02 シロツメクサの白昼夢
2020.0517 投稿
2020.0522 タイトル変更
2020.0718 修正
さて、話を課題の童話に戻すが、童話と言われて真っ先に思い浮かべるものはなんだろうか。赤ずきん、人魚姫、シンデレラなど女の子が織りなすストーリーだろうか。それとも桃太郎やアラジンなど男の子が活躍するストーリーだろうか―これは性差が出るかもしれないが―。美女と野獣や雪の女王、ラプンツェルなど、世界的有名なアニメ会社のファンなら、美しくも気高いプリンセスたちの映像が思い浮かぶかもしれない。
はたまた、慣れ親しんだ物語が、テレビの音声や身内・保育士の懐かしい声が脳裏に過り、とてもやさしく素敵な思い出を持ちわせている人もいるかもしれない。
しかし、実のところ、タイトルは知っているが話は知らない、大まかな流れを知ってはいるが最後の方やどうやって解決したのか思い出せない、実は読んだことがない、といった物語も多々あることだろう。
碧にとってもそれにあたる童話は少なくない。現に今、ピーターパンってどんな話だっけ、と本を片手にパラパラと挿絵を流し見ている。そういえば、最近実写化されたアラジンの元の話はどんな冒険を繰り広げていたんだっけ、結局実写化も観に行けてないな。明日にでもレンタルショップで借りようかな、なんて目的から脱線しつつも、挿絵を探して見る。勿論挿絵だけで内容を理解できるかといえば、そんなはずもなく、ただ眺めるだけである。そもそも星の王子さまって絵本なのか、小難しい印象があるんだけどな、などと幼い記憶を引っ張り出すように、背表紙を眺め、手にとってはちらっと中身を見ては棚に戻す。
そんな動作と思考をダ・カーポし続けている内に、身に着けた華奢な腕時計はチクタクと急くように動く。ふと目に留まったのは、童話にしては厚く、妙に古い赤煉瓦色の本。背表紙にはアルファベットで、不思議の国のアリスと表記されている。
とても有名な童話で、自分の名字にも関係の深いその本に、碧は好奇心を擽られた。日本語訳は読んだことはあるのだが、いまいち内容を覚えていない。ウサギを追いかけて穴に落ちて、なんやかんやあってハートの女王に裁判にかけられて、で、起きて夢オチでした~みたいな感じだったよね、とあまりにもふんわりとした内容しか記憶からは引っ張り出せなかった。続編もたしかあって、鏡の国のアリスだっけか。そっちも読んだはずだが、残念なことに内容は全く覚えていなかった。
碧は先ほどにもやっていたように、本を手に取りパラパラとページを見送る。挿絵もなく、文章もアルファベットだけで綴られており、碧はなんとなく直感で原書なんだろうなと思った。そこまで考え至った碧は、もともと小脇に抱えていた日本語版と一緒に脇に挟むように抱えた。子どもの頃から好奇心が旺盛で、今もなおそれが色褪せない碧は、読める勝算のない洋書だろうと、ロマンさえ感じていて、気になるものは気になると課題そっちのけで本を借りることを即決した。
もし洋書を途中で諦めようが、日本語訳があれば読んだことに変わりはないし。そんな甘い思考が今の碧の大部分を占めていた。自分の性格を考慮しての判断だ。きっとすぐにアルファベットに飽きるだろうと想定できるほどには、いくら童心的な碧にも、大人心というべきか、学習能力というべきか、そんなものは備わっていた。
ほかにも数冊、題材を変えてカウンターに運ぶ。ピッピッと無機質な音が少しの間その場を支配する。土曜の―しかも夏休み中の―昼下がり。さすがに普段よりも人は少なかったことも相俟って、その音はいつもより大きく聞こえた。手慣れた手つきで本の裏にあるバーコードを通しながら、1か月の期限を言い渡す司書職員に、ありがとうございますと了承の意を返して本を受け取る。予め持ってきていたリュックにそれを詰め込んで、またIDカードを通して、ガラス張りの自動ドアへ進む。
二重に設置された自動ドアの一つをくぐった時に、急に視界にとらえた男子生徒とぶつかって、その人が手にしていた本が重力に従って落ちる。すみません、とお互い重なるようなタイミングで言い合うと、反射的に碧も相手もしゃがみこんだ。それまでの動作がほぼ同じタイミングで、碧は少し笑いそうになるのを耐えた。まるでミラーコントのようだった。
おそらくゲートを通るために予めでしていたのだろうIDカードも本と一緒に拾って、相手に差し出す。自分の指の隙間から見えた名前に、男子のわりにきれいな名前だなぁと暢気に考えながら、相手が受け取るのを待つ。相手もほかの本を拾い上げたようで、ありがとうと礼を言って受け取った。その際にふわっと微笑むその顔が、やさしさと愛想のよさを醸し出しており、それにつられて碧も少し微笑む。それじゃあと言ってお互い目的の方向に歩き出せば、そういえばさっきの学生証、同じ学科の色帯だったなと思い返す。普通にいい人そうだし、アリだなぁ、と思ったが、残念なことに学年も名字もわからなかったので―ちらっと名前だけは見えたが―、割と大きなこの大学内でそれだけの情報でまた会える確率なんてほぼないだろう。そう結論づいて碧は鏡のように自身を薄く映した二つ目の自動ドアをくぐった。図書館棟から出ると、碧はすぐ目のつくところにいた人物に駆け寄った。
「茜、お待たせ。」
「遅いぞ碧。」
「えへへ、ごめ~ん。」
碧が茜と呼んだ人物は呆れた様子で碧を見た。それに謝る気のないえ謝罪をすると、茜はさっさと校門へ向かって歩き出した。碧はいつもと同じく自分に合わせられた歩幅から、茜が大して怒っていないのを読み取って、駆け足で追いつき、その隣を歩く。
茜の紹介をしよう。茜は碧の双子の弟である。女っぽい名前ではあるが、男だ。世間一般では赤が女、青が男というイメージが定着している筈だ。現に御手洗の標識も大概がそれに則っている。にも拘らず、何を思ったのか双子の両親はそれを反転させてしまったのである。が、それはさておき。
茜は同じく大学の一回生で―双子なので留年や浪人しない限りは当たり前なのだが―、社会学部の社会学科を専攻している。文学部とも迷ったのだが、文学部に通いたい理由はあくまでも趣味のためであり、就職のことを考えた末、社会学部に落ち着いた。
茜は昔から本が好きで、好奇心旺盛の碧とは違い、知識欲が旺盛。小説も多種にわたり読むが、中学の半ばから新書や知識本にも目覚め、あらゆる方面の本を読破していった。おかげで小学校と中学校の図書館の本はほぼ読み切ったという偉業を成し遂げた。なりたい夢も“小説家か翻訳家”と小学校の卒業アルバムに書いていたが、今はマスコミやライター、記者。そういう関係の仕事に就きたいと考えていた。社会学部ならメディア学科というのもあったが、卒業論文のテーマを検索したら、メディア学科よりも社会学科の方が学びたいものだと知り、また社会学科でもマスコミや記者になった先輩方がいるという説明を受けて、学科を決定した。
茜は大学選びは実に早かった。意見がしっかりとしていて、両親は茜の進路には全くと言ってもいいほど口出しをしなかった。碧は先ほども記述した通り、優柔不断で将来のビジョンもわたがしや雲のようにふんわりとしていて、幼い頃からもう数えきれないほどの職業を口にしていた。名前も性格もなかなかに対照的な双子だが、二卵性双生児であるし、そもそも双子なのだからそっくりそのままクローンみたいに似ているという偏見は問い質すべき点である。
茜が早い段階で進路を決めてしまったものだから、のらりくらりとしていた碧は両親や先生に言われるがまま茜と同じ大学を選ぶよう勧められたのだ。対照的な双子を見て、両親は碧が心配になり、茜が監視してくれるだろうという名分で碧に大学を薦めたのだということには、碧も茜も気が付いていた。全く、この姉の面倒をいつまで見なくてはならないのか。茜は碧の進路を聞いたときにため息をついたものだ。
話がそれたが、戻させていただこう。茜が夏休みの土曜日に大学に出向いたのは、この時期によく開かれるオープンキャンバスのためだった。去年まではお世話になっていた茜だが、今年は在校生として受験生たちの相談に乗ったり説明をしたりする役に回る。これも偏に、去年まで先輩方にしてもらったことを下級生に返そうという思いから、先生方に頼まれて引き受けたものだった。今日はその打ち合わせに赴いたのである。本来の待ち合わせ場所はクーラーのきいた購買であったが、茜は図書館棟まで来ていたあたり、流石双子というべきか。先ほど“偏見”だといったが、今回“流石双子”という言葉を使ったのは少しわけが違うからだ。茜は碧の優柔不断さを一番近くで18年間も見てきたわけなので、打ち合わせが終わってから購買に場所を移し、多少暇をつぶした後、時間を逆算してアイスを買って、図書館等に赴いたわけである。誰よりも間近で暮らせば、必然と相手の癖や性格がわかってくる。茜はそれを読み取るのが得意な性分であったが、双子となると一緒にいる時間はほかの人と比べるまでもない。これは根拠のある言い分だといえよう。
コーヒー味のアイスが二つくっついた容器を半分に割って、片方を碧に差し出す。碧も礼だけ言ってそれを受け取り、キャップを外した。キャップにも詰まっていたアイスもサクッと吸い取り、シャキシャキ口の中で鳴るアイスが、真夏の日を浴びる体に染み渡る。多少溶けていることから、茜の想定した時間よりもほんの少し遅れてしまったようだ。夏の風物詩である蝉が行きと同様大合唱を奏でていたが、それを聞いてもアイスを食べている双子は体温が上がるような不快感はなかった。迎え来る生温かい風を掻き分けて、双子は帰路についた。そんなどこにでもある白昼の日常から私の夢は始まった。