第十七話 またこいつに助けられるなんて!
やっとの思いで到着した駅前。
歩き疲れたリアンはどこか休めるところは無いかとあたりを見渡すと、ちょうどいい高さの石垣が一本の桜の木を囲ってひっそりと存在していた。
リアンはそこへ腰かける。夜も更け人通りはまばらだが、他に二人、同じように腰かけている二十代くらいの女性がいたが、すぐに待ち合わせの相手が訪れ街の明かりの中へ消えていった。
どうしようか……。こんな時間からでは日銭を稼ぐような仕事も無い。
人がいるところ、と来たものの、何も案が無かった。
呆然と座り込む。さほど強くない北風でも冷え切った体には堪える。石垣の冷たさやごつごつした座り心地の悪さもジーンズ越しに伝わってくる。
何か暖かい物でも……と思うが残金を考えると自販機に投入するのさえ躊躇われた。
自然と俯き、地面を見つめてしまう。
「あの……」
視界に薄汚れた革靴の爪先が映った。
顔を上げるとくたびれたスーツを着たやせっぽちの男。体に似合わぬ大きなリュックサックを背負っており、その重みで体のほうが潰れるのではないかと心配になるようなアンバランスさだ。
「ずっといらっしゃるようですが、どなたかをお待ちでしょうか……」
「あ、いや……」
答えなくていいようなものを、リアンは素直に返事してしまう。
ここに居てはいけないのだろうか。出で立ちが違うから警察の職務質問や補導ではなさそうだが、こんな小娘に何の用だろうか。
「じゃあ、お願いしてもいいでしょうか……」
「え?」
聞き取れないほどのか細い声で喋るため聞き取りづらくリアンは眉を顰め聞き返す。
「やだなぁ。身なりはこんなですが、疑わなくてもお金ならありますよ」
「は? な、何……?」
ガリガリ男は急に馴れ馴れしく喋り出す。
「やだなぁ、決まってるじゃないですか。売ってるんでしょう? ……春」
「ち、違……」
「そう照れなくても。そうだなぁ、三本でどうです? 三万で本番まで。相場でしょう?」
「お、お前何考えて……」
ガタイがいいわけでも強面なわけでもないのにその瞳に光の入らない暗い目つきに恐怖を感じ、言葉がうまく出てこない。
「ああ、ホテル代は勿論こちらが持ちますからご心配なく! 余計な詮索もしません! ただ、させてくださればそれで構わないんです!」
だんだんと男の語気が荒くなってくる。
何人も通り過ぎる人はいるが気に留めるものは誰もいない。
まるでここに存在しないかのようにきれいさっぱりと無視されていた。
「俺は男……」
「何を言ってるんですか、立派な女の子でしょう! ……ああ、心が男だと言うのですね! それでも結構です! 体を提供してくれさえすれば! お互い気持ちいい上に君はそれでお金を稼げるのですから楽なものでしょう!」
勝手な思い込みで早合点した男がリアンの腕を掴む。
ガリガリなのにリアンの前腕を一周できるほどに意外と指が長く、瞬時に振りほどこうとしたが抗いきれなかった。
「痛っ!」
「ここにずっと座ってるということはそういうことなんでしょう? 私はですね、かれこれ30分見てたんです。だいたい10分もすれば誰かと一緒になる。それがあなたには来ていない! これほど好みの子が来ることなんて滅多にありませんから! ほら、私のアソコはもう待ちきれませんよ!」
「は、離せっ!」
座るリアンの目線の高さに男の下腹部があり、ズボンの上からでも判る膨らみをガリガリ男はご丁寧にも指さしてくる。
こんな奴に好みとか言われてもおぞましさしか感じない。
「……おや、もしかしてはじめてですか!? 私が初めてを戴いてしまってもいいんですか!? 全力でお相手してまぐわう喜びを教えて差し上げましょう!!」
大声で気色悪いことを喚き散らす。
空気が読めないと言うか周りが見えないと言うか、これだけ騒いでいるのだから警察が寄ってきてもおかしくないのだが、世の中そんなにうまくいかない。
「おーい!ごめんごめん待たせたっす!」
「……!?」
見覚えのある顔があった。誰にも気づかれないほどのほんの一瞬、リアンは顔を綻ばせたがすぐに険しい顔へ戻した。あまり見たくない顔だった。
「は?? だれだお前っ!?」
突然の乱入者に男は声を裏返らせながら怒鳴るがまるで迫力がない。
「おっさんこそ誰っすか? うちのおねーちゃんに手ぇ出さないでもらえます?」
乱入者――リアンと同じか少し上くらいの少年は両手をジャンパーのポケットに突っこんだまま凄む。
「お、おねーちゃんって……」
「やだなぁ!待たせたからってこんな状況でまで他人のフリするのやめてくれよぉ!」
「ちっ! 紛らわしいことしやがって!」
敵わないと悟ったのかリアンの腕を投げ捨てるように放し悪態をついてガリガリ男は逃げてゆく。
「ふぃー。うまくいってよかったぁ! おねーさんまた会いましたね。何してたんスか?」
「……」
「あ、もしかしておねーさんマジで本業の人でした? だったらすんません仕事取っちゃって」
「……ほんとだよ……ふざけんな! 文無し宿無しで途方に暮れてたとこにようやく来たカモだったんだ! 何てことしてくれたんだよ! お前のせいでもう凍えて一晩過ごすしかねぇよ……」
「え、と……すんません。余計なことして。……でも、本業ってのは嘘っスね。腕掴まれたときあんな反応しないっスもん」
「なんでそんなこと言えん「言えますよ毎日通りますからここ。そういう待ち合わせで有名なスポットなんすから」
リアン自身は気付いていないが以前男に声を掛けられたのと同じ石垣にまた座っており、声を掛けられるべくして掛けられているのだ。
バツが悪く黙り込むリアンを少年は同じく黙ったまま何かを待つようにリアンの見つめていた。
「……ごめん……自棄になってた。助けてくれて、さんきゅ……」
「(うわー、照れながらお礼言うの可愛―っすね)……えーと……お詫びと言っちゃアレですけど、、行くとこないならウチ来ます? なんとなく食べるモンと、、布団くらいならありますよ」
「はぁ!?」
布団、という単語を聞き、さっきまで直面していた事態から想像が頭をよぎりリアンは顔が熱くなる。
「や、いやいやいやいや! そーゆーつもりじゃないっす! 安心してください、実家暮らしっすから! ただ……ほっとけないっすもん」
「……そか……悪いな……」
礼を述べつつもそっぽを向くリアンは少年もまた耳が真っ赤になっていることに気付かなかった。
たとえ目にしたとしてもそれは寒いからかな、程度にしか思わなかったかもしれないが……。
少年の家へ向かう道すがら、リアンは今日のいきさつを話す。
別に話したくなかったら無理に言わなくていいっす、と少年は言ったが、リアンのほうが話したかった。誰かに聞いてほしかった。
「ん~……傷つくのも分かりますけど、まぁお互い様じゃないスか? 親御さんも最初から子供いるって知らせることができたのに言わなかったのは気ぃ遣ったんじゃないスかね?」
「……」
薄々分かっていた。だが、引っ込みがつかなかった。
「早めに謝っておくことをオススメするっスよー。あとからじゃ取り返せませんから……」
「……そだな……」
リアンはうんうんと自分に言い聞かせるように何度も頷く。
しばしの沈黙。無駄な気まずさは無く二人の靴音と車道を走る車の音だけが響く。
何を話そうか――訊きたいことはたくさんあるはずなのに、いざとなると浮かばない。
少年がそう考えていると名前も知らない成り行きで助けた少女が不意に口を開いた。
「で、アンタはなんで頻繁にあそこ通るんだ? 買う側なのか?」
引っかかっていたものが取れて早々、リアンは質問を投げる。
「な……! 違うっす! バイトの帰りっす!」
「ああそういうこと」
「なんで疑った目で見るんすかぁ!」
さっきまで凍り付いてしまいそうだった心が少し温まっている。
知らぬうちに人を求めてしまっていたのに、もう冗談を言えるほどだなんて、我ながら単純だと胸の内で自嘲する。
先のことは大問題だが、今はせめて、人の優しさに甘えてしまおうと思うリアンであった。




