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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
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第4話(4)

 とりあえずのところ携帯電話の捜索をあきらめて、敷地から公道へと出た。あゆなに指摘されたとおり、別に大して使うわけでもない。

 美保の家の前に停めてあった単車にまたがったまま、ヘルメットを両手で持って、少しぼんやりとした。

(痛いな……)

 はは……やっぱり。何度見ても。

 呼吸の仕方でも忘れたみたいに、息が詰まって心臓が痛かった。

 いつになったら、忘れられるだろう。

 恋愛に振り回されている場合じゃない。これからデビューしようと言う時で、考えなければならないことは山のようにある。

 そう……本当に、山のように。

 夕方、武人が来てから和希が俺たちに話した広田さんの話の内容を思い出して、俺は改めてため息をついた。

(向かい風、か)

 まったく、一筋縄じゃいかない。

 メジャーデビューも……広田さんも。

(売れるまでの道のりは遠いなーっ……)

 遠くても辿り着ければ良いけど、辿り着けないどころかゴールに続いていない道をそうと知らず歩いている場合もある。

 そして俺たちがそうじゃないとは言い切れない。……考えて歩かないと、踏み外す。

 だから……。

(――由梨亜ちゃん)

 恋愛どころじゃ、ないんだよ……。




 ここしばらく、思い出してへこんだりすることもなくなってきていた。

 仕事のことだって考えなきゃいけない。いや、どうせ悩むならそっちにすべきだ。

 そう思うのに、今家に一人で帰ると何だか逆戻りしてしまいそうな気がして、そのくせ誰かに会う気にもなれない。

 どうしようかと思い、ふと思いついてブレインの事務所へ単車を走らせた。

 誰もいなきゃ閉まってるだろうけど、スタジオがあるせいもあるのか、夜中でも関係なく事務所には人がいることが多い。事務所に入れると言うことは誰かが仕事をしているわけで、労働基準法って何だったっけなどと思ってしまう。

 事務所につくと、案の定まだ誰か残っているらしい。事務室に人の姿はないけど、電気がついているから広田さん辺りがまだいるんだろう。

 どこか空いているスタジオがあれば、そこで作りかけの曲の歌詞を仕上げるかな……。あ、でも事前に借りてないから事務室に人が戻って来ないと鍵がない。長くいるアーティストなどは勝手に入って鍵を借りたりもしてるらしいけど、俺にはまだそこまで出来ないし。

 どうしようかな。

 ……。

 とりあえず自販機で缶コーラを買うと、ロビーのソファに座り込んでみる。

 ポケットを漁って煙草を取り出すと、一本抜き出した。火をつけずにぼんやりと指先で玩んでいると、トントンと軽快な足取りで誰かが階段を下りて来る足音が聞こえる。ので、なぜか顔をそちらに向けて待ってしまった。

「あれえ? 啓一郎くんじゃん。何してるの、一人で」

 下りて来たのは広瀬だった。眠そうに、目をしきりと瞬いている。

「お疲れ」

「お疲れー。いいなあ、コーラ。あたしも飲もうかなあ……」

 言いながら広瀬は、俺の向かいに腰を下ろした。上着のポケットから煙草を取り出して咥える。つられるように、俺も指に持ったままだった煙草に火をつけた。

「何ぼーっとしてたの」

「え? いや、別に……」

「って言うか、そもそも何してるのか聞いて良いですか」

 飲む?と言うジェスチャーをすると、広瀬は頷いてコーラの缶を受け取った。一口飲んで俺の前に戻す。

「……別に、何も」

「……用もないのに事務所に来たの?」

「まあ」

「暇人」

 あからさまに言わないで下さい、傷つくので。

 返す言葉に詰まり、むうっと煙草を一口吸うと話題を変えた。

「広瀬は? 何してんの?」

「三階でシングル録ってて。カンちゃんが今やってるから、今のうちにゴハン食べて来ようかなーとか……啓一郎くん、ゴハンは?」

「言われてみれば食ってない」

「……この時間まで言われないと気付かないかなあ普通」

 あきれたように言うと、広瀬は煙草を灰皿に押し付けて立ち上がった。

「時間あるなら一緒行こうよ」

「ああ、うん。そうしようかな」

 事務所を出てわりとすぐのところに、なかなか美味いラーメン屋がある。

 とりあえずそこへ向かうことにして、俺と広瀬は並んで事務所を出た。

 外に出ると空気が冷たい。吐く息は白く、夜空は澄んでいた。

「雪とか降るかなあ」

「天気予報だと今週末は降るらしいよー」

「え、まじで? 寒いわけだ。嫌だなあ。雪が降ると、階段とか凍るじゃん」

 信号が変わるのを待って、横断歩道を渡る。二十二時半という時間帯のせいか、店はそれほど客がいなかった。奥のテーブル席に腰を落ち着けてオーダーを済ませる。

「ここのラーメンってうまいよね」

「あ、啓一郎くんも? あたしも何気にハマってたりする」

 言って笑顔になった広瀬は、両肘をついて手の上に顎を乗せた。俺を覗き込むようにして首を傾げる。

「啓一郎くん、どうしたですか」

「何で?」

「なーんか元気ないみたい」

「……そんなことないけど」

 水のグラスを口に運ぶ。

 和希の彼女に横恋慕していて、諦めると何度も決めながら思い切れずに我ながら情けない思いをしているなどとは……本当に情けなくて言えない。

「仕事、うまくいってないの?」

「や、そういうわけじゃ」

 オーダーしたラーメンが運ばれて来て、しばらく食べることに専念した。

 ずるずるとラーメンをすすっていると、外で冷えた体が芯から温まる。

 スープにとても凝っているらしく、深みのあるダシの味がクセになり、ブレインに所属してから割と頻繁に足を運んでいた。聞けば事務所の人間でここのラーメンのファンは多いらしい。

「……恋愛とみた」

 突然言われ、ラーメンをすすっていた俺はぶほっと吐き出しそうになった。飲み下し損ねたラーメンが変なところに入ってしまい、むせる。

「げほっ、げほっ……あ、あのね……げほっ……」

「あ、ごめーん。誰にも言わないから鼻からラーメン出しても良いよ」

「誰がっ、げほっ、出すかよ……げほげほっ」

 涙目で水を飲みながら広瀬を見ると、何食わぬ顔で自分はラーメンをすすっていた。

「あのねえ、アナタねえ」

「だーって。そんな顔してるしっ」

「こんな顔なの元々っ」

「違いますー」

「違いませんっ」

 何を根拠に、と割り箸に手を伸ばしてラーメンに再び取り掛かる。

 ガラリと言う音がして店のドアが開き、新しい客が三名ほど入って来た。冷たい空気が店の中に流れ込んでくる。

「らっしゃいっ」

 おじさんの声を聞きながら広瀬に視線を戻すと、広瀬自身が何やらへこんでいるような顔付きをしていた。

 ラーメンを黙々とすすりながら、視線がどこか遠くをさまよっている。

「広瀬こそ何かあったの?」

「え?」

 割り箸で挟んだラーメンを持ち上げたまま、広瀬が俺を見つめた。大きな目が瞬く。

「んー。あったと言えばあったと言うか」

「ふうん? 何か恋愛で悩んでんだ」

「……」

 逆襲のつもりじゃないけど言いながら、残りのラーメンを食べ終える。どんぶりを両手で持ち上げてスープを綺麗に飲み干した俺に、広瀬があきれたように空の器を見つめる。

「そんだけ華奢な体しててどこに入るんだか」

「あのねえ、俺、男なんですけど」

「わかってるつもりだけど、驚くよね」

「……凄い失礼って言って良い?」

「駄目です」

 やけにきっぱりと言って、広瀬はナルトを口に放り込むと視線を自分のどんぶりに落とした。

「でも別に悩む段階は過ぎました」

 話が戻ったらしい。先ほどの俺の問いに対する答えに、水のグラスを引き寄せながら首を傾げる。

「そうなの?」

「うん。振られちゃったから」

「……へえ?」

 テーブルの上のウォーターポットから水を自分のグラスに注ぎ、ついでに広瀬のグラスに注いでやる。広瀬のどんぶりにはまだ半分近くラーメンが残っており、一体どうしたらそんなにのんびり食えるんだろうかと不思議に思いながら水のグラスに口をつけた。

「振られた?」

「振られたです」

「……俺の知ってる人?」

 聞いてはいけないんだろうかと思いつつ、ついつい聞いてしまった。広瀬は宙を睨むような目付きをして、口篭った。

「いろんな人が知ってる人」

「……なんつーか、わかるようなわからないような表現」

「わかんない?」

「や、わかるけど」

 つまり売れてる人なんだろう。

 直接知ってるかどうかはさておき、日本中のいろんな人が顔と名前は知っている人物と言うことだ。

 もしもブレインの人間なのだとしたら、女性を除外すればそう言い切れるほど売れていると言うとCRYかBlowin’以外浮かばない。

「ふうん」

 それ以上突っ込むのをやめてテーブルの上の煙草のパッケージに手を伸ばすと、ようやく食べ終えた広瀬が割り箸をどんぶりの上にきちんと揃えて置いた。

「ごちそーさまでした」

 言って、ちろっと悪戯っぽい眼差しで俺を見る。

「聞いても良いよ」

「へ?」

「誰か」

「……ああ、そうなの? 一応遠慮したんだけど」

「結構いろんな人が知ってると思うし。別に今更だし」

「そうなの?」

「うん」

 人の痛い話を好奇心で突っ込むのはどうかと思ったんだけど、有名人相手となれば興味がないと言えば嘘になる。やっぱり。

 聞いて良いと言うのだから、遠慮なく聞いてみよう。

「誰」

「Blowin’の如月さん」

「……チャンレンジャーだね」

 言いながら如月彗介きさらぎけいすけさんの端正な顔を思い出した。

 Blowin’のギタリストで、ハードロックっぽい尖ったギターを弾く人だ。普段はかなり無口で無愛想で、気軽に近付きにくい空気を持っている。シャープな感じの端正な顔をしていて、目つきが鋭い。俺自身、Blowin’とはそれなりに縁があるので会ったことがないとは言わないが、挨拶以外の会話を交わしたことがないような気がする。

「何でー。チャレンジャー?」

 俺の言葉に広瀬が吹き出した。

「や、近付きにくいじゃん、何か」

「近付きにくくないよー。あたし、CD貸したりとか借りたりとか、ばりばりやってるもん」

「今も?」

「ま、時々」

「……凄いね。俺は今アナタと言う人を尊敬したよ」

「……ありがとうと言うべき?」

 けたけたと笑って広瀬は煙草を咥えた。火をつける。

「なーんかさ、うまくいきそうっぽくて。でもホントはダメだあとかわかってもいたんだけど」

「うまくいきそうだったのっ?」

「……うー……押せば騙されたかもしんない」

「騙されたってアナタね……」

 騙してどーすんの騙して、と呟いて俺も煙草を咥える。広瀬が溜め息と共に煙を吐き出した。

「でもあたし、彼の気持ち知っちゃってたから、そんな強引な真似も出来ないし」

 ずきん、と胸が痛んだ。まるで自分のことを言われているみたいだ。

「知ってたの? 如月さんって誰か好きな人いたんだ」

「啓一郎くんって口堅い人?」

「……堅いとは思うけど、そう聞かれて『俺口軽いよー』って言うのって一矢くらいのもんだと思う」

 言うと、広瀬はさもおかしそうにまたけたけたと笑った。言えるー、言いそうーとテーブルに突っ伏す。

「まあ一応、人に聞いた話をべらべらしゃべりゃしないけどさ。別に、言わなくて良いし」

「や、まあ、啓一郎くんを信頼するとして。……って言うか聞いてよー。言えないんだよー誰にもー」

「はあ?」

「だって人に言えないんだもんっ」

 それは痛いほど気持ちはわかるのだが。

「まあ……じゃあ、好きにして」

 広瀬は一応辺りをきょろきょろすると、声を潜めて前屈みの姿勢で俺を見上げて言った。

「さすがに誰とかは言わないけど、如月さん、多分ずっと好きな人いて。全然自分でそれに気がついてなくて」

「……気がつかないもん? そういうのって」

「そこが可愛いんじゃないっ!」

 いや、知らんし。

「単に鈍過ぎじゃないの?」

「わかんないけどっ。だってそんな感じしたんだもんっ。そんで、あたし頑張って仲良くなったけど、何か全然こっち向いてくんない感じで。……今は如月さん、自分が誰を好きなのかわかってるから、遠くないうちに付き合っちゃったりとかすると思う」

 言いながら、涙目になっていく。待て待て待て。俺が泣かせてるみたいじゃないか。思わず慌てる。

「おいおい。泣くなよ。俺が泣かしてるみたいじゃん」

「泣いてないけどー……泣きそう」

「よそでやってくれる?」

「どうしてそういう冷たいこと平気で言えんの? 啓一郎くんて」

 そう言って広瀬は、はあっと深い溜め息をついた。

「そう簡単に忘れるもんでもないじゃん? 忘れなきゃとか思って、『よし、忘れることに決めた。決まった。それでいこう』とか思うけど、はっと気付くとまたへこんでたりして。そんな自分にまた気がついて『馬鹿じゃん駄目じゃん未練がましいじゃん』とかまたへこんで。結構しんどかったり」

「……俺も一緒」

「へっ?」

 広瀬にだけ話させておくのは不公平で悪いような気がして、ついつい言っていた。火のついた煙草の先で灰皿の灰をなぞる。

「……ってっ? えっ?」

「そんなに驚かないでくれます?」

「失恋組?」

「そんな組には入りたくない。……俺の場合は、それこそとっくの昔」

 そうなんだー、と広瀬は深々と頷いてテーブルの上に突っ伏した。両手を伸ばし、顎を直接テーブルの上に乗せる。

「キツイよねー」

「なかなか忘れられるもんじゃないからね。自分で自分に呆れたりする」

「それはあたしの知ってる人?」

「……知らない人」

 さすがに和希の彼女だと言うことまで言う気にはなれず、そのまま煙草の火を消した。

「ひょっとして、それで? 元気ない風なのって」

 テーブルから体を起こす。俺は頬杖をついて首を傾げた。

「元気ないつもりはないけどさ。そう見えるんならそうかもね。……彼氏と幸せそうにしてるの目撃直後なんで」

「わかってても見たいもんでもないね」

「ま、良く見るは見るんだけど」

 さてと、と立ち上がる。

 俺は別に何をしなければならないわけでもないので良いんだけど、良く考えたら広瀬は仕事中だ。いつまでもつき合わせているわけにはいかない。

 いや、元を正せばつき合わされているのはこっちだったかもしれない。

「っそーさまでした」

 会計を済ませて外に出る。温まった体が一気に冷えるような気がした。

「新しい恋愛探すっきゃないんじゃないの」

「仕事に打ち込むとか?」

「それも可」

 信号を渡って事務所に戻る。

 浮上はしたとは言えないけど、広瀬に話して少し落ち着いたのかもしれない。家に帰ることにして、俺は単車のキーを取り出した。

「俺、帰るわ」

「……ホントに何しに来たの」

「ラーメン食いに」

 事務所の入り口の手前で、駐車場に向かう為に道を逸れる。

「んじゃ。お疲れ」

「あ、うん。お疲れー。またね」

「おう。……ま、頑張って」

「そっちもね」

 単車へ向かって歩きながら、空を見上げた。

 どうやら広瀬も苦しんでいるらしい。そうそう忘れられるものでもないよな。そして新しい恋愛が簡単に見付かるものでもない。

(焦るな焦るな)

 忘れようと焦ったって、それでどうにか出来るものじゃない。

 焦らなくたって、忘れる時は自然に忘れる。

 結論は知っているんだ。今は仕事に打ち込もう。

 幸い、恋愛は空回りでも仕事は前に向かって進み始めている。

 ――例えそれが、問題だらけだったとしても。

(くっそー……頑張るぞー)

 自分自身に虚勢を張って、俺は一月の冷たい空気の中、気合いを込めて単車のエンジンをかけた。











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