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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
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第5話(1)

 慣れない生活ってのは、忙しい忙しくないに関わらず、結構精神を消耗するものらしい。

 カップリングまでレコーディングを無事に終えて、アー写もジャケ写もとり終えて、当面シングル発売に向けての最低限必要なことは終わったわけだけど、最低限ではない必要なこととしてPVの撮影と挨拶回りとプロモーションがある。

 地味ーでちっちぇーーーえとは言え、知らない人たちの中ではさすがの俺でも気を使うらしく、正直ちょっと頭がぼうっとしてる。

「啓一郎っ」

「あ?」

 半ば怒鳴るように呼び止められて、俺は自分のマンションを通り過ぎようとしていたことに気がついた。

「どうしたの? ぼんやりしてるみたい」

「あー……なつみ」

 ぼーっとしたまま答えると、なつみは女性らしい、優しげな切れ長の瞳を瞬いた。

「どうしたの?」

「んーいや、別に……」

 ……何でなつみ、ここにいるんだっけ。

「何だっけ?」

 そう考えて、主語も何も全てをすっ飛ばして尋ねると、なつみは一緒になって首を傾げた。

「何が?」

「なつみがここにいる理由」

「ああ」

 俺の言い方がおかしかったのか、なつみは小さく微笑んだ。

「何ってことはないんだけど。この前のお礼にね、クッキー焼いたから。ドアポストから中に入れて帰ろうと思ってて」

「えー? まじでぇ?」

「……まずかった?」

「じゃなくて。ありがとう」

 まだ受け取ってないけど礼だけ言うと、なつみがふわりと微笑む。

 少し太ったかな? この前よりちょっと健康そうに見える。笑顔も、死にそうな感じではなさそうだ。

「なつみ、メシとか食った?」

 言いながら時計を見ると、二十一時半だった。どうしても夜型にシフトしがちな音楽関係者の中にいるせいで、このところ帰りが遅い。最近にしては快挙と言える早さだ。

「え? ううん、まだだけど」

「そう? んじゃ一緒にどっか食いに行こうよ」

 誘ったところで、ポケットの携帯が鳴る。取り出してみると一矢だった。

「ちょっとごめん……はいはい」

「おつー」

「おつかれ」

 今日は、俺と一矢は別々に仕事をしている。一矢は和希と一緒に、恵比寿のインディーズレーベルであるロードランナーに行っているはずだった。

 俺はと言えば、業界団体の発行しているフリーペーパーのインタビューと、ミニFMの収録だ。どっちも小さな仕事で大した影響力があるとも思えないけど、やらないより良い。

「どうだった?」

「どうもこうも疲れた。そっちはどうだった?」

「うん、藤野さんと打ち合わせたよ。あ、あとさ、広田さんが啓一郎に音資料渡しておきたいから、明日にでも事務所に来てくれって」

「おけーぃ。何時でもいーのかな」

「良くないんじゃないの。電話しとけば」

 隣でなつみがちょこんと首を傾げる。和希からの電話でなくて良かった。

「わかった……今、どこ?」

「今? ロードランナー出たとこ」

 まだ恵比寿か。和希、隣にいたりすんのかな。

「あのさ」

 ……。

 ……なつみの前では聞けないだろう。

「えーと、今さ、なつみといるんだけどさ」

 その言葉で察してくれることを祈っていると、短い沈黙の後、「は?」と聞き返す声が聞こえた。

「メシでも行こうってなってて、その、だから」

「ああ。和希なら帰ったよ」

 それそれ。

「あ、そう。じゃあお前も来ない? どーせだから」

「行く行くー」

「ちょっと待って」

 言って、俺は携帯をいったん外すと、なつみに言った。

「一矢」

「ああ」

 俺の言葉に、少しほっとしたように微笑む。

「どうせなら、あいつもいた方が楽しいっしょ? 呼んじゃったけど、良いよね?」

「うん。もちろん」

 おっけーい、と答えて電話に戻る。

「どこがいい?」

「そっち、今どこ?」

「俺ん家」

「……アナタ、なつみの心の傷をいーことに連れ込むなんて」

 コロス。

「い・え・の・ま・えッッッ」

 思い切り怒鳴ってやると、電話口で一矢がけたけたと笑うのが聞こえた。

「渋谷にしよか」

「いーの? 俺は楽でいーけど」

「うん。じゃあとりあえず、交番前」

 通話を切って携帯をポケットにしまうと、俺はなつみに笑顔を向けた。促して歩き出す。

「渋谷」

「うん。でも、いーの?」

 どうせ酒を飲む羽目になるだろーから電車にした方が良いだろう。いや、飲みたい。飲ませてくれ。

 歩きで駅に向かう俺を慌てて追いかけながら、なつみが尋ねる。

「何が?」

「だって、凄く疲れて見えるんだもの」

「ああ……」

 ……まあね。

「けど俺、食ってないし。食わないわけにはいかんし。どうせ食うならみんなで食った方が楽しいし」

 空を仰いで一気に言うと、ちらりとなつみに視線を送る。

「食えるでしょ?」

 俺の聞いた意味がわかったらしく、なつみは目を細めて頷いた。

「うん」

「よし」

 信号を渡って丸の内線の階段を下りながら頷くと、なつみが吹き出した。

「やだな、偉そう」

「まあね。偉いからね、俺」

 軽く言い返しながら、ちょうど滑り込んできた電車に乗り込む。この時間の上りはがらがらで、俺となつみは空いているシートに腰を下ろした。あくびが出る。

「でも、結構仕事の話とかになっちゃうかもしんない。誘っておいて何だけど」

 俺の隣にちょこんと座っているなつみは、長い髪を片手で弄びながら頷いた。

「うん、いーよ。クロスの話なら、わたしも気になるし」

「そう言っていただけると助かります。んでなつみ、本当にクッキー届けに来てくれたの?」

「うん。……え?」

「いや?」

 何かあったわけじゃないんなら良かった。まあ、このところの和希の動向は概ね俺も把握しているわけで、それを見ている限りでは何がありようもないんだけど。

「クッキー、もうポストん中?」

「うん。ちょうど入れて降りてきたところだったから」

「なーんだ」

 停車した駅から乗り込んできた男が、なつみをじろじろ見ているのを眺めながら呟く。

「何? 『なーんだ』って」

「腹、減ったから」

「ふふ。もうちょっと我慢してよ。お昼、何時ごろ食べたの?」

「今日は食ってない」

 無意味にポケットの中で携帯のストラップをぐるぐる指先に巻き付けながら言うと、なつみは驚いたように目を丸くした。

「えっ。どうして?」

「んー、何か食べ損ねちゃった」

「……今、そんなに忙しいの?」

「どうかなあ。一日に働いてる時間って話で言えば、そんなでもないんだろうけど」

 苦笑いをすると、なつみは心配そうに眉をひそめた。

「平気?」

「うん。まあ、ちょいストレスくらい」

「平気じゃないじゃない」

「や、平気。どっちかっつーと、単に人付き合いに疲れてるだけで」

 次から次へと知らない人に会わされて、俺はその人がどんな人なのかわからないから、ずっと気を張っている。いつかは慣れるのかもしれないけど、まだ慣れるにはちょっと早い。単純に時間が解決する種類の話なんだろうけど、ともかくも今精神的にだるいのは確かだった。

「だからさ、本当はなつみのこと、メシでも誘おうかと思ってたんだけど、なかなか」

「そう?」

「うん。だから今日、ちょーど良かった。俺も今日は早かったし」

「気にしてくれたんだ」

「そりゃね……」

 広瀬みたいに『うにゃあああ』ってテンションならともかく、なつみは本当に死んじゃいそうだったからな。

 そう思うと、少しおかしい。

 広瀬も変な奴だよなー。強いって言うんだろうか。悩んでるんだろうし落ち込んでるんだろうけど、ちゃんと自分の足で立ってる感じするからな。

 なつみは……。

「え?」

 俺の視線に、なつみが首を傾げた。

「いや」

 誰かが手を貸してやらないと、折れそうで。

 新高円寺から十分足らずで新宿駅に到着する。そこから更に山手線に乗り換えて渋谷で降りると、外に出てすぐのところに一矢がいた。

「お待たせー」

「遠路遥々」

 遠路言うな。

 眺めていたらしい携帯を閉じてポケットにしまう。どうせ女とメールだろう。一矢は、なつみを覗き込むように笑顔を向けた。

「なっつみちゃーん。久しぶりー」

「うん。ひさしぶり」

「見ない間にますます綺麗になってますな」

 にーっと笑う一矢に、なつみも笑った。

「相変わらず調子いーんだから。……どこ、行く?」

 一矢の腕を軽く叩いて、俺を見る。その視線を受けて一矢を見た。

「どーしよっか」

「そこらへんでいーんじゃないの?」

「ヤマハの近くんとこにしよっか。前に行った……」

「ああ、あそこね」

 勝手に一矢と決めて歩き出すと、なつみが俺の隣に並んだ。

「んで、啓一郎となつみは、何してたの?」

 ……何してたと言われると。

 何もしてなかったつーか、会ったばっかだったからなあ。

「何も」

「何それ」

 スクランブル交差点を渡り、道玄坂の方へと足を向ける。目当てのビルでエレベーターに乗り込んだ。

「わたしがね、啓一郎にお礼を届けに行ってて」

「お礼?」

「ちょっと相談に乗ったりしてもらったから。お礼にクッキー、焼いて」

 なつみは前から時々、何か作っては差し入れをしたりしてくれてたので、取り立てて特殊なことじゃない。一矢が「いいなあ」とぼやいたところでエレベーターのドアが開いた。

 店はそれなりに混んでいる。だけど、ちょうど入れ替わりの客がいる時間帯だ。すんなり席に案内されてドリンクと食べ物を適当にオーダーすると、俺はそのままずるーっとテーブルの上に溶解した。

「……どしたん」

「気疲れした」

「お疲れさま」

 つんつん、と向かいから一矢が俺のつむじをつつく。隣の席からなつみが俺に尋ねた。

「今、何やってるの?」

 その質問に答えるのは、大変に難しい。

「……いろいろ」

 顔だけ上げて答えると、なつみが苦笑いした。

「今日は何してたの?」

 質問の矛先を変えたところで、ドリンクが運ばれて来た。とりあえずグラスを合わせて一口ビールを口にする。グラスまできんと冷えていて、疲れ果てた体に染み込むみたいだった。

「うー……うまいよう」

「橋谷サン、ビールくらいで泣かないで」

 泣いとらん。

 割り箸を手にして一緒に運ばれてきたお通しを口に放り込みながら、ようやくなつみに答える。

「俺はね、何とかって業界団体のフリー冊子の取材とラジオの収録があって」

「えー、取材受けるなんて凄いじゃなーい」

 ビールを飲んで、なつみが朗らかに目を見開く。それに応えて、俺は白けた表情で片手を振った。

「全然。全然凄くない。読む人がさしているわけじゃないし、読んだところで影響力があるとも思えないし、向こうも金かけたくないから無名のアーティストで記事埋めてるって話で」

 音楽業界内に社団法人だとか何ちゃら法人だとか、そういう団体ってのは相当数ある。

 それぞれが何をやってるんだか俺にはさっぱりわからんが、ミュージシャンを呼んでライブイベントをやったり、いろんな冊子を発行してアーティストインタビューを載せたり記事書かせたり新譜案内出したり、あるいはキャンペーンのイメージキャラクターをアーティストに頼んだり、まあいろんなことをやってくれてたりするわけだ。

 そんで基本的には営利団体ではないから、互いにノーギャラだったりする。効率的に利用出来れば良いんだろうけど、それがどれだけ意味のあるものなのか、今の俺には全くわからない。

 で、それが終わったら今度は都内某ミニFMで、毎週水曜昼間に放送している番組枠の収録があったわけだ。

「啓一郎だけ?」

 運ばれてきたサラダを皿に取り分けてくれながらなつみが聞く。こくんと頷くと、後を一矢が引き取った。

「俺らはね、別」

「別?」

「うん。ほら。ウチ、学生さんいたりするし。まだ。だから都合合わなかったりもするし、バンマスじゃなくても啓一郎はバンドの顔だし。ぷーだし」

「ぷーとかゆーなよ」

 一矢も、和希の名前を出さないよう気を使っているらしい。

 と言って、クロスの話になって全く触れないのはさすがに不自然なので、そういう言い方になったんだろう。

「で、とりあえず俺が矢面に立たされてる仕事がいくつかあったりするわけ」

「そうなんだ。啓一郎、大変ね」

 ええそりゃもう。慣れないことばっかりですわ。

「一矢たちは、何してたの?」

「俺らはライブの打ち合わせ」

「ライブやるんだ」

「うん」

 一矢がなつみに話すのを聞きながら、俺はぼんやりと和希の先日の話を思い出していた。

 正確に言えば、和希から伝え聞いた広田さんの話を。




「要するにね、ソリティアとの契約がワンショットになりそうなんだよ」

「……凄い恐ろしいこと言いましたけど、今」

 武人が遅ればせながらスタジオに到着したところで、和希はミーティングと称して全員を集めた。

 んで口を開いたその第一声がそんな暴力的なことであれば、やっぱりとりあえずは言葉を失う。

 やや遅れてぼそりと反論した俺に、和希は苦笑いを浮かべてこっちを見た。

「そもそも今回のシングルってのは、映画の挿入歌としてワンショット契約じゃん。で、それはそれとして、せっかく一緒に仕事をするわけだから互いに納得いくんであればこの先の年契約も交わしたい……わけだよね、こっちは」

「うん」

「だけど、ソリティアの方は既にその気がないらしい、と」

 ……だから。それが物凄く『お先真っ暗』なんですけども。

「って広田さんが言ったの?」

 一矢は眉根を寄せる。それに和希はあっさりと頷いた。

「ちょうど同じくらいの時期に、KIDSって事務所のアーティストをソリティアで出すらしいんだよね」

「あ。何だっけ、るなてぃっく……」

「LUNATIC SHELTER」

 何か前に一矢が言ってたよな。ブレインのアーティスト潰しにかかってる事務所がどうとかって。

 ……え? じゃあつまり?

「要するにLUNATIC SHELTERを売り出したいから、同じような編成の俺らはポイしたいってこと?」

「さすがにそこまでは言われなかったけど」

 でも、それが何で駄目なのか良くわからない。

 楽曲の系統とかがどうなのかまで知らないけど、同じような編成って言ったって俺らは男だけのフォーピースバンドで、そんなん、逆に言えばありすぎて何を今更と言うか、被って当然だと言うか。

 頭の中がハテナマークで質問すら浮かばずにいると、和希が噛み砕くように言った。







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