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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
17/69

第5話(3)

「何かあったの?」

 なつみは知らないんだっけ。

「由梨亜ちゃんだよ」

「……そうなの?」

「そ」

 なつみが目を瞬いている間に、電車は新宿駅についていた。池袋まではちょうど中間地点くらいだ。

「啓一郎。いいのよ、本当に」

「私鉄の改札まで行ったら、帰るよ」

 人が吐き出され、新しく人が乗り込んでくる。電車が動き出してなつみがぽつんと尋ねた。

「由梨亜ちゃんは、そんなに魅力的?」

 そういう問いは答えるのに難しい。

 答えを探して、俺は少し黙った。こんな話になっていて、もう名前を避けることに意味はないだろうと思い口を開く。

「俺と和希にとっては、たまたまそうだったってことじゃないか」

「……」

「万人に好かれる人がいるとは思わないし、逆に万人に嫌われる人がいるとも思わない。人それぞれだろ、こういうのは」

「……うん」

「彼女を否定するわけじゃもちろんないけど、恋愛対象として好意を持ったからって人間として魅力ある人だったかどうかは俺にはわからないし、逆の場合もある。そんなの、人それぞれ過ぎてわからないよ」

「そうね」

「人として魅力的な人がもてるとは限らないし、往々にしてそういう人ってのは恋愛対象から外れがちだったりすることもある」

 俺の言葉になつみは小さく笑った。

「『あの人いい人だよね』ってやつ?」

「うん。とかね。どっちの方が良いかはわからないし、それは自分の価値観だろうし。もてる人に限ってそこで悩んだりもするわけだし」

「どういうこと?」

「彼氏彼女は切れたことがないけど友達が出来ないとかね。確かにそれって、『俺って人間として薄いのか?』って気がしちゃったりするでしょ。残念ながら俺はそんな悩みをもつほど『恋愛対象に見られて困る』覚えがないんでわかんないけどさ」

 その言葉に、なつみが更に笑った。元気がないと心配になるから、笑ってくれると嬉しいと思う。

「どっちにしたって好きな人には好かれたいけど……それで魅力ってのが一概に測られるもんじゃないんじゃない」

 言いたいことがわかんなくなって来て苦笑すると、なつみは窓に視線を戻して小さく吐息を漏らした。

「由梨亜ちゃんとなつみと、どっちが魅力があるかとかってのは話しても意味のないことだし、さっきも言ったけど、万人に好かれる人がいるとも思わない。マジョリティかマイナリティかってのはあるのかもしれないけど、そういう話で言えば、俺はなつみは間違いなくマジョリティだとも思うし、だからと言って多数決で決められることでもない。百人全員が大好きで仕方ない人なんていないんだから仕方ないだろ。……なつみは、今のままで十分だよ」

 俺の言葉に、なつみがどんどん俯いていく。

 しまった励ますつもりがどこか逆効果だっただろうかでも本音だし嘘は言ってないしなどと咄嗟にぎょっとした俺の耳に、なつみの小さな声が聞こえた。

「ありがと」

 由梨亜ちゃんの恋を応援した俺の、なつみに対するせめてもの――罪滅ぼしになれば良いんだけど……。


          ◆ ◇ ◆


 事務所に入ると、受付で山根さんが笑顔をくれた。

「おはよーございまーす」

「おはよございます」

「超激眠そうですね」

 超激眠い。

「昨夜曲作ってて」

 一応、合間を見てちまちまと曲を作ったりもしている。

 結局昨日、家に帰ってから何百枚と言う自分らの写真を眺めていた俺は、次第に目がチカチカしてどうでも良くなってしまった。もう、好きな写真を使ってくれよ……。

「広田さんですか?」

「うん。か、さーちゃん」

 さーちゃんて今日どうするんだっけ……あ、四月の都内ライブの会場押さえと打ち合わせか。それが終わったら和希とネットラジオの収録だったかなあ。立ち会いアリとか言ってた気がする。

 んで、俺はなぜか武人と、潜沢音楽出版へ出向くことになっている。潜沢が運営している音楽サイトのトップ特集組んでくれるって話で、打ち合わせとインタビューと撮影があるんだそーだ。

 今日の撮影は、そんな大真面目な撮影ではなくてスナップ写真みたいなもんだって言ってたから気が楽は楽なんだけど。元々知ってる会社だし。

「広田さん、今、上行ってると思うんですよ」

「上?」

「Blowin'が録ってるんで、遊びに行ってるんじゃないかなあ」

 ……遊びにって。

「呼んでくるんで待ってて下さい。中で何か飲んでます?」

「や、ここで」

 山根さんが事務室から体を弾ませるように出ていくのを見送る。そのまま、受付窓口においてあるフライヤーとかフリーペーパーを無意味に指先でいじっていると、出入り口のドアが開いて冷たい空気が流れ込んできた。

「あ、おはよー。啓一郎くん」

 広瀬だ。

「はよ。すげーあったかそうなの着てんね」

「だって寒いんだもん」

 中に入って来た広瀬は、俺のそばまで来ると「あったかーい」と目を細めた。広瀬の体について来たひんやりした空気だけでも寒い。

「何してんの、こんなとこで。また暇してんの?」

「どんだけ暇人だよ、俺。広田さん待ち。広瀬は?」

「あたしはアルバム会議ー。会議ってやだよね。眠くなるよね」

 あんたらのタイトルなんだから、寝てどうする。

 広瀬がソファのそばの自立式灰皿のそばで煙草を取り出すので、つられて煙草を取り出した。頭の上から山根さんの声が聞こえる。

「もおー。早くして下さいねっ」

 しっかりモノのヨメさんみたいだな、何か。

 そう思ってちょっと苦笑していると、やがて下りてきた山根さんが広瀬に挨拶をしてから俺に困った顔を向けた。

「広田さん、何か一緒になって夢中になってるみたい。『この曲だけ、ごめん、お願い、あとちょっと。五分、五分』だそーです」

「りょーかい」

 本当に五分で終わるんだろーか。

「ホント、すみません、もぉ」

「別に山根さんが悪いわけじゃないんだし。全然俺はへーき」

 ちらっと時計を見ると、まだ九時過ぎだ。潜沢は十二時だから時間はあるし。

 山根さんが事務室へ消えて行くのを見送って煙草に火をつける。広瀬がけたけたと笑った。

「ぜえったい五分じゃ降りて来ない」

「だろうね」

 ま、しょーがない。煙草を口にくわえたまんまでポケットを漁る。財布を抜き出して自販機に近づきながら、広瀬を振り返った。

「広瀬、会議何時」

「十時」

「ああそう? ……十時?」

 早いでしょ、いくらなんでも。

「何でこんな早く来てんの」

「……あわよくば遭遇出来ることもあるかもしれないし、とか思うあたしが浅ましいいいいい……」

「あ、そう。悪かったね、俺で」

 財布の中から硬貨を抜き取って、目線をサンプルに向けたまま広瀬に言う。

「じゃあ茶でもしませんか」

「ここで?」

「ここで」

 広田さん待ってる俺が、おもむろにサ店に出てっちゃうわけにはいかんでしょーが。

「何飲む」

「……オレンジジュース」

 言われた通り、オレンジジュースと自分のコーヒーを買い、一本広瀬に放る。

「ありがと」

 受け止めながら礼を言った広瀬は、なぜか少し寂しげに見えた。

「何?」

「ん、別に、何でも」

 緩やかに顔を横に振ってプルリングを引きながらソファに腰を下ろした。

「前にも同じよーなことがあったなーって思って」

「同じよーなこと?」

 俺も煙草をくわえたまま缶コーヒーのプルリングを引いて、向かいに座り込んだ。

「うん。如月さんと」

「ああ」

「あん時もオレンジジュース、買ってもらいました」

 ふうん……。

「代わりにしないでね」

「代わりになりません」

 双方、大概ひどいことを言っている。

「その後調子は」

 腕を伸ばして灰皿に灰を落としながら尋ねると、広瀬は「はああああっ」と盛大なため息をついて下さった。

「もうあたしは、和希さんへのファン精神に突っ走るしかないかなと思ってます」

「そういうの、迷惑だからやめなよ」

「迷惑って何、迷惑ってっ!」

「ウチの大事なギタリストじゃん。迷惑かけないでよ」

「ファンになってるのが迷惑っ?」

 元気良く一通り怒鳴ると、広瀬は煙草を持つのとは逆の手で組んだ膝に頬杖をついた。

「だあってしょーがないじゃん。あ、そう言えば昨日和希さん会ったよ、事務所来てて」

「あ、そう」

「何かすーごい可愛い女の子連れてた。ふわっふわの女の子が事務所の入り口んトコ待ってて」

「……あ、そう」

 由梨亜ちゃんだ。

「すーごい似合ってたけど」

「和希の彼女だよ」

「あ、やっぱり?」

 ため息をつきつつ広瀬を見やる。

「女の子って強いよね」

「何が?」

 きょとんと広瀬が俺を見遣る。

「広瀬って和希のファンなんじゃないの? 彼女とか見ても別に平気なんだ」

 あきれたような俺の言葉に、広瀬は苦笑いを浮かべた。

「だってあたしはギタリストとしての和希さんファンだもんね。私生活があんのは当然だし、別問題でしょ」

「でもさ、女の子ってその辺の区切り、男よりすげーシビアな気がする」

 俺の言葉に広瀬が大きな瞳を瞬いた。灰皿に煙草を放り込んで首を傾げる。

「シビア? そうかなあ」

「シビアだよ。男だったら、ファンだって自認するくらい可愛いなとか思ってる人にこっち来られたらふらふら陥落されちゃうよ。でも女の子ってファンだ何だって騒いでたって『ファンと好きは別』とか平気で言うじゃん。怖いよね」

「そうかなあ」

「広瀬だって、和希が『つきあおう』とか言っても困りそう」

 広瀬はまた苦笑いを浮かべた。

「そりゃあね、別だよ」

「その辺の感覚、凄ぇ難しい。おじーさん見て『かわいい』とか言うくらい理解不能」

「そうかなっ? 啓一郎くんだってヌーノ・ベッテンコートがその辺歩いてたら悶絶するっしょっ? でも『付き合おう』って言われたら困るでしょっ?」

「俺は男でヌーノも男でしょーが」

 問題が別になってしまう気がする。

「そりゃあそうだけどさ……何? いやに実感こもってるじゃん? ファンに手出ししてフラれたの?」

 あのなあ。

「ファンに手を出すほど見境なくない」

 憮然と言い返すと、自分の膝に頬杖をついた広瀬は意地悪な笑いを浮かべた。

「そぅおー?」

「……どんだけ飢えて見えんの? 俺」

 じゃなくてっ!と広瀬はばしばしと自分の膝を両手で叩いた。

「みんなそやって言うけどっ。でもファンに手を出すアーティストだっていっぱいいるっしょっ? 結局っ! 特にクロスはアマとプロの境目にいて、まだそーゆーのもアリでそのくせファンはそれなりにいて、しかも近いんだから」

 その発言で、ついつい俺は深いため息をついた。広瀬の後を追って灰皿に吸殻を投げ入れると、コーヒーに口をつける。

「そこだよね」

「は?」

「ファンてナニ?」

「……はあ?」

 しみじみと尋ねた俺に、広瀬は壮絶わけわかんないと顔に書いて俺を見つめた。

 確かに壮絶わけのわからん初歩的な根本的な、おっそろしくベーシックなことを聞いているのはわかる。

 ……んだけど。

「何かさあ、俺、良くわかんなくなってきちゃった」

「最初から説明してみようとか、そういう試みをしてみる気はない?」

 オレンジジュースの缶を指先で弾いて、広瀬があきれたように促す。のでしょーがない。試みてみることにする。

「最近、仕事でね、いろんなことをやるわけだよ」

「ああ、営業」

「うん。んでさ、俺ら本拠地がまんま東京で、ニ月ニ週目……来週から地方に出ずっぱり方向なんだけど、今週くらいまではとりあえず都内中心にしかまだ動いてないわけ」

「うん」

「とさ、一応確かにプロになるぞって態勢ではあるんだから、ファンってのがいてくれたりするでしょ、多かれ少なかれ。広瀬の言う通りにさ」

 アマチュアでも多少の固定ファンを掴めないようじゃ、最初からプロとしてやってくのは不可能だ。だからまあ、前提としてアリだろうくらいには多分、固定ファンと言える人がいると思う。一応。

「とね、メジャーんなるらしいよって話がどこからともなくそういう人たちの間を駆け巡り、どこから漏れるんだか知らないけどラジオの収録だとかってのがあるといてくれたりするわけ。そこに」

 場所によってはラジオの収録スタジオがガラス張りで、通りから見えたりする。

 んで、その見えるところにファンらしき女の子とかが、そんな大人数ではないにしろ、俺より早くいたりするわけだ。何しに来るのかはわからないけど。

 ただ、そういうのは宣伝効果に使えるもんなのか、なぜかラジオ局の人だとかそもそも俺を呼んでくれた関係者の人とかから、写真撮影を強要されたりする。で、あげくにラジオのウェブサイトに掲載されたりする。

 美姫だとかなつみだとかあゆなだとか……そういう友達がファンやってくれてるって言うか、クロスとは別で個人的に付き合いがあるようなそういう人なら気楽なもんなんだけど、「見たことあるかな」「口利いたことあるかもしれない」「……どなた様?」と言う感じの人が、俺がそこにいると言う話を聞きつけて駆けつけると言うのは凄く変だと思う。

 これは多分、俺だけじゃなくて他のメンバーもあるんだろうし、他のアーティストだってあるんだろうし、別段奇異なことではないんだろうが。

 そういう人が増えてくのが妙に怖かったりもするし、と言って増えてくんなきゃ困るわけで、わかってるんだけどそういういわゆる『ファン』と言うものに囲まれて写真なんぞ撮らされたりする日には、しみじみと不思議になったりする、んだな……これが。 

 「この人たちは、何なんだろう」的な。

 俺のことなんか何も知らなくて、それでも好きだと追いかけてくれるそれってのはいわゆる『偶像崇拝』に近いものがあったりして……俺のこと、好きだと言ってくれてても、そこに俺の実像はないわけで。

 応援してくれるはずの人に囲まれていると、一見華やかに見えた街が実は廃墟だったみたいな、そんな虚無感。

「実像のない世界なのかなって感じがして」

「今からいきなりシュールなこと考えてんね」

 冷静な広瀬の評に、思わず俺も笑った。

「確かに」

 確かに、まだ世の中に売り出してもいないうちから考えるべきことじゃあないのかもしれない。

 でも、逆に言えば今からそういう心構えみたいのはしとかなきゃいけないのかなと言う気もしたりする。

 中に入ってから、虚構で傷を受けない為に。

 ファンの目に見えているのとは多分違う俺らの実像、そして味方に見えて何かあれば多分すぐ消えるファン。

 それをかき集めて上らなきゃいけないこの世界は、上った先には何が見えるのかなんか、まだまだわかんないんだけど。

 その虚構に甘えて頼って歩いていこうと思えば、それは凄く危険なことのような気がした。今からそのことに気づいて歩いていかないと、すぐに崩れていくんじゃないか。

 ……ただの臆病風なのか現実なのか、俺にはまだわからないけど。

「音楽そのものが、実像がないからね、そもそも」

 オレンジジュースを口に運んで広瀬が言う。

「まーね」

 目に見えないもの、形に残らないもの。

 通り過ぎて掴めなくて、記録媒体ってのは確かにあるけどそれさえも『音』は目に見えない。

 『音』の生み出すものも、一時の熱狂だったり感動だったり興奮だったり……そういうものは、全て、目に見えない。

 ただ、そこに生まれるものだけは虚構じゃないと信じたいけれど。

 形じゃなくても、残る何か。

「怖いな」

「怖いよ」

 何より……それに縋りついている、自分が。


          ◆ ◇ ◆


 潜沢音楽出版は、神田の駅から割とすぐのところにある。

 来るのはかなり久々だけど、それでも一応道は覚えていた。

「ええと……安政の大獄」

「1858年」

「行ったのは誰か」

「井伊直弼」

「どんな事件か」

「日米修好通称条約の調印と徳川家茂の将軍職継承への尊皇攘夷派の反対を大弾圧。徳川斉昭などが隠居処分を下され、捕らえられた志士たちが処刑された」

「そうなの?」

「……問題出してるのは啓一郎さんでしょ」

「だってそこまで書いてない」

 嫌だ嫌だ頭の良い奴は。

 これじゃあ教えられてるのは俺の方じゃないか。







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