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005 ノルンの独白

 本当に変な人、とノルンは心の中で呟いた。

 

 自分の寝る場所がないからというのもあるが、ノルンは暗闇のなか椅子に座りながら何となくぼんやりと眠りについた異邦人の寝顔を眺めていた。子供みたいに安らかな顔で眠るお嬢様と違って、寝ながらでも眉間に皺を寄せている。悪い夢でも見ているのだろうか。


 ――生きづらそうな人間だ。


 反射的に謝る、目線を反らす、急におどおどする。どれも普通は疚しいことがある人間のすることだ。小心者の癖に悪いことをした愚かな人間の特徴的行動。


 しかしかつて一人だけこの異邦人の他に例外的なそういう人間を見たことがある。


 それは屋敷の使用人だった。最初は普通の使用人だった、と思う。正直あまり面識を持つ機会がなかったので覚えていない。ただ今にして思えば利発な子だったと思う。


 彼女は徐々に変わっていってしまった。使用人の間でいじめがあったのだ。彼女のミスは悉く詰られ、屋敷の中であっという間に孤立させられて、仕舞いには仕事を邪魔までされるようになった。彼女が屋敷を去っていく間際には、もうまともな仕事などできなくなっていた。


 彼女を最後に見たのは、何年か前に彼女がお嬢様の部屋に紅茶を運んできたときだった。使用人に求められる仕事中の凛とした佇まいは見る影もなく、花が萎れてしまったようで痛々しかった。決して目線を上げることはなく、かといってどこを見るでもない虚ろで崩れてしまいそうな目。


 お嬢様に関わる仕事は"加点"されないので使用人は嫌がる。だから大方他の使用人に押し付けられたのだろう。それでも嫌がらせが入らなかったのは、お嬢様に粗相をすればそれなりの"減点"があるから。


 とかく屋敷内では腫物扱いのお嬢様は使用人から疎まれていたし、その付き人の自分は憎まれてさえいた。庭師の娘が遊んでいるだけで使用人と同じ給与をもらっていると思われたのだろう。私も色々な嫌がらせを受けてお嬢様の世話が満足にできないことがままあった。だから使用人のような仕事も自分でせざるを得なくなっていったが、そうすると今度は庭師の娘が使用人のようなことをするなと言われるようになった。


 そんな空気の中で、あの使用人は私やお嬢様に隔てなく接してくれた。

 あるいはそんな子だったからこそ、いじめられてしまったのかもしれない。


 あの子とこの異邦人は少し似ている。否定を受け続けた人間の挙動。

 常に何かを恐れている。


 この異邦人の言うことがもし本当なら、この異邦人は相当便利な世界に生きていたはずだ。隣町に行かずとも世界中のものが手に入り、洗濯はボタンひとつで終わって、ほとんどの人が食べ物に困ることもなく、あのスマホとか言う魔道具を誰もが平然と使いこなせるような高度な文明社会で、何にも縛られず自由に生きることができる。


 そんな世界に生きていて何故、この人間はこんなにも苦しそうに眠るのだろう。


 もし自分がこの異邦人の世界で生きられたなら――そう思ってしまう。


 この異邦人の世界では女でも自由に生きられるらしい。そんなことは考えたこともなかった。そんな世界があっていいのか。私は許せるのか。


 贅沢な悩みなのはわかっている。こんな世の中で、屋敷に勤め安定した地位と給与をもらって食べ物や住む場所に困らず暮らしていけることが、町の人々からすればどれほど羨ましいことなのか。


 ただそれでも――。


 ……目を閉じて、考えるのをやめた。


 私ももう眠ろう。罪深い夢を見るために。


 最後に異邦人の眉間の皺を伸ばすことを試みる。人差し指と中指を、皺の中央に当てすっと外に広げる。


 皺は一瞬なくなったかのように思えたが、それからまたじわじわと寄っていった。


 2回目もやる。だが皺はまた戻る。


 ふっ、と鼻で笑って、ノルンは瞼を閉じた。


 窓の外に連なる木々の上に落ちた夜空の星たちだけが、窓越しにそれを見ていた。


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