第五十七話:予想外の協力者
「臆せず向かってきた勇気は誉めてやるのじゃ」
上げた右拳を真横まで急接近した少女へと振り下ろした。
「ぐっ!」
少女から悲鳴が漏れる。それなりの魔力を込めたつもりだったが━━
(直撃は避けたようじゃな。よい勘をしておる)
しかし、ツキヨミの意識は長髪の男達から外していない。少女が囮であることは、すぐに気づいた。
「囮としては力不足よ」
勇者や魔王の眷属といった高度の魔術を扱う者は、同質の魔素の流れを感じとることができる。同じ氷術の使い手となれば、不意打ちは意味をなさない。だから少女へ意識を割かなかった。
「なんじゃ?」
先ほど少女を殴り飛ばした腕が言うことを聞かない。何かに締め付けられていることに気づき、思わず腕の方を見る。見ると蔓のような植物が腕を締め付けており、伸びた先には━━ツキヨミ自身とあまり背丈の変わらない黒髪の少年がいた。
「なぜ、汝が其処におる……?」
おかしい、あの小僧は長髪の男の所に━━そう思って意識をそちらへ戻す。長髪の男が構えた傘、そこへ守られるように深緑の外套が━━。
「謀りおったな!?」
あそこにあるのは外套だけ……いや、違う。あの少年はもっとゆったりした服を着ていたはず。この極寒の地で肌着だけになっている。
奴は氷術士の少女にピタリと着いてきていたのだ。華奢な体格に隠れられるように、衣服を脱ぎ捨てて。
「このっ、離すのじゃ!」
冷気を使って、蔓を振り払おうとする。しかし植物は冷気にやられて朽ちていくものの、それを補って新たな蔓が次々に伸びてくる。
驚異的な再生力、それを可能にする絶大な魔力━━これが選ばれし勇者の力というのか。あんな小さな体で。
(いや、ワシは分かっていたはずじゃ)
大人をバタバタとなぎ倒していたワシが何を言っているのやら。五百年という年月はこうまで耄碌させるものか。
蔓はさらに締め付けを増し、ツキヨミを雪中に引き倒そうとする。絶対に獲物を離すまいとする強い意志を少年の瞳から感じ、自然と笑みがこぼれる。勝手に長髪の男を攻撃役と決めつけ、油断した自分への自嘲か━━
「面白い━━!」
いや、これは喜びだ。ようやく本気を出してもよいと思える相手と出会った。それに対する圧倒的な高揚感!
ツキヨミは空中に鋭利な氷の大太刀を出現させると、蔓を一刀のもとに切断した。拘束が解かれ、弾かれるように彼女と少年達の間合いが大きく開く。体勢を整えようとしたその時だった━━。
「今だ、ヒヒ丸!」
勇者の少年達が耳を押さえる。
「「「ヒ ヒ ー !!」」」
巨大な獣に激突されたかのような衝撃に、ツキヨミの身体は突然襲われた。
「かはっっ!?」
頭を掻き回されたかのように平衡感覚を失い、意識ごと持っていかれそうになる。雪の布団を背中側へ出現させ、転倒しそうになるのを既のところでこらえた。
「何が起こったんじゃ……」
素早く氷の障壁を作り、次の攻撃に備える。
(先ほどのはヒヒの声であった。仕組みは分からぬが、その雄叫びを何倍にも増幅させ、放ったようじゃな)
待ち構えるとともに、呼吸を整える。今を好機と強力な攻撃が来るに違いない。その予想は大きく外れた。今まで畳み掛けるように来ていた攻勢が、急に止んだ。
(何かを待っておるのか?)
微かに足に振動を感じる。初めは気のせいかと思った。しかし確実に地響きへと変わり、こちらに近づいてくるのが分かる。
そういえば雪山で大声を出すと、雪崩が起きるという言い伝えを遠い昔に聞かされたことがあった。
「バカな」
ツキヨミは独り言ちた。そんなもの起こりはしない。眉唾物だ。山そのものであるワシがよく知っている。
だが━━
「ならば、この地響きは何じゃ!?」
地響きはどんどんと大きくなり、ついには白の塊が押し寄せてきた。
違う、雪ではない。
それは百匹を超える大ヒヒの群れであった。
大ヒヒ達の顔には明らかに怒りの感情が浮かんでいる。目を血走らせ、口からは白い息が吐き出される。まるで怒りにより沸騰して生じた蒸気が漏れ出ているようだった。彼らは敵の姿を認めると、連なるように咆哮する。
威嚇の声は雪原にも吸収されることなく、反響しあい、音圧を増していく。思わず耳を塞いだツキヨミを取り囲むと、その体格に相応しい腕力を持って雪塊を放り投げ始めた。
「ワ、ワシが分からんのか、お前ら! 止めんか!」
霊獣とは神の使い。そう呼ばれるほど彼らは気高く、争いを好まない。もちろん霊峰の神であるツキヨミに危害を加えることなど一度もなかった。温厚な彼らが怒りで我を忘れている原因は明らかだった。勇者一行のヒヒの叫び声が仲間を呼んだのだ。
しかし予想外の展開が連続し、ツキヨミの思考は完全に混乱してしまっていた。勇者の攻撃を“避ける”という選択肢さえ無くしてしまうほどに。




