第8話(3)
◆ ◇ ◆
「こんなとこに泊まれるとこあんの?」
「あるはずなんだよ……あ、あれだ」
ラジオの収録を終えて、俺たちはさーちゃんの運転する車で静岡を出て、とある県のとある町の商店街へと連れて来られていた。
いわゆる、アーケードとかある普通の商店街。
でも悲しいかな……人がいない。
何で静岡を出たのかと言えば、明日ミニライブイベントのある会場がその方が近いからだ。
「あれ、宿泊施設?」
「でしょ。『田沢ホテル』って書いてある」
俺たちの抗議の視線に、さーちゃんが唇を尖らせた。
「あのねえ、宿とってくれるだけましだと思ってよ。バンドによっては車で寝泊まり、食事は炊飯器持参って話だってあるんだからね?」
「炊飯器持参してどうすんの?」
「ライブの間に米炊くの」
……。
「さーちゃんの体験じゃないでしょ」
「そ、それはそうだけど」
前にマネージメントしてたアイドルの女の子にそんな仕打ちをするわけがない。
「じゃあ車はそこの駐車場に停めておくけど……俺がいないからって変なとこ遊びに行ったりしないようにね。部屋で大人しくじっとしてるんだよ?」
まるで子供に対する注意みたくさーちゃんが言う。
「変なとこってどこよ」
「ストリップとか」
……何十年前の修学旅行生じゃないんだぞ。
今時ストリップに行きたがる若者がそうそういるとは思えない。
「行くかよそんなとこ」
この後東京に仕事を残していると言うさーちゃんは、武人と一緒に新幹線で東京に戻る。
ちなみに俺らが宿泊するのは、圧倒的にこっちの方が経費がかからないからだ。一人一万近くかかる新幹線と四千五百円の宿泊費じゃあ、その差は歴然。
「んじゃあ仲良く三人で頑張って下さい」
「明日の朝迎えに来るからね」
何だか嫌な励ましを受けて車から降りた俺たちは、チェックインの手続きをアーティストに任せたまま帰るマネージャーと勤労学生のベーシストに別れを告げて、その得体の知れないホテルに足を向けた。
「人がいないなあ」
仮にも商店街なのに。
並んでいる店も、そのほとんどがシャッターが下りていて、屋根や看板もみんな古そう。
ニ階とか奥の窓とかにぽつんぽつんと灯りがついているのは見えるから、店じまいをして一家団欒なんだろうけど……団欒と言うには楽しげな声とかごはんの匂いとか、そういうのもしない。
俺たちが今日宿泊することになっているそのホテルは、商店街の他の店と同じ並びに同じ雰囲気で連立していて、三階くらいしかない。看板がなければ普通の個人商店と勘違いしてスルーしてしまいそう。そもそもどこが入り口か良くわからない。
建物の脇の細い路地をずるっと通って裏に抜けてみると、そこに中へ通じる扉らしきものがあった。……こんなとこに入り口隠しておくのはどうかと思う。それともこれは裏口とかゆーやつで、本物は違うとこにあるんだろーか。
「……入ってみよーか。とりあえずは」
和希の言葉に従って曇りガラス張りの扉を開けてみると、どうやら正解だったみたいだ。入ってすぐのところに受付カウンターらしきものがある。
但しロビーなどと呼べそうな空間は、ない。
そのまま奥に細い廊下が続いていて、いきなり客室とかありそう。でも廊下の先は電気がついてなくて暗いので、実際どんなんなってるのかは良く見えない。……点けようよ、電気。
「人の気配がしないなー」
呆れたように一矢が呟くのが聞こえる。
和希が受付にある呼び鈴らしきものを鳴らしながら「すみませーん」と声をかけると、ややしてカウンターの奥から人の気配がした。ガラス扉が内側から開けられる。
「はい?」
「あの、今日予約してるんですけど。ブレインの野沢です」
「ああ、はいはい。お待ちしておりました。お疲れさまでした」
人の良さそうなおばちゃんが、にこやかな笑顔でもみ手を始めそうな声を出す。
「お部屋にご案内しますんでね。ちょっとお待ち下さいねえ」
そう言って一度顔を引っ込めたおばちゃんは、手に鍵を持って事務室から出てきた。先頭に立って歩き出す。
「どちらからいらしたんですか?」
「東京です」
「お車? ご旅行ですか?」
「いえ、一応仕事で」
おばちゃんのおしゃべりに和希がそつなく相手を務めるのを聞きながら、一矢と並んで歩く。建物の中さえも人の気配がない。
「泊まってる人、いないのかな」
「さあ」
小声で囁く一矢に首を傾げる。ビジネスホテルの方がいーんじゃなかろーか。いや、値段につられたのか……。
階段を上がり、歩きながらおばちゃんが振り返った。
「部屋にお風呂はありませんので、こちら使って下さいね」
「あ、はい」
「お部屋、こちらになりますねー」
案内されたのは、ニ階最奥の部屋だった。
三和土がやたら広い。靴を脱いで上がるとすぐに襖があって、開けた部屋もかなり広かった。
「おお、凄ぇ。広い」
和室ですげー古そうだけど十六畳とかありそう……いやもっとあるかも。これなら三人一部屋でも、苦しい思いはしないで済みそうだ。
古いトコって広いトコ多いよね。畳の寸法が今と昔で違うって聞いたことがあるけど。
「この辺りで食事出来そうなところってありますか?」
靴を揃えてくれているおばちゃんに、和希が尋ねるのが聞こえる。ここに来るまでの商店街では、食事にありつけそうな店がなかったからだろう。
「駅の方まで戻れば、何かやってるかもしれないけどねえ」
駅?
歩いて十五分以上かかるぞ多分。
「……ありがとうございます」
おばちゃんがドアを閉めていなくなると、和希がくるっと振り返った。
「コンビニで良いよね、もう」
「うん」
荷物を放り出して床にスライディングした状態で伸びたまま、手近な座布団を抱き締めて頷く。
「しかし凄ぇホテルだなぁ」
壁と天井に何か変なシミがある。子供が見たら泣き出しそうだ。
今時珍しい緑色の砂壁は、床の方が所々ハゲている。部屋の広さの割に電気が暗く、そこはかとなく部屋にいるだけで寂しい気分になる感じ。
テレビがついてはいるものの……貴重だぞ、これ。ガチャガチャとチャンネルを回すダイヤルがついてる。動いていることに感動すら覚えそう。
「屋根があれば十分でしょ」
襖を閉めながら苦笑する和希を見上げて、小さく唸る。確かに、自分たちでツアー出たりすると車ん中で寝泊りとか実際するわけだし、宿に泊まれるだけでも御の字だけど。
和希ってその辺、凄い無頓着なんだよな。意外と。どこでも眠れるって言うか。
「屋外じゃないだけましと思えよ」
いくらなんでも事務所に所属しているアーティストを、ツアーに出して野宿させることはないだろ……。
「あー……疲れたぁ……」
同じく荷物を床に放り出した一矢が、煙草を咥えて火をつける。和希がそのそばに荷物を置いて、手に持っていた雑誌を投げ出した。
「何これ。またマニアックなの読んでんの?」
「人をオタみたいに言うなよ。それは普通の」
転がったまま、ずるずると手元に引き寄せる。
コンビニとかで売ってるのを良く見かけるメジャーなテレビ番組雑誌だ。
「珍しく普通の読んでんね」
「さーちゃんが持ってたから借りただけ」
ふうん。さーちゃんのか。
表紙は、俺でも顔と名前を知っているアイドル専門事務所グランドプロのアイドルグループだった。俺の母親が自分の息子の人生とサイン一枚を計りにかけたROUNDだ。
「俺、風呂でも行こうかなぁ」
上着をハンガーにかけながら、和希が呟く。それを聞き流しながらページをめくると、一矢が煙草を咥えたまま横から覗き込んだ。
「人いないよね、このホテル。大丈夫なのかね」
「って言うか、町自体に人がいなかったけど」
「あ、このコ、見たことある」
目次をさらっと飛ばしてページをめくる。
巻頭のカラー特集には表紙で出ていたROUNDが出ていて、それもろくに読まずに更にページをめくると、見開きで赤いドレスめいたワンピースにお揃いのリボンを首に巻いたショートカットの女の子が出ていた。
明るいフローリングの部屋みたいなところで椅子に座って、ちょっと前かがみに下向くような感じで、インテリア雑誌かなんかみたいな仕上がりのショットになっている。
「どれ?」
シャツのボタンを外しながら、和希が立ったままで覗き込む。一矢が俺の頭の上から答えた。
「このコ、可愛いよねー。飛鳥ちゃんでしょー」
「誰だっけ」
「ほら、Opheriaの。前に紫乃がさ、キーボードのサポートやってたさ……」
へえ? 広瀬ってサポートキーボードなんかやってたんだ?
どんな人たちだっけ、とメンバーを思い出そうとしていると、上から覗き込んでいた和希が驚くべきことを口にした。
「ああ、Blowin'の如月さんと付き合ってるんだって? この人」
「ええええええ?」
思わずびっくりして顔を上げると、どしっと上から和希が俺の寝そべった背中を踏みつけた。
「うるさい」
「ぐえ……」
和希が足をどけてくれたので、べしゃっと潰れていた上半身を起こして床に両肘をつく。俺は会って話したことはないんだけど、事務所内で多分ちらっと見たりしたような気がする。
「どこで聞いたの? そんなの」
「MEDIA DRIVEの日澄さんだっけ? ギターの。あの人が言ってた。MEDIA DRIVEって如月さんと仲良いみたいで」
「へえ。一矢、知ってたの?」
黙って煙草を咥えている一矢に視線を向けると、何だか微妙な表情をして頷いた。指で長い毛先をくるくると玩ぶ。
「まあ。紫乃からちょっと聞いた」
「ふうん……あ……」
そうか。
前に広瀬がラーメン屋で寂しそうな顔をしていたのを思い出した。
広瀬って如月さんの好きな人、知ってたんだよな。付き合うかもとか言ってたし。元々Opheriaでサポートとかやってたんだったら、Opheriaのヴォーカルのコと親しくたって別におかしくないし。年だって近そうだし。
「ふうーん」
「や、『可愛いなー、紹介してー』って言ったら『決まった相手がもういますぅー』って言いやがった、あいつ」
上に着ていたシャツを脱いでTシャツ姿のまんま、和希がしゃがみこむ。
「そんなに可愛いんだ?」
えーえー、あんたの彼女はお人形さんのようですからね。
「ま、顔が凄い美人とかってわけじゃないけどね。表情とか仕草とか。凄ぇ普通っぽくて、いそうでいない感じ。素直そーな人良さそーな」
「ふうーん」
和希の美的水準ってのは、本人無意識に高いと思う、多分。なつみとか由梨亜ちゃんみたいなのがそばにいて、自分の顔を昔から見慣れてるもんだから。
あんまり興味なさそうに顎をぽりぽりとかくと、和希はその場を離れて自分の荷物に手を突っ込んだ。
「メシ、まだ行かないよね? 風呂入ってきて良い?」
「うん」
「ニ人、どうする?」
「俺、まだいい」
「俺もここでごろごろしてる」
「はいはい」
和希が出て行くと、誌面に目を落としたまま俺は今朝見たばかりの如月さんを思い出していた。
「ふうーん」
「何しみじみ頷いてんのよ」
「いや。何か、そういう人同士で付き合ったりとかホントにするんだなあとかわけのわからんことを考えたりして」
「は?」
「Blowin'って今はもう有名じゃん。Opheriaだって、一応俺も一曲だけ曲知ってるし、まともに会ったことないのに何となく知ってるわけじゃん」
「ああ、うん」
「そういう人同士でさ……テレビみたい」
無意味に曲げた足をばたばたと動かしながら、ページをめくる。
次のページも『飛鳥ちゃん』で、記事はまともに読んでないから何の特集なんだか良くわからないけれど、写真だけ見てるとアイドルみたいだ。
「そういう人が普通に恋愛対象になるんだなあ。その辺の感覚が不思議な感じ。前に大倉千晶に会ったけど、到底そういう対象に見えないじゃん? 『あ、芸能人』って感じで。別もんって言うか」
「んでもさぁ、周囲の人がたまたま有名になっちゃったって言うか、有名だったってだけで、別にその辺の感覚、そんなに変わらないんじゃないの?」
「そうなのかなぁ」
「だって紫乃だってあー見えて結構有名人だと思うよ」
言われてみればそうだった。
「話してみれば別に普通の人だったりするわけでしょー?」
「ああ、そう言えばお前、Opheriaの京子ちゃんにちょっかいかけてたっけ。付き合ってんの?」
既にその辺の感覚がおかしい人間がここにいるんだった。
言いながらページをめくると、今度の春スタートのドラマの特集のページに変わる。
床に肘をついた片手に顎を乗せながら、誌面に気のない視線を落とした。テレビを見るどころかそもそも持ってもいない俺に、ドラマの特集は無関係だ。
「さーてね。特定で付き合ってるつもりはないけど、遊んだりはしてるけど」
「?」
言った一矢の口調が、不意にため息を孕んだので顔を上げる。
一矢は、片膝を立てて座ったまま、灰皿の底を煙草の先でなぞっていた。
「何?」
「……啓一郎ってさ、和希が由梨亜ちゃんのこと振ってたら、どうした?」
「はいっ?」
いてぇっ。
思いがけない言葉が一矢の口から飛び出したので、頬杖をついていた手から顎が滑り落ちた。その反動で床についていた肘が畳みとすれる。
「何を唐突に……」
「や、好きだったでしょ? 彼女のこと」
好きでしたけどっ! 話した覚えないのにっ!
「……まぁ」
そのままずるっと床の上に上半身をべったり落として、顎の下で両手を重ねる。
「例えば和希には既に他に好きな人がいて、由梨亜ちゃんは和希のことを好きにも関わらず振り向いてもらえないでいたとしたらさ」
「……」
「そしたら、どうした?」
そういう、傷口に塩を塗りこむような想像をさせるのはどうでしょうか?
「ありえない悲しーい想像をさせないでいただけます?」
「そう? 悪い」
恨めしい視線を一矢に向けると、一矢が煙草を灰皿に押し付けながら苦笑した。
その顔にどこか虚ろな色を見つけ、俺は小さく息をつく。まったくな。何悩んでんだか知らんが。
「そしたら、こっち向いてくれるよう努力したんでないの」
よいしょ、と体を床から起こしてぼそりと呟く。
なぜか、一度だけ彼女が俺の部屋に来た時のことを思い出した。
「向こうがうまくいくんだったら……相手に幸せになって欲しかったら応援してあげるしかないから、応援するけど。うまくいかないんだったら、自分が幸せにしてあげられるよう努力するしかないじゃん」
「……」
「全然関係ない他の誰かにとられるくらいだったら、俺が幸せにしてあげたいよ」
もぞもぞと着っ放しだった上着を脱いで、そのポケットをあさる。煙草を取り出して一本抜き出すと、口に咥えて火をつけた。
「どう、努力するかはその人との関係によるから何とも言えないけど。何もしないで諦めたりはしないな多分。……誰の話?」
煙を吐き出しながら横目で問う。一矢があぐらをかいて、そのままこてんと後ろの壁に背中を預けた。
「誰ってことないけど」
「京子ちゃん?」