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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
28/69

第8話(1)

 八時三十分。

 眠い目をこすりながら、事務所のドアを開ける。

 中に入ると、事務室にはまだ山根さんの姿さえなく、代わりにロビーで煙草をぼんやりと吸っている人物が目に入った。Blowin'の如月さん。

(しょえー)

 条件反射で何となく怖い。別に何をされるわけじゃないんだが。

「おはよーございます」

 俺の声にちらっと顔を上げる。さらさらの金髪の隙間から、鋭い目が向けられた。シャツにジーンズと言う普通過ぎるラフな服装なのに、何だろう、この威圧感と言うか存在感と言うか。

 身長が凄い高いとかがっしりしてるとかそういうこと全然ないのに、不思議と目の行く人だ。

(スター性って奴なのかな)

 『売れる人』ってのは、才能とか運とかそういうのも必要なんだと思うけど、そういうものとは別に『何だかわからないけど惹きつけられる吸引力』ってのも必要だったりするのかもしれない。

 でも、そういうのって、努力すればつくもんでもないよなぁ。ないもんねだりしたってしょうがないから、出来ることを努力するしかないけどさ。

「……ああ。おはよ」

 何となしに緊張して、やけに背筋を真っ直ぐ伸ばしながら頭を下げる。その横を通り過ぎてニ階の会議室へ向かうべく階段を上がりながら、ふと広瀬のことを思い出した。

(いれば良かったのに)

 そりゃあ広瀬だって四六時中事務所にいるわけじゃないだろーから、しょーがないんだけどさ。

(しっかし、緊張感のある人だよなぁ)

 アマチュア時代にニ、三回会ってるはずだけど、向こうが覚えてなさそうで、挨拶以外に声をかけにくい。

 如月さんがいるってことは、Blowin'って今、何してるのかなあ。

 ポケットに片手を突っ込んでもう片方の手で頭をかき混ぜながら、また欠伸をかみ殺す。眠気で頭がスポンジみたいだった。

 あゆなの家から帰って、結局一睡もしていない。寝たら最後、起きなさそうで怖かったから寝なかった。取材が終わったら移動だから、その間眠らせてもらおう。

 目尻の涙を拭いながら階段を上りきって、俺はふと足を止めた。上がりきってすぐにレコスタがあって、少し前まではBlowin'がレコーディングをやってたけど、それももう終わってるはずで……。

(亮さんだ)

 電気のついていないスタジオ。コンソールルームの方だけ灯りが灯っている。

 その中で、俺には誰だかわからない人が三人、それから亮さんがじっとスピーカを睨むようにしているのが見えた。

(何してんのかな)

 足を止めて見ていると、ガラス窓の向こうで亮さんが身動ぎした。スピーカの方を指して何か言っていて、それに答えるように別の人が口を開く。パソコンに向かっている人がかたかたと何か操作をするのを見て、何しているのか気がついた。

(トラックダウンか)

 レコーディングってのは、基本的には楽器の数だけ、あるいはそれ以上にマイクが立つ。

 そしてそのマイクのひとつひとつが、各々のトラックに録る音を拾っているわけだ。つまりマイクの数だけばらばらに録音されている音がある。

 レコーディングエンジニアの人がその音のバランスを取り、さまざまなエフェクターを使ってひずまないよう気をつけながら効果をかけたり良い音にしてくれるわけだけど、そのいくつもある音の束を最終的にステレオ出力する形態……端的に言えばLRにまとめる作業ってのが必要になる。

 それをトラックダウン――TDと言うんだけど……。

(Blowin'って、TDも来てるんだ)

 いや、TDにも来るアーティストは珍しくはないのかもしれない。俺はその辺の一般的ミュージシャン事情は、まだ良く知らない。

 だけど、クロスに関して言えば、先のレコーディングでトラックダウンにまでは顔を出さなかった。

 正直に言えば、その辺の空気感が読めていなかったと言うのがある。

(でも……)

 スタジオを離れて会議室に足を向けながら、ちょっと後悔した。

(そりゃそーだよな)

 音のバランスなんかCDで音楽聴くのに凄い大事なわけだし、それだけじゃなくて音質とかエフェクトとか……ここでもやるわけだから。

 アーティストの狙いを外しまくってたら、出来上がったものを聴いて愕然としかねない。

 本当にちゃんと良いもの作りたかったら、そこまでちゃんと自分の耳で聴かなきゃ、わからない。

(次は、行こう)

 俺たちの作ってる音楽の目指したいものを知っているのは、誰より俺たちのはずなんだから。

 そんな勤勉なことを考えながら、会議室の前に立つ。ドアノブに手を掛けた俺は、ふと顔を上げて動きを止めた。会議室のドアはガラス窓がはまっていて、中の様子を見ることが出来る。

(和希)

 早いな。

 テーブルに突っ伏すようにしている和希のそばには、開いていない缶コーヒーと煙草のパッケージが置かれていた。灰皿に一本だけ、吸った跡がある。

 いや……。

(違うか)

 早いって言うか、俺と同じで寝てないんだ、多分。なつみのそばについていて。

 起こすと可哀想なので、そっと物音を立てないように中に入る。静かにドアを閉めると、窓の向こうでちょうど如月さんがレコスタに戻って行くのが見えた。

(なつみ、どうしたかな)

 どうすんのかな、和希……。

 そっと椅子を引いて腰を下ろす。と、気配で目が覚めたのか和希が顔を上げた。

「ああ……おはよ」

「はよ。まだ寝てていーよ」

「いや……いーよ……。何時?」

「八時半過ぎ」

 俺の回答に、和希は前髪に片手を突っ込んであくびをしながら「えー?」と首を傾げた。

「早いね、橋谷サン」

「俺も寝てねーもん。家いると寝そうでヤバかったから」

 和希が缶コーヒーに手を伸ばすのを眺めながら、ポケットを探って煙草をテーブルに放り出す。

「寝てないの? 真っ直ぐ帰ってりゃニ、三時間寝られたんじゃないの? あれからどっか行ってたんだ?」

 ……。

「ま、いろいろありまして。今そこで如月さんに会ったよ。TDやってんだね」

 缶コーヒーを口に運んだ和希は、眠そうな目をこすって小さく笑った。

「俺、さっき如月さんと少しだけ話しちゃった」

「へー。怖くなかった?」

「怖くはないけど……。遠野さんは絶対TDにも来るんだって。結構細かいトコ厳しいみたい。如月さんは時間が合えばって言ってた」

「ふうん。俺も、次は来来ても良いかなあ?」

「そりゃ構わないんじゃないの。文句言われる筋合いじゃないと思うよ……」

 言いながら和希があくびをする。伝染するように俺もあくびが零れた。……眠ぃ。

「今回で何となく空気感が読めたんだから、次からはもっとどんどん口を出して良いと思うな。だって、俺らの曲なわけだから」

 言いながらずずっと椅子に沈む和希の目も眠たそうだ。

「……なつみ、起きた?」

「や……俺がいる間は起きなかった。夜にでも電話してみようかと思って」

「ふうん。和希、良く睡眠薬なんて見てわかったね」

「ああ。母親が昔飲んでたことあるから。同じもの」

「ダウナーズ(抑制剤)? 和希のかーちゃんやるなぁ」

「馬鹿。それ言ったら酒だって普通にダウナーズだよ。不眠解消の為に酒飲むくらいだったら睡眠薬の方が体には良いらしいよ」

「そうなの?」

「うん。酒みたいに肝臓に負担かけたりしないからじゃないの。詳しくは知らない。医者に聞いて」

 投げやりに言って、和希はそれきり口を噤んだ。眠いしだるいしで、正直口を利くのが億劫でもあるんだろう。それは俺も同じだからわからなくはない。

 俺も黙ったまま、椅子に深く腰掛けてぼんやりとした。ぼんやりしながら、昨夜のなつみの死に顔みたいな寝顔を思い出す。

 体に変調をきたしてるわけじゃなく、ただ睡眠薬の効果で眠ってるだけだから、心配は心配だけど死ぬわけじゃないってことで良いとして。

 昨夜から浮かんで消えない懸念が、改めて胸に浮かび上がる。

(……まさかな)

 俺が聞くことじゃない。

 だけど、やっぱり聞いておきたい。

 もしも俺の懸念が合っていたら、誰も彼もの為にも止めなきゃいけないような気がする。

「和希さ」

 迷いながらも口を開くと、和希が目だけを上げた。

「由梨亜ちゃんと別れてなつみのそばにいてやろうとか、思ってないよな?」

 和希だったらそう考えても、ありえないことじゃない。

 ……もう、彼女の泣き顔は見たくない。

「眠ってるなつみ見てて、いろんなこと考えててさ」

 俺の問いには正面から答えずに、和希は少し視線を外しながら口を開いた。

「うん」

「俺、知ってると思うけど、恋愛ごととか女の子の気持ちとか良くわかっていないんだと思うんだ」

 どこか自嘲するように、疲れた表情で和希が笑う。

「だからなつみにもどうして良いかが、多分わかってなかったんだろうな。いや、今もそれはわかってるわけじゃないんだけど……俺は俺なりに考えて、由梨亜のことも、なつみのことも、そうするのが一番誠実な姿勢だろうと思った行動をしてたつもりだったんだよ……」

 テーブルに頬杖をついて、和希は目を伏せた。苦い表情。

「今までのようになつみのそばにいたら、当たり前だけど由梨亜は嫌な思いをすると思った。それは一番しちゃいけないんだと思ったし、俺自身の気持ちが不安定だったこともあって泣かせたりもしたから、もう泣かせたくないって思ってて……誰より大事にすべきなのは、由梨亜なんだと思ったから」

「うん。それは間違ってはいないと思う」

 同じスタンスを続けてて怒らない彼女はいないだろう、多分。どっちが彼女なんだかわからない。

「だけどそう考えた結果、これまでに比べて急激になつみのそばから離れたのは……きっと、正しくなかったんだろうと思う。本当はもう少し、ゆっくり離れるべきだったのかな」

 そこで和希は、深いため息をついた。

「だけどそう考えたところで、俺がどうするのが最良だったのか、今でもやっぱりわからないんだ。ゆっくり離れると言ったって、なつみがそばにいれば由梨亜が気にする。由梨亜に気にさせちゃいけないって思うと、なつみのそばにいるわけにはいかなくなる。少なくとも、友達としてだって一時距離は開けて然るべきだったとしか思えない。でも結果として、それがなつみを追い詰めたんだ……」

「うん……」

「そう考えると、俺がこれからどうすべきなのかもわからなくなるんだよ。あそこまで追い詰めたのは俺だから放ってはおけない。だけど放っておけないって言ってなつみのそばにいるのは、なつみにとっても、由梨亜にとっても、そして俺にとっても最善策だとは思えない。由梨亜がいるのになつみのそばにいるのは、誰の為にも良くないに決まってる……」

「でも、別れるわけじゃないんだろ?」

 せっかくあゆなと付き合って大事にするって決めたのに、彼女をフリーに戻さないでくれ。

 半ば自分勝手な願いもありつつ縋るように尋ねる俺に、和希は黙った。……おい。そこ、黙るところじゃない。

「何で黙るんだよ」

「そういうことも、確かに考えなかったわけじゃない」

「お前なああ」

 テーブルに投げ出した煙草に手を伸ばしながら、思いっきり呆れた声と目線を叩き付ける。和希が苦笑を返した。

「そこまで自己犠牲したって誰の為にもなりゃしねーよ。そんな理由で別れたりしたら、今度こそ本当に由梨亜ちゃんもらうからな。あー、そりゃもう何の気兼ねもなく手出しさせてもらいます。やったぁ、らっきー」

 先方に拒否されるでしょーが。

 そしてあゆなと付き合うと決めた手前、そんなことは出来るはずもないんだが。

 ほとんど投げ遣りのような棒読みのような口調の俺に小さく吹き出した和希は、テーブルに頬杖をついて軽く目を伏せた。

「止めるんだ?」

「俺、今、あゆなと付き合ってんの。なのに今由梨亜ちゃんをフリーに戻されたら、俺もまた揺れちゃうでしょっ?」

 思い切り勝手なことを言い切った俺に和希が「そういうスタンスなの?」とテーブルに崩れていった。肩が小刻みに揺れている。

「へえ? でも少し意外」

「そう? 意外?」

 ちらっと視線を流して尋ねると、和希は口元を押さえて何に謝ってんだか「ごめん」と口の中で言って姿勢を戻した。

「……うん。正直」

「ふうん? そう? 何で? 俺、結構言われたよ? あゆなと付き合ってんのかって」

「仲良かったのは知ってるし、あゆなちゃんが啓一郎のこと好きなんだろうなとは、俺も思ってたけど」

 そう言われて俺の方がびっくりする。

「え、嘘」

「嘘って……あれはわかるでしょ。みんなわかってたんじゃないの、そっちは。ただ、啓一郎が彼女の方を向くとは予想外」

 そう言われるとどう答えて良いのかわからない。

「そう?」

「や、別に深い意味はないんだけど。何となくね。俺はそんなふうに勝手に思ってたから」

 それから和希は罪のない笑顔を俺に向けた。

「でも、いつの間にそんなことになってたの?」

 ……あんまり多くを語りたくない。

「いろいろ」

 短い俺の答えにそれ以上突っ込むことはせず、和希はテーブルについていた肘を外して背もたれに寄りかかった。

「でもさ、良かったじゃん」

「え?」

「忙しいし、良いことばっかりじゃないから。支えてくれる人の存在って大事じゃない?」

 その言葉に、俺は人差し指で頬を掻きながら視線を彷徨わせた。

「んー……まあ、ね」

「元々仲良いんだし、彼女だって音楽関係の仕事してるんだし、上手くいくんじゃないの? 余計なお世話だけどさ」

「や。うん。そう、かな」

「泣かせないよーに頑張って下さい」

「お前もなっ」

 噛み付くように言い返すと、俺は先ほどの話から逸れていることに気がついた。違う、今話さなきゃいけないのは、和希がなつみの為に由梨亜ちゃんと別れたって誰にも良いことはないって話で。

「もう俺、由梨亜ちゃんが泣くの見たくねえからな。和希が好きじゃないんだったらしょーがないけど、和希が由梨亜ちゃんのこと好きなのに、そういう泣かせ方だけはするなよ。……なつみには悪いけどさ」

 俺の言葉に、和希が目を伏せる。パッケージから一本抜き出した煙草を指先で玩びながら、小さく息をついた。

「別れないよ」

「ならいーけど」

「俺、エゴイストだから」

「エゴイスト?」

 ただでさえ大きい目をきょとんと丸くして言う俺に、和希は再び自嘲的な笑みを浮かべた。

「そう。他の誰を泣かせても、由梨亜だけは泣かせない。……少なくとも、泣かせたくない」

 ……。

「言うねえ」

 俺の言葉に和希はふいっとそっぽを向いた。赤らんだ顔を誤魔化すように撫でながら、ふてくされたように「うるさいな」と小さく反論する。

 ちくんと心の片隅が痛む。

 余り見ることのない、和希の由梨亜ちゃんへの想いを目の当たりにしたような気持ちがした。

「俺に言わないで本人に言ってやってんの?」

「言うわけないだろ」

「言わなきゃわかんないじゃん……」

「言えるかよ」

 それきり、俺も和希も黙る。会議室の中は静寂に包まれた。外からもよけいな音が響いてこないから、多分ブレインの中が静かなんだろう。和希の向こうにある窓から、朝の木漏れ日が差し込んでくる。

「なつみのそばにいてやるべきなのかな、とは考えたんだ」

 やがて和希が再び口を開いた。

「それは否定しない。でも、それじゃあ今までと何が違うんだろう。曖昧にそばにいて、ここでまたそんな中身のない同情でなつみのそばにいたって、同じことを繰り返してるだけなんだ。そんなんじゃあ多分、なつみだって嬉しくないし、意味がないだろ」

 いや、同情でも責任でも、なつみは和希がそばにいりゃあ喜ぶだろーけど。

「それに何より、俺が無理だ……」

 テーブルの上に深く両肘をついて、組んだ両手を額に押しつける。

「俺が、由梨亜じゃなきゃ嫌なんだ。だからもう、別れたりしない」

「……」

「なつみには、どうしたって、ゆっくりだって……わかってもらうしかないんだよ」

 パイプ椅子の背もたれに背中を預け、腕を伸ばして煙草を抜き出す。火をつけると、和希もつられたように玩んだままだった煙草に火をつけた。

「何で、俺なんだろ……」

「迷惑?」

 灰皿を引き寄せて俺と和希の中間地に置きながら尋ねると、和希はゆっくりと顔を横に振った。

「迷惑だとは思ってない。ただ、悪いことしたなと思ってる」

「由梨亜ちゃんと付き合ったから? 好きになれないのはしょーがないじゃん」

「じゃなくて。それは、責められたってどうしようもないよ。感情の問題だから。そうじゃなくて」

 煙草の先でぼんやりと灰皿をなぞりながら、和希はため息をついた。







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