファンが「死ね」はないよな? ってじゃあ誰……。
「あ……」
ぞくっとした。
ファンの人の間に電話番号が出回ってるってことは、ファンじゃなくて悪意を持ってる人間も知ることが出来るんじゃないか。
LUNATIC SHELTERのファンとか……?
「何? 完全に無言じゃないって」
「いや、何でもない」
そういうのが、入り混じってるんだ。
俺を好きでいてくれる人と、俺を潰したい人間と。
……おっかねえー。様々な感情を俺に対して抱く俺の知らない人が、俺の情報を収集している。背筋が凍るような寒い話だ。
「ふうん? ま、何にしても、変えた方がいーと思うよ。番号」
「……うん。そうする」
言われなくても。
にしても。
「誰がばらまくのかな、そんなの」
だって、俺の家の番号が流れるってことは、俺の知ってる誰かがバラまいてるってこと? そんなん、誰を信じて良いのかわかんなくなりそーじゃん。
広瀬が「うーん」と小さく唸る。
「でも啓一郎くんて、地元ここでしょ? 別に友達とかじゃなくても、同じ中学とか高校出身だったら、地方のアーティストとかよりこの辺に知り合い……」
言って口ごもる。小さく、「でもそれなら漏れるのは実家か」と呟くのを聞いて気がついた。
「広瀬、俺、高校から今んトコで一人暮らししてる」
学校に届けてたのは実家だけど、いつだか学祭でライブイベント企画して、電話番号バラまいたんだ、俺。
和希や一矢、武人なんかは漏れるとしたってそれこそ実家の番号だったりするとかけにくいだろう。いや、一矢と和希に至っては、高校時代の実家の電話番号なんてそもそも今は使われていない。
そりゃあ前から一人暮らしの俺が、一番ターゲットにしやすいよなあ。
「しかも俺、自分であちこちに電話番号バラまいたんだった」
「は?」
「学祭でイベント企画して、出てくれそうな人に俺に連絡くれるように手当たり次第教えちゃっていーよとかつって……」
俺の言葉に広瀬が「はあああ?」とため息混じりに頭を抱えた。
「何で自宅?」
「当時携帯を神田川に落として使用不能だった」
「……何でお風呂でもトイレでもなく神田川とかって捻ってくるかなっ?」
「捻ったわけじゃねえよっ。んなこと言ったってしょーがねえだろっ?」
ともかく。
あれで、俺の家電って番号ばらまかれてるんだ。
中には、俺なんか良く知らない奴とかにも多分渡ってる。
どこかでクロスの……俺の現状を知った誰かが、今になって思い出したりしたのかもしれない。となると、情報源がどこかなんか、わかりよーがないじゃん。
ま、どっちにしたって今更流出した電話番号は止められるわけでもないのであって、突き止めてもしょうがないけどさ。
「ばぁぁぁぁかだなぁぁぁぁ」
しみじみゆーな。
「しょーがねぇじゃん。俺、企画の中心地にいたんだから」
こんなことになると思ってなかったんだよっ。
ふてくされたような視線を送る俺に、広瀬はまたため息をつくと「とにかくさ」と話を戻した。
「どこのバンドもそう。ヴォーカルが一番ターゲットになりやすいのは確かなんだから。その……『ペルソナ』のこともあるし、啓一郎くん、気をつけなね」
気をつけよーがなかろーが。
とは思ったものの、気遣いに感謝して俺は頭を下げた。
「ありがとーございますた」
「うん」
うん、って。
「んじゃあ、あたし、まじで帰るわ。じゃーね」
「うん」
道路の端に停まったままの武藤くんの車に広瀬が乗り込むのを見送る。
近づくと、広瀬が助手席の窓を開けて、その奥にまだまともに口を利いたことのない武藤くんが見えた。にこやかに会釈をしてくれるので、俺も「お疲れ様です」と頭を下げてから広瀬に笑顔を向ける。
「ほんと、さんきゅー」
「ううん。またね」
どこか気遣うような顔つきをしたまま、広瀬が手を振る。
心配させるのも悪いので、半ば無理矢理笑顔を作り上げた。広瀬を乗せたインスパイアのテールランプが少しずつ、遠ざかって行くのを見届けて、ようやく信号を渡る。
ファン。
悪意を持つ人。
……いろんな人が、いるんだな。
◆ ◇ ◆
「ワン、ツー……」
半ば呟くようにカウントをとって、和希の指が鍵盤を滑り始める。
その動きを目と耳で追いながら、肩からかけた和希のメインギターに指を当てた。
昨日、なつみの様子がどうだったのか、俺は聞いていない。俺も、和希が出て行った後に由梨亜ちゃんがここを訪ねて来たことを話していなかった。
俺の口から聞くべきことじゃなくて、由梨亜ちゃんの口から聞くべきことだろう。
――信頼できる関係。
築くのは簡単なことじゃない。
人ってのはどうしても見える態度を疑い、見えない愛情を信じるのに苦労する。
自分が相手を想えばこそ、尚更……。
相手のことを考えて起こした行動が仇になったりもするし、良かれと思ってした行動が余計になることだって少なくはないだろーし、例えばそこからすれ違っていったり。
と言って、じゃあその行動が間違っていたのかと言えば、相手が変わればベストだったりもして人それぞれで答えがない。ニ人でベストな関係を少しずつ築き上げていくしかない。
……昨日由梨亜ちゃんに言ったのは、本音だ。
俺は、由梨亜ちゃんよりも和希のそばにいるから、和希が由梨亜ちゃんを大切に思っているのは俺には伝わっていて……由梨亜ちゃんが不安になるのが歯痒いくらいだ。
事実だけ話してあれこれ余計なことを言わない和希の気持ちはわかるし、そうそう好きだの愛してるだのこっぱずかしいこと言ってらんねえだろうし。
……揺れないで、信じて、いて当たり前の関係を築いてくれたら。
「うーん。やっぱ駄目だね、ここ」
ぼんやり考えながら和希のギターフレーズを指先で奏でていた俺は、和希の言葉で手を止めた。
「どうしてもぶつかるねー、ここ。不思議とギターが弱くなるんだよなー」
言いながら、和希はいったん止めた手を軽く鍵盤の上に滑らせた。
「しっかしいつ弾いても状態がいーよね」
「だって四六時中調律入ってんじゃん」
グランドピアノの調律って高いんだぞ。
俺も止めた手をまた適当に動かして弦をしゃらしゃらと鳴らしながら、これまた無意味に足でエフェクターを踏み換えた。
「気持ちいいなあ、グランドピアノ。俺みたいな基礎のない人間が弾くのは贅沢だよね。こんなC7なんて」
ポロンポロンと軽やかに音を響かせながら目を細める和希のメロディラインに合わせて、クリーントーンのままギターを鳴らす。横目で和希を見遣って、「和希って努力家だよなー」と密かに思った。
別に、幼少の頃からピアノをやってたとかじゃ全然ないはず。
レコーディングの技術とか打ち込みとかも全部独学で、俺が和希と知り合った頃なんかはまだ、和希はギターしかいじってなかった。
「適当に合わせてフレーズ、変えてくれる?」
「わかったー」
例の新曲のアレンジだ。まだタイトルになるかどうかはわかんないけど、メンバー全員がかなり気に入っているので、その可能性は高そう。
一矢は音楽雑誌社の運営しているドラムの専門サイトに出させてもらえるんで、一人遅れている。武人はもちろん学校。
俺と和希は手が空いているので、まだ大体のメロディラインとコード進行、ラフな音数しかないこの曲をいじっちゃおうと言うことで、先にスタジオに入っている。昼過ぎにはさーちゃんもこっちに顔を出すって話だった。
「んー。何かうまくいかないね。ドラム……あ、じゃあ啓一郎、ドラムやって」
何でも屋さんのように気軽に言わないで下さい。
かくっと肩を落としながらギターのストラップを外して、立ち上がった和希にギターを渡す。その足でそのままドラムセットに腰を下ろすと、椅子の高さを調整して顔を顰める。
「くそぅ。俺、一矢より足が短い」
「……身長低いんだからしょーがないでしょ」
「……」
その高さに合わせてスネアとタムを調整して、足元に置きっぱなしのスティックを2本拾い上げた。
「俺、途中でもたつくよ」
「適当でいーよ」
「チューニングキー……あ、何でギターアンプの上に乗ってんだよ」
「ほい」
俺の言葉に、アンプを振り返った和希が手を伸ばしてチューニングキーを取り上げた。こっちに向かって放る。受け取ってタムのチューニングをしながら口を開いた。
「今度パートチェンジの楽曲でもやろーか、ライブで。遊びがてら」
「んー。いいよ。啓一郎、何やんの」
「和希は?」
「俺はー……何でもいーよ。ヴォーカル以外」
俺のパートを、そうさも嫌そうに言うかね。
「何で? 和希、歌えんじゃん?」
「歌えないよ。じゃあ武人がヴォーカルで、一矢がギターで、啓一郎がベース、俺がドラム」
「武人がヴォーカルって、あいつ走って逃げるんじゃねーの……」
「一矢がギターって面白いよね、何か」
ハイとローを交互に叩いてチューニングを終えると、フロアまでたかたかとタムを回す。スネア、バスドラもそれぞれチューニングをし、ハットの高さを調整してからペダルを踏み込んだ。
「これでずっと8ビートを淡々と刻んでたら怒る?」
「……それならリズムマシーンの方がよっぽど正確で助かるよね」
不正確ですみませんね。
「だからもたつくんだって……言ったろっ……」
大体ヴォーカルにタイコ叩かせてるんだから、文句を言ってはいかんでしょう。
言いながら、とりあえず8ビートから叩き始める。あんまりドラムを叩いた経験がないから叩き方が下手で、時々スティックがスネアの淵に当たって余計な音が入るんだよな。スティックが無駄に痛むし。後で一矢にぶたれそう。
「さっきのさ、同じトコ、よろしく」
「うん……勝手に決めていーんでしょ」
「いーよ。その代わりかっこいーのでお願いします」
「んな無茶な」
俺の刻む8ビートに、和希がギターの音を乗せる。やっぱりどう聴いても、俺の奏でるギターの音とは別物だよなあ、ちくしょう。
「和希、アンプ、もっとこっち振って」
「聞こえない?」
「消える」
手足を動かしながら注文をつけると、和希がギターアンプをこっちに向って振った。急に音がクリアになって聞こえて、和希に頷きながらシンバルにスティックを叩きつける。俺がよれないよう必死こいて叩いているドラムの音を追うように、黙ってこっちを見ていた和希が、再び弦に指を滑らせた。
広田さんやさーちゃんはいざ知らず、俺らは今回の選曲だとか、恐らくは今後の選曲についても、戦略はまるでない。
良くないことなのか知らないけど、自分たちが好きで、聴いて欲しいと思えるものが出したい。その為には、納得いくものをそもそも作らなきゃいけないし、納得出来ないなら出したくない。
(この曲、いいなぁ……)
結局、まだ詞はついてないんだけど。
聴くだけで元気になるような、それも、自分たちが元気になれるような……そんな曲にならないかな。
和希のギターフレーズがスピード感があるから……俺には叩き続けてられる自信がないけど、ドラムも倍テン……。
「うあぁぁ」
「けぇいちろぉ~」
「だーかーらもたつくってっ! 言ったっ! 俺はっ」
ビートがクラッシュしたので、思わず俺自身がスネアに突っ込みながら白い視線を向ける和希に怒鳴り返す。一人でドラムを置き去りにして先を鳴らし続けながら、和希がわざとらしくやれやれと顔を振った。
「そんな宣言は実行しなくていーんだけどなぁ」
「したくてしてるわけじゃない」
仏頂面で体を起こして、和希の後を追うようにドラムを再び叩き始める。
ギターのフレーズと主旋律となるはずのメロディから勝手にタムやシンバル、ハットのオープン・クローズを交えて必死こいて叩いていると、スタジオのドアが開いた。ああ、ホンモノが来た。一矢だ。
「はよーっす。……転職?」
「はよ。キミ、ギターに決まったから」
「おはよ」
入ってきた一矢に、弦をミュートしながら和希が振り返る。
叩いてた名残で、まだ軽くタカタカと三点を鳴らしながら俺が言った言葉に、一矢が苦笑した。
「勝手に決めんでいただけます? 俺がギター? 前衛芸術になるかもねん」
「いーねー。音楽の前衛芸術」
「んでも啓一郎、さんきゅー。何かちょっと方向つかめてきた」
「それは何より。……一矢、取材どうだった?」
「インタビュアーのおねーさんが超可愛かった」
「……」
君は気になる人がいるんじゃなかったのかね?
「あ、そう」
『本職』が来たのでドラムセットからどきながら、呆れた顔をしてみせる。一矢はへろっと舌を出して俺と入れ違いにドラムセットに腰を下ろした。
「低」
「しょーがないよ、コンパクトなんだから」
うるせーーーよっっっ、おまえらっ!
「170弱あんのっ俺っ。普通! 全然!」
167だけどっ! でもそんな強調するほどチビじゃないぞ今はっ。平均を少し下回るくらいでっ。お前らがでかいんだよっ!
噛みつきそうな目つきで睨みつけている俺に、今の鬼のような言葉を言ったと思えないほど爽やかな笑顔で和希がギターを渡してきた。
「はい」
いや、「はい」じゃなくて。
俺のチューニングに不足を感じているらしい一矢がタムを叩くのを聞きながら、つい受け取る。和希はそのままグランドピアノの方へ戻って行った。
「んで、どんなイメージ?」
「うーん。自分自身への応援歌?」
仕方なくまたギターをぶら下げながら眉根を寄せる。
「『頑張れ』じゃなくて『やるぞーっ』みたいな。無理に言い聞かせる感じじゃなくてさ、自分の中で自然にやる気が湧いていくような感じの」
「スピード感あるもんね、これ。『時流に乗って』?」
「うん。……むしろ『時流を作って』?」
和希が鍵盤に指を落とす。
弦にミュートをかけたまま、この曲を通して伝えたい姿――さっき、ドラムを叩きながら掴みかけたものを言葉にしようと試みた。
「何つーのかな。何するにしても、俺は基本的に後悔ってしたくないんだけどさ」
「当たり前ですけど」
「そうだけどっ。後悔をしないことに決めててっ」
性格上そうなっちゃってるってゆーか。
しないわけはないんだけど。つまんない後悔はたくさんするんだけど。
それでも、済んでしまったことについては悔いたところでやり直しがきかないことは生きてて凄く多いし、それなら『後悔』を『反省』に変えて、続きの人生に活かす方が建設的だし大体それしかやりようがない。