今日もあなたにハーブティーを
小さな町に住んでいるマチルダは、少しおしゃまな女の子です。
近くに住んでいる身寄りのないおばあさんが作るお弁当やお茶を、町の人に届けるお手伝いをしています。
町の中にある工房やお店、それに兵隊さんの詰所などを回って、頼まれていたお弁当などを手渡していくのです。
いろんな人と話せるこの仕事を楽しんで行っていましたが、その中でも特にマチルダが楽しみにしていたのは、町の安全を守っている兵隊さんたちの詰所に行く事でした。
この日もマチルダは、詰所にお弁当を持って訪れていました。
「こんにちは! お弁当を届けに来ました!」
詰所の入口に立っていた、大きな身体の兵隊さんに、元気よく声をかけます。
「……今日もお届け、お疲れ様です。マチルダさん」
「お兄さんも、いつもお疲れ様です!」
兵隊さんは、マチルダからお弁当を受け取ると、詰所の中にいる他の兵隊さんたちに手渡していきました。
「お兄さん、今日もいつものがありますよ?」
マチルダは、さっきの兵隊さんに声をかけました。
「……ありがとう。いただきます」
兵隊さんは、奥から自分用のカップを持ってきて、マチルダの前に差し出しました。
見上げるような背丈の大男です。
他の子供たちなら、気味悪がって近寄らないか、下手をしたら泣きだしてしまうかもしれません。
しかし、マチルダは兵隊さんを怖がる様子を全く見せませんでした。
カゴの中からポットを取り出すと、兵隊さんが差し出したカップに中身を注ぎます。
ポットの中に入っていたのは、鮮やかな赤色をしたお茶でした。
「マチルダさん、いつもおいしいハーブティーをありがとう。気を付けて帰ってくださいね」
「はい! また明日も来ますからね!」
にっこりと笑うと、マチルダはおばあさんの家へと戻って行きました。
赤いお茶を飲んでいる兵隊さんに、他の兵隊さんが声をかけました。
「おいジョシュ。いつも思うんだが、よくお前はそんな不気味なものを好き好んで飲めるよな?」
ジョシュと呼ばれた兵隊さんは、赤いお茶を飲み干してから言いました。
「……不気味なもの、といっても、ハーブティーだろ? そんなおかしなものではない。それに、飲むと元気が出るような気もするぞ。お前も今度、マチルダさんにお願いしたらどうだ?」
「遠慮しておくよ。あのババアの所のハーブティーなんか、気味が悪くて仕方がない。マチルダとか言うガキはともかく、あのババア自体も魔女みたいでいけ好かないし……弁当はうまいけどな」
「……人を不気味だと言う前に、お前はその口の悪さを直そうとは思わないのか?」
そんな事を言いながら、ハーブティーを飲み終えたジョシュは、お弁当を食べ始めるのでした。
「お兄さん、今日も喜んでくれたみたい……」
はずむような足取りで、おばあさんの家へと向かいます。
あのジョシュという兵隊さんと話せたのが、うれしくて仕方がないのです。
実は、マチルダが詰所に行くのを楽しみにしていた理由が、ジョシュに会える事でした。
どういうわけだか、あの大柄でいかつい兵隊さんの事が、気になって仕方がないのです。
普通の子どもなら、怖がって近寄ろうともしないでしょう。
あるいは、遠くからバカにして楽しんだりすることもあるかもしれません。
しかし、そうした子どもたちの反応に対して、マチルダは冷ややかでした。
――本当に、みんな子どもなんだから。でも、お兄さんの良さを知っているのはあたしだけで十分……。
そんな風に思う事を、恋心と言うのかもしれませんし、マチルダ自身もそう考えていました。
しかし、自分から好きだと伝えるつもりは、全くありませんでした。
ジョシュとマチルダは、身体の大きさも差がありますし、年の差も十歳以上あるのです。
想いを伝えたとしても、『子どもの言うこと』と流されてしまうのは、火を見るよりも明らかでしょう。
だから、マチルダは別の方法を考えました。
それが、さっきジョシュに飲ませたハーブティーです。
おばあさんは、弁当を作る他にも、ハーブティーやハーブの薬を作ることも得意でした。
町の住人の中にも、おばあさんからハーブティーを分けてもらっている人が何人もいました。
おばあさんは、お弁当配りの手伝いをしているマチルダに、家の中にある様々なハーブを使ったり、ハーブティーのレシピを見たりするのを許していました。
そのため、マチルダにとって、ハーブティーを作るのは難しい事ではありませんでした。
あのハーブティーは、簡単に言ってしまえば、こちらから告白するのではなく、相手がこちらに振り向くように仕向けるためのおまじないのようなものでした。
ローズヒップやハイビスカスなどをブレンドした、恋する気持ちを高める効果があるレシピです。
お弁当を届けに行く度にこれを飲ませて、相手に『自分はこの子に恋をしている』と思いこませるのがマチルダのもくろみです。
幸い、ジョシュ以外の兵隊さんはハーブティーを嫌がったため、怪しまれずに彼だけに飲ませるのは難しい事ではありませんでした。
ハーブティーを飲ませ続けたおかげか、以前よりも親しく会話が出来るようになりました。
ジョシュの方も、マチルダと話をするのを楽しんでいるように見えます。
手間ひまはかかりますが、確実に効果は表れているように感じられました。
――まあ、本当はおばあさんが、早く大人になれる薬の作り方とか、あたしが大人になるまでお兄さんにお相手が現れないようにする魔法とかを知っていれば、そっちの方が断然いいんだけどね。
そんな事を考えているうちに、マチルダはおばあさんの家に到着しました。
「ただいま戻りました!」
「おや、マチルダちゃん。お帰りなさい。ちょうどお茶が入ったところだよ」
おばあさんにうながされ、マチルダは片づけをしてからお茶を手に取りました。
「今日のお茶は何かしら?」
「カモミールとレモンバーム、それとリンデンをブレンドしたハーブティーだよ。飲むとおだやかな気持ちになれるんだよ」
マチルダは、おばあさんが用意したお茶を、一口すすってみました。
確かに、すっとしたさわやかな風味と、ほのかな甘みのおかげで、気持ちが落ち着くような感じがします。
「おばあさん、いつも思う事だけど、ハーブってすごいのね!」
「マチルダちゃんは勉強熱心だからね。きっとそのうち、私より詳しくなるだろうよ」
ハーブティーを飲みながら、おばあさんは語りかけます。
「私ももう年だからね。それでも、私のハーブティーや薬を頼りにしてくれる人がいるのはありがたい事だよ。もし私に何かあった時は……」
「おばあさん……?」
「まあ、そんなすぐにこの世とおさらばするつもりはないよ。安心なさい。ハーブの事だって、マチルダちゃんが本当にやりたいならいいけど、無理に跡を継がせようなんて思っていないよ」
そう言って、おばあさんは小さく笑いました。
ハーブティーを飲み干してから、おばあさんはマチルダに話しかけました。
「ともかく、ハーブを使うなら、覚えておかなきゃいけない事は多い。特に……」
おばあさんは、マチルダの方をじっと見ます。
「ハーブティーは、こういう気分になりたい、という時に、それにあった物を飲まないと効果が得られないんだよ。その時の気分に合わない物を飲ませても、うまく働かないものなんだ。ましてや、こっそりだれかに飲ませて、こういう作用を及ぼしたい、みたいな使い方をするものではないんだよ。そもそも薬だって、飲む人に隠してこっそり飲ませるのはいけないことだろう?」
「……う、うん……」
マチルダのやっていることを知ってか知らずか、おばあさんはよくハーブティーを使う上での心得を話していました。
その度に、マチルダは、静かにうなずくしかありませんでした。
おばあさんはああ言っていますが、マチルダにとっては、他に手段がありません。
どうにかして、自分の事を好きになってもらわなくてはならないのです。
なので、ジョシュにハーブティーを飲ませるのをやめるつもりはありませんでした。
この日も、ベッドに向かう前に、おばあさんの所からもらってきたハーブで作ったハーブティーを飲みました。
マチルダが飲んでいるのもまた、恋する気持ちを高めるためのハーブティーです。
マチルダはそれを飲んで、幸せな事をいっぱい想像するのです。
いつかお兄さんと一緒になれる事を。
そして、その先に待っている幸せな未来の事も。
「明日こそは、お兄さんに好きって言ってもらえるかな……?」
胸がぽかぽかする感じを存分に味わいながら、マチルダは眠りにつくのでした。
マチルダは、毎日のように、ジョシュにハーブティーを飲ませていました。
しかし、楽しくお話をすることは出来ても、中々マチルダの事を好きだと言ってくれません。
そんな様子をじれったく感じていたある時、こんな事を言われました。
「……マチルダさんは、本当に優しい方ですね。自分のような人間にも、怖がらずに接してもらって、ありがたいと思っています」
「えへへ、そんな事はないですよ……」
はにかむような笑顔を見せるマチルダに、さらに続けます。
「前にマチルダさんが言ってたことだけど、ハーブティーって言うのは、体調を整えたり、心に働きかける作用があるんですよね?」
「はい、そうですけど……お兄さん、何か困っていることがあるんですか……?」
少し考える様子を見せてから、ジョシュはこう言いました。
「……人に想いを伝える勇気が出るようなハーブティー、というのもあるんですか?」
「えっ……?」
マチルダは、戸惑いました。
ジョシュはだれかに想いを伝えたいと考えているのでしょうか。
でも、彼が女の人と親しくしているような様子はなかったはずです。
だとすると、一体だれに想いを伝えようとしているのでしょうか。
「……ひょっとして!?」
マチルダは、ある事に気が付きました。
――もしかしたらお兄さんは、あたしの事を好きだと言いたいのかもしれない。いや、きっとそうに決まっている。ようやく、あのハーブティーを飲ませてきた効果が現れたのね!
そう考えると、つい笑みがこぼれてしまいます。
ジョシュの方を見てみると、少し恥ずかしそうにして視線を外してしまいました。
その様子から、マチルダは自分の考えが正しいのだと確信しました。
――もう、あたしはいつでもお兄さんの言葉を待っているのに。でも、勇気が出ないと言うのなら仕方ないわよね。それなら……。
「また後でここに来ますね! とっておきのがあるんですよ!」
そう答えると、マチルダは急いでおばあさんの家へと向かいました。
「……お前、すっかりあのガキになつかれてるな。しかし、いいのか? あの様子をどう思う?」
「どう思うって……マチルダさんは本当にいい人だと思っているが……?」
ジョシュの言葉に、口の悪い兵隊さんは頭を抱えました。
「……なるほどねぇ。しかし、兵隊さんのくせに、勇気が出るハーブティーが欲しいなんて言うだなんて、変わった人だねぇ」
「ええ。でも、おばあさんも前に言っていたでしょう? 自分がなりたい気持ちと、ハーブティーの相性が合った時が、一番効果が出やすいって」
おばあさんの家で、マチルダは手際よくハーブティーを作っていました。
「勇気が出るハーブと言えば、やっぱりタイムよね……それと、飲みやすくするためにカモミールとエルダーフラワーも……出来た!」
ハーブティーが出来上がると、マチルダはポットを抱えて、詰所へと急ぎました。
「……思ったより、飲みやすいですね」
「ありがとうございます! お兄さんにそう言ってもらえると、作ったかいがあったというものです!」
ジョシュは、マチルダの作ったハーブティーをすっかり飲み干してしまいました。
「あの……どうですか? 勇気が出てくる感じ、しますか?」
「……マチルダさん」
ジョシュは、マチルダの顔をじっと見ました。
目が合ったマチルダは、胸が高鳴るのを感じました。
いよいよ告白されるのかと思うと、耳まで赤くなってしまいます。
そして、ジョシュは口を開きました。
「……あなたには、本当に感謝しています」
マチルダは、ゆっくりとうなずきました。
何だか、思っていたのと違うな、と考えながら。
「……お兄さん?」
「自分の事を怖がらないだけでなく、こんな相談にも乗ってくれて。あなたは本当に、思いやりがある優しい人ですね。あなたのような人と知り合えて、自分は本当に幸せ者です」
「いや、そんな……どういたしまして……」
どう考えても、それは愛の告白の言葉ではなさそうでした。
マチルダは、すっかり拍子抜けしてしまいました。
寝る前のハーブティーを飲みながら、マチルダは思いあぐねていました。
これは一体どういうことなのだろうか。
まだお兄さんは、あたしに告白する勇気が足りていないのだろうか。
だから、ああいった事を言うのが精いっぱいだったのだろうか。
確かに、ハーブティーの効果は、そんなにすぐに現れない事もある。
この恋する気持ちを高めるハーブティーだって、何度もお兄さんに飲ませて、やっとこちらに想いを伝えようとしてくれたのだから。
もしかしたら、勇気を出すためのハーブティーも、もう少し飲ませないといけないのかもしれない。
「……明日もまた、勇気の出るハーブティーを作って持って行こう」
あせっても良い事はない。
お兄さんが想いを伝えてくれるまで、もう少し待つ必要があるのかもしれない。
そう考えながら、ハーブティーを飲み終えると、マチルダはまた、幸せな想像をしながら眠りにつくのでした。
「お兄さん! 今日もハーブティーをどうぞ!」
お弁当を渡し終えた後、マチルダはまた勇気の出るハーブティーを勧めました。
「……ありがとう。いただきます」
ジョシュがハーブティーを飲んでいる様子を、マチルダはじっと見ていました。
「……どうですか? 勇気が出るハーブティーは?」
おそるおそる、マチルダはたずねてみました。
今日こそは、想いを伝えてくれるのだろうかと考えながら。
ジョシュは、めずらしく笑顔を見せると、こう言いました。
「……マチルダさんの作るハーブティーは、本当にすごいですね。これを飲んで、自分は想いを伝える勇気を得られましたよ」
「えっ……?」
ジョシュが言っていることが、マチルダには良く分かりませんでした。
――どういう事なの? お兄さんは、昨日あたしに想いを伝えてくれなかったじゃないの。まだあたしの事を好きだと言ってくれていないじゃない。それなのに、想いを伝える勇気を得られたって、どういう意味なの?
マチルダの心の中で、言い知れぬ不安が膨らんでいきます。
もしかしたら、自分は何か勘違いをしているのではないのか、と。
「……あのハーブティーを飲んだ後、しばらく前から好きだった女性に、想いを伝えることが出来たんです。怖がられて終わりかと思っていたら、向こうも自分の事を気に入ってくれて、それでお付き合いをする事になって……。マチルダさんも知っていますか? 診療所で働いているジェニファと言う方です」
不安が的中しました。
ジョシュが想いを伝えたかった相手は、マチルダでは無かったのです。
どうしてあの時、ジョシュは自分に想いを伝えようとしているなんて思ってしまったのだろうか。
どうして勇気が出るハーブティーを、ジョシュに飲ませてしまったのだろうか。
マチルダは、全身が不自然にこわばるのを感じました。
「これもマチルダさんのおかげです。本当に、何とお礼を言えばいいのか……」
「良かったですね」
「?」
いつもの自分が出せないような声が、口をついて出てきました。
自分がこんなに冷たい声を発することが出来たのかと、マチルダは少しおどろきました。
しかし、そのおどろき以上に、やるせない気持ちで胸がいっぱいになりました。
「……お礼なんて結構ですよ。どうぞお幸せに。あ、明日からも、お弁当はちゃんと持ってきますからね」
マチルダは、荷物をまとめると、ジョシュとは目も合わせずに、詰所から立ち去りました。
「……何か、マチルダさんに失礼な事をしてしまったのか?」
「テメェが分からないなら、一生分からないままでいればいいさ」
不思議そうな顔をするジョシュに、口の悪い兵隊さんが吐き捨てるように言いました。
ふらふらとした足取りで、おばあさんの家へと向かいます。
頭の中がぐちゃぐちゃして、考えがまとまりません。
――あたしの気持ちも知らないで! お兄さんに振り向いてもらいたくて、あんなにいっぱいハーブティーも飲ませたのに、どうして他の女を選ぶの!?
思わず泣きだしそうになるのをこらえて、これからどうすればいいのかを考えます。
今からでも自分の想いをきちんと伝えればいいのでしょうか。
ですが、まともに取り合ってもらえる可能性は低いでしょう。
おばあさんに相談すればいいのでしょうか。
しかし、ハーブティーをこっそり飲ませていたことを話すわけにもいきません。
そんな事を考えているうちに、おばあさんの家に着きました。
「……ただいま戻りました」
おばあさんの家に入って、あいさつをしましたが、返事がありません。
辺りを見回しましたが、姿は見えません。
「……お庭にいるのかな?」
そんな事を言いながら、何の気なしにキッチンに向かった時でした。
「……おばあさん? おばあさん!? しっかりして!!」
そこには、冷たい床に倒れているおばあさんがいました。
呼びかけても、返事がありません。
「――診療所の先生を呼ばないと!」
マチルダは、荷物をその辺りに置いて、あわてて外に駆け出していきました。
おばあさんは、しばらく診療所のベッドで過ごすことになりました。
命には関わらないが、一週間は安静にするようにと、お医者の先生に言われたそうです。
もちろん、お弁当作りもその間は中止しなければなりません。
おばあさんの家に、頼まれた荷物を取りに行ってから、マチルダは病室の中に入りました。
「ごめんなさいね、マチルダちゃん。私のせいで、あなたに面倒をかけてしまって」
「ううん……大丈夫。とりあえず、町のみんなに、お弁当が作れなくなった事を伝えに行かないと……」
「もう夕方だし、マチルダちゃんがあちこち回るのは大変よ。人を頼んでいるから、気にしなくていいわよ」
おばあさんがそう言うと、部屋の外からだれかが入ってきました。
「おじゃまします」
そう言って入ってきたのは、ジェニファでした。
マチルダはびくっとしながら、ジェニファの方を向きます。
「すまないねぇ。ジェニファさん」
「いいんですよ。おばあさんにはお世話になってますし、マチルダちゃんに行かせるよりは私が行った方がいいと思いますからね」
おばあさんとジェニファの会話に、マチルダが反応しました。
「おばあさん、人を頼んでいるって、もしかして……」
「そうだよ。事情を話したら、ジェニファさんが引き受けて下さるって言ってくれたんだよ。だから、マチルダちゃんは心配しなくて大丈夫だよ」
おばあさんはそう言いましたが、マチルダは首を振ってから言いました。
「おばあさん、ジェニファさんにお願いしなくても、あたしが行けるわよ? ジェニファさんだって、迷惑でしょう?」
「気にしなくて大丈夫よ。私、こういうの放っておけないのよ」
マチルダは、ジェニファに手助けしてもらうのを良く思っていませんでした。
確かに、今からあちこち回って事情を話すのは大変かもしれませんし、特に詰所に行くのは気が重くて仕方ありません。
しかし、ジェニファを行かせるのも、面白くありませんでした。
――ジェニファさんとお兄さんが会ったら、一体どんなことを話すのだろう?
マチルダは、ジェニファの姿を見て考えました。
年の頃は、ジョシュと同じくらいか、もう少し年が行っているようにも見えます。
おっとりした優しそうな人ですが、特別に美人という訳でもありません。
そんな人を、ジョシュは前から気にかけていたということでしょうか。
そして、ジェニファはそんなジョシュのいきなりの告白を受け入れたという事なのでしょうか。
――この人のどこがいいのかしら。こんな人に、お兄さんが取られちゃうなんて……。
「マチルダちゃん? いいわよね? そろそろジェニファさんに行ってきてもらおうと思うんだけど?」
正直気は進みませんでしたが、おばあさんの手前、マチルダはジェニファに行ってもらう事にしました。
「……分かったわ。ジェニファさん、申し訳ありません。よろしくお願いいたします」
「どういたしまして。マチルダちゃんも、気を付けて帰ってね」
そう言うと、ジェニファは病室を後にしました。
「……おばあさん、あのジェニファさんと知り合いなの? あの人は一体どんな人なの?」
「そうねぇ……」
おばあさんは、少し考えてからこう話しました。
「マチルダちゃんが、うちで働いてくれるようになる少し前に、ハーブティーを買いに来たことが何度かあるね。見ての通り、とてもおだやかで優しい人だよ」
「そうなんだ……あたしがおばあさんの家に行っている間に、色々話していたの?」
「そうだよ。それで、私やマチルダちゃんの代わりに出来る事はありますか? って言ってくれたのよ。そうだ、それと……」
「それと?」
おばあさんは、小さく笑ってから言いました。
「昨日、兵隊さんに急に告白されたって言っていたわ。ちょっとおどろいたみたいだけど、お友達からってことでお付き合いをすることにしたそうよ」
マチルダは、おばあさんに気づかれないように、くちびるをかみしめました。
それと同時に、やっぱりジェニファを詰所に行かせるんじゃなかった、とも思いました。
しかし、今となっては後の祭りです。
「人の縁ってのは、不思議なものだよ。何がきっかけで付き合うようになるかなんて、分かった物じゃない。だからこそ、貴重なものなんだろうね」
「……でも、ずっと好きだったって訳でもないのに、そんな風にして付き合うようになるなんて、おかしいと思うわ」
「だけど、その兵隊さんはジェニファさんの事が前から好きだった訳だし……」
「本当にそうかしら? 気の迷いか何かじゃないの?」
「……マチルダちゃん?」
おばあさんは、マチルダの様子が少し変だと感じました。
「……何か、あったんだね。でも、マチルダちゃんが話したくないなら無理には聞かないよ。今日はゆっくり休むんだよ」
マチルダは小さくうなずくと、病室を出て、自分の家へと帰っていきました。
その日は、いつものハーブティーを飲まずに、いつもよりも早く眠りにつきました。
「おばあさん、大丈夫?」
翌日、マチルダは再び病室をおとずれました。
おばあさんは元気そうですが、むしろマチルダの方が元気がなさそうでした。
「気にかけてくれてありがとう、マチルダちゃん。マチルダちゃんは、少し元気になった?」
「あたしは平気よ。心配かけてごめんなさい」
マチルダはそう言うと、無理やりに作り笑顔をうかべました。
そして、おばあさんのベッドの横に立って、色々な事を話し合いました。
家に戻った後の事や、お弁当作りをいつから再開するかなどです。
「それじゃあ、お大事にね。明日もまた来るからね」
「ありがとう、マチルダちゃん」
病室をあとにして、診療所から出ようとしていた時でした。
「マチルダちゃん?」
後ろから声をかけられました。
声の主は、あのジェニファでした。
「ちょっとお話があるんだけど、いいかしら」
診療所の外にある花だんの前で、二人は話していました。
「ジョシュって言う兵隊さんが、マチルダちゃんの事を心配していたみたいよ。自分が何か失礼な事を言ったんじゃないかって気にしていたみたい」
ジェニファは、お弁当を届けられなくなる事を説明しに行った時の話を聞かせてくれました。
「何か、ひどい事を言われたの?」
「別に……何にも。私は普通です」
「マチルダちゃんにも、おばあさんにもよろしくって言っていたわ。もし良ければ、自分もお見舞いに行きたいって言っていたみたいだけど、どうする?」
「……必要ないです。そんな気遣いは」
「まあ、あの人は大きくて怖いからね。他の患者さんにも良くないわね」
そんな風に話すジェニファは、すでにジョシュと打ち解けているかのように見えました。
「……ジェニファさん。聞いてもいいですか?」
「いいわよ?」
意を決したようにして、マチルダはたずねました。
「おばあさんから聞いたんですけど、ジェニファさんとジョシュさんはお付き合いしているんですか?」
「そうね。二日前に告白されてからだから、付き合っていると言うには短すぎる気もするけどね」
「……でもあの人、大きくておっかないですよね。それに、急に告白されて、それで相手をいきなり好きになれるものなんですか?」
「急に好きになるって言うと、少し違うかもしれないけど……」
ジェニファは、少し考える様子を見せました。
――あたしの方が、ずっと前からお兄さんの事を好きだったのに。別に好きでもなかったお兄さんの告白を受け入れるなんて、一体どういうつもりなの?
そんな事を考えているマチルダに、ジェニファはこう言いました。
「あの人、話してみると、結構かわいいところがあるのよ。不器用だけど、言葉遣いとかにも気を付けているみたいだし。それに、ハーブティーが好きなんですってね。いつもマチルダちゃんが持ってくるハーブティーを楽しみにしているって言ってたわ。私もハーブティーが好きだったから、それで話がはずんで……」
ジェニファの言葉に、頭がくらくらしてきそうになりました。
お兄さんを振り向かせるために作っていた、恋する気持ちを高めるハーブティーも、勇気が出るハーブティーも、お兄さんとジェニファをくっ付けるために働いてしまうだなんて。
自分のやってきたことが、こんな形で裏切られるだなんて。
「だから、すぐに好きになると言うよりも、好きになっていく途中なのかな、って私は思っているわ。それがうまくいけばステキな事だし、仮にダメだとしても、それを悪い事だったと思ってはいけないわ」
ジェニファの言葉は、決して間違ってはいないように聞こえました。
人との付き合いや、恋する事自体を前向きに楽しんでいくと言う考え方自体は、悪いものではありません。
うまくいかなくてもくよくよしない、というのも、大事な事なのかもしれません。
しかし、どうしても好きな人を諦められないのなら、どうすればいいのでしょうか。
この苦しみを、どうやって和らげればいいのでしょうか。
「マチルダちゃんは、だれか好きな人がいるの?」
「……言えません」
ジェニファとは目を合わせずに、そう答えました。
「私も、うまくいかない恋を何度か経験したけどね」
「……」
「相手の事が好きで好きで仕方ない、っていう恋は、それはそれで悪くないのかもしれないけど、中々しんどいものよ。だから私は、自分の事を大切にしながら、人生も恋も楽しんでやれればいいなと思っているの」
「……そうですか。分かりました」
そう言うと、マチルダは診療所をあとにしました。
ジェニファの言葉は、とても薄っぺらいもののように思えてしまいました。
ましてや、あんな言葉を聞いたくらいで、自分の想いを無かったことにはできません。
おばあさんが家を空けている間、マチルダは家の中の掃除などをやっていました。
もちろん、ハーブがたくさん置いてあるキッチンも、ハーブティーのレシピも、自由に使う事が出来ました。
空いている時間を見つけて、マチルダはある事をしていました。
「あれじゃない、これじゃない……パセリ、セージ、ローズマリー、それにタイム……ううん、もっと強いのじゃないと……」
そんな風にして、二日が過ぎました。
「……やっと、出来上がった」
マチルダが作っていたのは、ハーブティーでした。
しかし、今まで作った事も、だれかに飲ませたこともないハーブティーでした。
様々なレシピや本に載っている、恋する気持ちを高めるハーブティーの作り方を参考にして考えた、マチルダのオリジナルレシピです。
「あたし、もしかしたら本当に、魔法使いの才能があるのかもしれない……」
理屈の通りなら、これを意中の相手に飲ませれば、相手はこちらの事が好きで好きで仕方なくなってしまうほど、効果の高いもののはずです。
飲んでみる訳にはいきませんが、その毒々しい雰囲気は、いかにも効果がありそうな感じを与えるものでした。
「これがあれば……お兄さんの心を取り返せる……!」
効かないはずはない。
きっと大丈夫。
マチルダはこれを、ジョシュに飲ませる事を決意しました。
「すまなかったね、マチルダちゃん。ようやく明後日で家に帰れるよ」
「良かったわ。おばあさんが元気になってくれて、あたしもうれしい」
そんな事を話しているうちに、おばあさんからある事を聞かれました。
「ちょっと前まで、マチルダちゃんの様子がおかしいように見えたから心配していたけど……もう大丈夫なのかい?」
「大丈夫よ。あたしは、もう平気」
マチルダは、にっこりと笑って答えました。
明日、マチルダは詰所に行って、ジョシュに会おうと考えていました。
その時に、あのハーブティーを飲ませるつもりでいたのです。
そうすれば、幸せな未来が約束されると考えて。
ジェニファとジョシュは、仲よくお話をしていると聞いています。
前に話した時の感じからは、ジェニファはジョシュと付き合うこと自体を楽しんでいるようであり、実際二人とも楽し気な様子だとの事です。
そんなジェニファには悪いと思うのですが、だからといって自分の気持ちを抑えて身を引くことは出来ません。
今までずっと好きだったお兄さんを、後から出てきた女に取られるくらいなら、手段を選ぶわけにはいかないのです。
――あれを飲ませれば、お兄さんは今度こそ本当にあたしの事を好きだと言ってくれるはず……。
そんな事を考えていた時でした。
「ちょっと昔の話をしてもいいかい?」
おばあさんの声に、マチルダははっとしてうなずきました。
「今から数年前。マチルダちゃんがうちで働くようになるよりも前の話だよ。その時に、恋に悩んでいる女の人からの相談を受けたことがあってね」
おばあさんは、病室の窓の外を見ながら話します。
「その女の人には、どうしても振り向かせたい男がいたみたいなんだけど、その男は色んな女性をとっかえひっかえしていて、悪いうわさが絶えなかった。でも、女の人はその男の事を想わずにはいられない。それで、男がずっと自分の事だけを見てくれるようになるような、そういうハーブの薬はないのか、と言ってきたんだ」
それからちらりとマチルダの方を見てから、続けました。
「私はきっぱり断ったよ。人の心をハーブの力でむりやり変えようだなんて、とんでもないことだってね。中々納得はしてくれなかったけれど……。そのかわり、女の人にあるハーブティーを飲むようにすすめたんだよ」
マチルダは、おばあさんにたずねました。
「……何を飲ませたんですか?」
「自分に自信が持てるようになるハーブティーだね。自分の事を好きになれるハーブティー、と言ってもいいかもしれない。パッションフラワーとか、リンデンとかが入ったレシピだね。それを飲ませたり、あとは色んな相談に乗ったりしているうちに、その人はその男ばかりを考えなくても生きていけるようになったのさ。今ではちゃんとした人と付き合っているよ」
おばあさんは、今度は天井を見ながら言いました。
「人と人との付き合いって言うのは、本当に難しいものだよ。片方がどんなに好きでも、もう片方がそうでなければ成立しない。そんなことばかりさ。想いを受け入れてもらえない事が苦しいからといって、無理に相手の心を変えようとしても、そうそううまくいくものじゃない」
「……」
「それでも、人はいつか想い合える相手に巡り会えるものだと思うし、そのために一番大事なのは、まず自分自身を大切にする事なんじゃないかと思うんだよ。マチルダちゃんも、そう思わないかい?」
マチルダは、だまりこんでしまいました。
「長々とごめんね。でもこれだけは言えるよ。ハーブの力って言うのは、だれかの心を操ったりするようなものじゃない。自分や、困っている人の心や身体を整えるために使うものだよ。どうやったって、人の心を本当の意味で変えることは出来ないし、だからこそ、自然と心が通じ合うってことは尊い事なのさ」
「……分かりました」
マチルダは、少ししょげた様子で病室をあとにしました。
その次の日の事です。
この日は朝から雨が降っていました。
マチルダは、ハーブティーを冷ましてから、小さなびんに入れました。
赤い色のハーブティーを見ながら、昨日のおばあさんの言葉を思い出しました。
もしかしたらおばあさんには、自分がやっていた事や、これからやろうとしていることも、全てお見通しなのかもしれません。
ですが、今さらやめる事は出来ません。
「……きっと、大丈夫」
そう言うとマチルダは、おばあさんの家をあとにしました。
「……マチルダさん、お久しぶりです。おばあさんもお元気そうだと聞いて、何よりです」
ジョシュにそう言われて、マチルダは笑顔で言いました。
「お久しぶりです。いろいろ忙しくて、なかなか顔を出せなくてごめんなさい。ハーブティーも持ってこれなくて……ごめんなさい」
「とんでもないです。こちらこそ、先日は無礼を働いてしまったようで、大変申し訳ございませんでした」
「いえ……おばあさんは、明日家に戻って、来週の頭からはまたお弁当を作れるようになりそうです。今日はそのあいさつと、これを持ってきました」
そう言って、マチルダはハーブティーの入った小びんを差し出しました。
「……この小びんの中に入っている赤いのも、ハーブティーですか?」
「はい。お兄さんが、ジェニファさんとお付き合いすると聞いて……それで、これを作ってみたんです。あたしからのプレゼントです」
ジョシュがハーブティーの入った小びんを手に取ると、奥から口の悪い兵隊さんがちらちらと見てきました。
「……色が濃いですね」
「はい。大丈夫だと思いますけど……とっておきのなので、こぼさないように気を付けて飲んで下さいね」
「……風味と言うか、独特な匂いもありますね」
「大丈夫ですよ……飲めば、きっと好きになるから」
しげしげと小びんの中身を見ていましたが、ジョシュはおもむろにそれを飲もうとしました。
――そうよ。それを飲めば、お兄さんの心はあたしのもの……。
マチルダがそう思った時でした。
急に、おばあさんの顔を思い出しました。
人の心を変えることは出来ない、という事を話していた時の、何かを憂うような顔です。
ジェニファの事も思い出しました。
想いの強さなら負けていないと思う一方で、付き合うこと自体を楽しもうと考えている彼女の事がうらやましく思えてしまいます。
もし、ジョシュが本当に心変わりを起こしたら、二人はどんな反応をするでしょうか。
自分がやっていることは、本当に正しい事なのだろうか。
このハーブティーを使って、ジェニファではなく自分の方を向いてもらうようにすれば、それでいいのだろうか。
それは本当に、恋がかなったと言えるのだろうか。
心が通じ合っていると、本当に言えるのだろうか。
そんな事を考えている間にも、ジョシュは小びんの中身を口に運ぼうとしていました。
「――ごめんなさい!」
マチルダは思わず、ジョシュが今まさに飲もうとしていたハーブティーを、はたき落としてしまいました。
ジョシュは、何が起きたのか分からずに、ぼうぜんとしています。
床に転がった小びんと、辺りに飛び散ったハーブティーを見て、マチルダはぽろぽろと涙を流し始めました。
そのまま、雨の中を、どこかへと走り去ってしまいました。
「マチルダさん……?」
「バカ野郎! 何ぼさっとしてるんだ! さっさと追いかけろ!」
口の悪い兵隊さんが、ジョシュをどなりつけます。
「しかし……」
「テメェのせいでこうなっているんだろうが! 分からねぇのか!? とにかく、あのガキに何かあったらただじゃおかねぇからな! さっさと行け!」
ジョシュは、言われるがまま、マチルダを追って走り出しました。
町はずれの小高い丘まで走ってきて、マチルダは立ち止まってしまいました。
相変わらず、雨が降り続いています。
しばらくすると、向こうから人影が迫ってくるのが見えました。
ずぶぬれになってこちらを追いかけてくるのは、ジョシュその人でした。
「こっちに来ないで!」
マチルダには、もう走る気力がありません。
その場にしゃがみこんでしまいました。
ジョシュは、マチルダの前で立ち止まりました。
「あんたなんか……あんたなんか大っ嫌い!」
「落ち着いて下さい! 自分があなたを傷つけてしまった事は謝ります!」
「……何が悪いか、ちゃんと分かって謝っているの!?」
「自分が……ジェニファさんとお付き合いさせて頂いている、とお話しした事ですか?」
マチルダは、視線をジョシュと合わせようとはせず、言い捨てました。
「さっきお兄さんに飲ませようとしたのは、うんと強いハーブティーなの。それを飲めば、きっとお兄さんはジェニファさんじゃなくてあたしの事が好きになる。それくらいの効果があるはずのものなの」
「……」
「いつもお兄さんに飲ませていた赤いハーブティーは、恋する気持ちを高めるものなの。あれを飲ませて、あたしの事を好きになってもらおうと思っていたの。でもお兄さんは、ジェニファさんを選んだんだよね」
「……そうだったんですか」
「あたし、とんでもなく悪い子でしょう?」
自分自身をあざけるように、マチルダが話しました。
「……あたしの気持ちに、少しでも気づいていたら、他の人を選ぶなんて出来ないわよね?」
マチルダの言葉に、ジョシュは絞り出すようにして答えました。
「……最初は、物怖じしないし、とても気さくに話してくれる人だな、と思っていました。マチルダさんが、自分の事を憎からず思ってくださっていたという事に気が付いたのは、ジェニファさんとの事を話させて頂いた後でした」
「何なのよそれは……もっと早く気づきなさいよ……」
「申し訳ありません。ですが……」
少し言葉を詰まらせてから、ジョシュは続けました。
「……私はあなたに、返しきれないほどの恩を感じているのです」
「……どういう意味よ」
「あなたに会うまでは、自分は内向的で、魅力的な所が何もないと思っていました。ですが、あなたにあのハーブティーを飲ませてもらったり、色々とお話させて頂いているうちに、少しずつ自分の事を大切に考える事が出来るようになって、それで……」
「それで?」
少し観念したように、ジョシュが話しました。
「それで、自分の本当の気持ちに気が付いたのです。自分がどのような人と一緒に過ごしたいか、という事を考えた時に、ジェニファさんの事を考えていることに気が付きました。以前の私であれば、そんな事は考えもしなかったでしょう。ですから、この出会いは、マチルダさんがいなければあり得なかったものなのです。あなたは、ご自身の目的のためにハーブティーをくれていたのかもしれませんが、例えそうだとしても、自分にとってはありがたかった。あなたは悪い子なんかではありません」
自分の事を大切に思えるようになり、それによって縁に恵まれるようになる。
おばあさんが話していた言葉が、何となく思い出されました。
「……バカみたい。あたし、お兄さんの事が好きだったのに……こっちから言えないから、お兄さんに振り向いてもらおうとして、こんな事になるだなんて……」
「……マチルダさん?」
「でも、お兄さんの気持ちは本物なんだよね……もういいわ」
いつの間にか、雨が止んでいました。
風がふき、雲はどんどん流れていきます。
「笑わないで聞いてくれるかしら?」
「笑ったりなんて、しません」
マチルダはゆっくりと立ち上がり、ジョシュと向き合いました。
「お兄さん」
心を落ち着かせるようにして、すうと息を吸いました。
「あたしは、お兄さんの事が好きです。あたしはまだ子どもだけど、この想いはウソじゃないって思っているし……でも子どもの言うことだって言われるだろうから、想いを伝えられない事が苦しくて……」
涙がこみ上げてくるのをこらえながら、マチルダは言葉を続けます。
「最初はあたしのハーブティーを喜んでくれたり、お話が出来たりするだけでも良かった。でも、それだけじゃダメなの。あたしは、お兄さんの事が好きで好きで仕方ないの。お兄さんは、あたしの事を好きだと言ってくれる?」
ジョシュが答えようとした時、雲が切れて、日の光が差し込んで来ました。
「あなたのおかげで、私は恋をする事が出来たし、想いを伝える勇気も得られました。あなたがいなければ、今の自分は無かった。本当に感謝しています」
そこで言葉を切り、また続けました。
「自分はあなたのことを、子どもだなんて思っていません。ですが、あなたを一人の女性として思えばこそ、自分の想いに正直でいるべきだと考えるのです。たとえさっきのハーブティーを飲んだとしても、自分の心は変わらないでしょう。自分は、ジェニファさんを愛しています」
マチルダは、涙をこらえるように空を見上げました。
太陽の光がきらめき、空には虹もかかっています。
「……なんだ。やっぱりハーブで気持ちを変えるなんて、出来なかったのね」
「ですが、あなたの気持ちは確かに伝わりました。あなたに想いを伝えてもらえて、自分はうれしかったです。あなたは十分魅力的な方ですし、きっと良い縁に恵まれると思いますよ」
「……そうね。絶対にお兄さんよりもいい男を捕まえてやるんだから」
ずっとジョシュの事を想っていたのが、むだになってしまったのは事実かも知れません。
ですが、きちんと想いを伝えたことで、少し気持ちの整理がついたのもまた事実です。
本当は、勇気が無かったのはお兄さんではなくて自分の方かもしれない。
マチルダはふと、そんな風に考えました。
でも、こうしてちゃんと自分の思いを言葉にする勇気を得られたから、良かったのかもしれません。
そんな自分も、大切に思う事が出来るのなら。
「……戻りましょうか」
「そうね……」
「来週からのお弁当、楽しみにしていますよ。ところでハーブティーは……これからはどうなるのでしょうか?」
マチルダは、少し考えてから答えました。
「もしこれからハーブティーが欲しいのなら、ちゃんとおばあさんの家に、お客さんとして来てくださいね。その人の体調や気分の事をしっかり聞かないと、ちゃんとその人に合ったハーブティーは作れませんからね」
二人は小さく笑って、町へと戻って行きました。
空にかかる虹は、気持ちが軽くなったマチルダの目にはとても美しいものに映りました。
※良い子はマネしないでね