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001 誰も彼を助けはしない


 気が付くとそこは広場のど真ん中だった。石畳、石造りの家、水の張ってない噴水、道行く人々、その全てが青年を見ていたし、その全てが青年を無視していた。


 人間というものはどれだけ無知で鈍感な者でも人の視線には敏感にできているらしい。青年は自分の身に何が起こったか理解することができなかったが、おかげで自分の置かれている身分がどうやら「異邦人」であるらしいということにはすぐ気が付いた。


 道行く人の視線を追うように自分の身体を見やる。着すぎてぼろくなってきたお気に入りのパーカー、同じくよれたジャケット、これ履いとけば間違いないだろうと思って履いてたチノパン、安売りしてたスニーカー。


 そして対照的に道行く人は、昔にロールプレイングゲームで見たような恰好。


 ここはどこだ? 自分はどうなった?

 常人であればすぐにそんな発想に至りそうなものだが、青年はいかんせんコミュ障ぼっちであったため真っ先に別の思考が頭に浮かんだ。


「浮いている……!」


 ダメだ、浮くのはまずい! 浮いたらすぐに後ろから指をさされて、影で何か言われ笑われてしまう……!

 嫌な寒気がして汗が滲む。気づいたころには青年は咄嗟に走り出していた。どこでもいい。どこか視線のない場所へ――。


 無我夢中で石畳を踏み走る青年を太陽が斜めに見下ろしている。

 心臓が強く脈打つのは、視線に対する恐怖感からか、引きこもって低下した体力のせいか。


 奇異なものを見る目で人に見られるのは怖い。嫌な記憶が首をもたげる。


 何とか人気のない路地裏に転がりこんで、青年はパーカーを胸のあたりでぐしゃりと掴んだ。


 呼吸を整える。大丈夫。大丈夫。誰も俺に興味なんてない。誰も俺のことを気にしちゃいない。

 ふうとひとつ長く息を吐き、青年は落ち着きを取り戻してからようやく考えるべきことに思考が及んだ。


「ここは、どこだ……?」


 ぬるい風が頬を撫でる。嗅いだことのない匂いがした。


 こんな感じのヨーロッパの街並みを再現した観光施設が日本にもあると昔どこかで見たことがあったような記憶がある。けれどもあの道行く人の数に恰好、それにあの視線の冷やかさはどうみても観光施設のそれではない。


 見たところ道も壁も建物も大体のものすべてが石造りだ。何十年か、あるいは何百年もここにあるのかもしれない。へたりこんだ路地裏についた手には、やはりひんやりとした石の感触が伝わって、手から熱を吸いとっていった。 


 どっしりと暖かいような、こちらを少しも見ていない不愛想なような、町全体がそんな不思議な感覚。これが異国情緒というものなのだろうか。青年は海外に旅行したことがないのでその想像は妄想に留まるが――。


「夢……でもないよな。感触がリアルすぎるし」

 

 ちらちらとこちらを見ていた道行く人々の顔を思い出そうとしてみる。どんな顔をしてこちらを見ていただろうか。外国人っぽかったか。それとも日本人ぽかっただろうか。思い出せない。青年は人の顔を直視できないため、目が合ったらすぐに顔を背けてしまっていた。


 途方に暮れて上を見上げると路地の建物にカステラのように細長く切り取られた空が、謎な紐によって数個に分断されている。昔にアニメか何かで見たことがある。多分、あの紐に洗濯物をかけるのだ。どうやってやっているのかはわからないが。


 とりあえず青年は歩き出すことにした。行く宛てもないがとりあえず情報を集めないことには、今夜冷たい石の上で野宿をしなければならないことは愚鈍な彼にも察するに難しくなかった。


* * *


 結論から言って、青年の見通しはやはり甘かったと言わざるを得なかった。そのつけと言うべきか夜現在、青年は真っ暗な街の中を数人の暴漢相手に逃走劇を繰り広げていた。


 夜になれば街は顔を変える。もう足元もろくに見えない。この街には街灯もないし、たいまつもない。日本でもすごい田舎に行けばそういうところがあると聞いたことがあるが、幸か不幸か青年はそんな場所に行った経験もなかった。


 そしてこの街は青年が思っていたよりも遥かに治安が悪かった。日が暮れて灯りがなくなりはじめると、どこからともなく柄の悪い男が次々と姿を現して、こちらをにやにやと舐めるように見てくるのだ。


 そして完全に日が落ちきると、値踏みは終わったと言うように男達はゆらゆらとこちらに歩いてきた。まるでゾンビ映画だ。石の上で野宿なんてとんでもない。とてもそんな次元ではなかった。


 青年は嫌に高鳴る心臓に従うまま走り出した。中学生の頃、不良に絡まれて逃げ出したときのことをうっすらと思い出したが、あのときよりも事態は遥かに深刻だ。


 だが必死の逃走も虚しく、基本的に引きこもりで運動もしないインドア派の青年の体力がそんなに持つはずもなく、青年はものの10数分で再び路地裏に身を投げうつように転がり込むこととなる。


「はぁ……はぁ……ハハ、星がすげーよく見えるな」


 街も空も真っ黒で、星が白い砂を撒いたみたいにこれでもかと言うほどよく見える。だがよく見えたところで、この世界には北極星さえあるのか定かではない。それどころか月もない。そもそもここが地球なのか、天体の上にある世界なのかさえも。


 路地に行けば最悪挟み撃ちに合う危険性がある。かといって広場は視界が開けすぎていて逃走経路がバレバレになる。狭すぎず広すぎない。そんな場所を目指して走り続けたが、今日初めてこの街に来た青年に地元の暴漢以上の土地勘があるはずもない。


 ジリジリと追い詰められているのを背中に感じる。


 はあ――。


 遅かれ早かれこうなる運命だったのだ。

 そんな言葉が頭をよぎる。 


 この世界において、自分は圧倒的弱者だ。そしてこの世界では弱者は生きていけないのだ。青年はいかに自分がさっきまで居たはずの世界が自分に優しかったかを嫌なくらい痛感した。


 弱者は搾取されて死ぬ。そんな社会もあるのだ。

 いや、寧ろそういう社会こそ普通なのかもしれない。


 思い起こせば元の世界でも自分は弱者だったし、搾取もされていたし、そういう意味でも遅かれ早かれだっただろう。


 どんなに助けを呼んでも誰も出てこない。この街に警察のようなものはないのだろうか。あるいはあっても買収されているか。


 誰も青年を助ける者は居ない。

 ここまでなのか。ここで死ぬならまあそれも運命か。


 諦められるか? こんな惨めな状況で。


 ――いや、無理だ。死を想像すると、反射的に胸がざわざわする。

 いかに嫌気が差していたとしても、人生を諦める覚悟をするというのはいざとなると想像以上に難しいものらしい。

 

「――へへ」


 我ながら下らねえと青年は思ったが、不思議と笑いがこぼれた。

 もう動かない足を拳で一発殴って無理やり言うことを聞かせる。まだ走れそうか?

 いや、走れなくても走るしかない。もう涙が出そうだったが、今泣くと鼻水で鼻が詰まって走れなくなってしまうから我慢だ。


 小さくひとつ声を出して、自分を奮い立たせる。


「よし! もうひとっ走りすっ――どわぁ!?」


 ようやく決意を固めて青年が一歩踏み出したその時だった。



 青年は何かに”撥ねられ”た――。



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