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002 メイドと旅人とお嬢様と交通事故


気が付けば青年の身体は宙を舞っていて、時間が一瞬で停止した。


 ――あれ、俺撥ねられてる。


 何故かそんなことを呑気に思った。

 いや、月もない夜は暗すぎて青年にはどっちが上でどっちが下で自分がどうなっているのかもよくわかっていなかったので、自分が撥ねられたということがわかっただけでも慧眼と言えるのかもしれない。


 視界の端に灯りが映り込む。

 ――ああ、この世界にも一応灯りってあったんだ。


 次の瞬間には時間が急に飛んだように青年の身体は既に地面に叩きつけられていて、青年の真っ暗だったはずの視界があらゆる色にチカチカと明滅する。運悪く着地のときにどこかで頭を強く打ったようだ。


 そこから先のことは何も覚えていない。薄れゆく意識の中でうっすらとした灯りと馬の鳴き声だけが遠くなっていった気がする――。


 * * *


「お、起きましたわ~!!!」


 元気な声が部屋の中を乱反射した。見知らぬ部屋で目を覚ました青年の前に、身なりの良い若い女性の姿。その女性をもし一言で形容するとしたら、


「お嬢様が居る……」


 お嬢様が居た。


「ノルン! このお方が! このお方が目を覚ましましてよ!」


 青年が目を覚ますや否や女性もといお嬢様は青年と目を合わせたのも束の間、すぐさま青年をさし置いてバタバタと部屋を後にしてしまう。その様はまさに疾風の如く。


 展開が早すぎて青年はまったく思考が追いつかない。

――いったい何が起こってるんだ。心なしか後頭部がズキズキする。ああ、そうだ、路地から走り出したら、何かにぶっ飛ばされて、それから……。


「よいしょ、いてて……」


 重々しく上体を起こしてふうと一息つき、ぼんやりと部屋を見渡した。質素な部屋だ。四畳半くらいの広さに小さな窓がひとつ、夜の闇を映している。それから枕元に燭台の乗った背の低い棚があって、もう1個の背の高い棚は衣装入れだろうか。床には敷物もなく、ワックスもかかっていない木の板が剥き出しになっている。


 いったいここはどこなんだ。

 というか自分はどうなったんだ。


 そんなことをゆっくり考える間もなくまたバタバタと足音が開きっぱなしの扉から近づいてくる。しかも今度は二人分だ。


「ほら! ここですわよ!」


「わかっていますお嬢様。お静かに! あまり大きな声を出すと起きたばかりのこの方がびっくりしすぎて死んでしまいますよ」


「死んでしまうんですの!?」


「いや死なねぇよ!!」


「死なないんですの!?」


 青年も思わずつっこんでしまった。陰キャなのに。初対面の相手に。


 変なボケに気をとられてすっかり遅れてしまったが、青年は二人の姿をじっくりと見まわした。


 お嬢様と呼ばれていた方は、青年よりは少し年下だろうか、ネグリジェのような衣服に身を包み、蝋燭の暗い灯りでもはっきりとわかる整った顔立ちは17,8歳くらいに見える。幼い頃の輝きをそのまま湛えたような綺麗な青い瞳、白くてきめ細やかな肌、ゆるくウェーブした長い白髪はふわふわと揺れるたびに花のような香りが漂ってくる。さっきからとても元気だが青年から見て元の世界でも見たことがないほどの気品を漂わせた上品な女性だ。


 そしてそのお嬢様に呼ばれて飛び出て冗談なのか本気なのかわからないギャグを飛ばして来た方は、地味めな三つ編みながらブロンドの髪色がそれを地味とは感じさせずお嬢様ほどではないもののなんとなく高貴な雰囲気を漂わせている。お嬢様の方は身なりが良すぎて年齢がやや推察しづらいところがあったが、こっちは見るからに10代後半の女の子と言った感じだ。見た目的な年齢はわかりやすいが対照的にやや垂れたジト目は何を考えているのかわかりづらい。


 そして、クラシカルなタイプのメイド服を着ている。


「メイドとお嬢様だ……!」


 ――メイドとお嬢様。異世界にも存在したんだ……メイド服って。何でだろう。


 家に居る時はよく現実世界の人間がゲームやアニメの世界に異世界転生する話をアニメで見ていたが、もしかしたらこの世界もそういう地球の誰かに創られた類の世界なのかもしれない。


 いや、もし仮にそうだとして、自分も例に漏れずに異世界転生させられたのだとしたら、せめてもっと平和な世界に飛ばしてほしかったな……何だかイメージと違う。あまりにも殺伐とし過ぎている。


「うーん」


 ずいっ、とメイドが顔を近づけて言う。


「身体の方は問題なさそうですね。頭の方はわかりませんが」


「一言多いな」

 

「で、あなたは何者なんですか? 馬車で轢いてしまったのはお詫びいたしますし、お嬢様の願いでお助けもしましたが、あなたがもし野党や浮浪者の類なのでしたら屋敷の治安維持のためにお引き取り頂くことになります」


 ――馬車に轢かれていたのか、俺……それはそうと、確かにこのメイドの言うことはもっともだ。あれだけ治安の悪い街だ、きっと元の世界では考えられないくらいのとんでもなく悪い奴らがいくらでも居て、想像したくもないようなことが日常的にわんさか起こっているのだろう。


 そんな時勢だと言うのに路地から逃げてきた得体のしれない男の俺を助けてくれたのか、この子は――そう思い至り、青年はふとお嬢様の顔を見上げる。


 お嬢様は心配そうな顔でこちらを覗きこんでいる……かと思いきや、場の空気にそぐわないほどその双眸をキラキラと輝かせて、遊んでもらうのを待ちきれない子犬みたいになっていた。まさに尻尾が見えるようだ。


 そしてついに我慢しきれなくなったと言うように、お嬢様は青年に飛びついた。


「旅人ですわ! そうでございましょう!? その珍しい服装! 異国の方に違いありませんわ!!」


 お嬢様は興奮冷めやらぬといった感じで、自分の両手で青年の両手を包み込むようにしてとり、そのままその両目でまっすぐ青年の顔を凝視する。普通の人でもそんな目で見られたら目を反らしてしまいたくなるようなキラキラした目で見つめられた青年はたまらず顔を背けた。


「あ、いえ、あの、その」


 正直に言えば旅人と言うよりは多分、浮浪者の方が近い。背けた視線の先でジト目メイドと目が合った。メイドは訝しげに青年を見つめており、その目は「浮浪者の”ふ”の字でも言おうものなら、お前が初めて手に入れたこの安住の地を今すぐ追放してやる」と語っているような気がした。


「た、旅人です」


 ――身分を詐称してしまった。

 でもまだ何とかなる。これから旅をすればいいのだ。そうすれば俺は旅人になるし、嘘はついていない。


 尚も訝し気な顔をしてこちらを見るジト目メイドに向かってお嬢様が言う。


「ほら言った通りだったでしょう! わたくし異邦人から外の世界の話を聞くのがずっと夢でしたのよ! 旅人さん、わたくしに外の世界のことを隅から隅まで教えてくださいまし!」


 得意げに言うお嬢様を困ったように見返しながら、メイドは小さく溜息をひとつつく。


「はぁ……仕方ないですね。あなた、ちょっとこっちに来てください」


 青年は廊下まで出るよう促され、素直にそれに従った。お嬢様を部屋に置き、暗い廊下に二人。ジト目メイドはしっかりと扉を閉めてから、いかにも面倒だという感じの目つきで青年をじっと見上げて言った。手に持った燭台から放たれる光がぼうっと二人を怪しく照らしていた。


「良いですか、お嬢様は俗世のことをよく知りません。人間や社会の汚い部分など見なくて済むように、蝶よ花よと愛でられて育てられてきました。言いたいこと、わかりますね?」


「余計なことは言うな――」


「そういうことです。もしあなたが何か余計なことを言ったら、私はあなたをすぐに追い出しますからね」


 返事は聞く必要もないという風に、メイドは自分が話し終わるとすぐにドアノブに手をかける。だがその視線は青年をじっと見定めるように、しばらく青年から離されることはなく、青年もそれに気圧されて視線を外せなかった。


 ――俺、ここに居ても良いのかな。

 歓迎されない存在。足手まとい。居ない方が良い人間。

 そんな空気をずっと感じながら同じ場所に留まって、同じ人間と関わって、同じタスクをこなして、それが惨めで、申し訳なくて、辛くて――。


 嫌な感覚が蘇る。胸がちくちくする。

 息がしづらい――。


「もう、何をやっていますの! 早くこちらへお座りくださいまし!」


 部屋に戻ると、お嬢様がベッドに座って自分の隣をぼふぼふと興奮気味に手で叩いてこちらを待っていた。その表情を見ては流石の卑屈な青年も、招かれざる客、とは言えなかったし、思えなかった。


「さあ、どんなことでも良いですわ! あなたの国のこと、教えてくださいまし!」


 見えない尻尾をぶんぶんと振り、息を荒くするお嬢様。


 さっきまで鉛のように重かった足にぐっと力が入ったような気がした。自分を見つめる爛々と煌めく目。それが明らかに過剰な期待であることは青年も考えずとも肌で感じたが、それでもこの人は自分に期待してくれている。


 そんなこと、いつ振りだろう。


 青年は踏み出して、ベッドに腰かけた。

 いつの間にか持ってこられた椅子にジト目メイドも着席する。


「そうだなぁ、どんなことから話そうか」


 その時、お嬢様がはっとした様子で言った。


「あ、いけませんわ。その前に、あなたの名前をお聞きしてませんでしたわ」


「ああ、ごめん。俺の名前はハルカゲ。ハラハルカゲって言うんだ」


 青年は名乗った。自分の名前を名乗ることなんて、今日日すっかりなくなってしまっていた。大学の講義やなんやでたまに自己紹介をするときくらいだ。そしてそれは軒並み決して良い思い出ではなかった。


 でもなぜだか今は、いつもみたいに胸につっかえることなくすんなりと自分の名前が言えた。あれ、といった感触。懐かしいような、新しいような、不思議な感覚がした。


「ハラーハ=ルカゲ? やっぱり恰好だけではなく名前も異国風なのですわね!」


「砂漠の方の民でしょうか? それにしては暑そうな恰好をしていますが……」


「違う違う。まぁ確かに砂漠みたいに暑い街ではあったけど、砂なんてないんだ。アスファルトってもので地面は固められていて――」


「あすふぁると? あすふぁるとって何ですの?」


「アスファルトって言うのは……あれ、アスファルトって何だろうな。ちょっと待って、今調べ……ああ、ネット使えないんだった」


「スマホ? その手に持っているのがスマホというものなんですの? ぴかぴかと光ってすごいですわ!」


「そうだよ。あそうだ、電波に繋がらなくても写真くらいは見れるよね。ほら、例えばこれとか、野良猫の写真だけど、これこれ、これがアスファルトで」


「まあ! なんですのこれは!! こんなに早く絵を描き替えるなんて、どんな魔術が宿っていますの!?」


 話題は尽きることなく続いて、夜もとっぷりと更けていった。しばらくした頃には、気づけばジト目メイドもお嬢様と一緒にスマホをのぞき込んで、青年の話を興味深そうに聞くようになっていた。


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