第五十八話:神をも屠る一撃
「━━ああ、待っていたんだ、この瞬間を」
ルーイはヒロから託された傘を抱えて飛び出した。エラが作製した足場を渡って、ツキヨミの直上へと舞い上がる。
ヒロの立てた作戦は素晴らしかった。エラ王女の繊細な魔術による囮、外套を用いたフェイク……そして何より拡声器による二段構えの策━━拡声器による指向性の爆音は音響兵器となり、ジェットエンジンを間近で吹かしたかのような衝撃でツキヨミを襲う。
それだけではない。声をヒヒ丸にしたことに意味がある。元の声量が違うということもあるが、その差は私が込める魔力を変えれば良いだけのことだ。ヒヒ丸が発したのは、SOSの音声だった。仲間意識の強いヒヒ達がコールを受け取り、加勢してくれる算段だった。
ヒロは少し懸念があったみたいだけれど、私は確実に上手くいく確信があった。私が最後に仕上げをしてやればいい。
「さぁ見せてくれ、君の力を」
ヒロが傘の石突き━━先端に仕込んでくれたアダマンタイトへ魔素を送り込む。握り拳大の深紅の鉱石は魔力を吸収し、眩い輝きを放つ。これは仕込み傘だ。蔓の柄を持つ簡素な槍に葉で傘地を貼ったもの、と言った方が解りやすいかもしれない。
魔力が強まると耐えきれなくなった蔓がミシミシと悲鳴を上げ、一本また一本と弾けていく。
「突き穿て!」
眼下の霊峰神はこちらに気がつくと、慌てた表情を浮かべるが━━もう遅い。腕を突きだすと、解き放たれた魔法が真っ直ぐに飛んでいく。発動の反動で蔓が全て弾け飛んだが、問題ない。この一撃の為の策だ。
「くうっ!?」
ツキヨミが何重にも氷の壁を展開し、防御に回る。ヒロが懸念していたのは、彼女がヒヒ達に構うことなく一目散に逃げてしまうことだった。
だが、彼女は逃げられない。
私は解っていた。
「あ、ぐっ━━!」
障壁が一枚、また一枚と突破されていく。しかし私から放たれた土魔法の槍を打ち消すほどの効果はない。
彼女は見ず知らずの侵入者を追い返そうとするようなお人好しだ。しかも知り合いを守るためという仲間想いの一面もある。
だから同じ山に住まう霊獣達に暴力を振るえない。
だから私の魔法を避けて、霊獣達に被害が出ることを好しとしない。
数行の言葉を交わすだけで、私はツキヨミという少女を理解していた。
「やむを得んのじゃっ!」
ツキヨミは限界を悟ると、自身の周りを障壁で囲いはじめた。
(抱え込むつもりか、衝撃を自分で)
やはり、どこまでも甘い。まるで誰かを見ているようだ。
━━静観を決め込むつもりだった、その時だった。
障壁の隙間を縫って蔓が伸びてゆき、ツキヨミを引っ張りだした。
「にょわああああっ!?」
霊峰神から情けない叫声が飛び出すのと、雪のかまくらが完成するのとは、ほぼ同時だった。エラは飛んでいった彼女の落下点に滑り込み、しっかりと受け止める。
それを見届けることなく、ヒロは蔓の格子でかまくらを囲う。
━━ズズウゥン!
直後に重低音が鳴り響き、衝撃で格子の穴から雪が噴出する。しかし崩壊には至らず、私の魔法は三重の壁で相殺された。
戦場をコントロールしてみせた少年は、前のめりに雪中へ崩れ落ちる。私はヒロの元へ駆け寄ると、その小さな体を抱きかかえた。顔に纏わりついた雪を払うと、声をかける。
「お疲れ様、ヒロ」
彼の顔に浮かんでいたのは歓喜の表情でも、安堵の表情でもなく、苛立ちを含んだ表情だった。
「ルーイ、ヒヒたちに被害が出てたかも━━」
「すまない! やりすぎだった、あれは!」
少し食いぎみに答えて、言葉を遮る。
「力が入りすぎてしまった、一回しかチャンスが無かったから」
もちろん嘘だ。私はヒヒ達を巻き込むつもりで撃った。だが、こう言えばヒロは追及できなくなると知っている。
案の定、ヒロは次の言葉を続けることができなくなり、顔を背けた。
「ひどいじゃないか、ヒロこそ。逃がしてしまうなんて」
ヒロは背けた流れで、少女を運んでくるエラの方へ顔を向ける。
「ツキヨミはヒヒたちを守ろうとしてくれた。僕にとっては十分な理由だよ、ルーイ」
その言葉に私は目を細める。
(やはり甘いな、君は)
甘過ぎる、ツキヨミを超えて。だからこそ、守らなくてはならない。
ヒヒ丸の叫びに集まった大ヒヒ達は正気を取り戻し、静まっていた。我を失っていたとはいえ、ツキヨミを心配そうに覗き込む。
当のツキヨミはもぞもぞすると、エラの腕から白の大地へ舞い降りた。
「助かったのじゃ、礼を言う」
多分受け止めなくとも無事だったのだろうが、礼節を尊ぶ神様らしい。
「汝等も此度の無礼は不問とする。下がってよい」
巻き込まれた大ヒヒ達にそう告げる。彼らも軽く頭を垂れると、元の住処へ戻っていった。
それを見届けると、ツキヨミは私たちをぐるりと見回す。
「ワシの敗けじゃ。まったく化け物どもめ」
面白いものを見つけた少女のように、ニヤリと笑ってみせた。
「では、汝等をヒコ坊達の元へ案内してやろう」




