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手紙

「リーバルド! 私、あなたのことが好き!」

「ありがとう、アイリーン。俺が帰ってきた時、また言ってくれないか? その時は必ずいい返事を返すから」

 若さゆえの甘さは数年経てば苦さへと変わり、髪を撫でる春の風は寒さばかりが肌をくすぐる。



「アイリーン、酒追加!」

「こっちも!」

「はいはい。今行きますよ」

 リーバルドが勇者に選ばれ、村を出てからもう3年が経つ。

 幼い私はリーバルドの言葉を都合のいいように解釈して、旅立った彼を追うように王都へと向かった。


 勇者なんていつ帰ってくるかわからない。

 そもそも本当に村に帰ってくるのかも知れない。ましてや帰って来たところで冴えない幼馴染を妻に娶る確率なんてどれほど低いか。


 田舎の村で過ごしていれば確率は低くても存在しただろう。だが国中を旅して、英雄として祭り上げられたリーバルドの目は確実に肥えているだろう。


 田舎娘なんて眼中にないほどに。

 私に厳しい現実を教えてくれたのはこの王都だった。


 少ない金と荷物を持って家を飛び出した私はすぐに路頭に迷い、住み込みで働かせてくれる酒場へとたどり着いた。

 中からいい香りがするからというアホみたいな理由で選んだ店だが、今思うと本当についていたと思う。村では酒と食事を提供する場所でしかなかった酒場も、王都では女性の花を売る場所でもある。おさわりは当たり前。酒場の2階の部屋を貸している店も多い。


 そんな中で、私が辿り着いた店は純粋に酒と食事を売る店だった。

 酒にうるさい親父さんとみんなのお母さんのような女将さん。ドワーフ族の夫婦は昼間は鍛冶屋を営んでおり、酒場は完全なる趣味だそうだ。だから酒場では飲食以外の収入をアテにすることもなく、味の真っ向勝負だ。そのためか来るお客さんも酒飲みか大食らいが多い。客のほとんどがドワーフか兵士、冒険者だ。年齢層もやや高め。そして声も大きめだ。だから声をお腹からしっかり出さないと通らない。

 年頃の女の子だっていうのに、酔っ払い相手に怒鳴り声をあげることもしばしば。負けん気の強さは女将さん仕込みで、今ではすっかり店の看板娘だ。店の端を陣取る親父さんの目がギラギラと光っているおかげで変な気を起こす客もいない。


 とても働きやすい職場ではあるが、一点だけ困ったことがある。


「そういえば勇者様と姫様の婚約が決まったってよ」

 正確性はともかくとして、情報が回るのがとても早い。頻繁にデマが混ざるが、今回ばかりは真実なのだろう。


「もう数日で王都に着くんだったか」

「パレードの後にはすぐに祝賀会を開くんだろうし、その流れで結婚しちまうんじゃないか?」

「それが一番タイミングがいいしなぁ」

「祝賀会で美味い酒出ると思うか?」

「バカ言え。この店の酒ほど俺らに合う酒はねぇ」

「違いねぇや」


 毎日のように勇者の名前を耳にする。

 もちろん姫様の名前もセットで。

 勇者が魔王を討伐したという話題でどこも持ちきりで、別にこの店に限ったことではない。ただお客の声が大きいから嫌でもしっかりと耳に入るだけ。



 聞きたくもない。

 勝手に期待したとはいえ、待っていた自分がひどく惨めに思えてならない。

 村に残っていれば今頃、他の誰かと結婚して、子どもでも居たことだろう。

 田舎娘を冷静にさせるなら新聞だって十分だったのだから。


 けれど王都へ出てきた私に向けられた現実は、勇者が姫様とデキているという噂と、噂が増すごとに数を減らして、そのうちピタリと止まった私への手紙。

 魔王討伐への道のりは大変だからだろう。

 最後の方は私を気遣う言葉もなく、字も走り書きのものが増えた。いつだってあまり返事をかけなくてすまない、と締めくくられていたから察しろということだったのかもしれない。

 けれど私が恋の熱を冷ましたのは手紙ではなく、彼が姫様と王都デートをしている所を見てしまったから。腕を組んで微笑む2人は絵画の中のようで、私には手が届くわけもないと思い知らされた。絶望の淵に立たされた私の耳には、絶え間なくゴシップ好きのお客さんから『勇者の熱愛情報』が届いた。


 各地の娼館を訪れては姫様と同じ金髪の少女を抱いているだなんて、知りたくもなかった。

 けれど私の気持ちなんて知らないお客は下世話な話を進めていく。嫌という程に大量に耳に入る。ゴシップ誌に書かれたものが中心で真偽など分からなかったが、私の心を冷ますには十分だった。


 王都に揉まれ、酒臭い男衆に囲まれ、純粋な村娘など消えてしまったのだ。


「アイリーン、酒!」

「今行くわ!」

「つまみまだ出てねぇぞ!」

「ピザは出てくるまで時間がかかるの!」

「んじゃ他の早く出てくんの適当になんかくれ」

「はーい」


 王都で10代を終わらせた私はお盆を抱えて走り回る。最近では昼間の仕事も手伝っているが、初恋の次に向かう暇さえない。胸をときめかせる相手もいない。

 勇者が結婚したら村に帰るのかと聞かれればNOだ。両親は帰ってくるものだと思い込んでいるが、今さら帰ったところで居場所がないことなど分かりきっている。初恋の人を追って王都へと出た愚かな娘を妻にしてくれるような男はほぼいない。同世代と初婚を諦めた後に残るのは少し問題ありな人ばかり。唯一まともな人がいるとすれば猟師のバリルさんくらいか。その人も他と比べればまともというだけで、無口を極めたような人だ。声を聞いたのは両手で数えられるほど。優しいのは態度で分かるけど、子どもに対してのもので、妻となった女にも優しくしてくれるかは不明だ。多分優しい、というか興味は薄いのだろうけれど。それでも一番まともな人であることに変わりはない。


 けれどわざわざ村に帰って、バリルさんに娶ってもらうのもなんだか申し訳ない。余り物で申し訳ないですけど……なんて食べ物のおすそ分けで十分なのだ。


 空いたジョッキを片付けながら、何年も会ってない家族の顔を思い浮かべる。

 記憶は3年前で止まっているが、手紙のやり取りはしている。王都に残ると言ったら手紙の枚数が倍以上に膨れ上がるのは確実。孫孫騒ぎ出すかもしれない。けれど孫なんて兄弟の誰かが両親に抱かせてやるだろう。私が産もうが兄嫁が産もうが孫は孫。可愛いことに変わりはないのだから。




「アイリーン。買い出しついでにこれを城まで持ってってくれ」


 親父さんから渡されたのは無記入の注文票だった。これを兵士さんに渡して、そのまま回収してこいということだろう。


「誰に渡せばいいですか?」

「騎士団長のクロムだ。門にいつもマルゲリータとビールを頼む客が立ってるから言えば入れてくれる」

「わかりました!」


 返事をしてから、クロムさんって勇者一行として魔王討伐に出ていた人だと思い出した。リーベルトの手紙にも何度か登場していた。確か少し年が離れてるけど、兄貴肌で面倒見の良い人だったはず。面倒を見てもらう機会などないが、怖い人ではなさそうだ。


 善は急げと、女将さんからもお買い物リストをもらい、お財布の入ったカゴにリストと注文票を入れて城へと向かった。門で常連の男に頭を下げれば、そのまま中へ案内してくれた。


 どうやらすでに話は通してあったようだ。

 彼によると注文数は決まっているらしく、数を記入してサインをもらえばすぐに済むだろうとのこと。門から騎士団長室までさほど距離はなく、適当に酒場の食事の話で会話を弾ませているうちに到着した。男が門を叩き、入室を許される。


「わざわざ持ってきてもらって悪いな。今書くからちょいと待っててくれ。それにしてもまさかあの夫婦が店員を雇うとはな……。働いてどのくらいなんだ?」

 どうすっかな~と唸りながらも、ペンを動かす手は止めない。それでいて私にも話を振るのだから器用なものだ。飽きさせないようにと気を使ってくれているのかもしれない。

「3年です」

「俺が勇者に付き添ってる間になったのか。今は忙しくて行けてねぇが俺もあの店の常連でね、落ち着いた頃にまた足を運ばせてもらう予定だ」

「お待ちしております」

 勇者一行として活躍していたというのに、酒場の娘にまで心遣いをしてくれるとは優しい人だ。店主夫婦のことをよく知っているようだし、彼らとは長い付き合いなのかもしれない。

 私と世話話をしている間に書き終えた注文票を「よろしくな」と渡される。そこにはきっちりと数と、彼のサインが書かれていた。


「確かに受け取りました」

「金は後で使いを出す。そういや、あんた名前は?」

「アイリーンです」

「アイリーン、アイリーンか……」

 クロムさんは顎を撫でながら私の名前を繰り返す。特に珍しい名前でもないと思うのだが、何を考え込んでいるのだろうか?


「どうかされましたか?」

「あんた、3年前から働いているって言ってたが、その前はどうしてたんだ?」

「実家で家の手伝いをしておりました。農家なのでこの時期は忙しくて」

「そうか……」


 正直に告げると、今度は頭を抱え出した。

 農家の娘だと何か不都合でもあるのだろうか?

 店主夫婦にも勇者を追いかけてきたことはぼかしつつもその他はちゃんと話してあるし、良いところの育ちでなければ城への訪問が許されない、なんてことはないだろう。


 クロムさんは農家に嫌な思い出でもあるのだろうか?


 依頼書はすでに受け取っている。

 私の仕事はここまでだ。武器を運ぶのは親父さんがやってくれることだろう。相手に苦手意識を持たれているというなら長居はするまい。


「それでは私はこれで失礼いたします」

 ぺこりと頭を下げ、部屋を出る。

 外ではマルゲリータの兵士が待機しており、彼に案内されるままに城を後にする。その足で市場へと向かい、お使いを済ませた。




 それから数日が経った頃、とある男が酒場に足を運ぶようになった。


「兄ちゃんよく飲むな!」

「これくらい余裕ですよ」

「そうかそうか! ならこっちも飲め」

「ありがとうございます」

 見ていて気持ちがいいほどの飲みっぷりは常連さん達に気に入られ、肩に手を回されながら次から次へと酒を渡される。この店に弱い酒は置いていない。その上、クセの強いものばかり。けれど男はどれも美味しそうに飲み干すと食事にも手を伸ばす。

 この男、よく飲みよく食うのだ。

 私は絶え間なく酒と食事を運びながら、腹に大きな穴でも空いているのかと頭の中でツッコミを入れる。少なくとも村で過ごしていた頃の彼はこんなに大食らいではなかった。体格もこんなに優れていなかったから、この3年で変わったことの1つだと言えばそれまで。けれどその1つに『幼馴染の顔を忘れてしまった』という項目が追加されているのが気に入らない。私の顔を見ても何の反応すらしない所を見るに、忘れたい思い出ではなく覚えているに値しない記憶なのだろう。魔王討伐で様々なことがあったのだろうし、田舎の地味娘など記憶の端すら用意されていなかったのだろう。


「ここ置いておきますね!」

 歓声をあげる男達に聞こえるように大声を出し、テーブルに食事を置いていく。今の彼と私は客と店員だ。わざわざ正体を隠すため、フードを目深に被ってくるくらいだから正体を知られたくもないのだろう。常連達だって、流れの冒険者程度にしか思っていない。まさか勇者・リーバルドがこの時期に城下の酒場に一人でやってくるとは想像もしていないのだろう。かくいう私も初めは目と耳を疑った。けれど透き通るような声はまさしくリーバルドのもので、彼に熱を上げていた私が間違えるはずもなかった。いっそ気づかなければ楽だったのに、これも惚れた女の性というものなのだろう。


 酒なら城に腐る程あるだろう。

 せっかく城に帰ってきたのだから、愛する姫様の元にいればいいのに。


 酒を浴びるように飲む幼馴染を睨みつけ、キッチンへと足を運ぶ。


「アイリーン、今日はもう終わりでいいよ」

「え、もう?」

「酒はあの人が担当するから」


 女将さんはそういうとカウンターで一人酒を煽っていた親父さんを指差す。酒樽を抱えてドスドスと観衆達の元へと歩く様子で全てを悟った。

 リーバルドは親父さんの酒飲み仲間として認められたのだ。

 親父さんの酒樽には秘蔵の酒が入っており、一晩で飲み尽くすことの出来ないほどアルコール度数が高い。


 つまり酒運びは不要ということだ。

 食事は、とテーブルに視線を動かせば観衆達が少しつまむ程度でほとんど減っていない。


「今日はお使いも頼んじゃったしさ。暇だから早めに上がりなよ」

「ではお先に失礼します」


 女将さんにぺこりと頭を下げ、エプロンを脱ぐ。バックヤードへと戻り、階段を上がれば男達の雄叫びが聞こえる。


 今日は夜中どんちゃん騒ぎが行われることだろう。

 早めに上がっても寝られるのは朝になってからだろうな……なんて思っていたが、パジャマに着替えてベッドに寝転べばすぐに睡魔がやってきた。


 全て忘れてしまえばいい――そんな神様からの暗示だろうと思い込んでいた。

 けれど私の考えはばっさりと切り捨てられた。


「兄ちゃん、今日も来てんのか?」

 リーバルドはあれから毎晩酒場に足を運ぶようになったのだ。

 その間にも新聞には姫様との仲だの結婚式について書かれている。夜は暇なのか。夜こそ忙しいものじゃないのか? と考えてしまう私の思考が汚れているのだろうか。だがどうせ結婚するなら多少早くともいいと思う。むしろ早いくらいの方がいいのではないだろうか。余計なおせっかい半分。さっさと結婚して酒場に通ってこないでくれという気持ちが半分。いや、後者の方がやや高めだ。

 だがこんなことを考えているのはきっと私だけなのだろう。

 常連さん達に肩を組まれながら、今宵も彼は静かにグラスを傾ける。たまに視線を感じはするものの、話しかけられることはない。きっとこんな娘のことなんて忘れているのだろう。

「この店の酒が気に入ってな」

「だってさ、親父」

 言葉通りなのだろう。この店の品ぞろえは他の店とは違うし、時間の合間を縫って通うほどに気に入っているに違いない。店員も店主夫婦と私しかいないし、勇者とバレたところで問題になる可能性も低い。他と違ってその手のサービスもないし、何より若いのに色気がまるでないのだから。


「美味いのは当たり前だ。なんてったってこの店には俺の認める酒しか置いてねえんだからな」

「その上メシは美味いし、看板娘は可愛い」

「アイリーンはやらん!」

「そういう目で見てねえよ! 俺にとっても娘みたいなもんなんだって」

「ならいいが」

「そういや、アイリーン。お前誕生日そろそろじゃなかったか?」

「覚えていてくれたの?!」

「おう! って言ってもうちの嫁が、だがな。この前のバザールで見つけた髪飾り、アイリーンにどうかって」

「いいの!?」

「アイリーンからはいつも元気もらってっからな。それにほら、この前嫁へのプレゼントで相談乗ってくれただろう? そのお礼も兼ねてるから受け取ってくれ」

「ありがとう! どう? 似合う?」

「似合っているぞ、アイリーン。そうだ俺もなんかアクセサリー買ってやろう」

「え、そんないいわよ」

「遠慮するなって。年頃の娘なんだ。オシャレくらいしろよな」

「お前が言うか!」

「アイリーンが今より可愛くなったらお前らも嬉しいだろう?」

「当たり前だ。アイリーンはこの酒場の花だからな」

「なら俺はリボンにしよう」

「俺はピンにするかな」

「うわっ、取られた。なら俺は髪ゴムにでもすっかな。シュシュ? ってやつはいくらあっても困らねえって娘が言ってたからな」

 軽く貶されている気がするけれど、おそらく悪気はない。良くも悪くもストレートな人達なのだ。だからこそお客さん達のやさしさが胸に染みる……。瞳に涙を溜めつつ、料理と酒をサーブしていく。


 リーバルドは一人会話に混じることなく、追加の酒を煽る。だから私も他人を貫くーーつもりだった。


 だが数日後、王都中を揺るがす事件が起きた。

 そろそろお昼の準備でも……と女将さんが店の奥へと戻り、私は鍛冶屋の帳簿を管理していた時のこと。銃が放たれたような轟音が響いた。


「大事件だ!」

 数人の常連が洪水のように鍛冶屋になだれ込む。皆一様に顔を真っ白にして、とてもただ事ではない。

「っ、どうしました?」

「どうしましたじゃない。アイリーン逃げろ!」

「え?」

「いいから!」

 常連達に背を押され、店の奥へと押し込まれる。


「なんですか?」

「場所は割れていないはずだ。とりあえず数日は出てくるなよ」

 折角の誕生日。さすがに喜ぶような年でもないが、それでも訳も分からずに引きこもれとはただ事ではない。

「おい、お前ら訳を話せ。訳をっ」

「今はそれどころじゃねえ!」

 親父さんも手を止め、常連達に問いかける。だが彼らは一向に私を押す手を緩めることはない。一体何が起きているの?

 足を進めながらも、全く頭は働かない。

 けれど次の瞬間、本当の意味で思考が停止する。



「ハッピーバスデー、アイリーン」

 かの勇者様が、顔も隠さずにやってきたのだ。

 真っ白なタキシードを着込み、手には大量のバラを抱えている。

 常連達の蒼白とした顔どころの騒ぎではない。

 おそらく彼にその気はないのだろうが、この姿を見た者の多くはとある二文字が頭を過ることだろう。


『求婚』


 お姫様との結婚が近づいているというのに、この男は一体何をしているのだ。

 知り合いの誕生日を祝うだけにしては些か気合いが入りすぎている。


 入り口から流れるような足取りで私の前までやってくる。


「なに、しにきたの」

 ようやく絞り出せたのは、彼から差し出された花束に視線を注ぎ、まるまる1分以上が経過してからのこと。


 今さら何のつもりだ。何が目的でこの場所に立っているのか。

 顔を歪ませながら問えば、彼は昔のような優しい笑みを作り上げる。


「今日はアイリーンの誕生日だろう?」

「……そう、ね」

「だからお祝いに来たんだ」

「それを受け取れば帰ってくれるの?」

「冷たいな」

「祝ってくれるのは嬉しいけど、この時期に変なことしないで」

 嫌みを言っているつもりはない。

 なにせ彼には面倒な夢見少女との文通をしてくれた恩がある、と言えなくもない。だがそれとこれとは話が別だ。せめて普通の格好もしくは酒場に来る時のようなお忍び服で来てくれれば文句も言うまい。バラはあまり好きではないが、それでも数本は部屋に飾るなり、加工するなりしたことだろう。


「変なことって?」

「お相手を心配させるようなことよ!」

「お相手って何の?」

「あなたが結婚する相手、姫様のことよ」

 私はごくごく普通の田舎娘だ。数年王都で過ごしていても一向に田舎臭さが抜けないが、それでも優しい店主と女将さん、そして常連達に囲まれて幸せに過ごしている、ただの女である。魔王を倒してしまうようなリーバルドとは身体的にも精神的にも強さがまるで違う。打たれ弱くはないが、王族の方を筆頭に、ゴシップ誌の記者になんて目を付けられたくはない。


「俺が結婚するのはアイリーンとだが?」

「はぁ?」

「帰るのに時間がかかったから他に相手が出来たんじゃないかって心配になったけど、そんな相手いないんだろう? まぁ居たところで退かすだけだが」

「何を言ってるの?」

 この男は一体何を言っているのだろうか?

 幻聴?

 そういえば最近妙に暑い日が続いたっけ?

 自覚していないだけで、疲労が溜まっていたのかもしれない。親父さんに話して午後は休みをもらうべきだろうか。

 遠くを見つめれば、リーバルドは不思議そうに首を傾げる。


「何、って結婚の約束しただろう?」

「あんなの馬鹿娘のワガママでしょう? それにあなたは受け流していたでしょうに……。もう現実は見えているし、あんなうわごと言うつもりはないわ。それとも何? 後で文句の一つでも言われると思ってるの?」

「誰かに変なことでも吹き込まれたのか?」

「そんなんじゃないわ。だから帰って」

「俺が何のために魔王退治なんてしたと……」

「この世界を守るためでしょ」

「3年前は結婚するって言ってたじゃないか!」

「分厚い初恋フィルターが除去されるまで時間がかかったの! 夢から……覚めたのよ」

「だから手紙をくれなくなったのか?」

「手紙をくれなくなったのはあなたの方でしょう?」

「やっぱり毎日一通じゃ足りなかったのか! クロムの奴の言うことなんか信じなきゃ良かった!」

 月一ならまだ運搬途中に発生した問題により届かなかったのかな? で済ませられる。なにせリーバルドが向かっていたのは魔族領。旅先には郵送面での整備が整っていない場所があってもおかしくはない。だが毎日なんてさすがに盛りすぎだろう。

 田舎娘には嘘をついてもバレないとでも思っているのだろうか。

 村にいた頃の彼は確実にバレるような嘘をつく人ではなかった。世界を知ったことで性格も変わってしまったのだろう。

 あからさまな嘘を前に、怒る気さえ沸かない。

「毎日一通どころか数ヶ月に一通でしょう。それも毎回忙しい大変の連続で、こっちの話なんて全く気にしない。義理で出してることくらい嫌でも理解するわ……」

「数ヶ月に一通ってどういうことだ?」

「別に今さら取り繕わなくてもいいわよ。私だって結婚してなんて言うつもりないし。ご祝儀くらいなら渡すわよ?」

 私からのご祝儀なんてたかが知れているだろうけど、こういうのは気持ちの問題だ。ちょうどいい封筒あったっけ? と思考を巡らせれば、リーバルドの呟きが耳に届く。

「金なんていらない」

「そう?」

 金なんて……か。

 金銭的価値観も変わってしまったらしい。

 本人が断っているならば、わざわざ渡す必要もないだろう。


 王族になる人が金にうるさくても困るだろうし、このくらいがちょうどいいのかもしれない。


 私みたいな一般人には無理だけど。


「せめて村の誰かと結婚していたら諦められたのに……。魔王退治なんて行かなきゃ良かった……」

 結婚してほしかったのか、してほしくないのか。数年間も離れていた彼の考えていることはよく分からない。

 だが確かに言えることが一つ。


「どうでもいいけど、後悔するなら自分の居場所に戻ってからにしてくれる?」

 リーバルドはすでに田舎の村男ではない。

 魔王から国を救った偉大な勇者様にして、姫様と結婚するお方だ。私とは住む世界がまるで違う。


「アイリーン……」

「お幸せに」

 帰れと念を込めてリーバルドの背中を押し、店の外に追い出す。

 何か言いたげな視線は無視だ、無視。

 私には関係ない。

 ご祝儀も不要となれば、この先、知り合いとして会う機会もないだろう。


 次会う時があるとすれば、客と店員として。

 お金を払ってくれるのならば、注文を取り、食事と酒を運ぶくらいはする。それが私の仕事だから。


 バタンとドアを閉じれば、背後からは複数の男達がおずおずと寄ってくる。

「良かったのか?」

「何が?」

「勇者様だろう?」

「ええ」


 あの対応がダメなら他にどうしろというのか。

 リーバルドの真意を知ることは出来ないが、都合の良い相手として求められたのだろうことだけは確かだ。

 おおかた姫様と喧嘩でもしたのだろう。

 酒場で私の誕生日を聞き、ちょうどいいと乗り換えようとしたのかもしれない。


「馬鹿よね……」

 呟いた言葉は、誰にも届かずに消えていく。


 受けて当然だと思っていたリーバルドも。

 一瞬だけ嬉しいと思ってしまった私も。


 同じ愚か者だ。



 けれど勇者様タキシード事件は、その後に起きたことに比べれば些細なものだ。


 私の残念な誕生日から数日が経った頃、リーバルドが王都を去った。あの日から城には戻っていなかったようだが、数日ぶりに帰ってきたと思ったら荷物を回収に来ただけらしい。「ここにいる意味がない」とだけ告げて姿を消したそうだ。新聞に載るよりも早くクロムさんがリーバルドを捜索に来た。酒場に何度か顔を出していることを知っていたのだろう。けれど彼はあの日以来、一度も顔を出していない。


「来てませんよ」

「あんたの元に行ったと思ったんだが……連絡が来たら教えてくれ」

 何を基準にそう思ったのか。クロムさんの手前「分かりました」と返したものの、連絡なんて来るはずがない。

 微かに残っていた情も、結婚を断ったことによって消え去ったのだろう。


 けれどクロムさんは、リーバルドは私に特別な感情を抱いていると勘違いしているらしく、度々私の元に訪れるようになった。

 元々常連だったというのもあるのだろう。

 けれど顔を合わせる度に「リーバルドから連絡があったか?」と聞くのは正直止めて欲しい。それでも目に見えて疲労が溜まっていく彼に直接告げることは憚られた。理由は聞かずとも明らかだ。


『勇者に婚約破棄された姫様』

 この手の話題は週に何度もゴシップ誌の見出しに載る。

 姫様はリーバルドに恋心を抱いていたらしい。そして勇者様も……と思われていたが、結婚式を前にして勇者が姿を消したーーと。

 消えた理由は記者が勝手に考えているのか、毎回異なる考察が書かれている。結構な頻度で出されるわりに一度も被らないのだから記者の発想力というのは恐ろしいものだ。そして毎回毎回面白がって買う者も多いらしい。魔王討伐中の勇者の記事と同じくらい売れているというのだから、この記事が消える予兆すら見えない。

 その上、記事が完全に嘘まみれという訳でもなく、実際、姫様は不機嫌だという。

 早めにリーバルドが戻ってくれば、収拾もついたのだろうが、居場所さえも掴めぬまま。

 騎士団長のクロムさんの頭が痛くなるのも仕方ないこと。だが私にしてやれることといえば、酒と料理を運ぶことくらい。


「アイリーンを置いて、あいつどこ行ったんだろうな……」

「それを言うなら姫様を、でしょう?」

「ああ、俺も逃げれば良かった……。旅の前に貯めた金と報酬に退職金と合わせれば一生豪遊出来るのに、なんで俺、真面目に働いてんだろう……」

 お疲れモードMAXのクロムさんに適当な言葉など言えるはずもない。常連達は何も告げることなく酒とつまみを差し出していく。


 酒場を訪れる頻度は増え、酒の量も増えていく。肝臓が心配になるほどだが、そろそろと声をかけたところで「身体を壊せば退職できる……」と呟くだけ。マルゲリータとビールを頼む城勤務の彼によれば、何度も辞表を突っぱねられているらしい。勇者が消えたことにより、城の重役達は他のメンバーも逃げ出さないかと目を光らせているらしい。

 国を救った英雄なのに檻に捕らわれた鳥のようだ。特に魔王討伐前から国に仕えていたクロムさんは騎士達の憧れの的。いなくなられては困るのだという。マルゲリータの彼曰く、例え身体を壊したとしても彼は騎士を辞めることはできないだろうとのこと。不憫だ。不憫すぎる。今日も今日とてジョッキを傾けるクロムさんの背中には悲壮感すら感じる。



 身体が心配になり、クロムさん専用のサラダメニューでも作ろうかと女将さんと相談し始めたある日のこと。差出人不明の手紙が届くようになった。

 それも毎日欠かさず。

 消印に記された場所は長くて数日で移動する。

 内容は各地で起きた出来事と、私の身体を気遣うもの。


 差出人の名前が書かれていないことと、送られてくる頻度以外は数年前の手紙と同じだった。

 一番初めに送られて来た手紙の消印は、リーバルドが魔王討伐に出発した日と同じ。



 あの日ついた嘘をかき消そうとしているのだろうか?


 一方的に送ってくるばかりで、居場所を知る手段は消印だけ。それも私の手元に着く頃には移動した後のこと。返事なんて送れやしない。


 今さら何をしたいのかも分からない。

 迷惑だって思うのに、私はかかさず送られてくる手紙を、ベッドに寝転びながら読むのが日課となっていた。


「アイリーン、また名無しの彼から手紙が来ているよ」

「ありがとう」

「それにしても、一体どこの冒険者なんだろうな」


 私が誰にも差出人を打ち明けないため、女将さんやたまたま居合わせたお客さん達は私に片思いをしている冒険者からの手紙と思い込んでいるようだった。分かっていて、私は彼らの勘違いに便乗する。


「名前でも書いてくれればいいんですけどね」

「本当にね! アイリーン、変なことが書いてあったら遠慮せずに言うんだよ?」

「その時は俺らが特定して締め上げてやるから!」

「ありがとう。でも今のところは大丈夫」

「そうか?」

「ええ」


 受け取った手紙をポケットに仕舞い、仕事を再開する。


「あ、そういえば今日はアイリーンに渡すものがあったんだ」

「渡すもの?」

「正直、今まで渡すべきか悩んでたんだけどさ。もういいかなって」

 クロムさんはそう前置きをすると、テーブルの上に袋を置いた。覗き込めば、中には紐で括られた大量の手紙があった。

「これは?」

「旅の途中にリーバルドがアイリーンに送った手紙」

「え?」

「姫様が隠してたんだ。先月、本人が口を割ったから没収した。アイリーンから送った手紙も隠してて、お前が送った手紙もそんなかに入ってる。本当はリーバルドに渡してやりたいけど、どこにいんのか分からねえし」

「えっと……」

 一体何通あるのだろう?

 私から送ったものはきっとほんの一握り。残りはリーバルドが私に送った、いや送ろうとしたもの。封筒の色はそれぞれ異なり、中には日に焼けてしまっているものもある。

 旅先で何度も封筒を購入して、手紙を出してくれたのだろう。

 それこそ今、リーバルドが送ってきてくれている手紙のように。

「今さらどうしろって思うだろうけどさ、捨てるなり燃やすなりしてもいいからとりあえず受け取ってくれねえか? 自分勝手な願いだってことは理解しているけど、アイリーンが手紙を楽しみにしているのを見ていると渡してやんなきゃって思うんだよ」

「ありがとう、ございます」

 お礼を告げながら、思わず涙がこぼれそうになる。


 リーバルドの思いを物量で目の前に提示されたことで、あの日、彼は嘘なんて吐いていなかったのだと思い知らされたのだ。

 手紙を隠されていたとはいえ、あのときリーバルドの話を聞いていたら……。そう思わずにはいられない。

 けれど後悔した所で、私の元には手紙ばかりが増えるだけ。直接思いを打ち明けることも出来なければ、唯一の繋がりである手紙にも返事すら出来ない。


「どこいっちゃったんでしょうね……」



 過去の手紙を一晩で読み尽くし、目を腫らした私はそれから何度と誕生日を迎えた。

 誰かに恋をすることはなく、相変わらず独り身のまま。鍛冶屋の店員の方もすっかりと板についてきた。

 姫様は去年やっととある公爵家の令息とご結婚された。散々騒がれたからか、結婚して以来、一度も姿を見せることはない。クロムさんによれば、辺境の別荘に引きこもっているのだそうだ。少しは気が楽になったと皺が増えた顔を緩ませていた。


 けれど国を救った英雄が風化することはなく、クロムさんの退職願いが受理されることもない。


 姿を消したままの勇者はいつしか『魔王の呪いにかかったのではないか』と噂されるようになった。

 実家にも連絡すらしていないらしく、彼の両親は姿が消えて3年が経ったタイミングで村に墓を立てたようだ。


 唯一、リーバルドの消息を知る手段は一方通行の手紙のみ。今のところ毎日届けられているが、それだっていつ途切れるか分からない。


 毎日の手紙を楽しみにしている一方で、早く終わってくれと願っている自分がいる。


 リーバルドは私の初恋の人。

 一度散ったはずが枯れることなく、何度も蕾をつける。だから私はいつまで経っても先には進めない。


「いっそ結婚したとか、子どもが出来たで締めくくって最後の手紙にしてくれればいいのに……」

 そう呟いて、ハッとした。

 そうだ。結婚するのは何もリーバルドでなくとも構わないのだ。


 財布片手に勢いよくドアを開ける。


「ちょっと出かけてきます!」


 向かう先は王都の真ん中にある新聞社。掲載費用はややお高いが、大陸中に流通している新聞を発行している有名な会社である。受付に顔を出し、目的を告げる。

「すみません。結婚報告の掲載をお願いしたいんですが、新郎の名前は空欄でも構いませんか?」

「空欄、ですか?」

「少し訳ありでして……。だから結婚式も出来なくて。知人には掲載してもらうからって言っちゃったんです」

「ああ、なるほど。でしたら新郎の名前は空白とさせて頂きます」

「ありがとうございます」

「ではそれ以外の欄を埋めてください」


 私の名前はフルネームで、新郎の出身地は私と同じ場所を入れた。

 結婚する相手も掲載の約束をした知人もいないどころか、目にした家族が何事かと騒ぐだろうが、仕方ない。説明しろとの手紙が届いたらその時は適当に言い訳でもしよう。

 初恋の相手との疑似結婚でも、一生独り身を貫くための宣言でも。何とでも言い訳は出来る。

 ただリーバルドの目に留まればそれで良かった。

 この記事は高確率でリーバルドの目に留まることだろう。

 多分、彼は各社の結婚報告欄に目を通しているはずだ。なにせ手紙の中の彼は私が未婚であると確信していたのだから。


 結婚したら結婚報告を出すものだと思っているのだろう。実際、私達の村や近隣ではそうだった。だが王都ではその習慣はない。


 私が王都で出会った人と結婚していたら、結婚報告なんて出すとは限らないのに……。


 出身地を合わせたのは、リーバルドが村の誰かと結婚していたら……と言っていたのを思い出したから。名前を空白にしたのは村の誰かに迷惑をかけたくなかったから。


「これで明日の分以降は手紙、送られてこなくなるのかな?」


 お祝いの言葉が書かれていたら、その時は今までの手紙を全て燃やしてしまおう。

 スルーされたら、リーバルドが飽きるまで手紙を読み続ける。


 ーーそんな私の決心はあっさりと裏切られることとなる。


 結婚報告を掲載してから約2週間。

 手紙は予想通り途切れたが、特に両親からの連絡もなく平穏に過ごしていた。そんな私の元にとある男が現れた。


「一体だれと結婚したんだ!!」

 一瞬、客に向けて発された言葉だと勘違いしてスルーしかけた。けれど声には聞き覚えがあった。嫌な気がして、入り口に視線を向ければ、大股でこちらへ向かってくる者の姿があった。


「まさかあなた……」

「アイリーンの両親に聞いても知らないというし、村中に聞いて回ったんだぞ? でもみんな知らないって……」

 息を荒げる男は見事な口ひげを蓄えており、頭から被ったローブは薄汚れている。まるで今の今まで山ごもりをしていたかのよう。だが見間違えるはずがない。この男は、リーバルド。数年前に突如として姿を消した勇者様だ。

「落ち着いて、リーバルド。とりあえず、水でも飲む?」

 たまたま居合わせたクロムさんは『リーバルド』という名前に驚いてジョッキを落とした。そりゃあそうだ。まさか今になって現れるとは思っていなかったのだろう。

「水よりも結婚相手だ! 両親ですら知らない、名前も出身地も明かせない男って誰だ!? 俺はそんな素性の分からない相手との結婚なんて許さないからな!」

 両親はともかくとして、リーバルドって一体どのポジションにいるつもりなのか?

 今の彼は『手紙を一方的に送ってくるが、姿は見せない幼なじみ』といったところだろう。私の結婚にとやかく言うような立場ではないはずだ。

 リーバルドに掴まれた肩が痛くて、振り払うように大きく肩を振る。

「誰と結婚したって私の勝手でしょう?」

「アイリーン!」

「家族とは連絡を取っているし、愛しているわ。でも今さら村に帰ろうなんて思ってないし、両親に見せるような子どもだって産むつもりはない。そりゃあ少しは心配かけちゃうかもだけど、それでも好きな人と結婚して何が悪いの!?」

 結婚はしていない。今のところする予定もない。けれど今後、一緒になりたい人が出来たとしても、わざわざリーバルドに許可を取るつもりはない。


 勝手にいなくなって、連絡すら取らせてくれなかった彼に許可なんて取って何になるというのだろうか。


「俺のことは愛してくれないのか?」

「それは幼なじみとして?」

「……男として、愛してくれることはないのだろう?」

 リーバルドは瞳を潤ませ、問いかけるように愛してくれと懇願する。私にもまだ情が残っていると知っていて、それを利用しようとするのだからずるい人だ。

 いや、今に限ったことではない。

 魔王討伐の旅の間に送られてきていた手紙でも、差出人の書かれていない手紙でも。

 彼は文章の中でずっと私への愛を示していた。同時に愛してくれと強く願っていた。


 読んでいる方が、なぜ私の腕は彼に届かないのだろうと、抱きしめられないことを涙を零して悔やむほど。


 辛くて。

 苦しくて。

 悲しくて。


 今だって私は膝をついて泣いてしまいそうだ。


「……愛しているわ、リーバルド」

 涙がこぼれぬように精一杯顔を歪めて答える。けれど告げたところで今さら何になるというのか。


 正しい答えを告げるべき時はすでに過ぎている。数年という時は魔法の使えぬ私には『過去』でしかないのだ。


「なら。愛してくれているなら。俺のワガママを一つだけ聞いてくれ」

「……一つだけよ?」

「俺の手を取ってくれ」

「数年前に断ったはずだけど?」

「答えが変わっていないとは限らない」

「相手がいると理解していて、それを言うの?」

「機会があるならそれに縋らずにはいられないんだ……」

「なぜ?」

「俺にはアイリーンがいないとダメだから」

「大げさね。あなたは昔からよくモテていたじゃない」

「アイリーン以外いらない。アイリーンの愛だけが欲しい」

 リーバルドは私が逃げないように、背中に手を回してホールドしながら愛を乞う。

 すぐに解いてしまえるほど緩い拘束。

 けれど今度は簡単に振りほどくことは出来なかった。拒否したら最後、彼は壊れてしまうだろうと確信めいたものがあった。

 それでも私には理解出来ない。

 リーバルドはなぜここまで私に執着するのか。

 昔ならともかく、リーバルドは大陸中を旅していろんな人と交流をもってきたはずだ。美人さんやスタイルの良い人。頭のいい人や特別な力をもった人。心優しい人や家庭的な人。中には私みたいな平凡な田舎者もいたことだろう。


 なのになぜ私なのだろう?


 生に固執する理由が欲しかったから?


 お姫様から逃れるための言い訳にちょうど良かったから?


 勇者になる直前に告白してきたから?


 分からない。

 きっかけも、今なお欲される理由も。

 けれど愛してくれていることだけは痛いほどに伝わってくるのだ。


 そんな相手に、これ以上嘘を吐き続けることなんて出来なかった。


「リーバルド。あのね、私、結婚していないの」

「え?」

「あなたに手紙を止めて欲しかっただけなの」

「迷惑、だったか?」

「ええ。あなたを縛り続けているようで、同時に私も縛り付けられているような気がしたの」「……ごめん」

「せめて返信先でも書いてくれれば文通になるのに、リーバルドはいつも名前さえ書かなくて。おかげで私からの手紙は溜まり続けるばっかり」

「……」

 声を詰まらせるリーバルドの背中に手を回し、私もワガママな言葉を吐く。


「愛しているって言うなら私の隣にいて」

「それって!」

「私がいなきゃダメなんでしょう? 私だってあなた以外に恋する暇なんてなかったの。責任取れなんて言わないけど、希望が合致しているんだから、一緒になったらいいんじゃないかしら」

「愛してる。もうどこにも行かない」

「たまにはどこかに行ってもいいわ。束縛するつもりはないの。でも心配するから行き先は告げていって」

「分かった。約束する! だから結婚してくれ!」

「喜んで」

 告白してから実に10年。

 愛する人の手を取れば、リーバルドは私を隠すように強く抱きしめた。少し苦しいけれど「うっ、うっ」と鼻が詰まったような泣き声を耳元で出されては文句の一つも言えやしない。




「よく分からんが、アイリーン良かったな!」

「娘が嫁に行ったようで、少し複雑だ……」

「馬鹿野郎! 親なら祝福してやるのが道理だろうよ!」

「そうだな……。親父、酒!」

「自分で注げ!」

「親父泣いてんのか?」

「娘の門出に涙を流さぬ父はいねえ」

「めでたいな~」


 国を救った英雄は酒場の酔っ払い達に祝福されながら、田舎娘と結ばれた。

 お姫様の時のように、見開き一面で報じてくれる新聞社はない。

 地方紙の一角にひっそりと載るだけ。

 田舎の小さな村の名前の横に書かれた『リーバルド』という名前が勇者様だと気づく者はほとんどいないだろう。


 私の他に勇者の帰還を知っているのは、田舎の小さな村の住人とクロムさんだけ。

 秘密を共有したクロムさんは、宴会騒ぎの翌日、大きな革袋を持って私達の元に現れた。


「これは?」

「報奨金。お前、一切金を持たずに出てったから預かってたんだ」

「……悪いな」

「俺が他人の手に渡るのが嫌だったから勝手に預かってただけだ」

「ありがとう。クロム」

「ああ」


 中は見ていないけれど、リーバルドの手に乗せられたそれはずっしりとした重さがあって、まさに『報奨金』と呼ぶにふさわしく見えた。

 そのお金でリーバルドは王都の外れに家を買った。私と暮らすためのもの。2人で住むには少し大きすぎやしないかと聞けば、将来子どもが欲しくなるかもしれないだろう? と至極真面目な顔で返された。どうやら私が子どもを産むつもりはないと言ったことを気にしているらしい。あの時は相手が居なかったし、勢いで言っただけなのだが、リーバルドは私の意思を尊重してくれるらしかった。


 結婚式は村で挙げ、二人で王都に戻ってきた。

 リーバルドは名前を変えて冒険者として働き、私は今まで通り、ドワーフ夫婦の酒場で働かせてもらっている。



「アイリーン、酒!」

「こっちはピザ!」

「サラダ!」

「酒!」

「はいはい。ちょっと待って。順番に聞くから」


 私は今日も今日とて酒場で声を張る。

 客は気の良い人ばかりだが、とにかく飲む量が尋常ではない。


 店員の私はひたすら運んで、運んで、運びまくる。


「そういやアイリーン。今日はあいつ来るのか?」

「帰りに寄るって」

「そうか! じゃあ久々に飲み比べでもすっか!」

「ほどほどにね」

 こんな言葉も形だけ。

 酒好きの彼らの辞書にほどほどなんてものはない。どちらかが潰れるか、店の酒が尽きるまで飲み続ける。


 今日の飲み比べも夜中続くことだろう。


 いくら酔っても喧嘩もなく、金の支払いを忘れる者もいないのだから大したものだ。本当に辿り着いたのがこの店で良かった。



 半刻後、仕事を終えたリーバルドは常連の輪に加わり、飲み比べという名の酒盛りは開始する。

 店内のほとんどが酒を飲む中、医者から禁酒を言い渡されたクロムさんは輪の端でサラダを突いている。注文の落ち着いている今が良い機会だ。彼用の野菜たっぷりピザを運ぶついでに私は以前から気になっていたことを聞いてみることにした。

「そういえば前から気になっていたんですけど」

「なんだ?」

「クロムさんはどうしてリーバルドが帰ってくるって分かったんですか?」

 いつ帰ってくるんだろうな~と言いながら待ち続け、帰ってきた時こそ驚いていたようだが、その後の適応は早かったように思う。

『名前を変えて冒険者でもすればいい。たまに俺の仕事を手伝ってくれればなおいい』と提案したのはクロムさんだ。

 勇者として帰ってくることも望まず、けれどサポートはしてくれる。

 いくら数年間、共に生死をかけた戦いに挑んでいたとはいえ、そんなに簡単に受け入れられるものだろうか?

 ずっと疑問だったのだ。

 だがクロムさんはあっさりと答えてくれた。

「だってあいつ、よく知っている村の住人以外のアイリーンに近寄る男は害獣だと思っているから」

「へ?」

 え、害獣?

 リーバルドってそんなこと考えていたの?

「本当に、アイリーンが俺の目の届かない所で恋人とか作ってなくて良かった……」

「……えっと、なぜですか?」

「俺の知っている範囲だったら別れさせられるからな」

「なんでですか!?」

「魔王すら勝てなかった男に一般人が勝てる訳ないだろう? まさか魔王も人の恋路なんて邪魔するつもりはなかっただろうに……。何はともあれ殺される前に別れさせるのが相手のためだ」

 さすがに嘘だろう。

 冗談ですよね? と返そうとしたものの、彼の目は本気だった。むしろ村人がセーフであることが不思議なくらいだ。


「アイリーン、帰ろうか。俺たちの家へ」

 常連達を軒並み潰したリーバルドは私の腰を抱く。彼の背後に目をやれば、大の男達がうめき声をあげながら伸びているが、平和なものだ。


 結婚したことで丸く? なった勇者様は罪を犯した人間以外に剣を抜くことはないだろう。

 少なくともこの店の常連たちとは上手くやっているようだ。


 他の人達ともうまく付き合ってくれるーーはずだ。

 そうだと、信じたい。


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