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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
10/69

第3話(3)

「……俺のパンツの色聞くの?」

「俺に教えてくれなくて良いからね」

 聞くくらい知りたいなら、いっそ見せてやっても構わんが。

 じゃなくてさ、とため息と共に言葉を吐き出しながら体を起こす。

 あゆなのことも、なつみのことも、由梨亜ちゃんへの想いも、引っ掛かるし気になるし持て余しているけど。俺にとっては無言電話の件も結構気になることのわけで。

 それだけの根気と情熱を、何かもっと健全かつ建設的なことに向けなさいよと俺は声を大にして言いたい。

「無言電話がさ」

「無言?」

「そう。留守電にも録音されてんの」

「無音が?」

「うん。今んトコ毎日数件。昨日は十三件」

「げえ。気持ち悪くないの?」

 六弦をギターから外し終えた和希は、ギターケースのポケットから六角レンチと新しい弦を取り出しながら顔を顰めた。

「そう言う問い返しなの? 気持ち悪いからこうして話してんでしょ」

「俺じゃないよ」

「わかってるよそんなこと」

 弦の袋から六弦だけ取り出して、和希は他の弦を丁寧に袋にしまい直した。端正な顔に、考え深げな表情を浮かべた。

「変なことと言えばさ」

「うん? 和希も何かあったの?」

「こないだ、後をつけられたっぽくて。俺」

「はあ? 後?」

 穏やかな話ではない。

「カンチガイとかじゃなく?」

「じゃないと思う。多分単車停めてる駐車場から。女の子ニ人、だと思うんだけど」

「女の子ぉ?」

「うん」

 袋にまとめた弦をギターケースのポケットに突っ込んで、和希は顔を上げた。薄い頬を人差し指でかく。それから弦の張替え作業に取り掛かりながら続けた。

「俺ってアパートと駐車場、ちょっと離れてるじゃん。そんで仕事終わって単車で帰って駐車場に停めて、アパート帰るまで五分くらい歩いてるでしょ。それで、先週だったかな。後ろでずっと人の話し声するの。最初は後ろをずっと歩いてる人がたまたまいるんだと思ってたんだけど。ウチの辺りって住宅街っぽくなってて、駅から離れると結構暗い路地っぽくなるじゃん。だからひそひそ声って結構響くんだよね。けど振り向いても誰もいないし。誰もいなかったみたいにしーんとかしちゃってさ」

「幽霊じゃないの」

「いるわけないだろ、そんな便利なもん」

 何が便利なのかはよくわかりませんけど。

「そんで足を止めると向こうも止まるわけ。俺が歩き出すと、一定距離くらいの位置からやっぱり声が時々聞こえる。気持ち悪くて、思わず自分のアパート通り過ぎちゃったよ」

「どーしたのよ、それ」

「適当なアパートに帰って裏口からダッシュで逃げた」

 無言電話も気持ち悪いけど、そっちはそっちで気持ち悪い。俺だったら全力ダッシュで戻って、とっ捕まえるかもしれない。

「……ファン、かな」

「ファン?」

「女の子だったんだろ? 単車、見る人が見れば和希のだってわかるだろうし。そこから後つければ家がわかると思ってさ」

「つきとめてどうすんのそんなもん」

「俺に聞くなよ、ファン心理を」

「でも、そんなことするほどの人、いるかなあ?」

「知らねえよ。可能性の話」

 少なくとも和希の方は、女の子に後をつけられたって言うんだったら……それが一番わかりやすい気がするんだけど。

「そう、なのかなあ」

 弦を張り替える手を止めて、和希が少し険しい表情を浮かべたところで、ようやく一矢が姿を現した。十時を五分ほど過ぎている。

「おはよー」

「おっそい」

「んなことないっしょー? 何和希、難しい顔してんの」

 入ってくるなり、考え込んでいる和希に出会って一矢がきょとんとした表情をする。

「何でも」

「武人、どした? もうやってる?」

 リハスタのドアを閉めてその場に座り込みながら、手に持ったビニル袋をごそごそと漁った。ペットボトルを取り出して、キャップを捻る。つられて俺も、床に転がしてあったペットボトルを引き寄せた。

「やってる。武人別れたんだって?」

「ええ?」

 一矢より先に、考え込んでいた和希が反応した。複雑な顔で一矢が頷く。

「そうみたいねー」

「の割に、やけに明るくなってレコスタに入ってったけど」

「ああ、うんー」

 歯切れが悪い。

 まあ別に、良いんだけどね。武人が元気になったなら、それで。

 そう思って突っ込むのをやめようとする前に、一矢が口を開いた。

「なんかね、俺もあんまり良くは知らないんだけど。結構反対されてたみたいよ?」

「は? 反対?」

「誰に? 何を?」

 外したペットボトルのキャップを指先でくりくりと玩びながら、一矢が顰め面をする。

「彼女の親」

 はぁ?

「何で?」

 だって進学校の首席だぞぉ? 喜びこそすれ、反対すると言うのは納得がいかない。俺みたいな底辺彷徨ってるあほならともかく。

「や、バンドがね」

「バンドおお?」

 思わず和希と顔を見合わせた。ほぼ同時に一矢に視線を戻す。

「何それ」

「だから俺も良く知らないんだけど。ってか、そうべらべら話すのも何なんだけど」

 と言いながら、一矢がぼそぼそと続ける。

「バンドに結構偏見持ってるみたいで。彼女が武人と付き合うこと凄い反対してて、何かあるとすぐ武人を悪者にするような、そんな感じだったみたいなんだよね。で、武人もさ、ああだから……なんつーの? ドライって言うか他人事みたいなとこ、あるっしょ」

 あるある。

「何かあっても別に『あ、そう』って感じで流すもんだから、親の神経逆撫でしちゃうようなとこあったみたいで、しかも間違ったことしてないし言ってないからどんどん心証悪くなるって言うか、相手も意固地になってくって言うか」

 ……間違ったことしてわけのわかんないこと言うより遥かに良いと思うんだけど。

 まぁ、否定しようとしてるのにその材料が潰されていくんじゃムカつくかもしんないけど、それは世間で言う『逆ギレ』ってやつでは?

「ガキだねぇ」

 弦の張替えをいつの間にか終えた和希が、チューナーにシールドを突っ込みながら言う。一矢が渋面で肩を竦めながら、ようやくペットボトルのお茶を口に運んだ。

「んで、結構妃名ちゃん……その、彼女もさ、ストレスたまってたみたいなんだよね。親はすぐ彼氏の悪口言うし」

「うん」

「でさ、ここに来て、こんなことになっちゃったでしょ」

 こんなこと。

 一矢が指を床に向けた。……つまり、レコーディングだ何だとバタバタしていることを指しているんだろうか。

「オーディションの辺りからこっち、かなり時間ないじゃん、俺ら」

「ああ、うん」

「武人なんか学校もあるし、ほとんど会えなかったりとかもしてたみたいでさ。付き合い始めたばっかりだったのに」

 そう言えば、そうだよな。

 オーディションの前なんかスタジオかじりつき状態で睡眠時間さえ間々ならなかったわけだし、以降は以降でまたアレンジにかかりっきり、終わればリハ、レコーディングと立て続けにやっぱりスタジオに篭りっきりみたいになってたし。

 世間ではその間にクリスマスだの正月だのってのがあったわけだし。

「それで放っておかれた彼女本人もキレちゃって、ストレスたまってる娘見て親もまた『だからバンド小僧なんか言わんこっちゃない』とばかりに焚きつけるような感じで結局……」

 家出しちゃっててさ、と続けた。

「家出ぇっ?」

 ぎょっとして大声を上げると、一矢はひらひらと手を振った。

「大したことじゃないんだけどね。友達の家が両親旅行に行って留守だったから、親にも武人にも無断でそこに転がり込んでただけで。ただ武人はそんなこと知らないし、その前に『会えない』だなんだつって喧嘩してるし、彼女の両親からは責められるしで、さすがにちょっと参ってたみたい」

「それが昨日?」

「らしいよ。彼女にしてみればちょっと心配させてやれって程度のつもりだったみたいなんだけど……武人は心配してたしさ。昨日あの後、俺と一緒に探し回って」

 なぁる……武人が憔悴していたわけがわかった。自分が原因で家出した彼女の身を案じてたんだ。

「だからまぁ、別れて却ってすっきりしちゃったんじゃない?」

 そう一矢が締め括る。

 ふうん……事情は、まぁ、何となくはわかったけど。大筋は。

 バンドと恋愛、か。

 あゆなが寂しそうな顔をしてたことを思い出す。

 ――何だか、遠くなるような気がしただけ。

 生活が変わるのは、確かだから。……確か、だけど。

 何かが、これまでとは変わっていったりするのかな。

 人間関係とか、価値観とか、そういう大事なものが。得るものの代わりに、壊れるものが、あったりするんだろうか。

 でも……。

「あっち、行こうか」

 自分たちで決めた道だから、過ちには……したくない。

 

          ◆ ◇ ◆

 

 武人のベース録りは、昨日の不調が嘘のようにあっさりとOKテイクをもらい、和希がスタジオへと入って行った。

 和希はギターとキーボードの両方を録らなければならないので、間に休憩を挟む必要性から、ギター録りの後、武人が再度オーバーダビングの為にスタジオへ入った。……今更だけど、オーバーダビングってのはつまるところ、重ね録りである。

 昨日は引継ぎで姿を現さなかったさーちゃんも、今日はずっとコントロールルームの方に詰めていて昼の手配などはやってくれている。

「ホームページがね、叩き台が今こんな感じ」

 さすがに今日もごろごろしてるわけにはいかないらしい。

 いろいろと資料をリハスタに持ち込んできたさーちゃんが、ノートパソコンを開いて俺らを集めた。

「でも、どうにもやっぱり写真がね。プロのカメラマンじゃないから、何つーかどういじっても……ダサいよね?」

 ダサいとか言わんで下さい。今まで恥ずかしげもなくその写真を使っていた俺たちの立場は。

「アー写だよ、アー写。とにかくそれが最優先。広田さんに交渉したから、近々でアー写は撮るよ。出来次第差し替えって感じで。で、内容の方なんだけど……」

 残っているメンバーとさーちゃんで、空いている時間にホームページの打ち合わせなんかを進めていく。

 その間にもレコーディングは着々と進み、ベースのパンチ――間違ったところとか気に入らないところなんかを、そこだけ差し替えるってことが出来るんだけど、それを『パンチ』と言う言い方をするらしい。正確にはパンチイン、パンチアウト――とキーボード録りが終わって、ようやくヴォーカル録りに入った。

「啓一郎……お待たせ」

 げっそりした顔で戻ってきた和希に言われ、レコーディングスタジオの方へ移動する。

 途端、ピリピリした空気が肌に突き刺さる感じがした。ああ、今日も空気中にハバネロの粉が飛び交っている。肌が痛いよ。

「宜しくお願いします」

 頭を下げながらスタジオへ入り、広田さんらのいるコンソール前の窓と向き合うような形でマイクに向かい合う。ヘッドフォンをセットして発声練習をしていると、ヘッドフォンから広田さんの声が流れた。

「じゃあとりあえず、一度声出しも兼ねて回すから。これは録らないから、自由に歌っていいよ。モニターの確認もして」

「はい。宜しくお願いします」

 ああ、胃が縮む。

 大丈夫かな、声、出るだろうか。

 息を吸い込む。耳元でオケが流れた。キューボックスでレベルを微妙に調整し、歌うタイミングを待つ。ハイハットとキーボード、ややして流れるギターがタイミングを教えてくれる。俺はゆっくりと声を乗せた。自分の歌う声もヘッドフォンから流れてくる。少し変な感じだ。

 音を聴く限り、少なくとも苦しみぬいて作成したオーディション用の録音音源よりはずっと、演奏の出来は良い。格段にレベルが上がっていると言っても良い。

 演奏している人間は同じなんだから、これはやっぱり和希の言う通りスタッフサイドの腕だろう。凄ぇな、こういうもんなんだ。

 一回し終わり、音が途切れた。足元に置いてあるミネラルウォーターのペットボトルを取り上げ、喉を潤す。それにかぶるように広田さんの声が聞こえた。

「モニターはどう?」

「問題ないです」

「そう、じゃあ録っていこうか」

「はい」

「今聴いた限りだと、サビに入るところ、ちょっと音程弱いから気をつけて」

「はい」

 いきなり来ましたね?

 自分的にも同感だったので素直に頷きながら、ペットボトルの蓋をきっちり閉める。足元に置き直して姿勢を正すと、腹に力を入れ、深呼吸をした。耳元から流れる旋律。その世界に意識を投入し、タイミングを図る。

(……あ)

 声が伸びない、と思ったのはワンコーラス目の半ばだった。Bメロと呼ばれる部分の終わりの方だ。そう思った時には、オケは既に途切れていた。

「わかってるよね。NG」

 容赦ない冷たい声がヘッドフォンから流れる。

 向かいの窓からは、やはり怜悧な目つきをした広田さんがこちらをまっすぐ見据えていた。トークバックスイッチに手を伸ばしているせいか、コンソールの上でやや前傾姿勢になっている。

「何だろうね、これ。高校生のカラオケボックスかな」

「……」

「やり直し」

 嫌味な言い方にカチンと来るものの、ここはぐっと堪える。仕事仕事。相手は俺らの音を作ってくれる人。

 文句のつけようがない歌を歌えば良いんだ。そしたら、何も言われなくて済むわけだから。

 そう言い聞かせながら、俺はオケが流れてくるのを待った。再び歌い始める。

「ないな」

 今度は、先ほどより止められた場所が早かった。広田さんの声が聞こえると同時にオケが消える。

「ふにゃふにゃ言ってたって、聴く人間には何も伝わらないんだよ。何が伝えたいんだ? 君は」

 ……かあーっ。

 もう少し言葉の選定ってもんがないんですか?

 喉まで出かかった反論を、ぐっと飲み込む。

「すみませんでした」

「すみませんじゃなくて、はっきり歌ってくれないか」

 言い捨てるようにして、トークバックが切れる。オケが流れた。

 滑舌が悪いってことなんだろうか。今まで言われたことがないだけに動揺しながら、俺は努めて発音をはっきりするよう歌い始めた。サビの辺りまで来て、止められる。

「今度はヤケクソかな。応援歌じゃないんだが」

 何度も何度も繰り返し、広田さんの言い方に、次第に俺の限界線に近付いていく。言ってることは間違っちゃいないのかもしれない。それはわからん。だけど、あんたのその言い方ってどうなんだ?

 腹が立つ。腹が立つから、声も不安定になっていく。繰り返し歌うから、疲れていく。こんなレコーディング、やってられっかと言う気分も少なからず湧いてきた。

「随分威勢の良い歌になっちゃったみたいだな。言葉が聞き取れても気持ちが伝わらない。やり直し。何考えて歌ってんだ?」

「……あんたが」

 あー、駄目だ。

 広田さんの意図が見えず、ついに俺はプツリといった。

 元々俺は大して気が長い方じゃない。

 ぼそっと口を開いた俺に、コントロールルームで広田さんが目を細める。

「あんたが言ってる通りにやってるから、何歌ってっかわかんなくなってきてんですけど」

「ほう?」

 広田さんがガラス窓越しに笑うのが見える。

「僕の意図なんか最初からどうでも良い話なんだけどね。君らの曲だろう。君らの気持ちで歌えば良い」

「そうやって歌ってたものを、あれこれ指示したのはあんただろーが」

 あ、まずい。俺、キレちゃってます。

「すみません。……広田さんでしょうが」

 一応言葉遣いだけ謝罪して改めるが、広田さんにとってはそんなことはどうでも良かったらしい。

「じゃあ聞こう。指示されたら自分の歌いたいものを見失って、そのまんま歌えば良いわけか? そんなヴォーカルなら、やめるんだな」

「そういうわけじゃ……」

「ぐちゃぐちゃ言ってるなら時間の無駄だ。その分、ましな歌を歌え。僕らも遊んでるわけじゃない。君の御託を聞くためにここにいるわけじゃない」

 ぶつッ……。

(お、落ち着け、俺……)

 沸点に達した感情に水をぶっ掛ける為に、俺はきつく拳を握り締めた。

 何となく、和希が「意図的にじゃないかな」と言っていたのがわかるような気がする。

 その意図までは今の俺にはわからないが、こんな言い方するのはわざとなんじゃないだろうか。何の為だ? それはわからないけど、少なくとも言えることは……。

(ここを越えなきゃ、カタチにならない)

 俺が、広田さんの納得する歌を歌わない限り、俺たちの夢はシングルと言う形になって世の中に出ることはない。

「一分、下さい」

 とは言え、気を落ち着けなければ歌うどころじゃない。

 了解、と短い返事を確認して、ペットボトルの水をわずかに飲む。深呼吸。広田さんの言い方にいちいち噛み付いてちゃ、しょうがない。そうじゃなくて、広田さんが俺に駄目出しをしているその理由を考えろ。

 どんな言い方をするにせよ、俺が文句ない歌を歌えば何も言わないはずだ。

 そうじゃないってことは、駄目なところがあるってことだ。

 プロの視点から見て、俺の歌の駄目なところ。それを広田さんは、間違いなく指摘しているはずだ。ぐだぐだのものなんて、広田さんだって作りたくないに決まっているんだから。

 思い返せ。広田さんが本当は何を言っているのか。

 言い方に惑わされるな。そこに何の意図があるにせよ、別に俺を怒らせて面白がってるわけじゃないんだから。……多分な。

 歌いたい歌。

 伝えたい言葉。

 気持ちをリセットして、フラットに。

「……お待たせしました」

 瞳を閉じて、俺が曲に乗せた詩の世界を思い描く。

 誰が何と言っても、ここに込めた思いは、俺たちのものだ。俺たちにしかわからないことだ。だから、俺たちが伝える。

「もう一度頭から、お願いします」

 ヘッドフォンから、辻川さんが了解を返す声が聞こえた。


          ◆ ◇ ◆


 俺は大人しい方の性格ではない。

 言われたら言い返してしまうところもあるし、納得がいかなきゃ折れられない。

 結局それからも散々広田さんとやりあい、ヴォーカル録りが終わったのは、俺がスタジオに入って1時間半ほど経ってからだった。

 喉が痛い。

 でも、和希の言う通り、出来上がったものは最初のものより遥かに良いものになっているような気がする。

 尤も、ヴォーカルだけはナマモノなので、他の楽器と違って痛めつければつけるほど嗄れていくから、テイクに限りがあるのは確かだけど。

 Bstに戻ると、他の三人がシーケンサーを取り囲んで遊んでいた。既に今出来る打ち合わせなどは終了し、真面目にアレンジなどをするほど疲労は軽くないんだろう。

「お帰りー。どうだった?」

「死んじゃいそう」

「ちょっとだけ覗いたら、何か広田さんと怒鳴りあってたみたいだけど」

 くすくすと和希が笑う。俺は不貞腐れた顔でその辺の床に転がり込んだ。もう何もしたくない。動きたくない。あー……疲れた。ころころと広田さんにもらった喉飴を舌で転がす。……そういうとこはな、優しいんだけどさ。

「和希、キーボードのオーバーダブあるんだろ」

「うん、あるある。ヴォーカルは?」

「あるよ当然。コーラス録り。キーボードのオーバーダブの後」

 和希が出て行くと、床に転がったまま武人を見上げた。

「まだいたの?」

「何かその言い草嫌だな」

 だってもう遅刻とかそういう次元を越えて「行くことに意味があるの?」ってくらいの時間になっちゃってるんだけど。

 なんて思っていると、一矢が聴いて聴いてとシーケンサーを再生した。

「何これ」

 流れてきた音源に耳を傾け、第一声でそう問う。あー、くそ、喉が痛ぇ。

 床に大の字に転がったままの俺に向けて、一矢がいたずらっぽく笑った。

「良くない?」

「良い。けど何かいつもと感じが違う。新曲?」

「そうそう。俺がね、ドラムパターン打ち込んで、そっから音かぶせてってさ。気分は連想ゲーム」

「んな面白そうなこと、俺のいない間にやるなよ」

 むうっと鼻の頭に皺を寄せて体を起こすと、一矢がにやにやと笑った。

「いなかったんだからしょーがないじゃん」

「答えになってねーって。それで完成?」

「まだ。いじり倒す予定」

「俺にもやらせてよ」

「何かおもろいアイデア出して」

 何もしたくない、と思ったのはついさっきの出来事だったはずなんだけど。

 そんなことはもうどうでも良い。のそのそとそちらに近付いていく。

「これ、もっとロー出そうよ」

「キック?」

「じゃなくてベース。もんもん言わそうよ」

「回すんじゃなくて?」

「回したら邪魔んなるよ。べちべちでもなくて」

 ちょっと貸して、とシーケンサーを覗き込む。俺が持ってるのとは全然違う奴で、しかももっと良い奴だけど、メーカーは同じだし……ま、使い方は大体似たようなもんだ。

「EQ(イコライザー。周波数いじって音質を変えるんだけど)でさ……ハイをちょっと削ってさ……」

「したら、フロアこっちに絡ませた方が良いんじゃないですか? キックより」

「あ、その方が良いかもしんない」

 好き放題言いながら、その音をいじっていく。

 元の音は保存してあるみたいだから、これはこれで別バージョンってことで、さっきのとは別に後で和希に聴いてもらうことが可能になる。

 とりあえず変更を加えて聴いてみて、結構真剣に聴いていた一矢がふいっとこっちを向いた。

「足りないような気がするものがあるんだよね」

「何?」

 何で俺を見る?

「これ、ギター欲しいなぁ」

 反対側から、学校に行くよう準備を整えたまま引っ掛かっている武人も言った。

 ……あるじゃん、ギター。

「あるじゃん良いじゃん打ち込んだの和希でしょこれ」

 余計なことを言われる前に畳み掛けるように言う。一矢がこっちに視線を向けたまま、わざとらしく言った。

「もお一本入れてみたら、結構音数詰まって良い感じになるんだけどなあ」

 ……。

「あのなあ」

「啓一郎さん、やれば良いのに」

 うるさいな。

「いーやーだーってばさ」

「そんなに嫌がることないのに」

 和希と比較される俺の身にもなってくれる?

「でもそういうの置いといて、単純にこの曲として、ギターもう1本あった方が良いとは思いません?」

 ムキになりかけた俺に、さらっと武人が言った。そういう言い方されたら、認めるしかない。

「まあね……」

「んじゃ、入れちゃおうか」

「啓一郎さん、入れてよ。この中でギターのフレーズ作れるの、啓一郎さんだけだし」

 あああああもう。

 武人、うまいよな、人の扱いと言うか俺の扱いと言うか。

「入れるだけな」

「うん。入れるだけ入れるだけ」

 仕方なく、もう一度アタマから再生して真面目に音を聴いてみる。ギターの、フレーズ。

(弾きたくないって言えば)

 嘘になるんだけど。

(ギターかぁ)

 耳に馴染む和希のフレーズを追いかけて、俺はシーケンサーに指を掛けた。

 クロスにもう一本ギターを加えたら……新しい音楽性が、広がったりするんだろうか。











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